学位論文要旨



No 217446
著者(漢字) 松倉,啓一郎
著者(英字)
著者(カナ) マツクラ,ケイイチロウ
標題(和) 外来淡水巻貝Pomacea属の遺伝的構成と耐寒性に関する研究
標題(洋)
報告番号 217446
報告番号 乙17446
学位授与日 2011.02.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17446号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,幸男
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 久保田,耕平
 東京大学 准教授 宮下,直
 東京大学 名誉教授 田付,貞洋
内容要旨 要旨を表示する

南米原産の淡水性巻貝Pomacea属(リンゴガイ類、通称ジャンボタニシ)は1980年代に食用として日本をはじめとする東アジア・東南アジア諸国に導入された。しかし食用としての需要は上がらず、水田生態系に侵入した個体がイネの重要害虫、あるいは生物多様性を脅かす侵略的外来種となった。南米の比較的温暖な地域原産のPomacea属が日本国内での定着に成功した原因として、気候、特に冬期の低温に対する適応能力が挙げられる。これまでの研究でPomacea属の一種スクミリンゴガイP. canaliculataの低温耐性が季節によって変動することが明らかとなっており、Pomacea属には何らかの耐寒性メカニズムが存在すると考えられる。しかし、貝類の耐寒性に関する生理的な知見は乏しく、Pomacea属の耐寒性の詳細は不明である。また、侵略的外来種が侵入先の生態系に及ぼすリスクの評価、その対策方法等を確立する上で、侵入した種の同定は最も基礎的な問題である。しかしPomacea属の貝は種内変異も多く、貝殻の形態も生息する環境により変化するため、Pomacea属の貝の分類は歴史的に混乱している。そのため、国内に侵入したPomacea属はスクミリンゴガイ1種のみとされていたが、その信頼性は必ずしも高くないと考えられた。本研究は、侵略的外来種であるPomacea属の国内への侵入状況の解明、定着の成功要因となった耐寒性メカニズムの解明を目的とし、DNA塩基配列情報を用いたPomacea属の遺伝的構成の解析、生理学的手法による耐寒性メカニズムの調査を行ったものである。

1)国内に分布するPomacea属の再分類

近年、北・南米のPomacea属のミトコンドリアDNA、COI遺伝子の塩基配列情報が解析され、属内の系統関係が明らかにされた。この塩基配列情報をもとに、国内10県18ヵ所から採集したPomacea属の種を調査した。その結果、採集した貝の大部分は既知のスクミリンゴガイと相同性の高い塩基配列を有していたが、静岡県、広島県、沖縄県石垣島、沖縄県西表島の4ヶ所からは別種のラプラタリンゴガイP. insularumと相同性の高い塩基配列を有する個体が採集された。塩基配列情報による判別の結果、国内にはスクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの2種が生息していると考えられた。これら2種は種特異的なプライマーを用いたマルチプレックスPCRによって簡便に識別することが可能であった。ミトコンドリアDNAの塩基配列情報のみによる種の同定には問題も指摘されているが、現時点では本手法が最も現実的な同定法であることから、本論文ではこの方法を採用することとした。

2)遺伝的構成の地理的変異と種間交雑

スクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの核DNAのrDNA18s~28s領域の塩基配列情報を解析し、両種間の遺伝的交流を調査するとともに、交配実験による両種の交雑可能性を検証した。国内で採集したスクミリンゴガイ4個体、ラプラタリンゴガイ4個体の対象領域をクローニングして系統樹を作成すると、概ね3つのクレード(クレードC1~C4、クレードC5、クレードI)が形成された。クレードC1~C4とクレードC5には、スクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの両種由来のクローンが混在しており、両種間の遺伝的交流が示唆された。

C1~C5の核DNAのみをもつ個体をCタイプ、Iの核DNAのみを持つ個体をIタイプ、両方の核DNAを持つ個体をHタイプとし、核DNAのタイプと分布地域の関係を調査した。その結果、ほとんどの地域でCタイプのスクミリンゴガイが優占しており、Hタイプのスクミリンゴガイも広範囲に分布していた。一方、西表島ではスクミリンゴガイは採集されず、唯一Iタイプのラプラタリンゴガイの生息が確認された。以上の結果から、核DNAのタイプによって分布地域に違いがあることが明らかとなった。

他種との交雑の可能性が極めて低い茨城県由来のCタイプのスクミリンゴガイと西表島のIタイプのラプラタリンゴガイの累代系統を用い、両種間の交配実験を行った。その結果、異種同士でも交配の正逆に関係なく産卵が確認された。ただし、産卵された卵の孵化率は同種同士の交配で産卵されたものより著しく低かった。この結果、スクミリンゴガイとラプラタリンゴガイは互いに交雑可能であることが明らかとなった。

3)スクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの生物学的差異

スクミリンゴガイ(Cタイプ)、ラプラタリンゴガイ(Iタイプ)および両種の交雑個体(Hタイプ)を用い、両種の卵サイズ、成長速度、耐寒性を比較した。卵サイズはスクミリンゴガイよりもラプラタリンゴガイのほうが小さく、両種間における既知の形態的違いが再確認された。交雑個体の卵サイズは両種の中間的な値となった。孵化~成長初期の体サイズはスクミリンゴガイのほうが大きかったが、孵化後2ヶ月程度で両種間に違いはなくなった。卵サイズや稚貝の成長速度の違いは、生息場所への適応と関連している可能性がある。低温順化処理をしたスクミリンゴガイと交雑個体は0℃に5日間晒されても多くの個体が生存できた。一方、ラプラタリンゴガイは低温順化処理をしても、0℃5日間で全ての個体が死亡したことから、低温に対する適応能力が低いと考えられた。耐寒性の有無が両種の分布地域の違いの原因である可能性が高い。

4)スクミリンゴガイの耐寒性に関与する環境要因

耐寒性変動に対する環境条件の影響をスクミリンゴガイの幼貝(殻高7.5~17.5mm)を用いて調査した。耐寒性を0℃5日間処理後の生存率で評価したところ、25℃下で4週間水中で飼育した個体は耐寒性が上昇しなかったが、水中から取り出し、湿潤あるいは乾燥状態で4週間保管すると耐寒性は上昇した。また、水条件に関わらず、徐々に気温を低下させる低温順化処理によっても耐寒性は上昇した。耐寒性上昇に対する日長条件の影響は確認されなかった。一方、耐寒性が上昇した個体を水中でさまざまな温度条件で飼育すると、25℃では4日で、20℃では8日でほとんどの個体の耐寒性が消失したが、15℃では64日経過後も耐寒性は維持されていた。また、25℃下でも湿潤条件であれば、半数以上の個体は64日経過後も耐寒性を維持していた。これらの結果から、スクミリンゴガイの耐寒性は低温順化処理や乾燥条件によって上昇し、高温や湛水条件によって減少することが明らかとなった。

5)スクミリンゴガイの耐寒性変動に伴う体内成分の変化

スクミリンゴガイの耐寒性変動時の体内の低分子化合物、グリコーゲン、水分含有率、脂質量の変化を調査した。低温順化処理により幼貝の耐寒性を上昇させると、耐寒性上昇に伴いグリセロール、グルタミン、カルノシン濃度が増加し、グリコーゲン、水分含有率は減少した。また、脱順化処理(25℃で水中で飼育)による耐寒性減少時には、グリセロール濃度が減少する傾向が見られた。耐寒性上昇時のグリセロール濃度の上昇は昆虫や一部の貝類でも知られており、スクミリンゴガイにおいてもグリセロールが耐寒性上昇に関与している可能性が高い。ただし、グリセロールの上昇量は昆虫などで知られている値に比べ著しく低かった。また、グルコース濃度は低温順化処理・脱順化処理いずれによっても変動したが、耐寒性の変動と直接的な関連はなかった。グルコースとグリコーゲン濃度の変化は、耐寒性変動時の体内の代謝機構の変化を表していると考えられた。

6)低温に対する組織別の反応

スクミリンゴガイの耐寒性上昇に伴う体内の主要組織ごとの凍結温度、グルコース、グリセロール、グリコーゲン濃度の変化を調査した。スクミリンゴガイを毎分0.1℃の割合で-7.0℃程度まで冷却すると約半数が凍結し、凍結した個体はすべて死亡したが、凍結しなかった個体の一部は生存していた。このことから、本種は非耐凍性であることが示された。しかし、過冷却点は低温順化処理によっても変化せず、また、耐寒性のある個体でも0℃に10日以上晒すと死亡することから、本種の低温下での死亡要因は凍結ではなく、間接的冷温障害(Indirect chilling injury)であると考えられた。0℃下での組織別の障害を観察すると、死亡した個体は低温順化処理の有無に関わらず、全て外套膜が損傷していた。したがって、スクミリンゴガイの低温下での死亡要因は、外套膜への損傷であると考えられた。

低温順化処理により、腎臓後葉ではグルコース濃度が、消化腺ではグリセロール濃度がそれぞれ著しく増加した。これらの組織は消化や代謝に関わる組織であることから、スクミリンゴガイの耐寒性上昇時には、体内の代謝状態が変化していると考えられた。

本研究により、国内には2種のPomacea属が生息していることが明らかとなった。しかし両種の低温に対する適応能力は大きく異なり、これが両種の国内での分布地域拡大の成否に関係していると考えられた。これは、侵入生物の侵入地への定着・分布拡大要因を明らかにした貴重な事例である。また、現在、東南アジア・東アジア地域にはスクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの他に、アメリカリンゴガイP. diffusaとP. scalarisの2種も分布していることが確認されている。これらも限られた地域にのみ生息しており、今後、これら2種の定着要因についても調査する必要がある。

本研究で明らかにしたスクミリンゴガイの耐寒性メカニズムに関する知見は、貝類の耐寒性研究において先進的なものとなった。特に、耐寒性に関する組織レベルでの知見はこれまで貝類では報告されておらず、本研究の知見に基づいた貝類の耐寒性メカニズムの更なる解明が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

南米原産の淡水性巻貝Pomacea属(リンゴ貝類、通称ジャンボタニシ)は1980年代に東アジア・東南アジア諸国の水田生態系に侵入し、イネの重要害虫ならびに侵略的外来種となった。従来、日本に分布するPomacea属はスクミリンゴガイP. canaliculata一種とされており、本種の国内での分布域はその耐寒性によって制約を受けていると推測されてきた。本研究は、外部形態による分類が著しく困難であるため、これまで十分に検討されてこなかった日本国内のPomacea属について新たな手法による分類を試みるとともに、その耐寒性について詳細な検討を加えたものであり、6章から構成されている。

1)国内に分布するPomacea属の再分類

近年、北・南米のPomacea属のミトコンドリアDNA (COI) 塩基配列情報が解析され、属内の系統関係が明らかにされた。この塩基配列情報を利用し、国内10県18ヵ所から採集したPomacea属の種の同定を試みた。その結果、採集した貝の大部分はスクミリンゴガイと同定されたが、静岡県、広島県、沖縄県石垣島、沖縄県西表島の4ヶ所には別種のラプラタリンゴガイP. insularumが生息していることが明らかとなった。つづいて、これら2種を簡便に識別するため、種特異的なプライマーを用いたマルチプレックスPCRによる同定法を開発したが、この方法の欠点についても議論した。

2)遺伝的構成の地理的変異と種間交雑

核DNAのrDNA18s~28s領域の解析から得られた系統樹は概ね3つのクレードから形成されており、そのうちの2つのクレードではスクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの両種由来のクローンが混在していたことから、両種間での遺伝的交流の存在が明らかとなった。スクミリンゴガイ由来の核DNAのみを有する個体、両種由来の核DNAを有する個体は広範囲に分布していたが、ラプラタリンゴガイ由来の核DNAのみを有する個体は西表島でしか確認されず、核DNAのタイプによって分布地域が異なっていた。

スクミリンゴガイとラプラタリンゴガイを室内で交配させると、交配の正逆に関係なく産卵が確認されたことから、両種は交雑可能であることが明らかとなった。

3)スクミリンゴガイとラプラタリンゴガイの生物学的差異

卵サイズはスクミリンゴガイよりもラプラタリンゴガイのほうが小さく、交雑個体の卵サイズは両種の中間的な値となった。孵化直後の体サイズはスクミリンゴガイのほうが大きかったが、孵化後2ヶ月程度で両種間に違いはなくなった。低温順化処理をしたスクミリンゴガイと両種の交雑個体は0℃に5日間晒されても多くの個体が生存できたが、ラプラタリンゴガイは同処理により全ての個体が死亡したことから、ラプラタリンゴガイは低温に対する適応能力が低いと考えられた。

4)スクミリンゴガイの耐寒性に関与する環境要因

スクミリンゴガイの幼貝を水中で飼育した場合、耐寒性は25℃では上昇しなかったが、低温順化処理により著しく上昇した。水中から取り出した個体は、25℃でも耐寒性が上昇した。日長条件は耐寒性上昇に影響しなかった。一方、個体の耐寒性は、気温20℃以上の水中で飼育すると数日で消失したが、気温15℃あるいは湿潤条件下では64日経過後も維持されていた。以上の結果から、スクミリンゴガイの耐寒性は気温や水条件により変動することが明らかとなった。

5)スクミリンゴガイの耐寒性変動に伴う体内成分の変化

低温順化処理により幼貝の耐寒性を上昇させると、耐寒性上昇に伴いグリセロール、グルタミン、カルノシン濃度が増加し、グリコーゲン、水分含有率は減少した。また、脱順化処理(25℃で水中で飼育)による耐寒性減少時には、グリセロール濃度が減少する傾向が見られた。これらの成分が耐寒性変動の生理メカニズムに関与している可能性がある。

6)低温に対する組織別の反応

スクミリンゴガイを-7.0℃まで冷却すると約半数が凍結し、凍結した個体はすべて死亡したが、凍結しなかった個体の一部は生存していたことから、本種は非耐凍性であることが示された。しかし、過冷却点は低温順化処理によっても変化せず、また、耐寒性のある個体でも0℃に10日以上晒すと死亡することから、本種の低温下での死亡要因は凍結ではなく、間接的冷温障害(Indirect chilling injury)であると考えられた。0℃下での組織別の障害を観察すると、死亡した個体は全て外套膜が損傷していた。低温順化処理により、腎臓後葉ではグルコース濃度が、消化腺ではグリセロール濃度がそれぞれ著しく増加した。これらの組織は消化や代謝に関わる組織であることから、スクミリンゴガイの耐寒性上昇時には、体内の代謝状態が変化していると考えられた。

以上、本研究は日本国内に2種のPomacea 属が生息していることを初めて明らかとし、この2種には低温に対する適応能力に明確な差異があり、これが両種の国内分布に大きく影響していることを示したものであり、学術上、応用上価値が高い。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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