学位論文要旨



No 217513
著者(漢字) 曽川,能任
著者(英字)
著者(カナ) ソガワ,ヨシタカ
標題(和) フォルミルペプチド受容体アゴニストの好中球組織浸潤抑制作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 217513
報告番号 乙17513
学位授与日 2011.05.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17513号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 准教授 八村,敏志
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

好中球は感染防御の第一線で働く極めて重要な細胞であるが、組織における好中球の過剰な蓄積は慢性炎症を引き起こし、慢性肺閉塞性疾患や重症喘息などの発病や病態悪化の一因になっていると考えられている。これらの好中球性炎症に対しては、非常に強力で広範な抗炎症作用を持つステロイド剤も効きにくく、治療効果の高い新規薬剤の開発が望まれている。好中球はN-フォルミルペプチドやケモカインなど、病原体や宿主由来の走化性因子の濃度勾配によって炎症部位へと遊走することから、好中球の遊走を抑制することのできる薬剤は好中球性炎症の治療薬となると考えられる。また、炎症部位では多種の走化性因子が産生されるため、複数の走化性因子に起因した好中球の遊走反応を単剤で抑制することができれば、非常に効果的な好中球性炎症治療薬になることが期待される。

複数種の好中球走化性因子受容体が同時に抑制される現象として、クロス脱感作誘導が知られている。クロス脱感作とは、あらかじめある種の走化性因子で好中球を刺激しておくと、それに続く他の走化性因子刺激に対する細胞応答が減弱する現象である。実際に、N-フォルミルペプチドの一つであるfMLF(N-methionyl-leucyl- phenylalanine)で刺激したヒト好中球では、インターロイキン-8(IL-8)や補体成分C5a、ロイコトリエンB4(LTB4)などの他の走化性因子による刺激に対する細胞応答が減弱することがin vitroの現象として報告されている。このように走化性因子受容体のクロス脱感作誘導は広範に走化性因子受容体を介した応答が抑制されるため、クロス脱感作を誘導する薬剤は好中球の組織浸潤を効果的に抑制することができると期待される。しかしながら、これまでin vivoで走化性因子受容体のクロス脱感作誘導による好中球浸潤抑制作用を示した報告はない。

本研究では、フォルミルペプチド受容体アゴニストを用いてin vivoでの走化性因子受容体のクロス脱感作誘導による好中球浸潤抑制の可能性について検討を行った。フォルミルペプチド受容体はGタンパク質共役受容体であり、N-フォルミルペプチドの受容体として同定された。N-フォルミルペプチドfMLFはフォルミルペプチド受容体1(FPR1)を介して好中球に走化性因子受容体のクロス脱感作を誘導することがin vitroにおいて示されているが、in vivoにおける走化性因子受容体へのクロス脱感作誘導は十分に検証されていなかった。本研究では、最近報告されたマウスにおいて経口投与可能なFPRアゴニストCompound 43(Cpd43)を用いて検討を行った。Cpd43は、当初FPRファミリーの一つであるFPR2/ALXに選択的な低分子アゴニストとして報告されたが、本研究内で実際にはFPR1にもアゴニストとして作用することを発見した。そこで、Cpd43を用いてin vivoにおける走化性因子受容体のクロス脱感作誘導による好中球浸潤抑制の可能性を検証することとした。

最初に、ヒト好中球を用いてCpd43による走化性因子受容体のクロス脱感作誘導能を調べた。Cpd43で刺激したヒト好中球では、それに続くIL-8、C5aおよびLTB4刺激による細胞内へのカルシウム流入や遊走能が減弱していた。また、Cpd43で刺激したヒト好中球では細胞表面の各走化性因子受容体の発現が減少していた。Cpd43は各走化性因子受容体とそのリガンドとの結合は阻害しなかったことから、Cpd43は間接的にこれらの細胞応答を抑制していることが示唆された。これら一連の結果から、Cpd43はヒト好中球に対して走化性因子受容体のクロス脱感作を誘導することが示された。

次に、マウス好中球におけるCpd43の走化性因子受容体のクロス脱感作誘導能を調べた。Cpd43で刺激したマウス好中球におけるKC、C5aおよびLTB4に対する応答をカルシウム流入および遊走反応で評価したところ、これらの走化性因子に対する好中球の応答がCpd43刺激によって減弱していた。また、Cpd43刺激によってマウス好中球の細胞表面上においてC-X-Cモチーフケモカイン受容体2(CXCR2)の発現が低下していた。これらの結果から、ヒト好中球の場合と同様に、Cpd43はマウス好中球に対してもin vitroで走化性因子受容体のクロス脱感作を誘導することが示された。

Cpd43のin vivoにおける作用を検討したところ、Cpd43を経口投与したマウスでは、霧化LPS曝露による気道への好中球浸潤がCpd43の投与量依存的に抑制された。また、Zymosan腹腔内投与による腹腔内への好中球浸潤についても、Cpd43の投与量依存的に抑制された。Cpd43を投与したマウスでは、血中好中球の細胞表面上のCXCR2発現が低下していた。このCpd43投与による血中好中球上のCXCR2発現低下は、in vitroにおいてみられた現象と一致しており、Cpd43がin vivoにおいても走化性因子受容体のクロス脱感作を誘導したことが示唆された。

さらに、Cpd43が作用した好中球のin vivoでの挙動を調べるために細胞移入実験を行った。蛍光ラベルしたマウス骨髄細胞をCpd43と共に培養し、レシピエントマウスに移入した後、霧化LPSを曝露したところ、レシピエントマウスの好中球はLPS曝露によって気道に浸潤したのに対し、移入した好中球はほとんど気道へ浸潤しなかった。一方、Cpd43と培養しなかった骨髄細胞を移入したマウスでは、移入した好中球が気道へ浸潤していた。これらの結果から、Cpd43は生体内において好中球に作用し、好中球の組織浸潤を抑制したことが示唆された。

以上から、本研究により初めてin vivoにおいて走化性因子受容体のクロス脱感作誘導によって好中球の組織浸潤を抑制できることが示唆された。これらの結果は、走化性因子受容体のクロス脱感作誘導によって、好中球を起因とする炎症性疾患の治療薬を開発できる可能性を示した重要な結果と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

好中球は感染防御の第一線で働く極めて重要な細胞であるが、組織における好中球の過剰な蓄積は慢性炎症を引き起こし、慢性肺閉塞性疾患や重症喘息などの発病や病態悪化の一因になっていると考えられている。これらの好中球性炎症には効果的な治療薬がなく、治療効果の高い新規薬剤の開発が望まれている。本研究は好中球性炎症を治療するための薬剤の新たな開発戦略として、好中球走化性因子受容体のクロス脱感作誘導による好中球の組織浸潤抑制の可能性について研究を行ったものである。クロス脱感作とは、あらかじめある種の走化性因子で好中球を刺激しておくと、それに続く他の走化性因子刺激に対する細胞応答が減弱する現象である。クロス脱感作誘導はこれまでにin vitroでの報告しかなく、走化性因子受容体のクロス脱感作誘導による好中球の浸潤抑制がin vivoでも観察できるかどうかはこれまで不明であった。

緒言に続く第一章では、最近フォルミルペプチド受容体2(FPR2)のアゴニストであると論文報告されたCompound 43(Cpd43)のヒトFPR、マウスFPR、および好中球に対する作用を詳細に検討している。その結果、Cpd43がヒトFPR2のみならず、アゴニストにならないと言われていたFPR1に対しても強いアゴニスト活性を持っていることを初めて明らかにするとともに、マウスFPR1、2に対してもアゴニスト活性を持つことを明らかにした。また、Cpd43がヒトやマウスの好中球に作用し、細胞へのカルシウム流入や遊走を誘導することを示した。これらの結果はCpd43がFPRを介して実際に好中球を活性化し得ることを示唆している。

続く第二章では、ヒト好中球に対してCpd43が走化性因子受容体のクロス脱感作を誘導し得ることを、細胞へのカルシウム流入、遊走反応、および受容体発現変動を評価することにより示している。Cpd43で刺激した好中球では、それに続く各種走化性因子刺激に対して、カルシウム流入や遊走反応が減弱していた。また、細胞表面の各種走化性因子の発現も低下していた。これらの結果はCpd43がヒト好中球に走化性因子受容体のクロス脱感作を誘導したことを示している。さらに、受容体、チャネル、トランスポーターなど多種の分子に対するCpd43の作用を放射性リガンド結合阻害実験や酵素阻害実験を用いて調べることにより、Cpd43がFPRに対してきわめて高い特異性を持つこと、および他の各種走化性因子受容体には直接結合しないことを示した。これらの結果はCpd43がFPR以外の走化性因子受容体に直接作用せず、FPRを介して間接的に他の走化性因子受容体の機能を阻害したことを示しており、Cpd43のクロス脱感作誘導能を裏付けるものと考えられた。

第三章では、Cpd43のマウス好中球に対するクロス脱感作誘導能をヒト好中球と同様の方法で示すとともに、マウスを用いたin vivo試験によってCpd43の作用を検討している。Cpd43を経口投与したマウスでは、リポ多糖を吸入曝露させた際の気道への好中球浸潤が抑制されていた。このときCpd43を投与したマウスの血中の好中球では、走化性因子受容体の一つであるCXCR2の発現低下が見られた。これはin vitroで観察されたクロス脱感作誘導に起因すると考えられる現象の一つであり、Cpd43がマウス生体内でもクロス脱感作を誘導したことを示唆している。また、細胞移入実験により、Cpd43処理した好中球は生体内で組織浸潤しないことも見出され、Cpd43が好中球へ直接作用して組織浸潤を抑制したことが強く示唆された。さらに、Cpd43を投与したマウスではZymosan投与による腹腔内への好中球浸潤が用量依存的に抑制されるなど、Cpd43が様々な組織において炎症に起因した好中球浸潤を抑制できることが示された。

以上のように、本研究はFPRアゴニストによる好中球走化性因子受容体のクロス脱感作の誘導と好中球の組織浸潤抑制作用を、in vitro、in vivoの両実験系で初めて示したものである。本研究の成果は、クロス脱感作の誘導能をもつ物質が炎症抑制に有用である可能性を示すとともに、慢性閉塞性肺疾患や喘息のような好中球性炎症が関与する疾患の治療に対して新たな方法を提示するものであり、学術的・応用的に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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