学位論文要旨



No 217519
著者(漢字) 宮地,秀明
著者(英字)
著者(カナ) ミヤチ,ヒデアキ
標題(和) 生体分子の電子状態と動力学に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical Studies on Electronic Structures and Dynamics of Biomolecules
報告番号 217519
報告番号 乙17519
学位授与日 2011.05.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17519号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 准教授 火原,彰秀
 東京大学 准教授 牛山,浩
内容要旨 要旨を表示する

本論文は「Theoretical Studies on Eleetronic Structures and Dynamics of Biomolecules(生体分子の電子状態と動力学に関する理論的研究)」と題し、全六章から成る。本研究では、理論・計算化学を用いた生体分子の構造・反応・物性の解明と、生体分子系の動力学を研究するための新たな動力学理論の開発と応用を行った。

第一章は序論であり、本研究の背景を述べた。第一原理電子状態理論と分子動力学法は、近年の理論的な発展と計算機性能の向上によって、化学現象を探求する上で重要な分子の構造や活性化エネルギー、化学反応の機構、物性、分子の動的な性質といった情報を理論的に解明することができる方法となった。また、生体分子は生命科学研究の対象としてのみならず、現在は化学者から機能性分子としての着目も集めており、理論化学的手法を実験と相補的に用いることによって発展が望める分野である。そこで、理論・計算化学を生体分子に適用する際の課題を提示し、本研究の目的を述べた。

生命科学で最も重要な役割を果たす分子の一つであるDNAは、核酸塩基間の水素結合やスタッキングにより自己集合する分子として、非常に興味深い分子である。一方、金属錯体は電子状態の多様な金属原子と設計自在な配位子から構成され、さまざまな機能を発現させることができる。第二~四章では金属イオンとDNAおよび類似構造を持つ人工核酸塩基対が相互作用する系について研究した。'

第二章では、金属一人工核酸塩基錯体の研究にっいて述べた。人工核酸塩基を構成するカルコゲン原子と金属イオンの組み合わせによる錯体形成の選択性について、計算によって求めた生成自由エネルギーによって示した(表1)。実際に既に合成されている錯体に加えて、錯体を形成するいくつかの有望な組み合わせを提案することができた。そして、UV-Visスペクトルが定性的に実験データを再現することを確認し(図2)、配位した金属イオンに由来するピークの帰属を明らかにした。

第三章では、水銀イオン存在下で複数のチミンーチミン塩基対(T-T)を含む二重らせんが示す性質の研究について述べた。チミン-水銀-チミン複合体(T-HgII-T)のUVスペクトルは、水銀イオン濃度に応じてシフトすることが実験で示されている。金属を含む複数の核酸塩基対のUVスペクトルを電子状態理論によって求めた報告はこれまでなかった。

本研究では、この現象を再現するUVスペクトルを計算することに成功し(図4)、スペクトルのシフトの原因は複合体同士がスタッキングすることによる各T-HgII-T間のLUMOの相互作用にあることを解明した(図4)。

第四章では、銀イオン存在下のウラシルーウラシル塩基対(U-U)の構造の同定と構造変化に関する研究について述べた。ウラシル-銀-ウラシル複合体(U-Ag2-U)の構造はこれまで実験的に同定されていない。本研究では、銀イオンによってU-Ag2-Uには複数の互変異性体浴存在することを解明し(図5)、スペクトルなどの物性にも影響を与えることを提案した。

第五章では、生体分子系の動力学を研究するための新たな動力学理論の開発と応用研究について述べた。生体分子系のように水素の挙動が重要な系を動力学的に取り扱うためには、核の量子性を記述できる動力学理論が求められる。そこで、大きな分子系を扱う際に目的の自由度に対して望む精度で核の量子性を記述することを目指し、新たな動力学理論を開発した。開発した理論から導かれる拡張したポテンシャルエネルギー曲面(量子的ポテンシャルエネルギー曲面)は以下の形式で表され、

核の重さを露わに取り扱っているため、水素のような同位体効果の大きい原子の取り扱いに優れていることを示した(図7)。また、ワトソンークリック型核酸塩基対間の水素移動に対する同位体効果が、核酸塩基対の種類によって大きく異なることを明らかにした。開発した動力学理論は、複雑な生体分子系において量子効果を取り扱うための第一歩となることが期待できる。

第六章に、本研究で得られた知見を総括した。本研究によって得られた知見は、今後の核酸化学や物性科学、生体分子系の研究に貢献することが期待できる。

表1:それぞれの金属イオンを含む人工核酸塩基対の生成自由エネルギー

図2:人工核酸塩基対S-Sが金属と配位した際のUVスペクトルの変化(a)[SLNi(II)-S],(b)[S-Pd(II)-S], and(c)[S-Pt(II)-S]

図3:TD-DFT計算によるUV-visスペクトル。赤)2[T-T]緑)T-T+T-HgII-T青)2[T-HgII-T]

図4:励起に関係する分子軌道(LUMO)。A)T-TとT-HgII-Tによる二量体B)二つのT-HgII-T二量体。Bでは二つのHgIIの間の相互作用が見られる。左)核酸塩基対の面に平行な方向右)HgII-HgIIの方向

図6:ウラシル、ウラシルーウラシル塩基対、Agイオン存在下で存在しうる互変異性体。

図7:アデニンーチミン塩基対の最安定構造における同位体効果を示す量子的ポテンシャルエネルギー曲面。Proton(黒)とDeuteron(赤)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Theoretical Studies on Electronic Structures and Dynamics of Biomolecules (生体分子の電子状態と動力学に関する理論的研究)」と題し、全六章から成っている。理論・計算化学を用いた生体分子の構造・反応・物性の解明と、生体分子系の動力学を研究するための新たな動力学理論の開発と応用について述べられている。

第一章は序論であり、本研究の背景として理論化学の現状、特にこれまでの生体分子への理論・計算化学の応用がまとめられている。そして、理論・計算化学を生体分子に適用する際の課題が提示され、本論文の目的が述べられている。

生命科学で最も重要な役割を果たす分子の一つであるDNAは、核酸塩基間の水素結合やスタッキングにより自己集合する分子として、非常に興味深い分子である。一方、金属錯体は電子状態の多様な金属原子と設計自在な配位子から構成され、さまざまな機能を発現させることができる。第二~四章では金属イオンとDNAおよび類似構造を持つ人工核酸塩基対が相互作用する系について述べられている。第二章では、金属-人工核酸塩基錯体についての研究を扱っている。人工核酸塩基を構成するカルコゲン原子と金属イオンの組み合わせによる錯体形成の選択性について、計算によって求めた生成自由エネルギーによって示した。 実際に既に合成されている錯体に加えて、錯体を形成するいくつかの有望な組み合わせが提案された。そして、UV-Visスペクトルが定性的に実験データを再現することを確認され、配位した金属イオンに由来するピークの帰属が明らかにされた。

第三章では、水銀イオン存在下で複数のチミン-チミン塩基対(T-T)を含む二重らせんが示す性質の研究について述べられている。チミン-水銀-チミン複合体(T-HgII-T)のUVスペクトルは、水銀イオン濃度に応じてシフトすることが実験で示されている。金属を含む複数の核酸塩基対のUVスペクトルを電子状態理論によって求めた報告はこれまでなかった。本論文では、この現象を再現するUVスペクトルを計算することに成功し、スペクトルのシフトの原因は複合体同士がスタッキングすることによる各T-HgII-T間のLUMOの相互作用にあることを解明した。

第四章では、銀イオン存在下のウラシル-ウラシル塩基対(U-U)の構造の同定と構造変化に関する研究について述べられている。ウラシル-銀-ウラシル複合体(U-Ag2-U)の構造はこれまで実験的に同定されていない。本研究では、銀イオンによってU-Ag2-Uには複数の互変異性体が存在することを解明し、スペクトルなどの物性にも影響を与えることを提案した。

第五章では、生体分子系の動力学を研究するための新たな動力学理論の開発と応用研究について述べられている。生体分子系のように水素の挙動が重要な系を動力学的に取り扱うためには、核の量子性を記述できる動力学理論が求められる。そこで、大きな分子系を扱う際に目的の自由度に対して望む精度で核の量子性を記述することを目指し、新たな動力学理論を開発した。開発した理論から導かれる拡張したポテンシャルエネルギー曲面(量子的ポテンシャルエネルギー曲面)は核の重さを露わに取り扱っているため、水素のような同位体効果の大きい原子の取り扱いに優れていることを示した。また、ワトソン-クリック型核酸塩基対間の水素移動に対する同位体効果が、核酸塩基対の種類によって大きく異なることを明らかにした。開発した動力学理論は、複雑な生体分子系において量子効果を取り扱うための第一歩となることが期待できる。

第六章では、本研究で得られた知見の総括と将来の展望が述べられている。本研究によって得られた知見は、今後の核酸化学や物性科学、生体分子系の研究に寄与することが期待できる。

以上のように本論文は、理論研究により生体分子の電子状態と動力学に関する新しい知見と手法を提供したものであり、理論化学、分子工学、生物物理学に貢献するところが大きく高く評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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