学位論文要旨



No 217484
著者(漢字) 新井,英樹
著者(英字)
著者(カナ) アライ,ヒデキ
標題(和) 鉄道信号設備の雷害対策に関する研究
標題(洋)
報告番号 217484
報告番号 乙17484
学位授与日 2011.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17484号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,勝
 東京大学 教授 日高,邦彦
 東京大学 教授 大崎,博之
 東京大学 特任教授 池田,久利
 東京大学 准教授 古関,隆章
 東京大学 准教授 熊田,亜紀子
内容要旨 要旨を表示する

1.本研究の目的

鉄道信号設備では,近年,小型化・多機能化のために電子化が進んでいるが,それに伴い雷害が数多く発生しているのが現状である。雷害による列車の運行停止・遅延は,社会的にも許容されない時代であることから,適切な雷害対策の確立が求められている。しかしながら,これまで雷害が発生する都度,対症療法的な対策を施してきており,雷害対策の効果について,実験的あるいは計算解析的な定量化がなされてこなかった。

本研究は,鉄道の雷リスク低減のために必要となる合理的な雷害対策の確立のため,現状の鉄道信号設備における雷害発生の主要因と考えられるレール近傍への雷撃を対象とし,レールを介して雷電流の一部が信号設備に侵入し発生する雷サージ電圧が引き起こす雷害の発生メカニズムの解明ならびに実験的・計算解析的検討に基づく雷害対策効果の定量的評価を目的としている。

2.本研究で得られた知見

2.1 踏切設備の現状雷害対策の問題点

レール電位上昇による近傍大地の電位分布は,埋設地線や接地極電位上昇により生ずる周辺大地の電位分布と比較し,電位傾度が大きく,レールと近傍大地間にはレール電位上昇分の90%にあたる電位差が生じることをフィールド試験により明らかにした。この要因として,レールと路盤間に存在するバラストの影響が考えられ,バラストは土と比較し導電率が低いため,レールと大地間にはバラストという高抵抗物質が介在することになり,その結果,レールと近傍大地間に大きな電位差が生じると推察される。

また,鉄道信号設備の中でも雷害発生件数の多いHC形踏切制御子(踏切制御のために列車を検知する装置)の雷害発生メカニズムについて解明した(図1)。踏切制御子の現状の雷害対策では,上記のレールと大地間の電位差に起因し発生する,機器と収容箱との間の雷過電圧を抑制することができない。これは,踏切制御子用保安器が大地に対して接地されていないことによる。さらに,踏切設備の現状雷害対策の保護レベルは10kV程度であり,10kVを超える雷過電圧が発生した場合には,踏切制御子が損傷を受ける可能性があることを実験的に確認した。

2.2 効果的な雷害対策の提案

現状雷害対策の問題点を踏まえて,HC形踏切制御子の軌道(受)+,-端子に保安器を追加するとともに,保安器接地線を機器筐体ならびに収容箱に接続し,さらに大地接地する雷害対策を提案した(図2)。また,提案対策(20Ω接地)は,現状対策と比較し,同じ地点に同じ大きさの落雷があった場合でも発生する雷過電圧を約半分に抑制できることをフィールド試験により明らかにした(図3)。これは,相対的に雷害対策の保護レベルを2倍に向上させることと等価である。

なお,鉄道信号設備の雷害対策に際しては,信号設備が有するフェールセーフ機能に影響を与えないことが必要不可欠となる。現状雷害対策では,機器の線間に保安器が取り付けられており,保安器には3極のギャップ式避雷素子と酸化亜鉛形バリスタを用いることで,保安器動作時には,必ず線間短絡状態となる。よって,保安器の短絡故障が発生した場合でも,必ず線間短絡となり,列車検知を意味するリレーが必ず落下(列車検知側の動作)となるようにしている(安全側誤動作となるようにしている)。これにより,フェールセーフ性を確保している。

本論文で提案した雷害対策についても,現状対策と同じ考え方を踏襲しており,信号装置が有するフェールセーフ機能に影響を及ぼすことはない。

2.3 提案対策による雷被害低減効果

提案対策(20Ω接地)では,現状対策と比較し,落雷時の発生雷過電圧を約半分に抑制できることから,現状対策の保護レベルである10kVを,相対的に20kVに引き上げることと等価になる。

本研究では,日本有数の多雷地区である北関東に設備されている踏切において,実際の落雷時に踏切設備に発生する雷サージ電圧を観測し,雷過電圧の累積頻度分布を求めた(図4)。この雷過電圧累積頻度分布より,雷害対策の保護レベルが2倍に向上した場合の雷被害低減効果の推定を行った。図4より,提案対策の実施により,踏切設備の雷害を現状の1/5程度まで低減できる見通しを得た。

2.4 雷害対策効果の定量的評価に資する雷サージ解析モデル

本研究では,落雷時に踏切設備に発生する雷サージ電圧や侵入する雷サージ電流を計算により求めることが可能な雷サージ解析モデルを構築した。踏切設備の雷サージ解析モデルは,鉄道固有の導体であるレールの雷サージ伝搬モデルと機器の等価回路モデルから構成される。レールの雷サージ伝搬モデルでは,レールの幾何学的配置ならびに材質の電気的定数(固有抵抗や比透磁率),そして大地間やレール間の漏れコンダクタンスと漏れキャパシタンスを考慮した。

レールの雷サージ伝搬モデルの検討にあたっては,まず,異なる大地抵抗率を有する3箇所において,実際に敷設されているレールを用いたフィールド試験を実施することにより,サージインピーダンスが概ね50Ωであり,大地抵抗率が高い箇所に敷設されているレールの方が,サージインピーダンスが大きくなること,一方,レールの対地間サージ伝搬速度は概ね55~90m/μsであり,大地抵抗率が高い箇所に敷設されているレールの方が,伝搬速度が遅くなることを把握した。また,検討したレールの雷サージ伝搬モデルの妥当性検証のため,フィールド試験との比較を行い,上記の雷サージ伝搬特性が得られること,雷サージがレールを伝搬する際に生じる波形の減衰・変歪に関して一致すること,そしてレールへの雷サージ電流印加の際に生じるレール電位上昇が一致することを確認した。

また,レールに1/100μsの雷サージ電流3A(波高値)を印加した際に踏切設備に発生する雷サージ電圧のフィールド試験結果と踏切設備の雷サージ解析モデルによる計算結果との比較を行った。その結果,発生する雷サージ電圧波形が良好に一致したことから,本論文で提案した雷サージ解析モデルは妥当であると言える。さらに,雷サージ解析モデルにより図2に示した提案対策の効果の定量的評価を行った(図5)。図5に示すように,フィールド試験による効果検証結果である図3と一致することがわかる。

なお,本論文で検討した踏切設備の雷サージ解析モデルは,その構成要素であるレールの雷サージ伝搬モデルならびに機器の等価回路モデルともに,計算結果がフィールド試験結果に合うようにモデルの回路構成やモデル定数を決定したのではなく,物理的な整合性を重視して検討を行ったものである。よって,本モデルは,他の場所にある踏切設備についても解析可能な一般性を有している。

本論文で提案した雷サージ解析モデルの活用により,フィールド試験に拠らず,対策効果を定量的に評価することが可能となり,鉄道事業者における雷害対策の実施判断の際の有用なツールとなり得る。

一方,本研究では雷害件数の多い踏切設備を対象として雷サージ解析モデルの検討を行ったが,踏切設備は鉄道信号設備の典型的な構成を示しており,モデル化の検討手法については,他の鉄道信号設備に対しても適用できる汎用性を有している。

3.まとめ

本論文では,鉄道信号設備の典型的な構成であるとともに,鉄道信号設備の中でも雷害発生率の高い踏切設備を対象とし,現状雷害対策による雷害発生メカニズムを解明し,それを踏まえた雷害対策の提案を行った。また,実験的手法により提案対策の効果を定量的に示しただけではなく,計算解析的手法による評価を確立し,シミュレーションにより提案対策の効果の裏付けを行った。モデル化により,雷害対策の定量的評価に関して,様々な場所にある踏切設備に適用可能な一般性のある知見,また他の鉄道信号設備への適用が可能な汎用性のある知見を得たところに本研究の工学的意義があると考える。

また,本論文で述べた知見が,公共交通としての鉄道の雷リスク軽減に寄与することにより,安全・安定輸送につながることが期待される。

図1 踏切制御子の雷害発生メカニズム

図2 提案雷害対策

図3 提案対策による雷過電圧抑制効果

図4 踏切設備の雷過電圧累積頻度分布

図5 踏切設備の雷サージ解析モデルによる雷害対策効果の定量的評価

審査要旨 要旨を表示する

鉄道信号設備では,近年,小型化・多機能化のために電子化が進んでいるが,それに伴い雷害が数多く発生しているのが現状である。雷害による列車の運行停止・遅延は,社会的にも許容されない時代であることから,適切な雷害対策の確立が求められている。本論文は「鉄道信号設備の雷害対策に関する研究」と題し、雷害の発生メカニズムの解明ならびに実験的・解析的検討に基づく雷害対策の効果の定量的評価を行った結果についてまとめたもので、8章より構成される。

第1章は「序論」で、鉄道信号設備の構成と概要について解説し、その雷害対策の現状について述べ、解決すべき課題、研究の目的と本論文の意義について述べている。

第2章は「実雷時における踏切設備の雷過電圧発生様相」で、実際の雷放電発生時に踏切設備で観測された雷過電圧の発生頻度分布を記述し、その一般性について論じている。また電力供給用の低圧線などで観測された例と比較している。この種のデータでは、これが公表された最初である。

第3章は「鉄道レールの雷サージ伝搬特性」で、鉄道レールの雷サージ伝搬特性を、実際に敷設されている鉄道レールにおいて測定したもので、周波数に依存する大きな減衰特性を持つことを明らかにした。これも国内外を通じて報告された最初のデータである。

第4章は「落雷による鉄道レールの電位上昇」で、レールに雷電流が流入した場合を想定して、レールおよび近傍大地の電位上昇を、実設備を使用して実験的に測定した結果を述べている。信号設備が雷サージにより損傷する機構について検証し、新たに提案した保護対策である、保安器の接続方式の変更が有用であることを示した。

第5章は「踏切設備の雷過電圧発生様相に関する実規模フィールド試験」で、踏切設備の雷過電圧発生様相の解明のために、実物大の踏切設備のモデルを高電圧大電流発生装置の近傍に構築し、高電圧の大電流を流入させて各部の過電圧発生様相を測定した結果を述べている。これも従来例を見ない大規模な実験である。

第6章は「踏切設備の雷害対策に関する実験的検討」で、踏切設備における雷害対策の現状と問題点について述べ、新たに提案した雷害対策手法の有効性を確認するため、5章の実験設備を用いて、提案する雷害対策手法の有効性の定量的評価を行った結果について述べている。この実験の結果、提案する対策手法を採用すれば、発生する雷過電圧が半減することが明らかになり、雷過電圧発生頻度分布の知見とあわせることにより、雷害発生頻度は現状の1/5程度まで低下するとの見通しを得ている。

第7章は「シミュレーションによる雷害対策の定量的評価」で、レールの雷サージ伝搬モデルと、踏切設備構成機器の等価回路を組み合わせて新たに構築した、雷サージ解析用回路モデルについて述べ、解析結果をフィールド試験と比較して、回路モデルの有用性を示している。更に、この回路モデルを用いた解析により、各種雷害対策の効果を定量的に評価している。

第8章は「結言」で、本論文で示した研究成果を総括し、今後の研究の方向性について提言を行っている。

以上これを要するに本研究は、鉄道信号設備に雷放電に起因するサージが侵入する経路、雷サージ電圧の発生機構とその様相について実際の雷放電のもとで観測し、またフィールド試験、モデル実験による実測、実証を通じて詳細な知見を得、それらに基づいて鉄道信号設備の実用的な雷サージ解析用回路モデルを構築し、各種雷害対策の効果を定量的に評価する方法を提案したもので、鉄道信号設備の雷害対策という技術分野において世界に先駆けた方法論を確立し、電気工学上貢献するところが少なくない。

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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