学位論文要旨



No 217464
著者(漢字) 柳本,大吾
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギモト,ダイゴ
標題(和) 西部北太平洋における深層循環流の時空間的構造の観測的研究
標題(洋) Observational studies on the temporal and spatial structures of the deep-circulation current in the western North Pacific
報告番号 217464
報告番号 乙17464
学位授与日 2011.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17464号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 羽角,博康
 東京大学 教授 川辺,正樹
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 教授 安田,一郎
 東京大学 准教授 佐藤,正樹
 東京大学 准教授 伊賀,啓太
内容要旨 要旨を表示する

海洋深層循環は莫大な量の熱と物質を南北に運ぶ、全球規模の海洋子午面循環(meridional overturning circulation (MOC))の重要な一部である。太平洋では、北大西洋北部起源の深層水が南極環海で再冷却されてできた低温・高塩分・高溶存酸素量のLower Circumpolar Deep Water (LCDW)は、深層循環の流れ(深層循環流)によって南太平洋を経て北太平洋まで運ばれてくる。南西太平洋海盆西岸を北上し、サモア水路を通過して中央太平洋海盆に至る南太平洋の深層循環流については比較的理解が進んでいるが、地形の複雑な西部北太平洋では解明が進まなかった。近年われわれは研究船白鳳丸を用いてCTDO2 (塩分・水温・水圧・溶存酸素プロファイラ)・採水観測や係留観測を実施し、中央太平洋海盆西岸を北上してウェイク島水路にいたる深層循環流東側分枝と、メラネシア海盆、東マリアナ海盆を北上する西側分枝の経路を見出した(図1) (Kawabe et al., 2003)。

それより北の深層循環流の経路は、東経165度測線上の海水特性の分布(Kawabe and Taira, 1995)や過去の海水特性の分布からの推測(Mantyla and Reid, 1983)に基づいて図1のように破線で描かれたが、この北西太平洋海盆の20°Nから35°Nの間はまだよくわからない海域として残っている。この海域における深層循環については研究者がそれぞれ異なるイメージを持っているのが実情で、特に次の3点が明確になっていない。(1)東側分枝はウェイクーネッカー海嶺とヘス海膨の間を東に通過して北東太平洋海盆に抜けるのか、(2)西側分枝は小笠原海台の東を迂回して北上を続けるのか、(3)深層循環流は20°Nと35°Nの間を西に進むのか、あるいは東に進むのか。本研究では、165°E線上とシャツキー海膨南西に設置した係留系の流速データを用い、海水特性の分布と合わせて解析することでこれらを明らかにした。

また、太平洋の深層循環流の流量時系列は南西太平洋海盆(Whitworth et al., 1999)、サモア水路(Rudnick, 1997)、ウェイク島水路(Kawabe et al., 2005)の3海域でしか得られていないが、いずれの海域でも大きな流量変動があることが知られている。本研究でも、シャツキー海膨南西の大規模係留観測から深層循環流の流量時系列を得、その変動を明らかにした。

まず165°Eにおける深層流速を調べた。165°Eでは、1991年と1993年の白鳳丸観測と1992年の米国による観測のいずれにおいても30°-35°Nの深層に酸素の豊富な海水が見られ、LCDWを運ぶ深層循環流の経路がこの付近にあると推測される。そこで、1991年の白鳳丸航海で27°-35°Nに2度おきに設置し1993年に回収した5系(M1-M5)での係留観測の結果、M2(33°N)に見られる平均流速7.8cm s-1の安定した北西流が、高酸素の深層水を165°E測線の東から西へ渡す深層循環流であることがわかった(図2)。M2の北西流は4-6か月おきに1-2か月ほど流速が弱まるか反対向きになっており、これは深層循環流が弱まるだけではなく流軸が南北に移動することも原因として考えられる。M3 (31°N)でも北西流が1か月ほど続くことがあり、深層循環流がM3まで拡大することがわかった。一方、M1 (35°N)では中規模渦が卓越し、深層循環流はM1には達していないと判断した。また1989年から1991年まで観測された係留系CP (27°N, 168°E)は、流速が微弱で、深層循環流の外だった。

33°N、165°Eに見られた深層循環流の経路を面的に理解するために、近年得られた高品質のCTDO2・採水測線データを用いて、海底直上と5000-6000mにある等密度面上の溶存酸素の分布を調べた。高品質とは言え測線ごとに系統的なずれがあることが知られているので(Johnson et al., 2001)、本研究では165°EのCTDO2データを基準に、等ポテンシャル水温面上の酸素と塩分の値が交点で最もよく合うように測線ごとに補正してマッピングを行った。その結果、ウェイク島水路から北東に伸び、反時計周りに転回して、東経165度測線の30°-35°Nに近づく舌状の高酸素分布があった。酸素量は急激に低下していくが、この舌はシャツキー海膨の南まで追うことができる。33°N、165°Eでの北西方向の流速とあわせると、東側分枝の経路を図3の黒線のようにつなぐことができた。一方、ヘス海膨とハワイ海嶺の間を抜けて北東太平洋海盆に出て行くような経路は見られなかった。西側分枝も小笠原海台へ北西に伸びる舌状の酸素分布として現れ、西側分枝の経路が図3の緑線のように北上を続けることが示唆された。

次に、これらの両分枝が通過すると思われるシャツキー海膨と小笠原海台の間の深層流速を調べた。観測は、2004年9月から2005年11月までシャツキー海膨と小笠原海台との間に9系の係留系を設置して行った。設置した計50台の流速計はポテンシャル水温1.2℃以下のLCDWの層をカバーしており、破損やデータ不良でまったく機能しなかったのはそのうち2台のみだった。

まず、シャツキー海膨に近いM9(31°13'N, 156°33'E)からM6(29°33'N, 154°24'E)には北西流が並び(図4)、図3の東側分枝の経路が確認された。M8(30°48'N, 156°00'E)の北西流が最も頻度が高くて安定した流向を持ち、東側分枝は海膨斜面下部のM8を中心に平均流速5.3cm s-1で流れ、中腹のM9や麓のM7(30°19'N, 155°18'E)に広がりながら平均200kmの幅をもって北西向きに流れていることがわかった。また、中心(M8)から207kmほど離れた点(M6)まで一時的に広がることがあった。

一方、小笠原海台の東は複雑で、北北西流がM2(26°15'N, 150°00'E)とM4(27°55'N, 152°12'E)に見られる(図4)。そのうち小海山の中腹に設置されたM4の北北西流は、45日周期の変動が卓越することや小海山をはさんで対向する地衡流があることから小海山のまわりのローカルな流れと考えられる。また、M1(25°42'N, 149°16'E)やM3(26°48'N, 150°44'E)の流れはM2の流れとの有意なコヒーレンスが認められず、これらは深層循環流として1つにつながる流れではないと判断できる。このように西側分枝はM2にしか見られない幅の狭い流れであったが、図3の西側分枝の経路を確認できた。

最後に、日平均流速および25日ローパスフィルタで平滑化した流速の断面直交成分を深さ100mごと、緯度0.1度ごとの測線断面グリッドに客観内挿し、ポテンシャル水温1.2℃以下の層で積分して、東側分枝(M6-M9)と西側分枝(M1-M3)の流量時系列を得た(図5)。両分枝とも2-4か月ごとに流量が極端に少なくなる変動が見られ、パワースペクトルでは1か月と3か月の周期にピークが見られた。

以上により、循環像の定まっていなかった北西太平洋海盆の20°Nから35°Nにおける海域の深層循環流の経路が明らかになった。(1)東側分枝はウェイクーネッカー海嶺とヘス海膨の間を東に通過して北東太平洋海盆に抜けることはなく、(2)西側分枝は小笠原海台の東を迂回して北上を続け、(3)深層循環流(東側分枝)は20°-35°Nを西に進む。図6は西部北太平洋での深層循環流の経路を示す。本研究では青い星印の3か所で深層循環流を押さえた。また、シャツキー海膨南西の流量は2-4か月ごとに極端に少なくなる時間変化を持ち、ウェイク島水路での流量変化と似ていた。一方、南太平洋のサモア水路と南西太平洋海盆での流量変化とは異なる時間スケールを持ち、赤道をはさんだ南北太平洋で変動が異なることが示唆される。

図1 サモア水路を通過後北上する深層循環流の東側分枝と西側分枝(Kawabe, Fujio, Yanagimoto, 2003)。海底地形は4000m等深線で示す。地名略称はNWPB:北西太平洋海盆、NEPB:北東太平洋海盆、OP:小笠原海台、SR:シャツキー海膨、HR:ヘス海膨、HWR:ハワイ海嶺、WIP:ウェイク島水路、MB:メラネシア海盆、EMB:東マリアナ海盆、CPB:中央太平洋海盆、SP:サモア水路。

図2 東経165度での平均流速の分布。青は海底直上、赤は4000m深、紫は1983~1985年にSchmitz (1987)が観測した4000m深の平均流速。

図3 本研究で明らかになった深層循環流の東側分枝(黒)と西側分枝(緑)の経路。青線は等密度面(50.17σ5)上の溶存酸素の等値線。ハッチ部分は5000mより浅い海底地形を示す。

図4 シャツキー海膨南西の平均流速の分布。実線は海底直上、破線は4000m深の平均流速。楕円は海底直上の流速の標準偏差。

図5 西側分枝(a)と東側分枝(b)の流量時系列

図6 西部北太平洋における深層循環流の経路。青矢印が深層循環流とそれに続く東側分枝、灰色矢印が西側分枝。青星印は本研究で経路を特定した係留点。

審査要旨 要旨を表示する

海洋深層循環は莫大な熱と物質を運ぶ全地球規模の循環であり、各大洋での子午面循環に伴う上層との熱や物質の交換を通じて気候とも密接な関係を持つ。この海洋深層循環の特性や気候への影響を解き明かすためには、その主要な経路や流量を観測に基づいて詳細に記述することがまず必要である。しかしながら、広大な海域に対する深層観測の困難さのために太平洋の深層循環流の実態把握は遅れており、特に西部北太平洋においては非常に複雑な海底地形のために経路の特定さえも十分でない状況にあった。そのため、太平洋深層の子午面循環の北限がどこであるのかも明確ではなかった。本論文は、これまで研究者の間で認識が異なっていた西部北太平洋中緯度域の深層循環流の経路に焦点をあて、係留系による流速観測を実施して深層循環流を直接捉え、近年の精密かつ豊富な観測データを用いた溶存酸素量マッピングを併用することで経路を特定し、さらに流速の変動特性を明らかにしたものである。

本論文は全5章からなる。第1章は序論であり、特に西部北太平洋の北緯20度から35度における深層循環を解明することの重要性を全地球規模の子午面循環の観点から論じ、太平洋深層循環流の経路に関する従来の知見の不足を明らかにしながら、本研究の位置付けと目的を記述している。

第2章では、1991年から1993年の間に東経165度に設置した5系の係留系と1989年から1991年の間に東経168度に設置した1系の係留系の流速データを解析し、東経165度を東西に横切る深層循環流の位置と時間変化を論じている。従来、北緯30度から35度の間を南方起源の高酸素水が通過することが溶存酸素量の分布から知られていたが、本研究により北緯33度に見出された北西向きの流れがその高酸素水を運ぶ深層循環流であることが明確になった。流速を直接捉えたことで、従来はかなりの幅をもって認識されていた深層循環主流部の位置を正確に特定することができ、さらに深層循環流の性質を定量的に把握することができた。

第3章では、1990年代以降に観測された精密なデータを用い、海底直上および5000m深付近の等密度面上における溶存酸素分布をマッピングすることにより、第2章で捉えた北緯33度・東経165度の深層循環流東側分枝について、北緯20度から35度までのより広い海域で面的に記述することに成功した。この海域で東側分枝からさらに東に分かれて北東太平洋海盆に入る流れは認められず、東側分枝はほぼすべてシャツキー海膨南方まで西進することが本研究で初めて示された。また、上流で東側分枝と分かれた西側分枝が小笠原海台を迂回して北上する経路も初めて確認された。

第4章では、2004年から2005年にかけて実施した、シャツキー海膨と小笠原海台の間の測線での9系の係留系による大規模流速観測に基づき、深層循環流の位置と時間変化を論じている。東側分枝はシャツキー海膨の南西斜面下部を中心とする3系で捉えられ、平均200kmの幅を持って北西方向に流れていることが示された。西側分枝も小笠原海台東方の1系を通過する北西向きの流れとして示された。第3章で海水特性の分布から大雑把に捉えた深層循環流の経路が、この係留系によって詳細に明らかにされた。さらに、測線を通過する深層循環流の流量について、1ヶ月および3ヶ月周期が卓越する変動が示された。太平洋深層循環流の流量変動特性を示したのは本研究が4例目であり、今後の太平洋深層循環の研究にとって貴重な知見になるものと期待される。

第5章は結論であり、論文全体をまとめ、本研究で得られた知見も加えて西部北太平洋中緯度域の深層循環流の経路と流量変動を整理している。さらに、第1章で論じた太平洋深層の子午面循環の北限が、これまで他の手法による研究で示されたものより北にあることを示唆している。

以上、本論文は、北太平洋中緯度域の深層循環流の経路と変動特性を、主に係留観測により明らかにしたものである。係留観測を主体にした太平洋深層循環の研究は例が少なく、深層循環流の流速を直接測ることにより得られた知見は貴重である。また、西部北太平洋中緯度域の深層循環流を定量的に解明したことにより、太平洋深層の子午面循環というより大規模な現象に関しても、重要な示唆を与える新規的かつ信頼性の高い科学的知見が得られた。これらの点で、本研究は高く評価できる。

なお、本論文の第2章と第3章は川辺正樹氏との、第4章は川辺正樹氏ならびに藤尾伸三氏との共同研究であるが、いずれも論文提出者が観測航海で直接データを取得し、主体的に解析を行ったものである。特に第4章の係留観測では、論文提出者自身が係留系の設計を行っている。よって、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、審査委員一同、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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