No | 217455 | |
著者(漢字) | 井上,祐紀 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イノウエ,ユウキ | |
標題(和) | AD/HD児の抑制機能における反応スイッチング効果の研究 | |
標題(洋) | Altered effect of response switching on inhibitory processing in children with AD/HD | |
報告番号 | 217455 | |
報告番号 | 乙17455 | |
学位授与日 | 2011.02.23 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 第17455号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 多動・不注意を主症状とする注意欠如・多動性障害(attention-deficit/ hyperactivity disorder:AD/HD)の神経心理学的病態としては実行機能(executive function)の障害が想定されているが、Barkleyは実行機能の要素の中でも抑制機能(behavioral inhibition)の障害がAD/HD児の病態の中核を形成しているというAD/HDの神経心理学的病態モデルを提唱している。Barkleyはさらに、抑制機能において(1)優勢反応の抑制(inhibition of a pre-potent response)、(2)実行中の反応の抑制(stopping of an ongoing response)、(3)干渉抑制(interference control)の3つの要素を想定しており、これらの抑制機能の障害がさらに実行機能における他の要素に影響を与えているとした(Barkley, 1997)。 AD/HDの抑制機能障害のモデルはAD/HDの基礎研究においても広く受け入れられており、AD/HD児の脳機能レベルでの病態を明らかにすることを目的とした行動学的・神経生理学的研究においては抑制機能を必要とする課題が主に採用されてきた。持続注意課題(Continous Performance Test:CPT)またはGo/NoGo課題を用いた行動学的研究においてはAD/HD児が非標的刺激(NoGo-刺激)に対して誤ってキー押し反応をしてしまうお手つきエラー率(commission error rate)が定型発達児に比して有意に高いことが知られているが、こうした行動指標はまだ臨床応用に耐えうるほどの感度・特異度に達していない。一方、脳波測定による事象関連電位(Event-related potential: ERP)の先行研究においてはNoGo-刺激呈示時に出現するNoGo-N200成分の振幅がAD/HD児において減衰していることが繰り返し報告されている。このN200成分が抑制機能ではなくNoGo-刺激呈示時における葛藤反応のモニタリング(conflict monitoring)をより強く反映すると主張する研究もあり、AD/HD児のERP研究はERP成分と神経心理学的機能との関連についてまだ議論の余地が残されている。 一方、こうした抑制機能を必要とする課題の行動指標は常に直前の試行の刺激カテゴリー(Go-またはNoGo-刺激)の影響を受ける可能性が指摘されてきた。お手つきエラー率については、その試行の直前の刺激によって反応傾向が高まることがエラーの成因に関与しているとされ(Smid et al,2006)、非標的刺激に対して出現するERP成分については、その直前の試行で標的刺激が呈示されている場合にその潜時が遅延することが知られている(Thomas et al,2009)。つまり、反応様式を変更、すなわちスイッチングさせる必要が生じた際に、より抑制機能の賦活が必要になるためこれらの所見が得られていることが想定されている。 しかし、この抑制機能における反応スイッチング効果については、AD/HD児などの臨床例を対象とした研究は行われていないのが現状である。そこで本研究では、AD/HD児と定型発達児を対象とし、反応様式のスイッチング効果を考慮した解析法を用いて行動学的解析(CPT study)およびERP成分の解析(ERP study)を行うことで、AD/HDの抑制機能における反応スイッチング効果の特徴を抽出することを目的とした。 本研究の被験者はCPT studyについては、AD/HDと診断された小児35名(平均年齢9才10ヶ月)と定型発達児33名(平均年齢10歳0ヶ月)を、ERP studyについてはそれぞれ12名(平均年齢11歳5ヶ月)、12名(平均年齢11歳0ヶ月)ずつを対象とした。知的障害(WISC-IIIでFIQ<70)、てんかん、または広汎性発達障害を持つ被験者は含まれていない。CPT studyの被験者のうち、臨床的判断によりmethylphenidate速放錠が投与されたAD/HD児22名(平均年齢9才4ヶ月)については投与前(session 1)およびmethylphenidate投与1時間後(session 2)にCPT課題を施行した。 本研究で用いたCPT課題では、2種類の戯画的な動物画像がGo-、NoGo-刺激として呈示された(Go-刺激呈示率50%)。同じ種類の刺激が2回連続で呈示された試行(Go-GoまたはNoGo-NoGo)を"繰り返し試行"、異なる種類の刺激が呈示された試行(NoGo-GoまたはGo-NoGo)を"スイッチ試行"と定義した。4つの行動学的指標(反応時間、反応時間のばらつき、見逃しエラー率、お手つきエラー率)は全てこの2つの試行タイプに分類して解析を行った。ERP studyにおいては、国際10-20法に基づく19ch脳波(耳朶電極を基準電極とする。サンプリングレート:250Hz)を測定し、CPT studyで用いたものと同じ課題を施行してGo-およびNoGo-刺激出現前100msec~出現後700msecの脳波を加算平均することで得られる3つのERP成分(N100、N200、P300)を刺激種類別(Go-刺激/NoGo-刺激)および試行タイプ別(繰り返し試行/スイッチ試行)に分類して潜時・振幅を記録した。 CPT studyの結果、AD/HD児群・定型発達児群ともにお手つきエラー率(%)がスイッチ試行でより高いことが認められたが、繰り返し試行からスイッチ試行へのお手つきエラー率の増加分はAD/HD児群で有意に大きかった。また、session 1とsession 2間の比較では、スイッチ試行においてのみお手つきエラー率が有意な改善を呈していることが認められた。 ERP studyの結果、反応スイッチング効果の影響を受けていたERP成分はNoGo-N200成分のみであった。試行タイプ間(スイッチ試行・繰り返し試行)の比較においては、NoGo-N200振幅のスイッチ試行における有意な増高が定型発達児では前頭部から頭頂部の広い領域にかけて認められたのに対し、AD/HD児群ではこの効果は認められなかった。また、診断グループ間(AD/HD児群・定型発達児群)の比較においては、スイッチ試行においてのみAD/HD児群におけるNoGo-N200振幅の有意な減衰が認められた。 本研究では、服薬前のAD/HD児の行動指標(お手つきエラー率)の障害と、methylphenidate投与後の改善の両方がこのスイッチ試行において特異的に認められていたことが特徴的である。先行研究で指摘されてきたようなNoGo-刺激全体に対するお手つきエラー率よりも、本研究で抽出されたスイッチ試行におけるお手つきエラー率の異常は AD/HD児の病態をより強く反映している可能性があると思われた。また、session 1とsession 2間におけるお手つきエラー率の改善については練習効果など様々な交絡因子の影響を受けている可能性が考えられるため、その解釈は慎重に行われるべきであるが、AD/HDの薬物療法の効果に関連した行動学的研究においては、この反応スイッチング効果の改善を考慮する必要があると考えられた。 さらに、反応スイッチングの効果が定型発達児においてNoGo-N200成分の振幅増高をもたらすことは、スイッチ試行におけるより強い抑制機能の賦活と関連する所見であると考えられる。この所見がAD/HD児のNoGo-N200成分では認められないことから類推しても、NoGo-N200成分の振幅は小児における抑制機能との関連が深いと考えられた。AD/HD児を対象としたERPの先行研究においては全てのNoGo-刺激における脳波が加算平均されているが、抑制系課題を用いた今後のERP研究においては、反応スイッチングの影響を考慮した加算解析法を導入することで、AD/HDの抑制機能障害に関連する脳活動の異常をより詳細に抽出できる可能性が高いと考えられた。 定型発達児におけるNoGo-N200成分の振幅増高が、前頭部だけでなく、中心部~頭頂部を含んだ広い領域において認められたことは非常に興味深い。実際に、抑制系課題を用いたfMRIの先行研究においては、抑制機能の動員が必要な際に賦活される脳部位としては腹外側・背外側前頭前野以外にも補足運動野、頭頂葉、島、前部帯状回など多くの領域が含まれると考えられており(Watanabe et al, 2002)、スイッチ試行によって抑制機能が強く動員された場合には、より広い領域の脳部位が関与している可能性が示唆された。 この研究は、反応スイッチング効果を考慮した新しい解析法により、抑制機能障害に関連した新しい行動学的/神経生理学的マーカーの候補を抽出することに成功しており、AD/HD児の中枢神経病態の解明するうえで重要な手がかりになる可能性がある。今後の研究においては、本研究で得られた行動学的/神経生理学的所見とAD/HDの臨床症状との相関についての解析、fMRIなどのニューロイメージング研究への応用により、反応スイッチングの効果が最も関連する脳部位を同定することなどが求められる。 | |
審査要旨 | 本研究は、多動・不注意を主症状とする注意欠如・多動性障害(attention-deficit/ hyperactivity disorder:AD/HD)の神経心理学的病態として想定されている抑制機能(behavioral inhibition)の障害の神経心理学的・神経生理学的機序を明らかにするため、AD/HD児35名(平均年齢9歳10ヶ月)および定型発達児33名(平均年齢10歳0ヶ月)を対象にGo/NoGo課題を用いた行動学的手法および同課題施行中の脳波から得られる事象関連電位(event-related potential)を用いた神経生理学的手法を応用したものであり、特に反応様式のスイッチング効果に着目した解析によって下記の結果を得ている。 1. Go/NoGo課題を用いた行動学的解析からは、AD/HD児における反応時間のばらつき(reaction time variability:msec)やお手つきエラー率(commission error rate:%)が定型発達児に比して有意に増大しており、なかでも繰り返し試行(直前の試行と同じ刺激が呈示された試行)からスイッチ試行(直前の試行とは異なる刺激が呈示された試行)に向けてのお手つきエラー率の増加分がAD/HD児では有意に大きいことが見出された。これはAD/HD児の抑制機能が反応スイッチングによってより大きな影響を受けやすいことを示唆しており、AD/HD児と定型発達児を比較した場合のエフェクト・サイズは繰り返し試行で0.77、スイッチ試行で0.86と、反応スイッチングが求められるスイッチ試行に対するお手つきエラー率がより明瞭に両群を区別することができていた。 2. AD/HD児22名を対象としたメチルフェニデート投与前後での行動学的解析からは、投与前後におけるお手つきエラー率の改善効果が繰り返し試行に比してスイッチ効果において有意に大きく、AD/HDの薬物療法による反応抑制機能の改善効果が反応スイッチング機能に関連する試行においてより強く反映されていることを見出している。 3. Go/NoGo課題を施行中の脳波を測定し、刺激提示前100msec~呈示後700msecを加算平均して得られる事象関連電位の解析からは、AD/HD児におけるNoGo-N200成分の振幅が定型発達児に比してスイッチ試行においてのみ特異的に減弱していることを見出した。この減衰は、繰り返し試行のNoGo-N200成分についてはまったく観察されないため、反応スイッチングの必要な試行に特異的な所見であると考えられた。 4. さらに、このNoGo-N200振幅についてはvector normalization methodを用いて試行タイプ(繰り返し/スイッチ試行)間における分布(前頭部・中心部・頭頂部)の変化を解析した。この結果、定型発達児群内の解析では試行タイプによってNoGo-N200成分の分布に有意な変化がなかったが、AD/HD児群内の解析では試行タイプによって分布が異なることが示された。さらに、AD/HD児・定型発達児群間の解析では、スイッチ試行においてのみ分布が異なることが示された。 以上、本論文はAD/HD児の抑制機能における反応スイッチングの影響が試行タイプによって異なることを、行動学的および神経生理学的見地から検討し、反応スイッチング機能の動員が必要な場合において抑制機能の障害がより著しくなることを見出している。本研究はこれまで検討されてこなかったAD/HD児のスイッチング機能と抑制機能の障害の関連性を明らかにすることで、神経生理学的なAD/HDバイオマーカーの開発においても重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に価するものと考えられる。 | |
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