学位論文要旨



No 217452
著者(漢字) 目良,裕
著者(英字)
著者(カナ) メラ,ユタカ
標題(和) 電子励起による単層カーボンナノチューブの欠陥生成
標題(洋)
報告番号 217452
報告番号 乙17452
学位授与日 2011.02.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17452号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 押山,淳
 東京大学 教授 福谷,克之
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 特任准教授 原田,慈久
 筑波大学 教授 重川,秀実
内容要旨 要旨を表示する

カーボンナノチューブは、その高い電流密度耐性や、細さ、先端極率半径の小ささ、そして非常に強い引っ張り強度など、多くの特異な物性を持ち、発見以来様々な応用を目的として数多くの研究が行われてきた。特に単層カーボンナノチューブを用いた電子デバイス応用に関しては、そのキャリアの高速性を生かしたFET素子や低抵抗を生かした配線としての使用だけではなく、細さによるナノスケールでの量子性の発現により、単電子デバイスなどの量子効果デバイスを比較的簡単に作製できることが期待され、研究が行われている。

しかし、単層カーボンナノチューブの物性、特に電子輸送物性は、その太さやカイラリティだけではなく、欠陥の存在にも大きな影響をうけることが近年報告されてきている。また最近の報告では、非常に低エネルギーの電子線や光によって、単層カーボンナノチューブに欠陥が導入されることがわかってきた。従って、高い性能を持つカーボンナノチューブ電子素子を実現するためには、低エネルギーの励起によってどのような欠陥がどのような機構で導入されるのか、またその欠陥の性質はどのようなものであるか、についての詳しい知見を得ることが必要になる。

カーボンナノチューブの欠陥は、例えば単電子デバイスを作製する際のポテンシャル障壁として働く場合もあり、単に素子の性質を劣化させるだけの存在ではない。性質のわかっている欠陥を適切に制御することによって、新しい機能を発現させることも期待できるのである。

上に述べた低エネルギーの励起で起きる欠陥生成などの現象は、電子系の励起により誘起されるドラスティックな原子移動による場合が多く、電子励起現象と呼ばれる。本論文では、この電子励起によって単層カーボンナノチューブに欠陥が導入される現象についての基礎的な知見を得ることを目的とし、軟X線照射による欠陥導入と、走査トンネル顕微鏡からの電流注入による欠陥導入について調べた結果を報告した。

第一章では、研究の目的についてまとめた。

第二章では、背景となる知識として、単層カーボンナノチューブ(SWNTs)の基礎的な物性、特に電子物性と構造に関する事柄を説明し、また固体における電子励起原子移動現象、とくに内殻電子を励起する場合にどのようなメカニズムで反応が生じるかについて、いくつかのモデルを説明した。

第三章では、シンクロトロン放射光を用いた軟X線照射により単層カーボンナノチューブに欠陥を導入する実験、および軟X線照射により単層カーボンナノチューブから脱離する原子・分子を調べた実験について報告した。

本実験で用いた単層カーボンナノチューブは、産業技術総合研究所の畠賢治博士に提供をうけたスーパー・グロースCVD法[9]により合成されたものである。

このサンプルをSpring-8においてアンジュレーターからの光を分光せずに直接照射し、その前後のX線吸収スペクトルを測定した。同時に共鳴発光スペクトルも測定した。また照射実験後、空気中で顕微ラマン測定を行った。X線吸収スペクトル(XAS)の測定から、炭素sp2ボンドの特徴であるπ*ピークの幅が照射により広がること、つまりSWNTsに構造変化が生じているということがわかった。このことは顕微ラマン測定により、SWNTsの完全性の指標としてよく持ちいられるG/D比をマッピングした実験でも、照射域で欠陥数が増大していることで確認された。XASの結果も顕微ラマンの結果も、変化が生じる効率が、ある照射光エネルギー(289eV)付近で共鳴的に促進されることを示しており、何らかの共鳴的なメカニズムが働いていることが示唆された。

欠陥生成のメカニズムのうち、光励起原子脱離の可能性を検討するためにKEK-PFにおいて軟X線照射誘起原子脱離を調べた。このとき、SWNTs自体からの炭素脱離の有無を調べるため、13C-SWNTの試料も用いた。TOFアナライザーにより脱離種を調べた結果、炭素単体での脱離、およびチューブの炭素を含む分子の脱離も観察されず、単純な炭素脱離、および修飾分子の脱離によるエッチング効果は、上記の欠陥生成のメカニズムではないことがわかった。

共鳴発光スペクトルの測定結果において、コア・エキシトンが励起される際にも発光に大きな格子緩和を示唆する裾野が観察されないことから、コア・エキシトンメカニズムによる格子緩和も考えにくい。残るメカニズムはスペクテイターオージェ過程の終状態である。この場合、最初に励起されるアンチボンディングステートとして適当な電子状態がなければならない。この励起先の候補として、成長中に生成した欠陥サイトにおける局在した反結合状態を考え、その妥当性を第一原理計算によって検証した。その結果、生成エネルギーが小さい、また欠陥に局在して、π*ピークとσ*ピークの間にアンチボンディングステートが存在するという条件から、Stone-Wales欠陥に局在する状態が、軟X線照射による欠陥生成の引き金になるスペクテイターオージェ終状態の励起先としてもっとも有望であることがわかった。

第四章では、走査トンネル顕微鏡(STM)の探針からの刺激により、SWNTsに欠陥を導入する実験について報告した。

実験は超高真空、低温(10K~77K)で行った。欠陥の導入は、選んだSWNTの上に探針を止め、ある決まった大きさのバイアス電圧でやはりある決まった大きさのトンネル電流を注入するという方法を用いた。

初めに行った実験では、サンプルの熱処理はせずに欠陥生成を試みたところ、探針直下に欠陥が生成した。その欠陥の電子状態を走査トンネルスペクトロスコピー(STS)によって調べた結果、金属SWNT上に生成した欠陥近傍では、HOMO-LUMOギャップができていることを見出した。さらに、そのギャップは、金属SWNTを用いて作製したFETの特性が、電子線照射により大きく変化した、という報告でその特性を説明するために考えられたモデルと非常によく合致するということがわかった。

次に、サンプルをよく熱処理し、クリーンな状態から行った欠陥生成実験では、同様に欠陥は生成するものの、探針直下ではなく、数nmはなれた箇所に欠陥が生成することがわかった。この欠陥は半導体SWNTにおいては、ガン度ギャップ中に深い二つのギャップ準位を形成する。また、欠陥生成条件でのトンネル電流を調べると、非常に大きく揺らいでおり、STM観察される欠陥ができるとき以外も非常に多くのイベントが起きていることが判った。このトンネル電流の揺らぎを解析することで、欠陥生成の電流依存性が2次の依存性を持つことがわかった。

ここで生成された欠陥の構造についての知見を得るため、さまざまな欠陥構造の生成エネルギー、局所状態密度を自分で行った第一原理計算の結果および報告されている計算結果からまとめ、すべての実験結果と比較検討した結果、生成している欠陥の微視的構造のもっとも有力な候補は、Vacancy-adoatomペアであるという結論が得られた。

この欠陥が探針直下ではなく、離れたところに見出されることについて、欠陥生成が2電子過程で、消滅が1電子過程であり、生成と消滅が拮抗した結果、励起位置から離れた箇所の欠陥が残るというモデルを提案し、実験結果が説明できることを示した。

第五章では、以上の研究結果を以下のように総括した。

炭素1s 内殻吸収端付近の軟X線を照射することによって、単層カーボンナノチューブに共鳴的に欠陥が導入されることをX線吸収スペクトル、および顕微ラマン測定により見いだした。

As grownに存在するStone-Wales欠陥に局在した反結合状態への、共鳴的な励起に始まるスペクテイター・オージェ過程の終状態が欠陥生成反応の機構としてもっとも有力であることを考察した。

走査トンネル顕微鏡の探針からの電流注入によって単層カーボンナノチューブに欠陥が生成され、その位置が探針直下から離れた場所にできること、および局所状態密度にギャップ準位が出現することを見出した。また異なる試料準備条件においては、金属ナノチューブに入れた欠陥に付随してHOMO-LUMOギャップが生じることを見いだした。

ここで着目した欠陥生成過程は2電子過程であることを明らかにし、回復が1電子過程であれば、離れて欠陥生成が起きる理由が、欠陥生成と消滅の拮抗によって説明されることを考察した。

審査要旨 要旨を表示する

単層カーボンナノチューブは、グラフェンシートの巻き方によって金属にも半導体にもなり、その一次元性の高さから多くの特異な物性を示すため、基礎・応用両面から数多くの研究が行われている。本論文は、単層カーボンナノチューブに内殻励起を起こす軟X線を照射したり走査トンネル顕微鏡探針から低エネルギーの電子を注入すると欠陥が導入される現象を調べたものである。

第一章は緒言であり、単層カーボンナノチューブ中の欠陥がその物性、特に電子輸送物性に大きな影響を及ぼすことが述べられたあと、近年弾き出しを起こさない低エネルギーの電子線や光によっても単層カーボンナノチューブに欠陥が導入されることが報告されるようになってきたことが紹介される。さらに本研究の目的として、「電子励起によって単層カーボンナノチューブに欠陥が導入される現象についての基礎的な知見を得るために、初期電子励起としては空間的に局在している特徴を持つ2つの励起手法―内殻励起と走査トンネル顕微鏡からの電流注入―による欠陥導入について詳しく調べる」ことが述べられている。

第二章では、まず背景となる知識として、単層カーボンナノチューブの基礎的な物性、特に電子物性と構造に関し簡単に説明し、次に単層カーボンナノチューブの評価手法・研究手法として、ラマン分光法、透過電子顕微鏡、走査トンネル顕微鏡、第一原理計算などに関してその特色やこれまでの研究例が示されている。引き続き、弾き出しを起こさないような低エネルギーの電子線や光照射によって固体の電子系を励起すると欠陥生成や拡散、原子脱離などのドラスティックな原子移動が起こる現象「電子励起原子移動現象」について説明し、特に内殻励起より原子移動が誘起されるメカニズムについていくつかのモデルをあげている。また炭素系物質における電子励起現象についてこれまでの研究を例示しながらまとめている。

第三章では、シンクロトロン放射光を用いて炭素1s内殻電子を励起する軟X線を照射することにより単層カーボンナノチューブに欠陥を導入する実験、および軟X線照射による単層カーボンナノチューブからの原子・分子脱離実験について報告している。

欠陥生成のためには放射光リングからの高強度アンジュレータ準単色光を試料に照射し、構造評価のためにはその前後のX線吸収スペクトル(XAS)を測定し、XASスペクトルの変化から単層カーボンナノチューブに構造変化が生じていることを強く示唆する結果を示している。また照射実験後、空気中で顕微ラマン測定を行い、欠陥の存在を示すラマン信号が照射領域で顕著に増大していることを明らかにしている。さらにこの欠陥生成効率の照射フォトンエネルギー依存性が、炭素1s内殻励起吸収端より少し高い289eV付近で共鳴的に増大しており、何らかの共鳴的なメカニズムが働いているとしている。

次に軟X線照射誘起原子脱離についての実験が述べられ、炭素単体でのイオン脱離、およびチューブを構成する炭素を含む分子のイオン脱離も観察されず、単純な炭素脱離、および修飾分子の脱離による光エッチング効果は、上記の欠陥生成のメカニズムとは考えられないと結論している。

XASスペクトル測定と同時に測定した共鳴発光スペクトルには、コア・エキシトン励起に伴い大きな格子緩和が起こること表す裾野構造が観測されないことから、コア・エキシトン寿命内に起こる擬ヤンテラー効果は欠陥生成のメカニズムとは考えにくいと主張している。

軟X線による共鳴的欠陥生成を説明するメカニズムとして、反結合軌道への共鳴内殻励起後のスペクテイターオージェ過程の終状態機構を提案し、内殻電子の励起先の候補として、既存の欠陥サイトに局在した反結合状態を考え、その妥当性を第一原理計算によって検討している。その結果、生成エネルギーが小さく、また欠陥に局在してπ*ピークとσ*ピークの間に反結合状態が存在するという2条件をStone-Wales欠陥が満たすことが示され、Stone-Wales欠陥に局在する状態への共鳴的内殻励起で始まるスペクテイターオージェ終状態機構によって、共鳴的欠陥生成が説明できることを主張している。

第四章では、走査トンネル顕微鏡(STM)の探針による刺激を用い、95K以下の低温で単層カーボンナノチューブに欠陥を導入する実験について述べている。本実験では、その製造法・前処理条件が異なる二種類の試料を用い、試料によって異なる欠陥が生成することを見出している。

過酸化水素水による化学処理を経た試料に対し脱ガス処理をせずに欠陥生成を試みた実験では、約4eV以上のホットエレクトロンをSTM探針から金属単層カーボンナノチューブへトンネル注入すると、探針直下に欠陥が生成すること、その欠陥の局所状態密度を走査トンネル分光法によって調べた結果、生成した欠陥で局所的にHOMO-LUMOギャップが形成されることを見出している。この結果は、既に報告されていた、金属単層カーボンナノチューブを用いたFETの特性が、弾き出しを起こさない電子線照射により半導体的なものへと変化する現象を説明するために提案されていた現象論的モデルを実験的に裏付けるかたちとなっている。また、この欠陥の生成は、水を付着させた金属単層カーボンナノチューブに特有に起こる現象であることも述べている。

いっぽう、超高真空中で脱ガス処理により清浄化した高純度試料に対して行った実験では、やはり4eV以上のホットエレクトロンのトンネル注入によって欠陥は生成するものの、生成箇所は探針直下ではなく数nm離れる特徴があることを見出している。この欠陥は、半導体単層カーボンナノチューブにおいてはギャップ中に二つの深いギャップ準位を持つこと、および欠陥生成するバイアス電圧でトンネル電流を観測すると、単層カーボンナノチューブ上ではトンネル電流が顕著に揺らぐことを見出している。このトンネル電流の揺らぎが欠陥の生成消滅によるものと仮定し、欠陥生成頻度が電流の2乗で増大するとしている。

生成した欠陥の構造については、STM像と局所状態密度に関する実験結果と第一原理計算を比較検討し、局所状態密度の特徴からSTM像で観察される欠陥はVacancy-adatomペアかAdatom dimerであり、更に後者と対になって生成するべきDivacancyが観察されない事実から、初期欠陥として生成するのはVacancy-adatomペアであると結論している。

この欠陥が探針直下ではなく、数nm離れたところに生成される異常現象について次のようなモデル、すなわち、4eV弱の低いバイアス電圧欠陥生成が2電子過程で、4eV強の高いバイアス電圧で消滅が1電子過程で起こり、生成と消滅が競合する結果、励起位置から離れた箇所に生成した欠陥が残留する、というモデルを提案し、実験結果が半定量的にも説明できることを示している。このモデルからは、欠陥に高いバイアス電圧で電流注入すると欠陥が消滅すること、消滅が起こるしきい電圧より低いバイアスで電流注入すると探針直下で欠陥が生成することが期待されるが、実際そのようになる観察例を示している。

第五章は本論文の結言であり、炭素1s内殻吸収端付近の軟X線を照射することによって、単層カーボンナノチューブに共鳴的に欠陥が導入されること、その機構が既存のStone-Wales欠陥に局在した反結合軌道への共鳴的な励起に始まるスペクテイター・オージェ終状態機構によって説明できること、また走査トンネル顕微鏡の探針からの低エネルギー電子注入によって単層カーボンナノチューブに欠陥が生成されることを、前処理の異なる2種類の試料について調べた結果、水が付着した金属単層カーボンナノチューブではHOMO-LUMOギャップを持つ欠陥が探針直下に、清浄な半導体カーボンナノチューブではVacancy-adatomペアと解釈できる欠陥が探針から数nm離れた位置に生成すること、を結論している。

以上を要するに、本研究は電子励起により単層カーボンナノチューブに欠陥が導入される現象について、軟X線による内殻励起とトンネル電流注入といういずれも局所的励起ではあるが異なる刺激によって起こる欠陥生成の詳細を明らかにし、その機構について考察したものである。これらの業績は、ナノ物質における電子励起原子移動現象に関する学術的発展に寄与するのみならず、カーボンナノチューブの電子素子への応用に対し重要な知見を提供するものと評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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