学位論文要旨



No 217463
著者(漢字) 二瓶,和美
著者(英字)
著者(カナ) ニベ,カズミ
標題(和) イヌの神経軸索ジストロフィーおよび小脳皮質アビオトロフィーに関する病理学的研究
標題(洋)
報告番号 217463
報告番号 乙17463
学位授与日 2011.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17463号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 准教授 松木,直章
 東京大学 准教授 内田,和幸
 東京都福祉保健局参事・東京都神経科学総合研究所神経発達・再生研究分野 分野長 新井,信隆
内容要旨 要旨を表示する

獣医学における中枢神経疾患に関する研究は、1990年代初頭からcomputed tomography(CT)やmagnetic resonance imaging (MRI)などの高度画像診断技術の導入が進んだことにより、特に小動物臨床分野において生前検査および診断技術が大きく向上した。これによって、従来では確定診断のために病理解剖を必要とすることの多かった中枢神経疾患についても、ある程度の生前診断が可能となった。一方、国内では1980年代中頃から始まったペットブームを背景に、イヌでは特定品種に人気が集中する傾向が強く、近親交配などの不適切な交配による遺伝性疾病の発生が問題となっている。中枢神経疾患については、神経変性疾病やライソゾーム病に代表される代謝性疾病の多くが遺伝的に発生すると考えられている。これらの疾病のなかでも、神経変性疾患については、そのほとんどが原因不明で、有効な生前診断法や治療法が無いのが現状である。

イヌの神経軸索ジストロフィーneuroaxonal dystrophy(NAD)および小脳皮質アビオトロフィー cerebellar cortical abiotrophy(CCA)はともに進行性の神経変性性疾患である。非常に稀な疾病のため、病態および病理発生については十分に解明されていないが、過去の報告より常染色体劣性遺伝により発症すると考えられている。海外においてNADは1980年代、CCAは1970年代より散発的に報告されている。国内ではこれまで発生報告がなかったが、2005年にパピヨン犬およびパピヨンとチワワの交雑犬において初めてNADおよびCCAが確認された。現在のところCCAは2005年の1症例のみであるが、NADについては2005から2007年までの3年間で合計3症例が確認されている。

NADは、小脳プルキンエ細胞および顆粒細胞の変性・脱落をともなう小脳萎縮および中枢神経組織の広範囲に認められるスフェロイド形成をともなう軸索変性を特徴とする。過去に報告された症例の多くは、生後数ヵ月の若齢で発症し小脳性運動失調を含む種々の神経症状の急速な進行により致死的な転帰が認められている。海外ではロットワイラー犬が好発犬種として知られているが、その他にパピヨン、チワワ、ジャックラッセルテリア、コリーなどの犬種でも報告されている。病理発生については、NADを組織診断する際の特徴所見の一つであるスフェロイド形成が、脊髄や脳幹の感覚神経路に関連する部位で特に重篤に認められることから、この経路に関わる神経細胞の代謝障害などが推察されている。CCAはcerebellar cortical degenerationとも称され、小脳プルキンエ細胞や顆粒細胞の変性・脱落が主要な病変であり、NADに認められる軸索変性は認められない。臨床的にはNADと同様に若齢時に発症し小脳性運動失調を含む神経症状の進行により致死的な転帰を認める。海外では、ケリーブルー・テリア犬が好発犬種として知られているが、その他にも多くの犬種で報告されている。CCAの病理発生については、小脳神経細胞のアポトーシスを推察している報告があるが、詳細は解明されていない。この様に、NADおよびCCAは臨床的には複数の類似点を有しているが、組織学的には軸索変性の有無について明らかな相違点が存在することから、両疾病の病理発生は異なると考えられる。本論文では、NADおよびCCAの病理発生を明らかにすることを目的として、両疾病の臨床および病理学的特徴を詳細に検討した。

本博士論文は3章より構成される。第1章では、国内で発生したイヌのNAD 3症例およびCCA 1症例の臨床および病理学的所見を比較・検討した。その結果、両疾病ともに生後半年までに発症し、発症初期には後肢の運動失調が共通して認められた。病状の進行に伴い小脳症状を含む様々な神経症状が認められた。全症例とも致死的な転帰を示したが、NAD罹患例はCCA罹患例と比較してより急速な臨床症状の進行が認められ、生後1歳齢未満で死亡あるいは予後不良と診断されて安楽殺に処された。CCA罹患例は生後約3歳齢まで生存可能であった。病理学的には、両疾病ともにMRIや剖検時の肉眼観察において小脳の軽度から重度の萎縮が認められた。組織学的にはプルキンエ細胞および顆粒細胞の脱落が中程度から重度に認められ、NADではこれに加えてスフェロイド形成をともなう軸索変性が認められた。一方、CCAでは軸索変性は認められなかったがNADよりも重篤な神経細胞の脱落が認められた。NADにおいて、スフェロイドは中枢神経組織の広範囲に認められたが、特に延髄薄束核、楔状核、オリーブ核、三叉神経脊髄路、脊髄背角などを含む感覚神経路に局在していた。以上の結果より、国内で飼育されるパピヨン犬が生後数カ月齢で小脳症状を含む進行性の神経症状を示した際にはNADやCCAを鑑別診断として考慮する必要があると考えられた。これらの疾病は臨床的に複数の類似点を有しているため、確定診断には病理組織検索が必要であるが、生存期間や画像診断における小脳病変の重症度などから、生前においてもMRIによる画像診断を用いることにより両者の鑑別が出来る可能性がある。また、NADおよびCCAでは、軸索変性の病理組織学的所見が明らかに異なるため、これらはそれぞれ異なる病理発生を有する疾患であることが示された。

第2章では、第1章で明らかにしたパピヨン犬のNADにおける組織学的特徴である変性軸索(スフェロイド)の性状を明らかにするために、細胞骨格タンパクであるneurofilament-L/-M/-H(NF-L/-M/-H)、非リン酸化tau(tau1)、非リン酸化/リン酸化tau(tau2)、α-およびαβ-synuclein、熱ショックタンパクであるHSP70およびubiquitin、シナプス関連タンパクであるsynaptophisin、syntaxin-1およびsynaptosomal-associated protein(SNAP-25)、カルシウム結合タンパクであるcalbindin、calretininおよびparvalbuminに対する各抗体を用いて免疫組織学的に検討した。その結果、NF、HSP70、ubiquitin、αβ-synucleinおよびsynaptophisinには、検索部位に関わらず全症例でスフェロイドの多くが陽性を示した。一方、SNAP25、syntaxin-1、calbindin、calretininおよびparvalbuminに対しては主に小脳や脳幹のスフェロイドが陽性を示した。以上の結果より、スフェロイドへのNF蓄積はパピヨン犬のNADに一般的な特徴であると考えられた。HSP70やubiquitinの蓄積はライソゾームやプロテアソームによる処理能力を超えた物質の蓄積を反映する所見と思われた。また、synucleinおよびsynaptophisinはシナプス前終末部に豊富に存在することから、これらの蓄積はスフェロイド形成部位がシナプス前終末部であることを示唆する。スフェロイドへのカルシウムタンパク蓄積に関しては、これまでヒトのNADでは報告されていない、パピヨン犬のNADに特徴的な所見であり、本疾患の病理発生を解明する上で重要な手がかりになると考えられた。しかし、陽性反応を示したスフェロイドが小脳や脳幹に局在していたことから、これらのタンパク蓄積の意義については正常脳組織における分布と比較しながら、慎重に検討する必要がある。

第3章では、NADとCCAに共通して認められる小脳萎縮の病理発生機序を明らかにするために、同じく著明な小脳萎縮を伴う神経変性性疾患である神経セロイド・リポフスチン症(NCL)を比較対照例として、上記3疾病の小脳における病理組織学的特徴を検討した。さらに神経細胞の脱落機序をTUNEL法および抗CD3抗体、抗HLA-DR抗体、抗1本鎖DNA(ssDNA)抗体、抗リン酸化p53抗体、抗cleaved caspase-3抗体、抗caspase-9抗体、抗8-hydroxydeoxyguanosine(8-OHdG)抗体を用いて免疫組織学的に検討した。その結果、NCLではNADおよびCCAと同様にプルキンエ細胞および顆粒細胞の脱落が認められた。NADではこれに加えてトルペドあるいはスフェロイドの形成が認められ、NCLでは神経細胞やミクログリア・マクロファージに自家蛍光を有すセロイド・リポフスチン様色素の蓄積が認められた。神経細胞の脱落については、プルキンエ細胞の脱落はCCAの主要病変であり、顆粒細胞の脱落はNCLにおいて最も重篤に認められた。またその細胞脱落程度は、NADおよびCCAでは小脳虫部の神経細胞脱落が半球と比較して重度であったのに対して、NCLでは小脳半球に重篤な細胞脱落が認められた。一方、神経細胞脱落の機序については、免疫組織学的検索よりNADではアポトーシスを示唆する所見に乏しく、主にCD3陽性Tリンパ球やHLA-DR陽性ミクログリア・マクロファージ浸潤による炎症反応を随伴する細胞死(ネクローシス)によるものと推察された。これに対しCCAでは、cleaved caspase-3陽性細胞が多数認められ、神経細胞の脱落課程にアポトーシスが密接に関与していることが示された。また、NCLでは炎症反応およびアポトーシスの両方が関与することが示された。なおTUNEL法および抗1本鎖DNA(ssDNA)抗体、抗リン酸化p53抗体、抗caspase-9抗体、抗8-hydroxydeoxyguanosine(8-OHdG)抗体による免疫組織学的検索では、対照例を含め特異的反応は認められなかった。

本論文における一連の研究結果よりイヌのNADおよびCCAの病理発生について、以下のように推察された。NADの病理発生には感覚神経路に関連する神経細胞の軸索代謝異常が重要であり、この過程で本疾患に特徴的な軸索変性(スフェロイド)が形成されると考えられる。さらにこのスフェロイド形成過程には、軸索の基本的細胞骨格タンパクであるNF以外に、様々なシナプス関連タンパク、熱ショックタンパク、およびカルシウム結合タンパクの凝集が関与する。さらにNADにおける小脳皮質を中心とする神経細胞死の過程には、ネクローシスが主に関与すると予想され、T細胞やマクロファージ浸潤等の炎症反応を伴うことが明らかになった。これに対し、CCAでは小脳皮質神経細胞のアポトーシスがその病態の主体であり、これにより神経細胞が緩慢に脱落し、小脳皮質が萎縮すると予想された。国内では2005年以降、パピヨン犬とその交配種に限定してNADとCCAが確認されていることから、両疾病の遺伝的素因を有する犬が繁殖に用いられた可能性が非常に高い。したがって、病理発生機構の完全な解明と合わせ、疾病予防の観点からも、両疾患の原因遺伝子の特定が必要である。本研究で得られたNADおよびCCAに関する知見は、今後の原因遺伝子解明ために、重要な情報を提供するものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

イヌの神経軸索ジストロフィー(NAD)および小脳皮質アビオトロフィー(CCA)は極めて稀な神経変性性疾患で、いずれも常染色体劣勢遺伝にもとづく疾患と推察されているが、これらの病態や病理発生は十分解明されていない。NADはロットワイラー犬が好発犬種とされ、一般に生後数ヵ月で発症し小脳性運動失調を含む種々の神経症状の進行により致死的転帰を示す。病理学的には、小脳神経細胞の変性・脱落とスフェロイド形成をともなう軸索変性が特徴である。一方、CCAは、ケリーブルー・テリア犬が好発犬種とされ、臨床兆候はNADと類似するが、病理学的に小脳神経細胞の変性・脱落が主要病変であり軸索変性は認められない。この様に、NADおよびCCAは臨床的に複数の類似点を有すが、両者の病理組織学的特徴は一致しないため、両疾患の病理発生機序には相違点が存在すると予想される。そこで本論文では、NADおよびCCAの病理発生機序の解明を目的として、両疾病の臨床および病理学的特徴を詳細に検討した。

第1章では、国内で発生したイヌのNAD 3症例およびCCA 1症例の臨床および病理学的所見を比較・検討した。臨床的には両疾病ともに生後半年までに発症し、進行性の後肢運動失調や小脳性運動失調を呈し致死的転帰を示した。しかし、NADはCCAと比較して臨床症状の進行が急速で、生後1歳齢未満で死亡あるいは予後不良と診断されたが、CCAは生後約3歳齢まで生存可能であった。病理学的に、小脳プルキンエ細胞および顆粒細胞の脱落を伴う小脳萎縮が両疾病で認められた。NADではこの所見に加え、スフェロイド形成を伴う軸索変性が特徴的に認められ、特に延髄薄束核、楔状核、オリーブ核、三叉神経脊髄路、脊髄背角などを含む感覚神経路で重度であった。本所見はCCAには認められなかった。以上の結果より、パピヨン犬が生後数カ月齢で小脳症状を含む進行性の神経症状を示した際にはNADやCCAを鑑別診断として考慮する必要があると考えられた。確定診断には病理組織検索が必要であるが、生存期間や画像診断における小脳病変の重症度などで生前に両者を鑑別できる可能性がある。また、病理学的にはNADとCCAは軸索変性の有無で容易に区別することが可能であり、これらの疾患の病理発生が異なることが示された。

第2章では、第1章で明らかにしたNADの特徴所見である変性軸索(スフェロイド)の性状を明らかにするために、細胞骨格タンパク(NF-L/-M/-H、tau1、tau2、α-/αβ-synuclein)、熱ショックタンパク(HSP70、ubiquitin)、シナプス関連タンパク(synaptophysin、syntaxin-1、SNAP-25)、カルシウム結合タンパク(calbindin、calretinin、parvalbumin)に対する抗体を用いて免疫組織学的に検討した。その結果、検索部位に関わらず全症例でNF、HSP70、ubiquitin、αβ-synucleinおよびsynaptophysinに、多くのスフェロイドが陽性を示した。一方、SNAP-25、syntaxin-1、calbindin、calretininおよびparvalbuminに対しては、主に小脳や脳幹のスフェロイドが陽性を示した。以上の結果より、スフェロイドへのNF蓄積はNADの一般的な特徴であり、HSP70やubiquitinの蓄積は生体の処理能力を超えた物質の蓄積を反映する所見と思われた。また、synucleinおよびsynaptophisinの蓄積は、スフェロイド形成部位がシナプス前終末部であることを示唆する。カルシウムタンパク蓄積に関しては、これまでヒトのNADでは報告されておらずパピヨン犬のNADに特徴的な所見であり、病理発生解明の重要な手がかりになると考えられた。

第3章では、NADとCCAの小脳萎縮の病理発生機序を明らかにするために、神経セロイド・リポフスチン症(NCL)を比較対照例とし、神経細胞の脱落機序をTUNEL法およびCD3、HLA-DR、1本鎖DNA(ssDNA)、リン酸化p53、cleaved caspase-3、caspase-9、8-hydroxydeoxyguanosine(8-OHdG)に対する抗体を用いて免疫組織学的に検討した。その結果、NADでは主にTリンパ球やミクログリア・マクロファージ浸潤による炎症反応を伴う細胞死(ネクローシス)、CCAではアポトーシスの関与が示された。また、NCLでは炎症反応およびアポトーシスの両方が関与することが示された。なお、TUNEL法および抗1本鎖DNA(ssDNA)抗体、抗リン酸化p53抗体、抗caspase-9抗体、抗8-hydroxydeoxyguanosine(8-OHdG)抗体では、特異的反応は認められなかった。

一連の研究結果より、イヌのNADおよびCCAの病理発生について、NADでは感覚神経路に関連する神経細胞の軸索代謝異常が重要であり、本疾患の特徴所見であるスフェロイド形成にはNF、シナプス関連タンパク、熱ショックタンパク、およびカルシウム結合タンパクの凝集が関与する。一方、細胞死の過程にはNADでは、主にネクローシス、CCAではアポトーシスが関与すると予想された。以上、本研究で得られたNADおよびCCAに関する知見は、今後の原因遺伝子解明ためにも重要な情報を提供するものと思われた。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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