学位論文要旨



No 217543
著者(漢字) 梅田,あや
著者(英字)
著者(カナ) ウメダ,アヤ
標題(和) 成長ホルモン欠乏ミニラットの皮膚の組織学的性状と毛周期の解析
標題(洋)
報告番号 217543
報告番号 乙17543
学位授与日 2011.09.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17543号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 准教授 久和,茂
 東京大学 准教授 内田,和幸
 自然科学研究機構生理学研究所 准教授 木村,透
内容要旨 要旨を表示する

ミニラット(Jcl: WistarTGN(ARGHGEN)1Nts)(MR)は成長ホルモン(GH)遺伝子の発現をアンチセンスRNAの導入により抑えたトランスジェニック動物で、由来系統であるWistar rat(WR)と比べて血中のGHは約40~60%に抑えられており、体重は約半分である。MRは日本で開発されたGH欠乏のモデル動物として、骨の成長、加齢あるいは肝障害に及ぼすGHの作用機序の検索などに活用されている。GHは生体の正常な成長や加齢に極めて重大な影響を及ぼす下垂体前葉ホルモンのひとつで、GH/インスリン様成長因子-1(IGF-1)軸は肝臓をはじめとする様々な組織細胞でその代謝、増殖、成長あるいは分化の刺激因子として機能することが知られている。

ところで、ヒトのGH異常症の病態解析から、皮膚の成長や表皮、真皮、毛包および皮膚付属器などの組織構造もまたGHおよびIGF-1の影響を受けることが報告されている。しかし、MRはもとより他の多くのGH分泌不全症の病態モデル動物においても、それらの皮膚性状についての検索報告はない。そこで、本研究ではWRを比較対照に、GH欠乏MRの皮膚の組織学的性状と毛周期の特徴を明らかにし、それを基に、皮膚科学領域におけるMRのモデル動物としての有用性について検討を加えた。得られた結果は下記の通りである。

1.ミニラットの背部皮膚の組織学的性状と毛周期

GH欠乏が皮膚の組織学的性状にどのような影響を及ぼすかを明らかにするため、無処置の雄性MRの皮膚の加齢に伴う組織学的性状の推移を、由来系統であるWRのそれと比較・検討した。その結果、MRとWRで皮膚の組織構造には基本的な違いは認められなかったものの、MRでは真皮が薄く、逆に皮下組織の脂肪層が厚く、また、皮脂腺が小さいなど、ヒトのGH分泌不全症患者と同様の所見が確認された。MRの皮膚性状の最大の特徴はその毛周期にあり、生後8週齢以降は毛周期が長期に亘ってtelogen期で停滞した。すなわち、MRはWRと同様、生後1サイクル4週間からなる毛周期(anagen-catagen-telogen)が2サイクル見られたが、それ以降、WRでは、部位差や個体差があるものの、引き続き3サイクル目以降の毛周期が継続したのに対し、MRでは長期に亘ってtelogen期のまま推移した。

なお、GHの主要な標的臓器である肝臓におけるIGF-1mRNAの発現量および血中のIGF-1濃度は、WRと比べてMRで有意に低かったが、皮膚のIGF-1mRNAの発現量には両系統間に差は認められなかった。このことから、MRでは、GH欠乏に加え、肝臓由来の血中IGF-1の減少が上記のようなMRの皮膚の組織性状に影響を与えている可能性を示唆するものと考えられた。

2.ミニラットの急性皮膚傷害に対する反応性

急性皮膚傷害に対する皮膚の反応性に及ぼすGH欠乏の影響を検討した。すなわち、環境中の酸化ストレス因子の一つである20%過酸化水素溶液(HPO)を毛周期がtelogen期にある8週齢のMRとWRの背部皮膚に局所的に単回暴露し、皮膚の病理組織学的変化の推移を両系統間で比較した。その結果、MRではWRに比較して、急性皮膚傷害後の肉芽組織の形成、表皮の再生および毛包の成長が遅延し、GH欠乏はMRの皮膚の創傷治癒を遅らせることが示された。さらに、背部皮膚へのHPOの局所暴露後には新たなanagen期が確認され、telogen期にあるGH欠乏MRの背部皮膚の毛包が外部からの化学的な刺激によってanagen期に移行できることが示された。

3.人為的脱毛によるミニラット背部皮膚毛包における成長期の誘導

8週齢以降telogen期に停滞しているMRの背部皮膚の毛包に、非傷害性刺激によってanagen期を誘導できるか否かを検討する目的で、telogen期下の11週齢のMRの背部皮膚を非侵襲的に脱毛し、その後の毛包の反応を組織学的に検索した。その結果、すべての動物で、個体差もなくまた脱毛部位の全域に均一な、一過性(1サイクル)の新たな毛周期が誘導された。このことから、8週齢以降のMRの背部皮膚の毛包はanagen期に移行するための内的刺激に欠けているが、脱毛という外的刺激によって新たなanagen期を誘導できることが明らかになった。

4.人為的脱毛によりミニラット背部皮膚に誘導した毛周期進展過程に伴う毛周期関連遺伝子の発現プロファイル

上記の検索で、MRの背部皮膚では脱毛によって部位特異性なく同調した毛周期を誘導することができることが明らかになった。こうしたMRの特徴を利用し、脱毛により誘導した毛周期進展過程に伴う背部皮膚の遺伝子発現の変化を、DNA Microarray法で網羅的に解析した。その結果、脱毛後には、脱毛前(telogen期)と比較して、1215プローブで3倍以上の発現の変化がみられ、そのうちの1171プローブは毛周期に連動した変化を示した。特に、毛周期進展に伴う毛包の分化・増殖の制御に重要な役割を担っていることが明らかであるLef1、Padi3、Msx2、S100a3などの遺伝子は、誘導毛周期中に30倍以上の非常に強い発現増加が連続して認められた後、telogen期に至って脱毛前の値に復帰したが、同様の発現変動は今まで毛周期に関連することが報告されていない遺伝子においても認められた。

この結果は、ラットの毛周期に関連する遺伝子の発現の変化の全体像を示すとともに、毛周期の制御に寄与している候補遺伝子を提示しうる非常に有用なデータであると考えられた。

皮膚は毛周期に伴ってその生物学的性状が大きく変化する臓器である。従って、皮膚、特に毛包に関する動物実験では、毛周期をコントロールすることが非常に重要である。こうしたことから、従来、皮膚の地肌色でtelogen期を肉眼的に判定出来るC57BL/6系マウスが用いられてきた。しかし、マウスやラットの毛周期は、生後8週齢までの2サイクル間はsynchronized wavesとして起こるが、それ以降はhair growth patternの複雑さが増し、実験対象部位で均一かつ同調した毛周期を得るのは非常に困難となるため、毛周期に関連した実験には成熟動物ではなくもっぱら幼若動物が用いられているのが現状である。この点、本研究で明らかにしたように、MRは8週齢以降であれば背部皮膚の全ての毛包が一様にtelogen期であるため、特別な配慮をせずとも、皮膚傷害性のない人為的脱毛によって個体差および部位差のない均一な毛周期が容易に誘導できる。さらに、成熟動物での毛周期の検索は、幼若期の皮膚における活発な発育に伴う毛周期以外の諸要因を排除できる利点があるため、成熟動物において同調した毛周期を誘導できるMRは、毛周期の実験・研究を実施する上で非常に有用なモデル動物であると考えられる。本研究ではさらに、こうしたMRの皮膚・毛包の特徴を利用して、成熟ラットの毛周期の進展過程に伴う遺伝子の発現の変化の網羅的な解析に初めて成功した。

上述した本研究で得られた検索成績から、MRはGH欠乏患者のdermatopathyの動物モデルとして有用であるとともに、毛周期に関する所謂"hair cycle clock"の機構や分子生物学的特性の研究、さらにはanagen誘発薬剤開発のための強力な手段を提供するモデル動物のひとつとしても有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

ミニラット(MR)は成長ホルモン(GH)遺伝子の発現をアンチセンスRNAの導入により抑えたトランスジェニック動物で、由来系統であるウィスターラット(WR)と比べて血中のGHは約40~60%、体重は約半分である。GHは生体の正常な成長や加齢に極めて重大な影響を及ぼす下垂体前葉ホルモンのひとつであり、その作用の多くを仲介するインスリン様成長因子-1(IGF-1)とともに、皮膚の組織構造や成長にも重要な影響を及ぼすことが報告されている。しかし、MRはもとより、他の多くのGH分泌不全症病態モデル動物においても、それらの皮膚性状について検索した報告は見当たらない。本研究は、WRを対照に、GH欠乏MRの皮膚の加齢に伴う組織学的性状の推移と毛周期の特徴を明らかにしたものである。以下に要約を記す。

無処置の雄性MRの皮膚の組織構造に、WRと基本的な違いは認められなかったが、MRでは真皮膠原線維層が薄く、皮下脂肪層が厚く、皮脂腺が小さいなど、ヒトのGH分泌不全症患者と同様の所見が確認された。また、環境中の酸化ストレス因子の一つである20%過酸化水素溶液(HPO)の局所暴露による急性皮膚傷害後の皮膚反応を組織学的に検索したところ、MRではWRに比較して、肉芽組織の形成、表皮の再生および毛包の成長の遅延が顕著であり、GH欠乏は皮膚の創傷治癒を遅らせることが示された。このように、MRはGH欠乏患者に認められる皮膚性状を備えており、GH欠乏患者のdermatopathyを反映する動物モデルとして有用であると考えられた。なお、GHの主要な標的臓器である肝臓では、IGF-1mRNAの発現量および血中IGF-1の濃度はWRと比べてMRで有意に低かったが、皮膚のIGF-1mRNAの発現量には両系統間に差は認められず、MRでは、GH欠乏に加え、肝臓由来の血中IGF-1の減少が皮膚の性状に影響を与えている可能性が考えられた。

さらに、雄性MRの皮膚の加齢に伴う組織学的性状の推移を検索した結果、成熟MRの皮膚では毛周期がtelogen期(休止期)で停滞することが明らかになった。すなわち、WRでは4週間を1サイクルとする毛周期(anagen-catagen-telogen)が生涯に亘って継続して観察されるのに対し、MRの毛周期は生後2サイクルを終えた8週齢以降は長期に亘ってtelogen期で停滞した。このようなtelogen期停滞下のMRの背部皮膚にHPOを局所暴露すると、急性傷害への組織反応に伴い新たなanagen期が誘導され、さらに、皮膚傷害を伴わない人為的脱毛によっても、個体差、部位差のない、一過性(1サイクル)の新たな毛周期が誘導された。これらのことより、8週齢以降のMRの背部皮膚の毛包は一様にtelogen期に停滞し、anagen期に移行するための内的刺激に欠けているが、外的刺激によって新たにanagen期に移行できることが明らかになった。

皮膚は毛周期に伴ってその生物学的性状が大きく変化する臓器であるため、皮膚、特に毛包に関する動物実験では、毛周期を均質にコントロールすることが非常に重要である。しかし、マウスやラットの毛周期は生後の2サイクルはsynchronized wavesとして起こるものの、それ以降はhair growth patternの複雑さが増すため、一般に成熟動物では実験対象部位で均一かつ同調した毛周期を得るのは非常に困難である。この点、MRは8週齢以降であれば背部皮膚の全ての毛包が一様にtelogen期であり、特別な配慮をせずとも、人為的脱毛により、個体差および部位差のない均一な毛周期を容易に誘導できる。また、成熟動物での毛周期の検索は、幼若期の皮膚における活発な発育に伴う毛周期以外の諸要因を排除できる利点があるため、成熟動物で同調した毛周期を誘導できるMRは、毛周期に関連する研究を実施する上で非常に有用なモデル動物となるものと考えられた。

本研究ではさらに、MRの毛周期の特徴を利用して、毛周期の進展過程に伴う背部皮膚の遺伝子発現の変化をDNA Microarray法で網羅的に解析することに、成熟ラットで初めて成功した。得られたデータは、毛周期の進展に関連して明瞭に変化する遺伝子群を高率に含んでおり、ラットの毛周期に関連する既知遺伝子の発現変化の全体像を把握するとともに、毛周期の制御に寄与している新たな候補遺伝子を提示しうるものであり、MRの毛周期関連モデル動物としての有用性が示された。

本研究により、MRはGH欠乏患者の皮膚病態動物モデルとして有用であることが明らかになった。また、その毛周期の特徴により"hair cycle clock"の機構や分子生物学的特性の研究やanagen誘発薬剤開発のためのモデル動物としても有用であることが示された。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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