学位論文要旨



No 217525
著者(漢字) 村瀬,信一
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,シンイチ
標題(和) 明治立憲制と内閣
標題(洋)
報告番号 217525
報告番号 乙17525
学位授与日 2011.06.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17525号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野島(加藤),陽子
 東京大学 名誉教授 鳥海,靖
 東京大学 准教授 鈴木,淳
 駿河台大学 教授 広瀬,順晧
 國學院大学 教授 坂本,一登
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、明治18年12月に導入された内閣制度が、それから4年後の大日本帝国憲法発布に始まる立憲政治の中で、どのように運用されていったかの分析を通じて、立憲政治開始から桂園時代までの政治史を再検討しようとするものである。具体的にいえば、藩閥と政党との対抗関係と、内閣制度運用上の問題が交錯・複合したために、本来、憲法では想定されていなかった連帯責任的政権交代が定着し、それが政友会と官僚閥が交互に政権を担当する桂園時代の現出する基礎的な条件となったことを示すことを意図している。

太政官制度の下においても、最高決定機関である参議の合議体を「内閣」と呼んでいたが、それは基本的に各省間の利害対立を参議間の談合・調整で解消し、それによって藩閥政権内部の亀裂・破綻を防止するシステムであり、効率や強力なリーダーシップ調達において難点を抱えていた。その是正をはかるため近代的な内閣制度導入を構想していた伊藤博文の行動と、海軍拡張問題の調整困難が重なったことにより、明治18年12月、急転直下内閣制度の導入をみたが、そうした経緯のため、出来てしまった内閣制度をどのように運営するかについては、「内閣職権」の規定こそつくられたとはいえ、藩閥の中で充分な合意が形成されないままであった。太政官制以来の、元勲級指導者と各省との強固な結びつきもあり、あるべき総理大臣像・内閣像は明確に描かれず、また内閣として目指すべき方向性への意志統一もなされなかった。第一次伊藤・黒田両内閣における混乱はそれによってもたらされ、その収拾のために作成・公布された「内閣官制」も、基本的には政治的妥協の産物であり、根本的な解決を与えるものではなかった。そうした中で唯一、井上馨による「自治党」構想は、政党を媒介に統一方針を確定して内閣に強力な指導力を発揮させ、さらに政策の公示によって政権としての明確な責任を設定しようとする試みとして注目すべきであったが、薩長均衡を崩しかねない党派性のため失敗に終わった。

他方、それと前後して成った帝国憲法は、その第55条において国務大臣単独補弼制を定め、議院内閣制に基づく政党内閣の出現を防止しようとしていたが、それは必然的に、行政府のリーダーシップや政策の実行力に不可欠な内閣の連帯責任を抑制する方向に作用した。内閣制度施行初期の政権交代方式は、閣僚の異動の少ない、部分的乃至は微調整的なもので、内閣全体の責任を問うようなものとならなかった。

そのような中で帝国議会が開幕し、藩閥内閣が民党勢力による予算削減攻勢に悩まされたことは、逆に内閣の中に強力なリーダーシップを設定する好機となった。議会・政党対策を一元化・集中化することで、それを実現する展望が開けたのである。明治24年の政務部構想挫折に見られるように、藩閥リーダーたちの思惑や野心のため、その過程が必ずしも順調に進んだわけではなかったが、第一次松方内閣が同25年7月に混乱を重ねた末に倒れたことが分岐点となった。すなわち、後継首班であり、また連帯責任に基づく強力な内閣運営を考え始めていた伊藤博文は、民党に対抗する必要性と、松方内閣失敗の反省の上に立つという名目で、元勲を網羅しただけでなく、大臣と各省との個人的結びつきを断ち切った第二次内閣を組織し、しかも議会・政党対策を首相の専管事項とすることに成功した。第四議会終了直後には、具体的な政策目標を作成し、それを内閣の合意とすることにも成功した。これによって伊藤は大宰相的な強いリーダーシップをふるって政権を運営し、日清戦争の難局を乗り切っただけでなく、自由党と提携することで戦後経営の道筋をつけ、初めて連帯責任的合意による総辞職を果たした。それらの点において、第二次伊藤内閣は画期的であった。

だが、これで連帯責任的合意による総辞職が慣習として完全に定着したわけではなかった。薩派と進歩党との提携による次の第二次松方正義内閣は、両勢力の間で明確かつ包括的な政策合意はつくれず、そのために松方は首相としての指導力を充分に発揮することはできなかった。政権瓦解にあたっても松方の辞職が先行し、天皇が松方を通じて政権混乱の原因をつくった樺山資紀・高島鞆之助両者の辞職を迫ったことで総辞職が演出されたかたちになり、松方内閣と同じような脆弱さを持っていた第一次大隈内閣崩壊の際も、大隈首相に辞任を決意させるまで、天皇を巻き込んだ相当の政治工作を必要とした。そのような場合に、憲法に定める国務大臣単独補弼制は強固な障壁となった。ただ、その両内閣の間に第三次内閣を組織した伊藤は、最重要課題たる地租増徴こそ実現できなかったものの、元勲網羅型ではない自分の色を強く打ち出した政権の構成をとり、「政針」を作成して政策面での合意をはかる一方、閣議で決定した新党結成を覆そうとした山県有朋の容喙を排除するなど、前回組閣時と同様に大宰相的姿勢を貫いただけでなく、後の政友会につながる新党構想や、その基礎となる新しい選挙制度など、注目すべき方向性を示している。

第一次大隈内閣の後、第二次山県・第四次伊藤と、一人の閣僚を統御しきれないために生じた閣内不一致による、連帯責任に基づく総辞職が連続したことは、少なからざる意味を持った。さらに、山県内閣において、かつてのような微調整的政権交代が断念されたこと、伊藤内閣において、伊藤続投が阻止されたこともまた重要であった。ここで連帯責任を前提とした政権交代が、ここでほぼ定着を見たと考えてよいであろう。従って、それに続く第一次桂太郎内閣の成立は、単なる世代交代をこえて、連帯責任の実行、換言するならば総辞職慣行の定着の結果として成立した政権という点において画期的であったし、また四箇条の政綱を政権発足と同時に定め、内閣の政策面での責任を設定したことにおいても新生面を開いたのである。

桂は、日露戦争終了後にかねての密約によって政友会総裁・西園寺公望に政権を譲った。連帯責任の負担に好適な政党という組織を掌握する西園寺を、いわば政権交代のパートナーに囲い込むことで、内閣の連帯責任の明確化と政局の安定の二つの命題を両立させ、日露戦後の困難な状況への対応を果たしてゆく。それが所謂桂園時代と呼ばれる時期の政治構造であり、システムでもあったのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1885年に誕生した内閣制度が、1889年の大日本帝国憲法公布、1890年の帝国議会開設という立憲政治の制度的諸整備を経て、1900年の立憲政友会成立前後に安定した政治システムとして機能するに至った時期を対象とし、その形成から定着過程について、初めて体系的に明らかにした研究である。著者の問題関心は、10数余年という短い期間のなかで、なぜ官僚閥と政党による安定的な政権交代システムが成立しえたのか、その理由を探ることにある。

これまでの研究は、当該期を、予算をめぐる政府と議会との攻防の過程として描くのが常であった。これに対して本論文は、内閣制度の運用の実態に着目して分析する。藩閥と政党が妥協や提携を繰り返す過程で、当事者双方に蓄積されていった、内閣制度運営上の内的な規範意識やルールの形成を、国会図書館憲政資料室所蔵史料など利用しうるほぼすべての一次史料から発掘し分析している。このような分析手法が極めて貴重であるのは、明治憲法体制のもとで行政権を担った「内閣」制度が、実のところ、憲法上独立した項目として規定されていない、曖昧な制度であったという事情による。本来、連帯責任制とは親和的ではない制度として成立した内閣が、20世紀初頭の桂園体制期に至って、連帯責任に基づく政権交代をルール化していった過程を、当事者間の書翰などから重層的に描き出した第2章から第5章は、全7章からなる本論文のなかでも圧巻の出来となっている。

さらに本論文は、個々の重要な史実の確定にも大きく貢献した。第一に、通説では、1885年の「内閣職権」は首相権限が強すぎ、それが黒田内閣における首相の暴走の要因となり、また政党内閣を否定するべく国務大臣単独輔弼制を定めた憲法55条との整合性をとる必要性もあって、1889年の「内閣官制」によって首相権限が弱められたとする。しかし、史料からは、黒田の「暴走」は、強力な首相権限というよりむしろ外務大臣の単独輔弼制に根拠を置いており、首相権限の強弱等も含め、内閣制度の運用について明確な合意がなかったことが、事態を紛糾させ、またそのことの自覚が「内閣官制」という制度改正につながったことが明らかにされた。第二に、議会開設後、政党の攻勢に直面した内閣は、内閣が分裂していたのでは政党に対抗できないことを痛感し、対議会方針を統一するべく、当初政務部を設置し内閣機能の強化を試みた。しかし画期となったのは、第二次伊藤内閣であり、そこでは、議会・政党対策を首相の専管事項とし、内閣機能の強化と首相の指導力確立が図られた。さらに内閣としての政策の合意が組閣時から強固に確立されていたため、初めて連帯責任意識に基づく総辞職がなされたとの事実を、豊かな史料から実証した。このように、本論文が研究史に与える学問的貢献はきわめて大きなものがある。よって、本委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと判断する。

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