学位論文要旨



No 217511
著者(漢字) 鐘ヶ江,弘美
著者(英字)
著者(カナ) カネガエ,ヒロミ
標題(和) イネプロテインキナーゼによる環境応答
標題(洋) The role of rice protein kinases in response to environmental signals and stresses
報告番号 217511
報告番号 乙17511
学位授与日 2011.05.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17511号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 提,伸浩
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 准教授 伊藤,純一
 東京大学 准教授 経塚,淳子
内容要旨 要旨を表示する

植物は自由に移動することが出来ないため、周囲の環境に適応する能力が発達している。たとえば光・温度・水・重力などを感じ、伸長方向や形態を変えることで、生存に必要なエネルギーや水を効率的に確保する。また植物は、生育環境の変化やストレスの多い状況に直面すると、代謝を劇的に変化させることで環境変化に適応する。植物を取りまく環境変化の情報が細胞に伝達される過程で、様々なタンパク質リン酸化酵素(プロテインキナーゼ)が重要な役割を果たしていることが知られている。これまでプロテインキナーゼに関する研究は双子葉植物であるシロイヌナズナが中心であり、単子葉植物など他の植物種における知見は限られていた。そこで本研究では単子葉植物のモデル植物でもあり、また農業上重要なイネのプロテインキナーゼによる環境適応の分子機構の解明を目的として研究を行った。ゲノムプロジェクトの発展により、イネには1,467のプロテインキナーゼが存在することが明らかとなっている。本研究ではプロテインキナーゼの中で、光環境応答を制御するプロテインキナーゼ(フォトトロピン、フィトクロム)、糖・エネルギー代謝を制御するプロテインキナーゼ(SnRK1)に着目し、それぞれの遺伝子の単離・解析を行った。

1.イネフィトクロム遺伝子の単離・解析

植物の光受容体のうち、フィトクロムは主に赤色光と遠赤色光を吸収する光受容体である。発芽・茎の伸長・花芽形成など光形態形成に重要な役割を果たし、また多くの光応答遺伝子の発現を制御している。シロイヌナズナの研究により、光により活性化されたフィトクロムが細胞質から核内に移行することが知られているが、具体的なシグナル伝達機構は不明の部分が多い。そこでイネにおけるフィトクロムの役割を明らかにするため、イネフィトクロム遺伝子の解析を行った。イネ品種日本晴のフィトクロムを調べたところ、PHYA, PHYB, PHYCという3つのフィトクロム遺伝子が存在していることが明らかとなり、これらの遺伝子を単離した。

phyAは高感度光受容体として機能し、超低光量応答(VLFR)や遠赤色光高照射反応(FR-HIR)の受容体として機能することがシロイヌナズナで報告されている。イネのPHYA遺伝子には他の高等植物と同様に、PASドメイン・GAF ドメイン・PHYドメイン・ヒスチジンキナーゼドメインが含まれている(図1)。

イネの内在性レトロトランスポゾンTos17を転移させて作成した日本晴遺伝子破壊系統をPCR法により用いてスクリーニングし、phyA変異体を単離した。Tos17の挿入部位の塩基配列を決定しphyAのエキソン部分にTos17が挿入されていることを確認し、またウエスタン分析によりphyAタンパク質が突然変異株において検出されないことを確認した。phyA 突然変異株の表現型を解析し、phyAは黄化芽生えにおいて遠赤色光を感知する主要なフィトクロム分子種であることを初めて明らかにした。phyA突然変異体は、遠赤色光照射下で発芽させても暗所黄化芽生えと同様の形態を示した。すなわち、phyA突然変異体では、遠赤色光照射による子葉鞘とメソコチルの伸長抑制や冠根の重力屈性誘導が認められず、phyAが遠赤色光を感知して光形態形成反応を引き起こす主要なフィトクロム分子種であることを初めて証明した。

2. イネ フォトトロピン遺伝子の単離・解析

植物にとって光屈性や光に依存した葉緑体の細胞内移動(葉緑体光定位運動)は、光合成を効率よく行うために重要な光生理反応である。これらの反応は青色光によって誘導され、植物は光の方向と強さに応じた反応をする。シロイヌナズナにおいてこの青色光を受容しシグナルを下流に伝達している分子は、光受容体型プロテインキナーゼのフォトトロピンであることが明らかにされている。このフォトトロピンの光依存のプロテインキナーゼ活性を介して、光屈性や葉緑体光定位運動が制御される。これまでイネにおいてフォトトロピン遺伝子の報告は無かった。そこでイネにおけるこれらの光反応機構を解明するため、イネ フォトトロピン遺伝子を単離し解析を行った。

イネcDNAライブラリーより2種類のcDNAを単離し、これらをOsPHOT1とOsPHOT2と名付けた。これらの遺伝子のイネ染色体上の位置を調べたところ、OsPHOT1は第11染色体短腕テロメア近傍に、OsPHOT2は第4染色体長腕セントロメア近傍に位置していることが明らかとなった。OsPHOT1が位置している第11染色体の領域は、第12染色体との重複が示唆されている領域であった。そこで第12染色体上にもOsPHOT1遺伝子が存在しているかどうかをイネアノテーションプロジェクトデータベース (RAP-DB)を用いて検索したところ、第12染色体上にもOsPHOT1とアミノ酸レベルで99%の相同性がある遺伝子配列を発見した。そこで第11染色体上に存在している遺伝子をOsPHOT1a, 第12染色体上に存在している遺伝子をOsPHOT1bとした。これらイネフォトトロピン遺伝子をコードするアミノ酸配列を調べたところ、N末端側からLOV (光・酸素・電圧;Light-Oxygen-Voltage 感受性)ドメインが2つと、そのC末端側にプロテインキナーゼドメインが配置しており、フォトトロピンファミリー固有のドメイン構成をとることが明らかになった(図1)。フォトトロピンの生化学的特性はシロイヌナズナで調べられており、LOVドメインに結合するフラビンモノヌクレオチド(FMN)を光受容色素(発色団)とし、青色光により自己リン酸化する光受容体型プロテインキナーゼであることが示されている。本研究で単離されたイネフォトトロピンのLOVドメインにもFMNが結合することが明らかにされ、イネフォトトロピンもシロイヌナズナのフォトトロピンの同様の光受容体型プロテインキナーゼの特性を持つ可能性が示唆されている。

イネフォトトロピンの機能解明を目的として、ノーザン分析によりイネフォトトロピン遺伝子の発現を調べた。OsPHOT1は暗所で生育した子葉鞘において強く発現しているのに対し、OsPHOT2は 暗所で生育したイネの芽生えの葉の部分で強く発現していた。芽生えを暗所から白色光(太陽光)に移した場合、子葉鞘におけるOsPHOT1の発現量は減少したが、葉におけるOsPHOT2の発現は徐々に増加した。これらの結果から、OsPHOT1とOsPHOT2はイネの芽生えで異なる発現様式を示すことが明らかとなり、phot1とphot2がイネにおいて異なる役割を果たしていることが予測された。それぞれの発現部位が、イネにおける光屈性と葉緑体光定位運動が観察される子葉鞘と葉であることから、phot1は光屈性現象を、phot2は葉緑体光定位運動を主に制御する光受容体であることが推測される。今後変異体の解析などを通してイネでのフォトトロピンの役割、イネの光応答メカニズムが明らかになると考えられる。

3. イネSnRK1遺伝子の単離・解析

植物は様々な外部環境の変化に適応するため、形態だけではなく代謝も変化させている。SNF1/AMPK/SnRK1キナーゼは酵母・動物・植物で広く保存されており、シグナル伝達において重要な役割を果たしていることが報告されている。この中で植物のSnRK1は植物のエネルギーおよびストレスに対する広範なセンサーであることが明らかとなっている。これまでSnRK1に関する報告は単子葉植物においてオオムギとライムギに限られており、遺伝子レベルでの解析が容易なイネにおけるSnRK1遺伝子の報告はなかった。そこでイネにおけるシグナル伝達と代謝の関係を調べるため、イネのSnRK1遺伝子の単離し、解析した。

単子葉植物のSnRK1はアミノ酸配列と発現の違いからSnRK1aとSnRK1bの2つのグループに分けることができる。SnRK1aは植物全体で発現しているのに対し、SnRK1bは種子において高いレベルで発現しており、また単子葉植物のみに存在している。塩基配列の相同性から、イネのSnRK1もSnRK1a(OSK1)とSnRK1b(OSK24, OSK35) という2つのグループに分けることができた。OSK1、OSK24 、OSK35にはともに11のエキソンと10のイントロンがあり、開始コドンは第2エキソンに存在していた。また翻訳領域のイントロンの位置は3つの遺伝子すべてで保存されていた。

イネSnRK1遺伝子OSKの役割を明らかにするため、これらの遺伝子の発現部位を解析した。GUSレポーター遺伝子を用いてOSKの発現を調べたところ、OSK1とOSK24は登熟期に異なる発現様式を示した。OSK1は維管束で発現しているのに対して、OSK24は登熟初期には果皮で発現しているが、胚乳細胞が形成されると胚乳で発現するようになる。開花後15日以降は胚乳細胞の分裂が終了しているが、この段階ではOSK24の発現が胚乳細胞に限られる。これによりOSK24の発現部位の変化とデンプン粒の出現に相関関係があると考えられた。別のシンク器官である葉鞘基部における発現を調べたところ、OSK24の発現とデンプン粒との関係が見出された。これらの結果からイネのOSK24(SnRK1b)がシンク器官における糖質代謝において重要な役割を果たしていることが示唆された。イネのSnRK1bのOSK24とOSK35の遺伝子のゲノム配列を調べると、第2エキソンから第11エキソンまではほぼ同一(98%の相同性)であるが、第1エキソンには全く相同性がないことが明らかとなった。そこでOSK24の第1エキソンの配列を解析した結果、新規の散在性反復配列が見出された。この反復配列が3つのタンデムリピートを含むことからMitugoと名付けた。Mitugoは452塩基対の長さで、イネの日本晴ゲノムに47コピー存在していた。また日本晴ゲノムのMitugoのうち約半数以上がイネ完全長cDNAの配列中に見出され、それらは第1エキソンの一部もしくは全てを含んでいた。今後はMitugoの配列解析により、構造や役割が明らかにされると考えられる。イネのSnRK1がグルコース欠乏時にα-アミラーゼのプロモーターの転写因子MYBS1を制御し、これにより糖代謝を制御していることが報告されている。α-アミラーゼとSnRK1との関係は糖代謝の制御におけるOSK遺伝子の重要性を示唆すると考えられる。

近い将来地球温暖化や二酸化炭素濃度上昇などイネの栽培環境の変化が予測されている。このような環境変化はイネの胚乳に大きな影響を与え、収量の減少も予測される。今後イネプロテインキナーゼの環境変化における役割を調べることにより、イネの収量の変化について何らかの知見を得ることが出来ると考えられる。

以上本研究はイネの光環境応答および糖代謝に関与するプロテインキナーゼの役割を明らかにしたものである。

図1.イネフィトクロムおよびフォトトロピンの構造

審査要旨 要旨を表示する

固着生活をする植物は、周囲の環境変化に適応する能力が発達している。植物を取りまく環境変化の情報が細胞に伝達される過程で、様々なタンパク質リン酸化酵素(プロテインキナーゼ)が重要な役割を果たしていることが知られている。本論文は、イネのプロテインキナーゼによる環境適応の分子機構の解明を目的として、光環境応答を制御するプロテインキナーゼであるフィトクロムとフォトトロピン、糖・エネルギー代謝を制御するプロテインキナーゼであるSnRK1に着目し、それぞれの遺伝子の単離・解析を行った。

1. イネフィトクロム遺伝子の単離・解析

植物の光受容体のうち、フィトクロムは主に赤色光と遠赤色光を吸収する光受容体である。発芽・茎の伸長・花芽形成など光形態形成に重要な役割を果たし、また多くの光応答遺伝子の発現を制御している。イネのフィトクロムを調べたところ、PHYA、PHYB、PHYCという3つの遺伝子が存在していることが明らかとなり、これらの遺伝子を単離した。

イネの内在性レトロトランスポゾンTos17を転移させて作成した遺伝子破壊系統をスクリーニングし、phyA突然変異体を単離した。phyA突然変異体は、遠赤色光照射下で発芽させても暗所黄化芽生えと同様の形態を示した。すなわち、phyA突然変異体では、遠赤色光照射による子葉鞘とメソコチルの伸長抑制や冠根の重力屈性誘導が認められず、phyAが遠赤色光を感知して光形態形成反応を引き起こす主要なフィトクロム分子種であることをイネで初めて証明した。

2. イネ フォトトロピン遺伝子の単離・解析

植物にとって光屈性や光に依存した葉緑体の細胞内移動(葉緑体光定位運動)は、光合成を効率よく行うために重要な光生理反応であり、これらの反応は青色光によって誘導される。イネにおけるこれらの光反応機構を解明するため、光受容体型プロテインキナーゼのフォトトロピン遺伝子をイネで初めて単離し解析を行った。

イネcDNAライブラリーより2種類のcDNAを単離し、これらをOsPHOT1とOsPHOT2と名付けた。これらの遺伝子のイネ染色体上の位置を調べたところ、OsPHOT1は第11染色体に、OsPHOT2は第4染色体に位置していることが明らかとなった。OsPHOT1が位置している第11染色体短腕テロメア近傍との重複が示唆されている第12染色体上の領域にもOsPHOT1遺伝子が存在していた。そこで第11染色体上に存在している遺伝子をOsPHOT1a, 第12染色体上に存在している遺伝子をOsPHOT1bとした。

暗所で生育したイネの芽生えにおけるイネフォトトロピン遺伝子の発現を調べたところ、OsPHOT1は子葉鞘において強く発現しているのに対し、OsPHOT2は葉で強く発現していた。芽生えを暗所から白色光に移した場合、子葉鞘におけるOsPHOT1の発現量は減少したが、葉におけるOsPHOT2の発現は徐々に増加した。OsPHOT1とOsPHOT2はイネの芽生えで異なる発現様式を示すことが明らかとなり、OsPHOT1とOsPHOT2がイネにおいて異なる役割を果たしていることが予測された。

3. イネSnRK1遺伝子の単離・解析

SNF1/AMPK/SnRK1キナーゼは酵母・動物・植物で広く保存されており、エネルギーや代謝を制御していることが報告されている。そこでイネにおけるシグナル伝達と代謝の関係を調べるため、イネのSnRK1遺伝子の単離し、解析した。

単子葉植物のSnRK1はアミノ酸配列と発現の違いからSnRK1aとSnRK1bの2つのグループに分けることができる。イネのSnRK1もSnRK1a (OSK1)とSnRK1b (OSK24、OSK35) という2つのグループに分けることができた。イネのSnRK1bをコードするOSK24とOSK35のゲノム配列を比較すると第1エキソンには全く相同性がないことが明らかとなった。そこでOSK24の第1エキソンの配列を解析した結果、新規の散在性反復配列が見出された。この反復配列が3つのタンデムリピートを含むことからMitugoと名付けた。Mitugoは452塩基対の長さで、日本晴ゲノムに47コピー存在していた。

イネSnRK1遺伝子OSKの役割を明らかにするため、これらの遺伝子の発現部位を、形質転換イネにおけるGUSレポーター遺伝子の発現とin situ ハイブリダイゼーションにより調べた。OSK1は維管束で発現したのに対して、OSK24は登熟初期には果皮で発現したが、胚乳細胞が形成されると胚乳で発現した。これらの結果からOSK24の発現部位の変化とデンプン粒の出現に相関関係があることがわかった。別のシンク器官である葉鞘基部においても同様の関係が見出された。このことからイネのOSK24 (SnRK1b)がシンク器官における糖質代謝において重要な役割を果たしていることが示唆された。

以上本論文は、イネの光環境応答および糖代謝に関与するプロテインキナーゼを単離し、これらの環境応答における役割を明らかにしたものである。プロテインキナーゼによる環境応答とその機能の解明は、学術上のみならず応用上も今後の環境変動に適応可能なイネの育成に貢献することができると考えられる。したがって、審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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