学位論文要旨



No 217521
著者(漢字) 芝田,幸一郎
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,コウイチロウ
標題(和) ペルー北部中央海岸ネペーニャ谷からみたアンデス形成期社会の競合モデル : 神殿、集う人々、旅する指導者
標題(洋)
報告番号 217521
報告番号 乙17521
学位授与日 2011.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17521号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 准教授 箭内,匡
 埼玉大学 教授 井口,欣也
 山形大学 教授 坂井,正人
内容要旨 要旨を表示する

【第1部】

●1章:序論

本論文の主目的は、紀元前一千年紀における、ペルー海岸部の社会像と社会動態の理解に役立つ、新しいモデルを提案すること、それをもって先史複合社会の研究に貢献することである。この研究の大部分は、筆者自身が実施した発掘調査と、そこで得られた一次資料の分析に基づいている。研究対象とする時代は形成期と呼ばれる。そして従来の新進化主義的な発展段階では、国家の出現直前、すなわち首長制社会のモデルが、形成期の社会像復元において少なからぬ影響を及ぼしてきた。これと関連し、発展段階のステップアップには強い関心が注がれた。そのため、ある社会を、どの発展段階に当てはめるべきか、何がステップアップの要因になったのかという議論はしばしば発生したが、既存の発展段階や社会モデルを相対化して、形成期の社会像を再検討する試みは活性化しなかった。

●2章:形成期研究の現状と本研究の意義

アンデス形成期に関する研究上の重要な問題を明らかにし、その現状の中で筆者の調査・研究成果が持つ意義を提示する。まず、アンデス文明の形成期とはどのような時代なのか、多くの研究者に共通する一般的説明を紹介する。社会的階層性や軍事活動を積極的に物語るデータに乏しいこと、一方で祭祀用公共建造物すなわち神殿の存在が際立っていることなどから、神殿を中心に祭祀によって統合された比較的平等な社会、新進化主義の発展区分に当てはめるならば首長制社会というイメージが浸透している。次に、先史アンデス研究における新進化主義の緩慢な沈降と相関するように再浮上してきた、形成期研究の大テーマ「チャビン問題」をレビューする。そして、この問題系に含まれる編年、地域間関係、社会像に関する諸問題を浮かび上がらせる。本論文では、形成期の代表的遺跡の1つであるチャビン・デ・ワンタル神殿を特別視し、そこから各地に様々な影響が波及したとするチャビン中心説の是非が問われることになる。それは、筆者がネペーニャ河谷下流域での調査・研究を選んだ理由へ、必然的につながっていく。

【第2部】

第2部では、セロ・ブランコ遺跡およびワカ・パルティーダ遺跡の発掘調査によって得られた各種資料と、その分析結果を提示する。以下では、筆者の調査・研究成果の一つであるネペーニャ下流域の形成期編年における時期名称が用いられる。

ワンボカヤン期(1500~1100 BC)、形成期前期に相当。

セロ・ブランコ期(1100~800 BC)、形成期中期に相当。

ネペーニャ期(800~450 BC)、形成期後期前半に相当。

サマンコ期(450~150 BC)、形成期後期後半に相当。

●3章:発掘

まず、本論文で使用される編年名称、発掘調査方法ならびに遺構・遺物の登録システムについて解説する。次に、遺跡毎、そして発掘区毎に、発掘のプロセスを追う形で、上層から下層へと遺構や主な出土遺物を記述する。各々の遺跡と発掘区の記述の最後には、編年構築に必要な主要データをまとめている。

●4章:建築

セロ・ブランコ遺跡とワカ・パルティーダ遺跡から出土した主な建築物に関するデータと、その分析結果が紹介される。編年構築の要の一つである放射性炭素年代の測定結果も、遺跡毎に提示される。セロ・ブランコ遺跡に関しては、発掘区すなわち基壇毎に時期順で記述される。建築は幾度も増改築を受け、次第に姿を変えているが、とりわけ大きな変化はセロ・ブランコ期からネペーニャ期への移行に対応している。ワカ・パルティーダ遺跡は主基壇1つだけが発掘されたこと等から、記述に際してはまず時期で分け、次に主基壇内の発掘部位で分ける体裁を採っている。やはり最大の変化はセロ・ブランコ期からワカ・パルティーダ期への移行と対応している。また、両遺跡の建材の微細な差異などから、各神殿には複数の異なる集団が属していた可能性が示唆される。一方で、両遺跡の主軸方角の完全な一致などから、世界観や宗教観の共有も想起される。

●5章:土器

両遺跡から出土した土器資料の分析結果が提示される。他地域からの搬入品も多い小型精製土器では、セロ・ブランコ期からネペーニャ期への強い継続性が示され、しかしサマンコ期に入ると数量も多様性も急減する。ここから、サマンコ期には地域間交流が不活発になったと推察される。一方、ローカルに製作されたと思われる大型の粗製土器では、ワンボカヤン期からセロ・ブランコ期にかけての伝統的タイプがあるところへ、ネペーニャ期になると器形・焼成技術ともに新しいタイプが加わって併存し、やがてサマンコ期には新タイプが主流となる。つまり、遠隔地の土器をもたらす地域間交流が縮小する一方で、食料の加工や貯蔵と関わる大型土器の地域内製作は、ネペーニャ期に導入された新技術を浸透させつつ、全体としては継続したことになる。

●6章:図像

アンデス形成期研究史上まれにみる質と量の図像資料が発見、分析された。セロ・ブランコ期の各神殿には、複数の図像スタイルおよび製作技術が併存していた。また地理的な近さにも関わらず、セロ・ブランコ遺跡とワカ・パルティーダ遺跡の差異は顕著である。そして、特殊な視覚的隠喩である「ケニング」にも両遺跡の差異がみられる一方で、他地域の特定の神殿との排他的な類似を示し、特別な紐帯が想起された。ネペーニャ期になると、両遺跡において図像の単純化、抽象化、汎アンデス化がみられた。

【第3部】

これまでの様々な分析結果を多角的に考察し、形成期アンデスの社会像に迫る。

●7章:ネペーニャ下流域の編年と地域間関係

基礎研究の成果としての編年が、他地域との関係を考察しながら記述される。それは、筆者が調査したネペーニャ下流域の社会を、広大なアンデスの文明史に位置づける作業である。この編年研究によって明示されたことは以下に要約される。第一に、ネペーニャ下流域において、セロ・ブランコ期までは山地を含む多様な地域との間で人と物の交流がみられるが、とりわけ北海岸や中央海岸との紐帯が顕著なこと。第二に、ネペーニャ期になると、他の海岸地方では主要な神殿が放棄されるのとは対照的に、ネペーニャ下流域ではセロ・ブランコとワカ・パルティーダという2大神殿が存続し、しかも一層の繁栄を示すこと。そしてこの例外的な繁栄は、山地との紐帯強化と関係があること。第三に、ネペーニャ期の途中からサマンコ期にかけて、セロ・ブランコとワカ・パルティーダは衰退し、最終的に放棄されていること。それと入れ違うようにワンバッチョなど新タイプの祭祀センターが台頭することである。

本章では「チャビン問題」の編年的側面にも取り組んでいる。形成期の社会像に関して、90 年代以降で最も影響力を持つ一人であるリチャード・バーガーの仮説では、チャビン・デ・ワンタルの最盛期はハナバリウ期で、400~200BC 頃とされ、宗教イデオロギーの浸透を介して広く各地に物質文化の共通性が発生したとみなされていた。年代的にはネペーニャ下流域のサマンコ期に相当するのだが、それはチャビン的特徴が最も薄い時期であり、バーガーの説と相容れない。さらにチャビン・デ・ワンタル遺跡における近年の調査によっても、上記年代のハナバリウ期を最盛期とすることにも疑問が呈されている。

●8章:ネペーニャ下流域ローカル社会の様相

ローカルな社会統合に関して、饗宴廃棄物が収められたセロ・ブランコ北基壇の資料をもとに考察する。第2部で扱わなかった土器以外の遺物も、必要に応じて提示される。セロ・ブランコとワカ・パルティーダ両神殿の競合関係や、各神殿には異なる複数のローカル集団が所属していたことなどが、饗宴を介する形で浮かび上がる。

●9章:神殿、集う人々、旅する指導者

結論として、ネペーニャ下流域の考古資料と合致する形成期社会の新モデルが提案される。その際、ペルー北海岸のエスノヒストリーに依拠するラミーレスの社会モデルを仲介させることで、断片的な考古資料を相互に結びつけることが可能となる。そして、結果として得られる社会像は、様々な考古資料の再解釈を可能にするという点で、新たな理解・発見に役立つヒューリスティックなモデルとなっている。それによると、地域内では、指導者およびその拠点たる神殿と、その支持者らには、強い互恵関係があり、一方で指導者と指導者には支持者獲得をめぐる強い競合関係が想定される。地域間では、ある地域の指導者と、他の地域の支持者らには、直接的な繋がりが少ない。そして、ある地域の指導者と、他の特定の地域の指導者には、饗宴に関係する人と物の行き来を介した、緩やかな互恵関係が想定される。この重層的な関係網(下図)は、物質文化の差異と共通性が展開する回路でもある。すなわち、支持者層に関わる日常的な物質文化は、接触の機会が多い地域内では類似し、地域間では大きな差異が生じる。しかしながら指導者や饗宴に関わる象徴的な物質文化は、地域内の競合関係にあった遺跡間より、地域を隔てた特定の遺跡間の方が高い共通性を示すことになる。これは、「チャビン問題」における地域間関係とその考古学的現象、すなわち特定の物質文化が広域かつ飛び地的に類似するメカニズムに関して、チャビン中心説に依らない代替案を、考古学的に検証可能な形で提供することにもなる。

X,Y1-3,Z:各地域の神殿

a:Y1の支持者、b:Y2の支持者、c:所属関係(本文で詳述)、d.Y1とY3を支持

e:指導者間の直接的交流(本文で詳述)、f:地域間の障壁(距離・環境・言語・習慣等)

g:支持者をめぐる競合が生じやすい、h:支持者をめぐる競合が生じにくい

審査要旨 要旨を表示する

芝田幸一郎氏の論文「ペルー北部中央海岸ネペーニャ谷からみたアンデス形成期社会の競合モデル - 神殿、集う人々、旅する指導者」は、自らの発掘資料を詳細に分析し、発掘された遺跡の位置する地域の社会文化的変化を再構成すると同時に、対象とする地理的領域の範囲を広げて形成期アンデス社会のモデルを提示したものである。論文は、3部全9章から成り、第1部(1~2章)は「論文の目的と位置づけ」、第2部(3~6章)は「発掘データとその分析結果」、第3部(7~9章)は「考察と結論」にあてられている。

第1部は、この論文がめざすものを明らかにすると同時に、これまで影響力をもち標的とすべきモデルを明示する部分である。第1章「序論」では、本論文が対象とする形成期と呼ばれる紀元前一千年期のアンデス社会が、進化主義的な発展段階説の枠組みの中で首長制社会として描かれてきた研究史に、社会像と社会動態の理解に貢献する新たなモデルを呈示することが宣言されている。そして第2章「形成期研究の現状と本研究の意義」において、形成期に関する先行研究を渉猟し、第一章で挙げた「首長制社会」が具体的にどのようなものとして捉えられてきたかを明らかにし、アンデス考古学における形成期に関する中心的な問題である「チャビン・ホライズン論(またはチャビン問題)」を検討する。

第2部は提出者によって実施された発掘調査の結果を呈示する部分である。第3章「発掘」において、使用する編年名称、発掘調査方法と遺構・遺物の登録システムを解説したあと、遺構や主な出土遺物を記述する。第4章「建築」においては、セロ・ブランコ遺跡とワカ・パルティーダ遺跡から出土した主な建築物に関するデータとその分析結果が提示される。第5章「土器」では、上記の両遺跡から出土した土器資料の分析結果が提示される。そして最後の第6章「図像」では、アンデス形成期研究史上まれに見る質と量をもって発見された図像資料が分析されている。

第3部は、第2部において行われた様々な分析結果を多角的に考察し、形成期アンデスの社会像に迫ろうとする部分である。第7章「ネペーニャ下流域の編年と地域間関係」において、調査地ネペーニャ下流域の社会をアンデス文明史の中に位置づけるために、編年が明らかにされる。その結果、時代の進展に沿って、セロ・ブランコ期には多様な地域との間で人と物の交流が見られ、ネペーニャ期に入ると神殿が衰退する他地域と異なり、山地との紐帯強化をとおして神殿が繁栄を続けるものの、ネペーニャ期からサマンコ期にかけて神殿は最終的に放棄され、新しいタイプの祭祀センターにとって代わられていることを明らかにする。第8章「ネペーニャ下流域ローカル社会の諸相」においては、ローカルな社会統合について述べられ、上記の2遺跡には異なるローカル集団が所属していたことが明らかにされている。そして最後の第9章「神殿、集う人々、旅する指導者-形成期社会の多重競合モデル」では、結論として、ネペーニャ下流域の考古資料と合致する形成期社会に関するエスノヒストリー研究を援用した新たなモデルが提案されている。芝田氏のモデルは「地域内では指導者およびその拠点たる神殿と支持者の間には強い互恵関係があり、指導者間には支持者獲得をめぐる強い競合関係が想定されるが、地域間では指導者と他地域の支持者の間には直接の繋がりが少なく、別々の地域の指導者間には響宴にかかわる人と物の行き来を介した緩やかな互恵関係が想定される」というものである。

このような芝田氏の論文は、審査員全員から高い評価を受けた。その評価は、考古学発掘に基づく実証点な部分と、理論的なモデル提示の部分の双方に及んでいる。実証的な部分に関しては、有名な遺跡でありながら詳細なデータが提示されていなかったセロ・ブランコ遺跡の発掘調査成果の提示と地域の編年確立作業が行われたこと、神殿の多彩色装飾とくに保存状態のきわめて良好なネコ科動物をモチーフとした巨大なレリーフを発見したことなど、アンデス考古学における第一級の成果をあげたものであると、審査員を務めたアンデス考古学の専門家から高い評価を受けた。

一方、考古学を専門としない文化人類学分野の審査員からは、理論的モデル構築の部分に関して高い評価が述べられた。モデル構築作業のスケールが大きく、問題の追究の手続きがスリリングであり、考古学分野以外の研究者にとっても非常に興味深い論文であるというのが、共通した評価である。そして、対象社会における権力についての芝田氏の扱い方は社会の時間的変化に関してしばしば用いられてきた「新進化主義」の枠組みを脱した新たなものであるという評価も与えられた。

しかし、審査員からはいくつかの問題点が指摘された。考古学の専門家からは、提示されるべきデータの若干の不足、データ提示法の不備、実証的部分における分析結果の総合の不足によるモデル提示部との乖離が指摘された。また、文化人類学の観点からは、新進化主義の枠組みを使っても説得的な分析ができるのではないか、ネペーニャ河谷のアンデス文明形成期における特別な位置についての別種のモデルを作る可能性があるのではないかといった指摘が行われた。

しかし、指摘された問題点は本論文の高い学術的価値を損なうものではないと判断される。したがって、本審査委員会は、芝田幸一郎氏の論文に対し、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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