学位論文要旨



No 217523
著者(漢字) 秦,由美子
著者(英字)
著者(カナ) ハダ,ユミコ
標題(和) イギリス高等教育の一元化 : 対位線の転位による質的転換
標題(洋)
報告番号 217523
報告番号 乙17523
学位授与日 2011.06.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17523号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 勝野,正章
 東京大学 教授 大桃,敏行
 東京大学 教授 橋本,鉱市
 東京大学 教授 山本,清
 国立大学財務・経営センター 客員教授 金子,元久
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、1960年代におけるイギリス高等教育の「二元構造の成立」と1990年代における「一元化」に焦点を当てた。大学を規定する主要因と考えられる(1)学生の質、(2)教育・研究機能、(3)財務及び財政、(4)自治と管理、という4つの問題領域を洗い出すことで、ポリテクニクの存在意義、二元構造の政策的意図、及び高等教育における二元構造の意味を明らかにした。また、高等教育の「二元構造の成立」と「一元化」が、イギリス高等教育史上初めての事例かどうか、もし仮に初めての例でないとすれば、過去の事例と1992年のポリテクニクの大学昇格による一元化とはイギリス大学史の中で同質のものと看做しうるのか、更にはこの一元化が大学史の中でどの様な意味を持つのかを検証した。そして最後に、一元化がはたして大学に多様化をもたらしたのかについて、一元化後の新たな大学群を可視化することによって検証した。

ポリテクニクにとっての「一元化」とは、大学に比較して劣位に置かれている状態から脱することを目指すものであった。その劣位な状態は制度的な格差に拠るところが大きく、そのためにポリテクニクは大学という制度への参入を望んだ。ポリテクニクの大学との格差の改善は一元化によるポリテクニクの大学への昇格によって達成されると期待された。一般的にはこの事態を指して一元化と呼んでいる。そしてこの制度変革に力点が置かれている一元化を本論文では「制度的一元化」と呼ぶことにした。

一般的に一元化と呼ばれる事態を指して、敢えて制度的一元化という呼び方をしたのには次のような理由がある。つまり、一元化を捉えるためにはこのような一般的理解とは異なる視点、即ち一元化に対する政府の意図を考慮することが不可欠だからである。政府は1980年代以降教育予算を抑制し、その意味で大学をいかに効率的に運営できる機関として改革するかに大きな力を注いでいた。そこには大学自治を弱体化、あるいは解体させるような動きを伴っていたため、大学側の抵抗を受け、思うように改革を進展させることができなかった。その中で目を付けたのがポリテクニクにおける機関経営の手法である。政府はポリテクニクを大学の中に組み入れることにより従来の大学に対してもその経営手法を適用しようとした。その具体的な現われが一元化によるポリテクニクの大学への昇格である。その意味では、一元化とは1980年代初頭には既に開始されていたということも可能である。

一元化の背景にあるこのような政府の意図を見逃すことは、一元化を捉える上での重大な見落としになると考えられる。つまり、政府の側から一元化を眺めた場合、政府は一元化することによって効率的な管理運営を大学側に求めたのであり、その点において一元化とは「制度的一元化」を含む、より広範な過程であると考えることができる。このような視点から捉えた一元化を、制度的一元化と対比させて「管理的一元化」と呼ぶことにした。「管理的一元化」は「制度的一元化」を内包するもので、旧大学も新大学も、一元化により共に公的補助金の額や配分方法が同質化された。旧ポリテクニクでは比較的なじみのあった外部評価や管理制度が旧大学にも適用されることになったことは、一元化の影響である。旧大学の自律性の削減のためには「同格化」は都合がよかった。そして同格化することによって「財政的一元化」も果たされたことになった。

次に、高等教育の「二元構造の成立」と「一元化」が、イギリス高等教育史上初めての事例かどうかについての検証結果を述べる。

1966年以降、大学と質的にもレベル的にも最も大学に近似した非大学高等教育機関を准大学高等教育機関と呼び、大学とミッションを異にする准大学高等教育機関が大学と並存する状況を二元構造とした。そして准大学高等教育機関が大学に昇格することを高等教育の一元化と考えた。この一元化を改めて高等教育史の中における大学の発展史という切り口から眺めてみるならば、それは伝統的大学と当時の准大学高等教育機関であったカレッジやインスティテュートとの間における二元構造の存在と、後者の旧市民大学としての大学昇格に端を発すると考えられる。そして、このような二元構造と一元化はイギリスの高等教育史の中で度々起こってきたことなのである。即ち、これら准大学高等教育機関が旧市民大学や新市民大学に昇格することが、イギリス高等教育の中での「一元化」であったと考えられる。このような准大学高等教育機関の大学への昇格は、恰も扇を上方に向けて折り畳むように、それぞれの准大学高等教育機関が大学に昇格し、伝統的大学に近似していく状態を示しており、この状態を折畳的な二元構造の一元化と看做すことができる。これが1992年の一元化以前における二元構造の一元化の実態である。

しかしながら、旧大学内で起こった一連の准大学高等教育機関の大学への昇格による二元構造の一元化は、あくまでもエリート高等教育システム内での一元化であり、ポリテクニクの大学昇格による一元化とは異なる。即ち、1992年以前の大学と1992年以降の大学を分かつ対位線は、過去に起こった旧大学間の二元構造を分割した対位線とは異なる。つまり、旧大学間に存在していた二元構造を分ける対位線は、エリート教育の中での対位線であり、折畳的な二元構造の一元化前後において量的にも質的にも変化はなかった。一方、旧大学とポリテクニクの間にあった対位線はあくまでもエリート教育と非エリート教育を分ける線で在ったため、ポリテクニクが旧大学と同じ上位に組み込まれることはなかった。しかし、旧大学とポリテクニクの間にあった対位線は、ポリテクニクの大学昇格により従来の対位線の転位を引き起こした。つまり、対位線の転位による高等教育の量的かつ質的転換が起こったのである。そのため、ポリテクニクの大学昇格による一元化は、従来の旧大学内の一元化とは大きく異なるのである。

この構造の質的転換は次の点からも確認される。従来における准大学高等教育機関の一元化は、政府からの管理を受けない自律性の高いプライベイト・セクター内での昇格であった。しかし、ポリテクニクの大学への昇格はパブリック・セクターからプライベイト・セクターへの移動という、セクター間の大きな移動を伴っている。そして周知の様にパブリック・セクターはエリート教育を担う部門ではない。ここにも今次の一元化における従来との相違が見て取れる。また、1992年の一元化には、パブリック・セクターで活用されていた教育機関経営の手法をプライベイト・セクターへと導入すること、即ち「管理的一元化」という特質があり、この点も従来の一元化とは大きく異なっているのである。

最後に、イギリス高等教育における「大学の在り方」についてまとめる。この課題は本論文の大きな課題の一つであり、切り口となる軸は、多様化した学生や多様化した大学の教育機能によって示される学生の多様化と学生の質である。

第3章から第7章の中で検討してきたように、大学の多様化は一元化以前と類似の3層に階層化された大学群の中の最も低位に在る大学群の中でのみ進展しているかのような外観を保っている。しかしながら第8章で検証したように新たな事実も顕現した。

研究大学に第1グループ(デンドラムで(1)で示したグループ)から、ラッセル・グループのUCLが抜け落ち、第2グループに入り、第2グループ(デンドラムで(2)で示したグループ)の中に、UCL以外にI・研究大学のヨーク大学、II・研究大学のLSEといった研究大学が入っていること、また同じ第2グループに新大学である教育系大学のアストン大学が含まれたこと、更には、第3グループ(デンドラムで(3)で示したグループ)の中に准研究大学の4校(スワンジー、アバリス、バンガー、エセックス)が加わっていることである。このことは研究大学内においても、また新大学内においても、一元化後に質的転換が生じていることの証左と考えられる。例え、多様化は質的に最下層に在るグループの新大学が主に引き受けているとしても、上位グループの中の大学の中で一元化による対位線の転位による質的転換の萌芽を見いだすことができるのである。

二元構造の根本的問題点は、大学と准大学高等教育機関のミッションの違いが上下間の格差に転換されていることにあった。高等教育機関のミッションの一つが、社会的に価値ある卒業生を社会に送り出すことであると考えるならば、大学が学生に提供する学問が、実学的あるいは実践的であろうと、非実学的あるいは学究的であろうと、本来両者間の差異は上下的・垂直的なものではなく、水平的な差異にすぎないはずである。しかし、予算面においても管理運営面においても大学と准大学高等教育機関の間で上下間に大きな格差が存在しており、それは未だ現存している。

学位の多様化、学科や課程の多様化、受講制度の多様化、大学進学者の質の多様化は、それらを維持するために学位の等価性や学位の質保証が求められる。しかし、一元化以降は大学間での学位の価値について、その同等性や同質性への懐疑が生じている。公的機関であった新大学は多様性を担保するために旧大学と類似した私的な役割分担までもが求められている。その場合に、それら新大学の学位とそれ以外の大学との学位の間に同等性や同質性がないからといって、新大学の学位に価値までもないと言い切れるわけでもない。それぞれの大学によって大学文化は異なり、各大学が醸成する文化は学生に学業以外の付加価値をもたらす。伝統的大学の大学文化と新大学の大学文化とは異なり、それら大学文化に付随する価値もそれぞれ異なってくることは当然であり、それぞれの大学文化やミッションの差異をもって学位の価値の下落と考える必要はないはずである。そのためにも、大学の価値とは何であるのか、とくに学生を教育するという面から見たとき大学の価値をどのように捉えるのか。この課題を念頭に置き、一元的価値に還元されない大学の社会的有意性を問うと同時に、その有意性を大学側から提示していく必要がある。

また一方で、一元化後の新大学の学生の満足度が低いことが明らかになった。この結果は、政府の一元化政策そのものに不備があることの証左となる。一元化は必要であったのかという根源的問いにも繋がるものである。大学の質は大学教育の質の保証によって担保される。そしてその大学教育の質は学生の質の向上によって測られるものでもある。しかし、学生の質に最も深く関わる多様な学生の受け入れに学生の意思は反映されていない。つまり、この多様化は政府の政策意図や特定の大学側の要求によるものであって学生の意思は反映されていないのである。そのため学生の満足度が低いことは当然ともいえる。

今後生涯学習という観点から多様化を検討しようとするとき、大学間に見られる大学のグループ化・階層化という実態を当面の与件として捉え、新たな大学進学層に属する学生たちの希望に沿うような大学教育を行う役割を新大学が担うことになるであろうと想定するのが現実的であるとすれば、現在下位に置かれている新大学の財務体質の改善が必要となってくる。そのためには、多様性の重要性を社会や政府に認識させ、いかに公的資金を新大学に拠出させるかが論点となるであろう。またそれは、そのような補助金配分を新大学の当然の権利と考えるような地点まで状況を転換していくことでもある。

最後に大学自治に触れておく。中央政府は大学の制度上の主導権を強化するという目的で管理執行部の力を強大にし、大学に産学連携といった起業性を促すことで市場に対応しやすくした。しかし、大学は元来学外資金を獲得する力に乏しく、そのため補助金制度を通じての政府による管理運営への介入が増大している。その結果、大学自治は形骸化し、学内の教員個人の自治や自律性は弱体化する方向にある。特に1992年以降の新大学の学内では、企業を模倣したトップ・ダウン方式での会議が拡大し、教授会の有名無実化が生じている。現在大学は1990年代以上に経済市場に支配される機関となっている。行き過ぎた市場化は大学の存在意義にかかわるものである。そのためにも、原理的な部分で大学自治を守りつつ、大学をいかに有効に機能させ、運営していくためにはどうしたらよいのか。これもまた今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

イギリスでは1992年にポリテクニクが大学に昇格することで高等教育の二元構造が一元化された。ポリテクニクはパブリックセクターに属し、多様な学習ニーズを持った非エリート層の教育を担う准高等教育機関として位置づけられ、プライベートセクターに属し伝統的にエリート教育を担うものとされてきた大学とは区別されてきた。本論文は、この一元化がもたらした影響をイギリス高等教育の発展史のなかに位置づけつつ明らかにすることを課題としている。

序章では、一元化がもたらした影響を明らかにするための分析の視点として、(1)学生の質、(2)学位の質と制度、(3)大学財政、(4)大学の自治の4つの問題領域を先行研究の検討に基づき設定する。序章に続く本論は二部構成である。第一部では、第1章でイギリス高等教育の歴史的展開を概観し、第2章で1960年代のポリテクニク誕生から一元化に至るまでの政策に特に焦点をあてて分析している。政府が一元化を推進した理由の一つとして、高等教育に対する国家統制強化と予算抑制の要請から、パブリックセクターに属するポリテクニクで行われてきた管理運営方式の大学への適用を企図する「管理的一元化」があったことが示される。第二部では、序章で設定した4つの問題領域に関する実証的考察を行っている。第3章は、一元化後の大学進学者の変化を質と量の両面から分析し、従来の一般的な大学進学ルート(GCE Aレベル)以外のルートを経た学生が増加し、学士課程の教育課程も多様化していることを示している。第4章は学位制度の変化を検証している。第5章では、一元化以前の補助金配分機関である大学補助金委員会(UGC)が果たしてきた役割を中心に大学財政の特徴を示し、財政面から大学とポリテクニクの差異を明らかにしている。続く第6章は、一元化によって補助金配分機関も統一された後の大学財政・財務の新しい構造と特質を分析し、学生からの収入がより大きな意味を持つようになっていることなどを指摘している。第7章は、管理運営面に着目して、伝統的大学(オックスフォード、ケンブリッジ)と旧ポリテクニクである「新大学」を比較し、理事会への権限集中や効率性重視などの「新大学」に見られる管理運営方式の特徴が伝統的大学においてはそれ程見られず、この点では「管理的一元化」があまり進んでいないことを指摘している。第8章では、学生の多様性と質を基準として一元化後の大学の分類を行い、「研究大学」「准研究大学」「教育系大学及び准学士号大学」(一部の「准研究大学」を含む)の3グループから構成されることを示している。終章では、以上の4つの問題領域ごとの分析結果をまとめるとともに、1992年の一元化には、非エリート教育をエリート教育に包摂した点において、イギリス高等教育の発展史における固有の意味が見出せると結論づけている。

ポリテクニクの大学昇格による一元化については、既にいくつかの重要な研究があるものの、それがイギリス高等教育の構造と質に与えた影響を歴史的文脈に位置づけながら、多面的かつ詳細に記述した点において、本論文にはオリジナルな貢献を認めることができると評価された。よって博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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