学位論文要旨



No 217441
著者(漢字) 酒井,弘格
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ヒロノリ
標題(和) F. A. ハイエクにおける市場と政治 : 自生的秩序と統治構造
標題(洋)
報告番号 217441
報告番号 乙17441
学位授与日 2011.01.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第17441号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川出,良枝
 東京大学 准教授 宇野,重規
 東京大学 教授 苅部,直
 東京大学 教授 浅香,吉幹
 東京大学 教授 齋藤,誠
内容要旨 要旨を表示する

F. A. ハイエク(Friedrich August von Hayek 1899-1992)は、市場に代表される自生的秩序の役割を強調した、20世紀の代表的な自由主義者である。彼はこの観点から、社会主義やケインズ主義的福祉国家といった介入主義的政府を批判しつづけた。しかし他方でハイエクは、単なる市場原理主義者でなく、様々な社会政策を肯定した。そのため、一部のリバタリアンからは、福祉国家に譲歩しすぎた人物と批判されてきた。

本論文は、ハイエクの多様な領域にわたる言説を再構成することで、市場と政治について彼が採った複雑な立場の背後にある思考原理を解明し、政治思想にとってのハイエクの意義と限界を考察したものである。

本論文では、まず『自由の条件』(1960)を中心にハイエクの思考構造を明らかにし(第1部~第3部)、さらに、後年の進化論への傾斜による変化を跡づけた(第4部~第5部)。

第1部でまず検討したのは、ハイエクの自由概念である。そこでは自由と権力が対概念となっており、これらは影響力を行使する意図の有無と、残された選択肢の数という二つの基準によって区別されていた。しかし、自由と権力の関係が連続的なのか、それとも二分法的なのかについて、ハイエクの態度は両義的であった(第1部第1章)。

次いで、ハイエクの法の支配概念を検討した。これは、自由を実現する統治方法としてハイエクが推賞したものである。そこでは、法と命令が対概念となっており、意図の有無と選択肢の数という、自由と権力についての定義と同じ基準で定義されていた。また法は、一般性と抽象性、すなわち全員に適用できることという基準でも定義されていたが、ここにも二分法と連続性のあいだの両義性が存在していたため、特に、全員を等しく抑圧する法や事実上差別を生む法を明確に拒否できなかった(第1部第2章第1節~第3節)。ハイエクはまた、法の支配を制度的に保障するために成文憲法と権力分立の仕組みを提案した。それは、法の支配という理念を確実に実行する主体をハイエクが特定できず、多様な主体に期待せざるをえなかったことを表していた。またハイエクは、法の支配とデモクラシーの理念が混同されてデモクラシーが絶対化することを過度に恐れたため、ご都合主義的なデモクラシー擁護論に頼る結果になった(第1部第2章第4節~第5節)。

以上のような自由と権力、また法と命令についての、二分法と連続性という矛盾する思考の背後に知識論と科学論があることを明らかにしたのが、第2部である。

ハイエクの知識論については、彼が人間の全知を否定し、人間の完全知識を前提とする諸議論を批判したとして、広く知られている。しかし具体的に誰が何を知りえ、何を知りえないとハイエクが考えたかは、必ずしも特定されてこなかった。それに対しここで、ハイエクが経済について、方程式から成るというイメージをもち、方程式の抽象的形状と具体的数値という二分法的区分を行っていたことを明らかにした。政府当局が利用しうるのは前者の知識のみである。社会は非常に複雑であり、随時変化するので、政府当局は後者を確定することはできない。それは現場の諸個人の試行錯誤によって結果的に発見せざるをえないのである(第2部第1章)。

これは、ハイエクが『隷従への道』(1944)で行った社会主義批判の構造を説明する。すなわち、資本主義では、政府が経済の方程式の抽象的形状までしか決定せず、その具体的数値の決定は諸個人の相互作用に委ねられる。その結果、適切な数値が発見される。このとき諸個人は自由な活動が認められている。これに対し社会主義では、政府が具体的数値の決定まで行おうとするが、必要な知識を収集できないため合理的決定ができず、経済を破綻させる。またこのとき、諸個人の選択の自由は奪われる。ハイエクはこのように、社会主義の必然的失敗と自由の抑圧を批判したのである。もっとも実際には、ハイエクの議論が混乱していたため、当時はこの点が十分に理解されなかった(第2部第2章)。

さらに、社会科学と自然科学の方法論の相違についてのハイエクの議論を検討した。その結果、ハイエクの社会科学方法論が、経済理論の方程式のイメージをそのまま拡大したものだったことが明らかになった。そこから、ハイエクは社会全体を方程式のイメージによって理解していたという推測を示した。そして、法の支配もその一部だったという仮説を立てた。つまりハイエクにとって、法とは社会の方程式の抽象的形状のことであり、命令とはその具体的数値を決定することだったのである。法と命令の二分法的見解は、この方程式のイメージに由来していたのである。もっとも、現実はそのように方程式で割り切れるものではない。そのため、現実を説明するために、ときおり依拠せざるをえなかったのが、連続的見解だったのである(第2部第3章)。

以上から、ハイエクが社会全体を方程式のイメージで把握しており、市場経済も法の支配もともに、政府は方程式の抽象的形状までは介入してよいが具体的数値は決定してはならないということを含意していたと、結論づけられた。

第3部では、社会政策についてのハイエクの見解を検討し、まず、それが市場原理と法の支配という二原理に反しない限りで政府の介入を認めるというものだったことを示した。これは上記の結論を補強するものである。次いで、しかしこれは現実の説明には次の二点で不十分だったことを示した。第一に、法の支配は連続的な性質をあわせもっている。そのため法の支配は、明快な指針を示せないのである。そこでハイエクは、特定の政策の必要性を論理的に証明できず、自分の理想とする政策が法の支配の範囲内に収まっていることを示すだけにとどまらざるをえなかった。第二に、法の支配が理想的に二分法的な性質をもっていたとしても、なお市場原理と相反する場合があることである。このときハイエクは、市場原理をそれほど撹乱しない限りで法の支配を優先させるという現実的な妥協案を提示した。

第4部では、ハイエクが後年に、ポパーの反証主義を部分的に取り入れたこと、また暗黙的知識の議論を導入したことを契機として、進化論へと傾斜したことを示した(第4部第1章~第2章)。そして、その中で、それまでのハイエクの議論の不十分な点のいくつかが解決されたことを明らかにした。特に、法は自生的に形成されるのか、政府の熟慮によって形成されるのか、という点がこれまでは曖昧であり、その点を中心に検討した。

ハイエクは『法と立法と自由』(1973~1979)において、法の定義に、当事者間の期待のマッチングを最大限に実現させるという要件を追加した。人々の自発的な相互作用の中で紛争が生じると、様々な法の制定による解決が図られるが、その中で生き残る法は、当事者間の期待のマッチングを最大化する法である。なぜなら、それが彼らと社会全体の繁栄を実現する結果、その法を採用した社会が生存競争に勝つからである。これがハイエクの法の自生的進化の議論の中心的主張であった(第4部第3章第2節)。

さらに、政府による法の制定の過程は、紛争当事者間の期待のマッチングを最大化するような法の発見を、その専門家である裁判官(と、部分的に立法府)が行うというものだった。つまりハイエクにおいては自生的なルール形成も政府によるルール形成も、期待のマッチングという同じ方向を目指すものであり、両者が根本的に矛盾する必然性はないということになる。しかもこのとき、政府が抑圧的な法や差別的な法を作る心配もなくなる(第4部第3章第3節)。

第5部では、進化論をふまえてハイエクの政治論が変わったかどうかを、特に『法と立法と自由』に現れたラディカルな議会制改革案について検討した。そこではまず、成文憲法の役割が変化し、あるべき統治機構を書きとめる役割しか果たさなくなっていた(第5部第2章第1節)。次いで、本来の法を制定する立法院と、法の範囲内で政策を行う行政院という、ハイエクの新しい権力分立論を検討した。そして、それが法の支配の理想を守る人々を制度的に確保するという課題を解決するものだったこと、ハイエクがエリート主義に傾いたように見えるのはこの副産物にすぎないことを、発見した(第5部第2章第3節)。しかしこの統治機構論は、新しい進化論的工夫を十分に生かせず、『自由の条件』で問題となった法の支配概念の連続性にもとづく曖昧さという課題を克服できなかった。そのため、これをそのまま採用するのは難しいと結論づけた(第5部第2章第4節)。

以上の考察から、結論として次のことが明らかになった。ハイエクには方程式状の社会世界という一貫したヴィジョンが存在した。しかしそこでは、法則とそこに代入される個別的数値という二分法のヴィジョン、諸個人の自発的な相互調整が全体にとって最善の結果を生むという見えざる手のヴィジョンという二つのヴィジョンが前提とされており、これらは十分な現実の説明能力をもたない。ハイエクもこうした問題に部分的に対応したが、根本的な解決はできず、むしろ議論を複雑にし、多くの矛盾した内容を生んだだけだった。

ハイエクは膨大な領域で多くの業績を残した。それらが多くの有益な示唆を含むと同時に、そのままわれわれの指針とするには課題が多いことが、本論文によって確認された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、二〇世紀を代表する自由主義思想家の一人でもあるF.A.ハイエクについて、とくにその市場と政治をめぐる構想を中心に再検討したものである。ハイエクは、社会主義体制やケインズ主義的な福祉国家における介入主義的な政府に対する激しい批判によって知られ、二〇世紀後半におけるリバタリアニズムやいわゆる新自由主義にも多大な影響を及ぼしたとされる。

しかしながら、その思想には、合理主義と伝統主義、あるいは義務論と帰結主義などの間で緊張をはらむ諸側面が含まれ、矛盾にみちた思想家という評価が存在する。他方で、実際には、様々な社会政策を肯定していたことから、一部のリバタリアンからは、福祉国家に譲歩しすぎたという批判もなされている。

本論文は、このようなハイエクの思想について、歴史的な文脈から論じるのではなく、あくまでテキスト内在的に、その論理の構造を追跡するものである。その目的は、ハイエクの思考に見られる矛盾や曖昧さが何に由来するのかを探り、さらには基底にあるハイエクの思考法を見いだすことにある。また、そのようにして確認されたハイエクの思想の全体的な枠組みの中で、彼の政治やデモクラシーをめぐる思考を位置づけることにある。

以下、論文の要旨を述べる。

第1部ではまず、『自由の条件』(1960)を中心に、ハイエクにおける自由と権力の対概念が検討される。これらは、影響力を行使する意図の有無と、残された選択肢の数という二つの基準によって区別されていたが、自由と権力の関係が連続的なのか、それとも二分法的なのかについて、ハイエクの態度は両義的であった。

次いで、ハイエクが自由を実現する統治方法として推賞した法の支配概念が検討されるが、そこで対概念になっている法と命令もまた、自由と権力の対概念と同じ基準と問題点をもっていた。また法は、一般性と抽象性、すなわち全員に適用できるか否かという基準でも定義されていたが、ここにも二分法と連続性のあいだの両義性が存在していたため、特に、全員を等しく抑圧する法や事実上差別を生む法を明確に拒否できなかった。

さらにハイエクは、法の支配を制度的に保障するために成文憲法と権力分立の仕組みを提案したが、これは法の支配という理念を確実に実行する主体をハイエクが特定できず、多様な主体に期待せざるをえなかったことを表している。またハイエクは、法の支配とデモクラシーの理念が混同されて、デモクラシーが絶対化することを過度に恐れたため、ご都合主義的なデモクラシー擁護論に頼る結果にもなった。

第2部は、以上のような自由と権力、また法と命令についての、二分法と連続性という矛盾する思考の背後に知識論と科学論があったことを明らかにする。ハイエクの知識論については、彼が人間の全知を否定し、人間の完全知識を前提とする諸議論を批判したことが知られている。しかし具体的に誰が何を知りえ、何を知りえないとハイエクが考えていたかについては、必ずしも特定されてこなかった。これに対し本論文は、ハイエクが経済について、方程式から成るというイメージをもち、方程式の抽象的形状と具体的数値という二分法的区分を行っていたことを明らかにする。ハイエクによれば、政府当局が利用しうるのは前者のみであり、後者を確定することができない。それは現場の諸個人の試行錯誤によって結果的に発見せざるをえないのである。

このことは、ハイエクが『隷従への道』(1944)で行った社会主義批判の構造も説明する。すなわち、ハイエクによれば、資本主義では、政府が経済の方程式の抽象的形状までしか決定せず、その具体的数値の決定は諸個人の相互作用に委ねられるべきである。その結果、適切な数値が発見されるのであり、このとき諸個人は自由な活動が認められている。これに対し社会主義では、政府が具体的数値の決定まで行おうとするが、必要な知識を収集できないため合理的決定ができず、結果として経済を破綻させる。またこのとき、諸個人の選択の自由も奪われる。ハイエクは以上の視点から社会主義の必然的失敗と自由の抑圧を批判したのである。

その上で、社会科学と自然科学の方法論の相違についてのハイエクの議論も検討される。その結果、ハイエクの社会科学方法論が、経済理論の方程式のイメージをそのまま拡大したものだったことが明らかになり、ハイエクは社会全体を方程式のイメージによって理解していたことが示される。法の支配もまた、このようなイメージに基づくものであり、法とは社会の方程式の抽象的形状であり、命令とはその具体的数値を決定することであった。

第3部では、社会政策についてのハイエクの見解を検討し、まず、それが市場原理と法の支配という二原理に反しない限りで政府の介入を認めるというものだったことが示される。しかしながら、これは現実の説明としては、次の二点で不十分であった。第一に、法の支配は連続的な性質をあわせもっており、そのため二分法的な明快な指針を示すことができない。そこでハイエクは、特定の政策の必要性を論理的に証明できず、多くの場合、自分の理想とする政策が法の支配の範囲内に収まっていることを示すにとどまった。第二に、法の支配が理想的に二分法的な性質をもっていたとしても、なお市場原理と相反する場合があることがありうる。このときハイエクは、市場原理をそれほど撹乱しない限りで法の支配を優先させるという現実的な妥協案を提示した。

第4部では、ハイエクが後年に、ポパーの反証主義を部分的に取り入れたこと、また暗黙的知識の議論を導入したことを契機として、進化論へと傾斜したことが示される。しかしながら、そこでのハイエクの議論には不十分な部分があり、特に、法は自生的に形成されるのか、政府の熟慮によって形成されるのかという点が曖昧であった。したがって、その点を中心に検討が進められる。

ハイエクは『法と立法と自由』(1973~1979)において、法の定義に、当事者間の期待のマッチングを最大限に実現させるという要件を追加した。人々の自発的な相互作用の中で紛争が生じると、様々な法の制定による解決が図られるが、その中で生き残る法は、当事者間の期待のマッチングを最大化する法であるはずである。なぜなら、それが彼らと社会全体の繁栄を実現する結果、その法を採用した社会が生存競争に勝つからである。これがハイエクの法の自生的進化の議論の中心的主張であった。

また、政府による法の制定の過程は、紛争当事者間の期待のマッチングを最大化するような法の発見を、その専門家である裁判官と、部分的に立法府が行うというものだった。つまりハイエクにおいては自生的なルール形成も政府によるルール形成も、期待のマッチングという同じ方向を目指すものであり、両者が根本的に矛盾する必然性はないと考えられていた。しかもこのとき、政府が抑圧的な法や差別的な法を作る心配もないとされていた。しかしながら、このようなハイエクの理解は、強制的なルールを考慮するものでなく、とくに公法において問題をはらむものであった。

第5部では、進化論をふまえてハイエクの政治論が変わったかどうかを、特に『法と立法と自由』に現れたラディカルな議会制改革案について検討する。そこではまず、成文憲法の役割が変化し、あるべき統治機構を書きとめる役割しか果たさなくなっていることが明らかにされる。次いで、本来の法を制定する立法院と、法の範囲内で政策を行う行政院という、ハイエクの新しい権力分立論が検討される。その結果、それが法の支配の理想を守る人々を制度的に確保するという課題を解決するものであり、ハイエクがエリート主義に傾いたように見えるのはこの副産物にすぎないことが示される。しかしながら、この統治機構論は、新しい進化論的工夫を十分に生かすものではなく、『自由の条件』で問題となった法の支配概念の連続性にもとづく曖昧さという課題を克服することは最後までできなかったことも明らかにされる。

以下、本論文の評価に入る。

本論文の長所として第一に指摘すべきは、ハイエクの思想の全体像を、あくまでテキストに即して描き出すことに成功している点である。従来、ハイエクの議論は、特定の角度から一面的に解釈されることが多く、その結果、複数の、しかもときに矛盾するハイエク像が並立する事態にあった。これに対し本論文は、ハイエクの知識論・科学論についての緻密な分析を基礎に、様々な分野にわたる彼の議論を貫く思考原理を「方程式的な」世界観として総括する。それによれば、あらゆる社会に普遍的に妥当する法則の存在を確信したハイエクは、一般的な法則としての方程式と、そこに代入される具体的な数値を峻別し、このイメージにしたがって、専門家と一般人の役割の違いを強調した。また、同じ論理によって、自由と強制、法と命令などを区別した。このような理解は先行する諸研究と比べて独自なものである。

第二に、このような「方程式的な」世界観によりすべてを説明しようとするハイエクの試みが、政治を論じるときに特有の問題をはらむことを明らかにしたのも、本論文の優れた点である。すなわち、客観的な法則の存在を確信したハイエクにとって、合意の存在しないところに合意を創出するデモクラシーの可能性は軽視されがちであった。また、本来連続的な性格をもち、単純に自由とも強制ともいえない政治の争点について、二分法的なハイエクの思考法は、結果として論理的な矛盾や曖昧さをもたらした。このような発見は、経済学において一定程度妥当するであろう思考枠組みを、政治や法の問題に無前提に適用することの危険性を考察する際にも示唆的である。

第三に、ハイエクの思想の全体像を描き出すことで、結果として二〇世紀思想史に対して、一つの視座を提供したことも評価できる。すなわち、ハイエクの客観的な法則が実在するという世界観は、まさに一九世紀以来の合理主義的な思想潮流を継承するものであったが、そのような知識論・科学論に基づいて、真理に基づく権力を肯定するのではなく、むしろそうした権力による介入に制限をくわえようとしたハイエクの思想的営みは、ファシズムや共産主義との対抗という、二〇世紀的な文脈における問題意識を反映していたと言える。本論文は、このようなハイエクの複合的な思考を整合的に読み解くものである。

だが本論文にも短所がないわけではない。第一に、全体としてハイエクの全体像の論理的な再構成が優先され、クロノロジカルな変化についての分析がやや弱い。また、分析者が分析対象に代わって、その「本意」を矛盾なく明らかにするという、本論文が採用する方法論についても、もう少し慎重な吟味が必要である。

第二に、やや望蜀の嘆ではあるが、ハイエクの思想の源泉ともなったウィーン学派の理論家との比較などがあれば、ハイエクの個性がより明解に浮き彫りにされたのではないか。

第三に、市場と政治の違いを軽視したハイエクの失敗についての分析は鋭いが、さらに一歩進んで、市場と政治とがいかなる関係にあるのが望ましいかについて積極的な展望が示されていれば、本論文の意義はさらに増したものと思われる。

しかしながら、以上の短所には、論文の完成度を高めるための自覚的な禁欲の結果という側面もある。いずれも今後のさらなる研究の発展によって十分に克服できるものであり、本論文の意義と価値を大きく損なうものではない。

以上から、本論文は、その筆者が高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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