学位論文要旨



No 217496
著者(漢字) 前田,恭宏
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ヤスヒロ
標題(和) リンパ球循環および樹状細胞の遊走能におけるスフィンゴシン1-リン酸の役割
標題(洋)
報告番号 217496
報告番号 乙17496
学位授与日 2011.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17496号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

序論

自己と非自己の認識および外来抗原に対する免疫応答の成立において,リンパ球の生体内動態は厳密に制御されている必要がある.免疫応答の主要な場である二次リンパ組織へのリンパ球移入過程は,種々のケモカインおよびそれらの受容体の相互作用が重要な役割を果たすことは以前から知られていた.一方,二次リンパ組織からリンパ管へのリンパ球移出過程を制御する因子として,リン脂質の一種であるスフィンゴシン1一リン酸(sphingosine I-phosphate,SIP)が主要な役割を担っていることが最近明らかにされつつある.SIP特異的受容体は7回膜貫通型のGタンパク共役型受容体であり,現在までにSIP1-5の5種類のサブタイプが知られている.なかでも成熟T細胞に強く発現しているSIP1受容体は,二次リンパ組織からリンパ管へのリンパ球移出過程において重要な役割を担っていることが,リンパ球特異的SIP1受容体欠損マウスの解析によって明らかにされている.

Fingolimod(FTY720)は,種々の自己免疫疾患動物モデルにおいて優れた免疫調節作用を発揮する新規免疫調節薬であるが,免疫調節作用を発揮する際には,循環リンパ球の著しい減少が観察される.FTY720による循環リンパ球減少作用は,細胞死の誘導によるものではなく,循環リンパ球がリンパ節やバイエル板等の二次リンパ組織中に隔離されるためであることが,蛍光標識リンパ球を使用した解析によって明らかになっている.FTY720はスフィンゴシンと類似の化学構造を有しており,生体内ではスフィンゴシンキナーゼによって速やかにFTY720リン酸(FTY720-P)へと変換された後,SIP1受容体にアゴニストとして作用し,リンパ球上のSIP1受容体を長期間にわたり内在化させる.その結果,リンパ球表面上ではほとんどSIP1受容体が発現していない状態となり,リンパ球のSIPに対する反応性はほぼ完全に消失する.したがって,FTY720はSIP1受容体を介する二次リンパ組織からのリンパ球移出を阻害し,リンパ球を二次リンパ組織中に隔離することで,顕著な循環リンパ球減少作用を発揮するものと考えられる,しかし,リンパ球の主要な隔離先である二次リンパ組織を欠損したマウスにおいても,FTY720は循環リンパ球を減少させることが報告されており,その原因は長い間不明であった.そこで第1章ではFTY720が二次リンパ組織欠損マウスの循環リンパ球を減少させる機序を解明すると共に,リンパ球循環におけるSIPの役割をさらに詳細に検討した.

T細胞のSIPに対する遊走能がSIP1受容体によって制御されていることはすでに多数の報告が為されている.しかしながら,免疫応答のもう一方の担い手である樹状細胞の遊走能におけるSIPの役割についてはほとんど報告されていない.そこで第2章では,樹状細胞の遊走能におけるSIPおよびSIP受容体の関与について検討した.

第1章 骨髄を介するリンパ球循環におけるSIPの役割

FTY720はリンパ節やバイエル板といった二次リンパ組織中にリンパ球を隔離することで,末梢血中の循環リンパ球を減少させることは広く知られている.しかし,リンパ球の隔離先である二次リンパ組織を先天的に欠損しているalymphoplasia(alyylaly)マウスにおいても,FTY720は循環リンパ球減少作用を示す.FTY720を1mg/kgの用量で単回経口投与したマウスの末梢血中におけるFTY720濃度は約0.2pM以下であったが,この濃度ではalylalyマウスのリンパ球にapoptosisは誘導されなかった.FTY720を投与したalylalyマウスの各臓器を検索した結果,骨髄において成熟リンパ球数,特にT細胞数が増加していることを見出した.FTY720投与後のalylalyマウス骨髄における成熟リンパ球の集積は,骨髄切片の観察およびリンパ球移入実験によっても確認された.以上の結果から,FTy720はリンパ球のapoptosisを誘導するのではなく,循環リンパ球を骨髄中に隔離することによって,alylalyマウスの循環リンパ球を減少させるものと考えられる.興味深いことに,FTY720による成熟リンパ球の骨髄への隔離は,alylalyマウスだけではなく,二次リンパ組織を持つ正常マウスにおいても確認された.そこで,骨髄を介するリンパ球循環の分子機構を調べるため,SIPI受容体選択的アゴニストSEW2871を投与したマウスのリンパ球動態を検討した.その結果,FTY720を投与した場合と同じく,骨髄中での成熱リンパ球数が有意に増加していた.また,SIP分解酵素の阻害剤を投与し,骨髄内外のSIP濃度差を消失させた場合も,骨髄中の成熟リンパ球数の増加が観察された.さらにin vitro試験において,FTY720リン酸およびSEW2871はSIPに対する骨髄成熟T細胞の遊走能をほぼ完全に抑制する一方,骨髄へのホーミングケモカインであるCXCL12に対する末梢血T細胞の遊走能には影響を及ぼさなかった.以上の結果から,骨髄を介するリンパ球循環過程は他の二次リンパ組織と同様,SIP-SIP1軸によって制御されており,FTY720は骨髄への循環リンパ球の移入を促進するのではなく,骨髄からのリンパ球移出を阻害することで骨髄中に成熟リンパ球を隔離するものと推察される.最後に,抗原特異的Th細胞の骨髄を介する循環におけるSIP-SIP1の寄与を調べるため,Th17細胞およびTh1細胞の動態に対するFTY720の作用を検討した.免疫成立後,抗原特異的Th細胞が生体内を循環している状態にあるマウスにFTY720を投与した場合,骨髄および所属リンパ節における抗原特異的Th17細胞およびTh1細胞数はナイーブT細胞同様,顕著に増加した.したがって,SIP-SIP1軸はナイーブT細胞だけではなく,抗原特異的Th細胞の骨髄からの移出も制御していることが強く示唆された.

第2章 樹状細胞の遊走能におけるSIPの役割

骨髄細胞から顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子を用いて誘導した樹状細胞について,SIPに対する遊走能を検討した.その結果,SIPは10-1000nMの濃度範囲において,LPSで刺激した成熟型の樹状細胞選択的に強力な遊走能を惹起することが判明した.各成熟段階における樹状細胞のSIPに対する反応性の違いが,どのサブタイプのSIP受容体に起因しているのか見当をつけるため,未成熟樹状細胞および成熟樹状細胞について各SIP受容体のmRNA発現量をreal-tirnePCR法を用いて解析した.その結果,成熟樹状細胞では未成熟樹状細胞に較べ,SIP3受容体mRNAが優位に発現していることが明らかになった,そこで,SIP3受容体欠損マウスを作製し,その成熟樹状細胞のSIPに対する遊走能を測定した.その結果,SIP3受容体欠損マウス由来成熟樹状細胞では,CCL21に対して野生型と同程度の遊走能を示したが,SIPに対する遊走能はほぼ完全に消失していた.一方,SIP3受容体欠損マウス由来T細胞はSIPに対する遊走能を保持していた.最後に,樹状細胞の抗原取り込み能に対するSIPの作用を検討した.各成熟段階の樹状'細胞について,蛍光粒子の取り込みに対するSIPの作用を経時的に測定したところ、SIPは成熟樹状細胞の抗原取り込み能を増強することが判明した.この作用についても遊走能同様,SIP3受容体依存的な反応であった.以上の結果から,T細胞のSIPに対する遊走能はSIPi受容体依存的であるのに対し,成熟樹状細胞の遊走能および抗原取り込み能はSIP3受容体によって制御されていることが強く示唆される.

結論および考察

1.FTY720は循環リンパ球を二次リンパ組織だけではなく「骨髄」にも隔離すること,および骨髄を介するリンパ球循環過程もまた他の二次リンパ組織と同様,SIP-SIP1軸によって制御されていることを明らかにした.したがって,骨髄は血球系細胞の供給源としてばかりでなく,成熟リンパ球の循環過程においては二次リンパ組織と類似の機能を担っているものと推察される.

2.成熟樹状細胞およびT細胞のSIPに対する遊走能はそれぞれSIP3受容体およびSIP1受容体と,それぞれ別の受容体によって制御されていることを明らかにした.SIP存在下でSIP童はdown-regulationするのに対し,SIP3は細胞表面上に残存するという性質を持っことから,SIP-SIP受容体軸は末梢血やリンパ管および炎症応答部位など,SIPの濃度が高い部位において成熟樹状細胞およびT細胞の体内動態を適切に制御することに寄与しているものと推察される.

審査要旨 要旨を表示する

免疫応答の主要な場である二次リンパ組織へのリンパ球移入過程は,種々のケモカインおよび受容体の相互作用が重要な役割を果たす。二次リンパ組織からリンパ管へのリンパ球移出過程を制御する因子として,リン脂質の一種であるスフィンゴシン1-リン酸(sphingosine 1-phosphate,SIP)が主要な役割を担っていることが最近明らかにされつつある。SIP特異的受容体は7回膜貫通型のGタンパク共役型受容体であり,現在までにSIP1-5の5種類のサブタイプが同定されている。なかでも成熟T細胞に強く発現しているSIP1受容体は,二次リンパ組織からリンパ管へのリンパ球移出過程において重要な役割を担っていることが,リンパ球特異的SIP1受容体欠損マウスの解析によって明らかにされている。Fingolimod(FTY720)は,免疫調節作用を発揮する新規免疫調節薬であるが,免疫調節作用を発揮する際に循環リンパ球の著しい減少が観察される。FTY720による循環リンパ球減少作用は,細胞死の誘導によるものではなく,循環リンパ球がリンパ節やバイエル板等の二次リンパ組織中に隔離されるためであることが,蛍光標識リンパ球を使用した解析によって明らかになっている.FTY720はスフィンゴシンと類似の化学構造を有しており,生体内ではスフィンゴシンキナーゼによって速やかにFTY720リン酸(FTY720-P)へと変換された後,SIP1受容体にアゴニストとして作用し,リンパ球上のSIP1受容体を長期間にわたり内在化させる。その結果,リンパ球表面上ではほとんどSIP1受容体が発現していない状態となり,リンパ球のSIPに対する反応性はほぼ完全に消失する。したがって,FTY720はSIP1受容体を介する二次リンパ組織からのリンパ球移出を阻害し,リンパ球を二次リンパ組織中に隔離することで,顕著な循環リンパ球減少作用を発揮するものと考えられている。しかし,リンパ球の主要な隔離先である二次リンパ組織を欠損したマウスにおいても,FTY720は循環リンパ球を減少させることが報告されており,その原因は長い間不明であった。そこで前田はFTY720が二次リンパ組織欠損マウスの循環リンパ球を減少させる機序を解明すると共に,リンパ球循環におけるSIPの役割をさらに詳細に検討した。免疫応答のもう一方の担い手である樹状細胞の遊走能におけるSIPの役割についてはほとんど報告されていない.そこで前田はさらに,樹状細胞の遊走能におけるSIPおよびSIP受容体の関与についても検討した。

FTY720はリンパ節やバイエル板といった二次リンパ組織中にリンパ球を隔離することで,末梢血中の循環リンパ球を減少させる。しかし,リンパ球の隔離先である二次リンパ組織を先天的に欠損しているalymphoplasia(alylaly)マウスにおいても,FTY720は循環リンパ球減少作用を示す。FTY720を投与したalylalyマウスの各臓器を検索した結果,骨髄において成熟リンパ球数,特にT細胞数が増加していることを見出した、FTY720投与後のalylalyマウス骨髄における成熟リンパ球の集積を,骨髄切片の観察およびリンパ球移入実験によっても確認した。前田は以上の結果から,FTY720はリンパ球のapoptosisを誘導するのではなく,循環リンパ球を骨髄中に隔離することによって,alylalyマウスの循環リンパ球を減少させるものと予想した。

興味深いことに,FTY720による成熟リンパ球の骨髄への隔離は,alylalyマウスだけではなく,二次リンパ組織を持っ正常マウスにおいても確認された.そこで前田は,骨髄を介するリンパ球循環の分子機構を調べるため,SIP1受容体選択的アゴニストSEW2871を投与したマウスのリンパ球動態を検討した.その結果,FTY720を投与した場合と同じく,骨髄中での成熟リンパ球数が有意に増加していることを見いだした。また,SIP分解酵素の阻害剤を投与し,骨髄内外のSIP濃度差を消失させた場合も,骨髄中の成熟リンパ球数の増加を観察した。さらにin vitro試験において,FTY720リン酸およびSEW2871はSIPに対する骨髄成熟T細胞の遊走能をほぼ完全に抑制する一方,骨髄へのホーミングケモカインであるCXCL12に対する末梢血T細胞の遊走能には影響を及ぼさないことを観察した,以上の結果から前田は,骨髄を介するリンパ球循環過程は他の二次リンパ組織と同様,SIP-SIP1軸によって制御されており,骨髄からのリンパ球移出を阻害することで骨髄中に成熟リンパ球を隔離するものと推察した。さらに前田は,抗原特異的Th細胞の骨髄を介する循環におけるSIP-SIP1の寄与を調べるため,Th17細胞およびTh1細胞の動態に対するFTY720の作用を検討した.免疫成立後,抗原特異的Th細胞が生体内を循環している状態にあるマウスにFTY720を投与した場合,骨髄および所属リンパ節における抗原特異的Th17細胞およびTh1細胞数はナイーブT細胞同様,顕著に増加することを見いだした。この結果から前田は,SIP-SIP1軸はナイーブT細胞だけではなく,抗原特異的Th細胞の骨髄からの移出も制御していることを強く示唆した。

前田はさらに、骨髄細胞から顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子を用いて誘導した樹状細胞にっいて,SIPに対する遊走能を検討した.その結果,SIPは10-1000nMの濃度範囲において,LPSで刺激した成熟型の樹状細胞選択的に強力な遊走能を惹起することを見いだした。さらに、各成熟段階における樹状細胞のSIPに対する反応性の違いがどのサブタイプのSIP受容体に起因しているのか同定するため,未成熟樹状細胞および成熟樹状細胞について各SIP受容体のmRNA発現量をreal-time PCR法を用いて解析した。その結果前田は,成熟樹状細胞では未成熟樹状細胞に較べ,SIP3受容体mRNAが優位に発現していることを明らかにした。そこで次に,SIP3受容体欠損マウスを作製し,その成熟樹状細胞のSIPに対する遊走能を測定した.その結果,SIP3受容体欠損マウス由来成熟樹状細胞では,CCL21に対して野生型と同程度の遊走能を示したが,SIPに対する遊走能はほぼ完全に消失していることを見いだした。最後に前田は,樹状細胞の抗原取り込み能に対するSIPの作用を検討した。各成熟段階の樹状細胞について蛍光粒子の取り込みに対するSIPの作用を経時的に測定し,SIPは成熟樹状細胞の抗原取り込み能を増強することを見いだした。この作用についても遊走能同様,SIP3受容体依存的な反応であることも明らかにした。以上の結果から前田は,T細胞のSIPに対する遊走能はSIP1受容体依存的であるのに対し,成熟樹状細胞の遊走能および抗原取り込み能はSIP3受容体によって制御されていることを強く示唆した。

以上前田は、FTY720は循環リンパ球を二次リンパ組織だけではなく「骨髄」にも隔離すること,および骨髄を介するリンパ球循環過程もまた他の二次リンパ組織と同様,SIP-SIP1軸によって制御されていることを明らかにした.この結果から,骨髄は血球系細胞の供給源としてばかりでなく,成熟リンパ球の循環過程においては二次リンパ組織と類似の機能を担っていることが推察された。また、成熟樹状細胞およびT細胞のSIPに対する遊走能はそれぞれSIP3受容体およびSIP正受容体と,それぞれ別の受容体によって制御されていることを明らかにした。以上の結果から、前田の本研究は博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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