学位論文要旨



No 217471
著者(漢字) 篠原,佑也
著者(英字)
著者(カナ) シノハラ,ユウヤ
標題(和) 先端的小角X線散乱法とゴム材料への応用
標題(洋) Advanced Small Angle X-ray Scattering applied to Rubbery Materials
報告番号 217471
報告番号 乙17471
学位授与日 2011.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 第17471号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 教授 森,初果
 東京大学 准教授 百生,敦
内容要旨 要旨を表示する

小角X線散乱法とは、散乱角が数度以下の散乱X線を測定することで、物質のナノレベルの構造に関する知見を得る手法であり、特にソフトマテリアルを対象として広く用いられている。結晶のように規則正しい周期構造をもつ物質の場合には、回折斑点などをもつ、信号雑音比の高い散乱像が得られるが、小角X線散乱法が対象とするソフトマテリアルの多くは、周期構造をもたないか、或いは周期の秩序が十分ではないような、非晶質・非対称・不均一な構造をもつため、小角X線散乱実験で得られる散乱像は一般に信号雑音比の低い散漫な形状を示し、構造情報を引き出すことが難しい場合がある。また結晶性の試料であっても、たとえば高分子が示す球晶や射出成形体におけるスキン・コア構造などでは、ナノレベルの構造解析だけではなく、サブミクロン・ミクロン領域も含んだ階層的な構造解析が重要となる。一方、ソフトマテリアルは軽元素から構成されるものが多く、X線散乱実験ではコントラストが不足する場合がある。またソフトマテリアルは名前の通り「ソフト」であるために内部自由度を多くもち、マクロな平衡状態であってもミクロには揺らいでいることもあり、従来の小角X線散乱法で得られる平均化された構造情報ではない、ダイナミクスに関する理解が重要となる試料もある。

このような背景の下、本論文では、(1) 輝度の高い放射光X線の特長を最大限に活用した先端的な小角X線散乱法の開発・高度化を実施し、(2) それをゴム材料に応用して、従来の手法では得ることのできなかった情報を得ることを試みた。小角X線散乱法を積極的に利用している研究者の中でも、シンクロトロン放射光やX線光学素子・X線検出器の原理など、プローブとして用いているX線そのものの発生原理・特性、散乱X線を観察するための「目」について深く理解をして実験に取り組んでいる数は少なく、必ずしも高輝度なX線、検出器の特性を最大限に活用しているとは言えない。本論文ではプローブであるX線に関するこれらの深い理解を背景として、先端的な小角X線散乱法の開発・高度化に取り組んだ。本論文中で取り組んだ先端的な小角X線散乱法としては、(1) 従来手法では測定できなかった 100nm から 5 μm 程度の構造範囲に対応した2次元散乱像を測定するための2次元時間分割極小角X線散乱法、(2) X線領域の動的光散乱であるX線光子相関分光法、(3) イオウ原子起因の散乱を選択的に測定するためのイオウK吸収端における異常小角X線散乱法、(4) 従来のフラウンホーファー回折ではなくフレネル回折を測定することで、極小角X線散乱よりもさらに大きなサイズの構造情報を得ることのできる近接場小角X線散乱法などに取り組んだ。これらのうち、(1),(2)に関しては既に定常的な測定が可能となっており、(3), (4)に関しては実現可能性や問題点などを明らかにした。

上記の先端的小角X線散乱法のうち、極小角X線散乱法とX線光子相関分光法について、ナノ粒子充填ゴムへの応用を実施した。一般にカーボンブラックやシリカなどを充填したゴムでは、その力学物性・粘弾性特性に顕著な変化があらわれ(補強効果)、タイヤをはじめとしたゴム製品の応用に必要不可欠なものとなっている。しかし補強効果の発現機構については未解明な部分が多い。近年、高いグリップ性能と高燃費性能という相反した性質をもったタイヤ開発の要請に応えるために、経験に基づいた材料設計から補強効果の機構理解に基づく材料設計が求められており、機構解明に向けた研究が広く実施されている。本論文ではナノ粒子充填ゴムのうち、ナノ粒子が形成する凝集構造とそのダイナミクスに着目して、上記の極小角X線散乱法とX線光子相関分光法を構造解析・ダイナミクス解明に応用した。ナノ粒子は数十ナノメートルから数ミクロンより大きなスケールまで、ゴム中で階層的な凝集構造をとることが知られている。以前はこのような階層的な凝集構造、特にゴム変形時の凝集構造変化を測定するための有効な手法がなかったが、2次元時間分割極小角X線散乱法を用いることで、ゴム延伸時のフィラー凝集構造の変形に関する知見を得ることに成功した。一方、ナノ粒子充填ゴムの動的物性を理解するために、ゴム中でのナノ粒子ダイナミクスを手がかりとして研究することができる。従来の動的光散乱法では、ナノ粒子充填ゴムのような可視光に対して不透明な試料への応用が困難であったが、X線を用いることでこのような部室に対しても適用することができ、さらにX線の波長が短いために微小なダイナミクスの観察も可能である。本論文ではまず未加硫のスチレンブタジエンゴム中でのナノ粒子のダイナミクスを観察してその温度依存性がナノ粒子の体積分率やナノ粒子とゴムの間の界面状態に大きく依存することを示した。さらにゴムにナノ粒子を練り込んでからの経過時間に応じて、ナノ粒子のダイナミクスが大きく変わるエージング現象を観察することに成功した。またゴム分子をイオウで架橋する過程(加硫過程)におけるダイナミクス変化を解析し、加硫が進行する際に、空間的な運動の凍結が進んでいくことを明らかにした。

本論文の構成は大きく3部から成っている。第1部(第1章-第4章)ではまず小角散乱法、X線光子相関分光法の基礎について、第1章、第2章でそれぞれ詳述した。第3章において実際の実験に必要な放射光源・X線検出器・X線光学素子の詳細についてまとめた後に、第4章では先端的な小角X線散乱法についてまとめた。マイクロビームX線散乱法や小角・広角X線散乱法などの手法を研究例とともに概説し、異常小角X線散乱法および近接場小角X線散乱法の原理について説明した。第2部(第5章-第8章)では著者を中心としてこれまで放射光施設にて実施してきた先端的な小角X線散乱法についてまとめる。まず第5章では大型放射光施設SPring-8の中尺ビームラインBL20XUに於いて実施してきた時間分割2次元極小角X線散乱法について説明した。第6章ではSPring-8のBL40XUに於いて実施しているX線光子相関分光法の評価について、新規導入した検出器の評価とともに述べた。第7章ではSPring-8のBL27SUに於いて開発中のイオウK吸収端における異常小角X線散乱法について述べた。第8章ではSPring-8のBL20B2における近接場小角X線散乱法について述べた。これらの手法についての議論の後に、第3部(第9章-第12章)ではソフトマテリアルへの先端的小角X線散乱法、特にゴム材料への極小角X線散乱法、X線光子相関分光法の応用について詳述した。まず第9章では、時間分割2次元極小角X線散乱法を用いた一軸延伸時におけるフィラー凝集構造変化の結果について述べた。第10-12章ではナノ粒子充填ゴムへのX線光子相関分光法の応用を報告した。第10章では定常状態におけるナノ粒子充填ゴムダイナミクスの温度依存性・体積分率依存性ナノ粒子界面状態依存性について議論した。第11章ではゴムの加硫過程におけるダイナミクス変化について議論し、第12章ではゴムへのナノ粒子練り込みからの経過時間によるダイナミクス変化について議論した。

最後に第13章にて、本論文の総括を行った。

審査要旨 要旨を表示する

小角X線散乱法(small-angle x-ray scattering, 以後SAXS)は、散乱角が数度以下の散乱X線を測定して物質のナノ構造に関する知見を得る手法であり、特にソフトマテリアルを対象として広く用いられている。物質が結晶のように規則正しい周期構造をもつ場合は、斑点状の信号雑音比の高い回折像が得られるが、SAXSが対象とするソフトマテリアルの多くは、非晶質・非対称・不均一な構造をもつため、得られる散乱像は信号雑音比の低い散漫な形状を示し、構造情報を引き出すことが難しい場合がある。またソフトマテリアルは内部自由度を多くもち、マクロな平衡状態であってもミクロには構造が揺らいでいることがあり、構造ダイナミクスに関する理解が重要である。

このような背景の下、本論文では、(1) 高輝度放射光X線の特長を最大限に活用した先端的SAXSの開発・高度化を実施し、(2) それをゴム材料に応用して、従来の手法では得ることのできなかったナノ構造とそのダイナミクスに関する情報を得ることに成功した。本論文では、まず、先端的SAXSの開発・高度化に取り組んだ。それらは、(1) 100nm から 5 μm 程度の構造範囲に対応した2次元散乱像を測定するための2次元時間分割極小角X線散乱法、(2) X線領域の動的光散乱であるX線光子相関分光法、(3) イオウ原子起因の散乱を選択的に測定するためのイオウK吸収端における異常小角X線散乱法、(4) 従来のフラウンホーファー回折ではなくフレネル回折を測定することで、極小角X線散乱よりもさらに大きなサイズの構造情報を得ることのできる近接場小角X線散乱法、である。

上記の先端的SAXSのうち、極小角X線散乱法とX線光子相関分光法を、ナノ粒子充填ゴムへ応用した。一般にカーボンブラックやシリカなどを充填したゴムでは、その力学物性・粘弾性特性に顕著な変化があらわれ(補強効果)、タイヤをはじめとしたゴム製品の応用に必要不可欠なものとなっている。しかし補強効果の発現機構については未解明な部分が多く、近年、高グリップ性能と高燃費性能の相反する性質をもったタイヤ開発の要請に応えるために、補強効果の機構理解に基づく材料設計が求められており、機構解明に向けた研究が期待されている。本論文ではナノ粒子充填ゴムのうち、ナノ粒子が形成する凝集構造とそのダイナミクスに着目して、極小角X線散乱法とX線光子相関分光法を構造解析・ダイナミクス解明に応用した。ナノ粒子は数十ナノメートルから数ミクロンより大きなスケールまで、ゴム中で階層的な凝集構造をとることが知られている。以前はこのような階層的な凝集構造、特にゴム変形時の凝集構造変化を測定するための有効な手法がなかったが、2次元時間分割極小角X線散乱法を用いることで、ゴム延伸時のフィラー凝集構造の変形に関する知見を得ることに成功した。さらに、ナノ粒子充填ゴムの動的物性を理解するために必要なゴム中でのナノ粒子ダイナミクスの観察に成功した。動的光散乱法は、可視光に対して不透明なナノ粒子充填ゴムへ応用することが困難であるが、X線光子相関分光法を用いることにより、この問題を解決すると共にX線の波長が短いため、より微小なダイナミクスの観察が可能になった。本論文では未加硫のスチレンブタジエンゴム中でのナノ粒子のダイナミクスを観察してその温度依存性がナノ粒子の体積分率やナノ粒子とゴムの間の界面状態に大きく依存することを明らかにした。さらにゴムにナノ粒子を練り込んでからの経過時間に応じて、ナノ粒子のダイナミクスが大きく変わるエージング現象を観察することに成功した。またゴム分子をイオウで架橋する過程(加硫過程)におけるダイナミクス変化を解析し、加硫が進行する際に、空間的な運動の凍結が進んでいくことを明らかにした。

本論文の構成は大きく3部から成っている。第1部(第1章-第4章)の第1章、第2章では、SAXS、X線光子相関分光法の基礎について、第3章では、実験に必要な放射光源・X線検出器・X線光学素子について、第4章では先端的SAXSについて記述されている。第2部(第5章-第8章)では先端的SAXSの各手法について詳述されている。第5章では時間分割2次元極小角X線散乱法について、第6章ではX線光子相関分光法および新規導入した検出器について記述されている。第7章ではイオウK吸収端における異常小角X線散乱法について、第8章では近接場小角X線散乱法について記述されている。第3部(第9章-第12章)では、極小角X線散乱法、X線光子相関分光法をゴム材料へ応用した結果が記述されている。第9章では、時間分割2次元極小角X線散乱法を用いた一軸延伸時におけるフィラー凝集構造変化について、第10-12章ではナノ粒子充填ゴムへのX線光子相関分光法の応用が記述されている。第10章では定常状態におけるナノ粒子充填ゴムダイナミクスの温度依存性・体積分率依存性ナノ粒子界面状態依存性について、第11章ではゴムの加硫過程におけるダイナミクス変化について、第12章ではゴムへのナノ粒子練り込みからの経過時間によるダイナミクス変化について議論が行われている。第13章は総括である。

以上、本論文は、(1) 高輝度放射光X線の特長を最大限に活用した先端的SAXSを開発・高度化し、(2) それをゴム材料に応用して、従来の手法では得ることのできなかったナノ構造とそのダイナミクスに関する情報を得ることに成功し、物質科学の発展に大きく寄与した。よって、博士(科学)の学位を授与するに十分に値すると認める。

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