学位論文要旨



No 217497
著者(漢字) 石川,誠
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,マコト
標題(和) 不安障害治療薬を目指した新規ヒスタミンH3受容体アゴニストの探索研究
標題(洋)
報告番号 217497
報告番号 乙17497
学位授与日 2011.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17497号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 金井,求
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 内山,真伸
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

不安障害とは、不安・恐怖といった感情の為、日常生活を送る上で支障を来たす疾患である。大きく全般性不安障害、恐怖症、パニック障害、強迫性障害、心的外傷後ストレス障害の5つに分類され、日本では成人の約9%、米国では約15%がこれらに関連した何らかの障害を有する、患者数の多い疾患である。治療は主として精神療法と薬物療法を組み合わせて行われ、症状に応じてベンゾジアゼピン系抗不安薬、三環系抗うつ薬、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)等が単独あるいは併用処方されている。しかしこれらの薬物療法は有効性、副作用の面で必ずしも満足できるものでは無く、新たな薬剤の開発が求められている。

H3受容体はヒスタミンをリガンドとする受容体ファミリー(H1~H4)の一つであり、中枢神経系の神経細胞終末に存在するGPCRに属するシナプス前受容体である。ヒスタミンの他にセロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の遊離を調節している事から、H3リガンドは様々な中枢性の疾患に有効性を示す可能性がある。我々は不安評価動物モデルを用いて、H3アゴニストが既存の治療薬と同様の抗不安作用を有する事を明らかにしている。H3アゴニストは、セロトニン受容体の5-HT2A、5-HT2C及び5-HT3受容体及び、副腎皮質刺激ホルモン放出因子が関与するメカニズムで抗不安効果を示すと考えられる。既存の不安障害治療薬とは異なるこの特徴的なメカニズムから、H3アゴニストが不安障害治療において新たな治療選択肢として寄与する事が期待できると考え、その探索研究を実施した。

第二章 脂溶性側鎖導入型H3受容体アゴニストの探索

H3アゴニストはイミダゾール及び塩基性側鎖から構成されるタイプと、イミダゾール及び脂溶性側鎖から構成されるタイプの二種類が知られている。前者はその親水性の高さから脳内移行性等の薬物動態に問題を持つ。後者は経口投与においてアゴニスト作用を示す事が知られているが、その構造活性相関(SAR)情報は限られたものであった。そこでヒスタミンの末端窒素原子を足がかりに脂溶性を高める構造変換を行い、その脂溶性部分に関するSAR情報を取得すると共に、経口投与可能な新規H3アゴニストを見出す事を目的に合成展開を実施した。

ヒスタミンの末端窒素原子への嵩高いアルキル基の導入は親和性を低下させたが、アリール基の導入は親和性を維持し、特にベンゼン環4位への嵩高い脂溶性基の導入が有効であった。ただしアゴニスト活性を維持する為には、置換基の分子長に制限があった。またケトン、塩基性基及び酸性基の導入はアゴニスト活性を低下させた。リンカー部はチオエーテルの時、アゴニスト活性が向上した。以上のように脂溶性側鎖部分に関するSAR情報を集積した結果、高活性アゴニスト37が見出された。

37は他の生体アミン受容体やトランスポーターに対し良好な選択性を示したが、H4受容体に対しては高い親和性を示した。また37は薬物代謝に関連する酵素であるcytochrome P450(CYP)に対し強い阻害活性を示した。医薬品としての開発を目指す上では、予期せぬ副作用を回避する為にもこれらの点について改善が必要であった。

37はラット薬物動態試験において良好な経口吸収性と脳内移行性を示し、マウス脳内NT-methylhistamine量測定試験において経口投与でアゴニスト活性を示した。またその作用に起因する不安評価動物モデルでの有効性を示した(長期個別飼育ストレス試験、母子分離試験、及び恐怖条件付け試験)。これらの事から、経口投与可能な新規H3アゴニスト創出に向け実施した合成展開の妥当性が確認できたと考えられる。化合物37は、医薬品としての開発は困難なものの、未だ不明な部分も多いH3受容体の機能解明に向けたツール化合物としての応用が期待できる。

第三章 環構造導入型H3受容体アゴニストの探索

ヒスタミンの末端アミノ基部分をピペリジン環とし、分子構造を規定したimmepipは、ヒスタミンよりもH3受容体への選択性が向上する事が報告されている。この情報を基に、37のリンカー部に環構造を導入し、分子構造を規定した化合物がアゴニスト活性を維持しつつ、H3受容体への選択性を向上させる事が可能なのか探索する事とした。

環構造としてピペラジン環をリンカー部に導入した化合物は活性が消失したものの、ピペリジン環を導入した化合物はアゴニスト活性を維持した。特に4-トリフルオロメチル体54と、4-メトキシ体63がH3受容体へ高い親和性とアゴニスト活性を示した。これら2化合物はH4受容体への親和性が低下しており、H3受容体に対してそれぞれ120倍、及び574倍の選択性を示した。この結果から環構造導入による分子構造の規定化が、選択性向上に寄与する事が確認できた。しかしながら、54及び63のCYP阻害活性は依然として強く、これを解決するには別の方策が必要だと考えられた。

第四章 ハイブリット型H3受容体アゴニストの探索

37をリード化合物とし、H3受容体への選択性向上、及びCYP阻害活性低下を同時に達成する為の方策を見出す事を目的に検討を進めた。37はイミダゾール部分と脂溶性側鎖部分の2点の相互作用によりH3受容体と結合し、アゴニスト活性を発現していると考えられる。そこで、更に塩基性・極性側鎖による相互作用も可能となる部分構造を37のリンカー部へと導入したハイブリット型化合物をデザインした。この化合物は3置換構造による分子内立体障害の為、分子構造が規定される事が予想され、特定の立体化学を持つ化合物はH3受容体への選択性が向上する事が期待できる。更に、37に塩基性基を導入する事により、CYP阻害活性の低減も期待できる。

合成したハイブリット型化合物の中で、ルメチル側鎖を導入した化合物は活性が減弱したものの、ピペリジン環あるいはピリジン環を導入した化合物はアゴニスト活性を維持しており、特にピペリジンを導入した(S)-95が高活性のH3アゴニストとして見出された。

得られた(S)-95はイミダゾール、脂溶性側鎖及び塩基性側鎖がそれぞれH3受容体と相互作用しアゴニスト活性を示していると考えられる。そこでこの(S)-95を用いて、H3受容体ホモロジーモデルとのドッキングスタディーを実施し、相互作用部位についての考察を行った。(S)-95の末端窒素原子はtransmenbrane domein(TM)5のGlu206と、イミダゾール部はTM3のAsp114と相互作用し、受容体と結合する事が示唆された。またその脂溶性側鎖は、TM6に存在する窪んだ疎水領域(Trp371、Tyr374、Thr375及びMet378)と疎水性の相互作用をしている事が示された。TM6はGPCRが不活性型から活性型に変化する際、大きく構造変化する部位の一つとして知られており、脂溶性側鎖とTM6疎水領域との疎水性相互作用は、その受容体構造変化に重要な役割担っていると考えられる。また本結合モデルにおいて、化合物37はイミダゾールとAsp114、及び脂溶性側鎖と前述のTM6疎水性領域が相互作用するように受容体と結合している事が示唆された。更にこの結合モデルを用いる事により、ハイブリット型の4-ピリジル誘導体及びN一メチル誘導体と受容体との相互作用にっいても考察する事が可能であった。ここで構築した結合モデルは今後の新規H3リガンドデザインへの応用が期待できる。

(S)-95は比較的良好なH3受容体選択性を示しており、3置換構造の立体配座の制御により、H3受容体への選択性向上が可能な事が示唆された。また95(ラセミ体)はCYP阻害活性が格段に改善されており、塩基性基としてのピペリジン環の導入がCYP阻害活性低下に有効な事が明らかとなった。以上の事から、化合物37にピペリジン環を導入するハイブリット型デザインは、アゴニスト活性を維持したままH3受容体への選択性を向上させ、同時にCYP阻害活性を低下させる事が可能であり、医薬品として適したプロファイルを持つH3受容体アゴニスト創出に向け、有効な化合物デザインである事が確認できた。

第五章 総括

ヒスタミンからの合成展開により、良好な薬物動態を示し、不安評価動物モデルで有効性を示す新規なH3アゴニスト37を見出した。この化合物は中枢神経系でのH3受容体の機能を解明する上で有用なツール化合物として期待できる。またリンカー部分にピペリジン環構造を導入した化合物についてのSAR情報を取得し、分子構造の規定化がH3受容体選択性向上に有効な事を検証した。更にイミダゾール、脂溶性側鎖及び塩基性(極性)側鎖の3つのファーマコフォアーを併せ持つハイブリット型化合物をデザイン・合成し、それらの化合物がアゴニスト活性を維持している事を明らかにした。特に(S)-95は比較的良好なH3受容体への選択性を示しながら、CYP阻害活性が低減(ラセミ体95でのデータ)しており、ピペリジン環を導入するハイブリット型デザインが、医薬品として適したプロファイルを持つH3受容体アゴニスト創出に向け、有効なデザインである事が確認できた。この(S)-95を基にしたH3受容体とのモデリング計算はアゴニストー受容体間の新しい結合モデルを与えた。我々がこれら一連の研究で得た情報は、H3アゴニストの不安障害治療薬への応用可能性を明確にすると同時に、今後の新規H3アゴニスト創出に向け有益な物であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

石川誠は、H3受容体アゴニストの不安障害治療薬としての可能性を探索し、不安評価動物モデルで有効性を示す新規なH3アゴニストを発見した。この化合物は中枢神経系でのH3受容体の機能を解明する上で有用なツール化合物として期待できる。また合成化合物のSAR情報を基にした新たなデザインにより、H3受容体への選択性を示しながら、CYP阻害活性が低減する、医薬品として適したプロファイルを持つH3受容体アゴニスト創出に成功した。以下に詳細を述べる。

序論

不安障害とは、不安・恐怖といった感情の為、日常生活を送る上で支障を来たす疾患である。大きく全般性不安障害、恐怖症、パニック障害、強迫性障害、心的外傷後ストレス障害の5つに分類され、日本では成人の約9%、米国では約15%がこれらに関連した何らかの障害を有する、患者数の多い疾患である。治療は主として精神療法と薬物療法を組み合わせて行われ、症状に応じてベンゾジアゼピン系抗不安薬、三環系抗うつ薬、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)等が単独あるいは併用処方されている。しかしこれらの薬物療法は有効性、副作用の面で必ずしも満足できるものでは無く、新たな薬剤の開発が求められている。

H3受容体はヒスタミンをリガンドとする受容体ファミリー(H1~H4)の一つであり、中枢神経.系の神経細胞終末に存在するGPCRに属するシナプス前受容体である。ヒスタミンの他にセロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の遊離を調節している事から、H3リガンドは様々な中枢性の疾患に有効性を示す可能性がある。H3アゴ』ニストは、セロトニン受容体の5-HT2A、5-HT2C及び5-HT3受容体及び、副腎皮質刺激ホルモン放出因子が関与するメカニズムで抗不安効果を示すと考えられる。既存の不安障害治療薬とは異なるこの特徴的なメカニズムから、H3アゴニストが不安障害治療において新たな治療選択肢として寄与する事が期待できると考え、石川は、探索研究を実施した。

脂溶性側鎖導入型H3受容体アゴニストの探索

H3アゴニストはイミダゾール及び塩基性側鎖から構成されるタイプと、イミダゾール及び脂溶性側鎖から構成されるタイプの二種類が知られている。前者はその親水性の高さから脳内移行性等の薬物動態に問題を持つ。後者は経口投与においてアゴニスト作用を示す事が知られているが、その構造活性相関(SAR)情報は限られたものであった。そこで石川は、ヒスタミンの末端窒素原子を足がかりに脂溶性を高める構造変換を行い、その脂溶性部分に関するSAR情報を取得すると共に、経口投与可能な新規H3アゴニストを見出す事を目的に合成展開を実施した。

ヒスタミンの末端窒素原子への嵩高いアルキル基の導入は親和性を低下させたが、アリール基の導入は親和性を維持し、特にベンゼン環4位への嵩高い脂溶性基の導入が有効であった。ただしアゴニスト活性を維持する為には、置換基の分子長に制限があった。またケトン、塩基性基及び酸性基の導入はアゴニスト活性を低下させた。リンカー部はチオエーテルの時、アゴニスト活性が向上した。以上のように脂溶性側鎖部分に関するSAR情報を集積した結果、石川は、高活性アゴニスト37を見出した。

37は他の生体アミン受容体やトランスポーターに対し良好な選択性を示したが、H4受容体に対しては高い親和性を示した。また37は薬物代謝に関連する酵素であるcytochrome P450(CYP)に対し強い阻害活性を示した。医薬品としての開発を目指す上では、予期せぬ副作用を回避する為にもこれらの点について改善が必要であった。

37はラット薬物動態試験において良好な経口吸収性と脳内移行性を示し、マウス脳内Nτ-methylhistamine量測定試験において経口投与でアゴニスト活性を示した。またその作用に起因する不安評価動物モデルでの有効性を示した(長期個別飼育ストレス試験、母子分離試験、及び恐怖条件付け試験)。これらの事から彼は、経口投与可能な新規H3アゴニスト創出に向け実施した合成展開の妥当性が確認した。化合物37は、医薬品としての開発は困難なものの、未だ不明な部分も多いH3受容体の機能解明に向けたツール化合物としての応用が期待できる。

環構造導入型H3受容体アゴニストの探索

ヒスタミンの末端アミノ基部分をピペリジン環とし、分子構造を規定したimmepipは、ヒスタミンよりもH3受容体への選択性が向上する事が報告されている。そこで石川は、この情報を基に、37のリンカー部に環構造を導入し、分子構造を規定した化合物がアゴニスト活性を維持しつつ、H3受容体への選択性を向上させる事が可能なのか探索した。

環構造としてピペラジン環をリンカー部に導入した化合物は活性が消失したものの、ピペリジン環を導入した化合物はアゴニスト活性を維持した。特に4-トリフルオロメチル体54と、4-メトキシ体63がH3受容体へ高い親和性とアゴニスト活性を示した。これら2化合物はH4受容体への親和性が低下しており、H3受容体に対してそれぞれ120倍、及び574倍の選択性を示した。この結果から環構造導入による分子構造の規定化が、選択性向上に寄与する事が確認できた。しかしながら、54及び63のCYP阻害活性は依然として強く、これを解決するには別の方策が必要であった。ハイブリット型H3受容体アゴニストの探索

さらに石川は、37をリード化合物とし、H3受容体への選択性向上、及びCYP阻害活性低下を同時に達成する検討を進めた。37はイミダゾール部分と脂溶性側鎖部分の2点の相互作用によりH3受容体と結合し、アゴニスト活性を発現していると考えられた。そこで、更に塩基性・極性側鎖による相互作用も可能となる部分構造を37のリンカー部へと導入したハイブリット型化合物をデザインした。この化合物は3置換構造による分子内立体障害の為、分子構造が規定される事が予想され、特定の立体化学を持っ化合物はH3受容体への選択性が向上する事が期待できた。更に、37に塩基性基を導入する事により、CYP阻害活性の低減も期待できた。

合成したハイブリット型化合物の中でN-メチル側鎖を導入した化合物は活性が減弱したものの、ピペリジン環あるいはピリジン環を導入した化合物はアゴニスト活性を維持しており、特にピペリジンを導入した(S)-95が高活性のH3アゴニストとして見出された。

得られた(S)-95はイミダゾール、脂溶性側鎖及び塩基性側鎖がそれぞれH3受容体と相互作用しアゴニスト活性を示していると考えられた。そこで石川は、この(S)-95を用いて、H3受容体ホモロジーモデルとのドッキングスタディーを実施し、相互作用部位にっいての考察を行った。(S)-95の末端窒素原子はtransmenbrane domein(TM)5のGlu206と、イミダゾール部はTM3のAspll4と相互作用し、受容体と結合する事が示唆された。またその脂溶性側鎖は、TM6に存在する窪んだ疎水領域(Trp371、Tyr374、Thr375及びMet378)と疎水性の相互作用をしている事が示された。TM6はGPCRが不活性型から活性型に変化する際、大きく構造変化する部位の一つとして知られており、脂溶性側鎖とTM6疎水領域との疎水性相互作用は、その受容体構造変化に重要な役割担っていると考えられる。また本結合モデルにおいて、化合物37はイミダゾールとAspl14、及び脂溶性側鎖と前述のTM6疎水性領域が相互作用するように受容体と結合している事が示唆された。更にこの結合モデルを用いる事により、ハイブリット型の4-ピリジル誘導体及びN-メチル誘導体と受容体との相互作用についても考察する事が可能であった。ここで構築した結合モデルは今後の新規H3リガンドデザインへの応用が期待できる。

(S)-95は比較的良好なH3受容体選択性を示しており、3置換構造の立体配座の制御により、H3受容体への選択性向上が可能な事が示唆された。また95(ラセミ体)はCYP阻害活性が格段に改善されており、塩基性基としてのピペリジン環の導入がCYP阻害活性低下に有効な事が明らかとなった。以上の事から、化合物37にピペリジン環を導入するハイブリット型デザインは、アゴニスト活性を維持したままH3受容体への選択性を向上させ、同時にCYP阻害活性を低下させる事が可能であり、医薬品として適したプロファイルを持っH3受容体アゴニスト創出に向け、有効な化合物デザインである事が確認された。

以上のように石川は、ヒスタミンからの合成展開とSARにより、H3アゴニストの不安障害治療薬への応用可能性を明確にすると同時に、今後の新規H3アゴニスト創出に向け有益な情報を得た。この成果は、薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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