学位論文要旨



No 217546
著者(漢字) 大石,佑治
著者(英字)
著者(カナ) オオイシ,ユウジ
標題(和) 四重極および多重極イオントラップを用いた水素化ボロンクラスターの創製
標題(洋)
報告番号 217546
報告番号 乙17546
学位授与日 2011.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 第17546号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 川合,真紀
 東京大学 教授 吉田,豊信
 産業技術総合研究所 理事 金山,敏彦
内容要旨 要旨を表示する

諸言

クラスターは、大きさや構造によって物性が大きく変化するという性質があるため、ボトムアップ的に組み上げることで、新奇な材料や超微細デバイスの作製が期待される。本研究ではクラスターに着目し、四重極イオントラップ(EQSIT: External Quadrupole Static attraction Ion Trap)を用いてクラスターの作製を行う。EQSITを用いることで、狙い通りの元素組成を持つクラスターだけを取り出すことが可能になる。しかし、EQSITを用いた研究例は限られており、広く研究がおこなわれているとは言い難い。これは、EQSITによるクラスター生成量が非常に少ないことに起因する。また、対象とするクラスターとしては、ボロン系クラスターに着目する。ボロンは固体で正二十面体クラスターからなるクラスター固体を形成し、様々なユニークな特徴を示す物質である。ボロン系クラスターに関してはEQSITを用いたクラスターの合成はこれまでに行われていない。そこで、本研究ではまずシミュレーションによってEQSITの問題点を探り、それらを解決した上でEQSITによって水素数を制御した水素化ボロンクラスターを作製することを目的とした。さらに、この反応過程を密度汎関数法による計算によって調べ、反応メカニズムと生成したクラスターを解明することも目的とした。作製するクラスターのターゲットとしては、固体中で正二十面体クラスターを作る12原子のクラスターに注目した。クラスターの生成量を増加させるため、電極を多重極化した多重極イオントラップ(EMSIT)の性能を調べた。また、将来、作製できると興味深い原子内包正二十面体ボロンクラスターについて、密度汎関数法によりその可能性も検討した。

実験、シミュレーション、量子化学計算方法

EQSITは図1のように、中心にポール状の四重極電極と、それを囲むケージ状電極からなる。装置内のイオンに対して、ポールとケージに加える直流電圧の電位差(Vdc)により装置の中心に対して引力を、四重極ポールに交互に位相を反転させた交流電圧(Vac, f)を加えることにより、中心に対して時間平均的に斥力を発生させる。装置内のイオンは二つの力が釣り合う位置にトラップされる(イオントラップ)。トラップされたイオンは雰囲気の中性粒子と反応し、より大きなクラスターへ成長する。成長したクラスターは四重極ポールの内部を通過して装置外部へと取り出される。この際にポール内部の電圧により一定の質量以上のイオンを選択的に取り出すことができる(マスフィルター)。

EQSITの問題点を調査するために、シミュレーションソフトSIMION7.0を用いた。SIMION7.0を用いてPC上に1 mmメッシュの空間に実寸大のEQSITを構築し、有限要素法で求められた電界上を運動するイオンの挙動を計算した。

量子化学計算は、密度汎関数法(DFT)を用いて行った。様々な汎関数・基底関数を用いてデカボランの計算を行い、構造とイオン化エネルギーを文献と比較することで、本研究で扱う水素化ボロン系に最適な汎関数・基底関数を選び、構造最適化はB3LYP/6-31G(d)、エネルギー計算はPBE0/6-311+G(d)が最適であることが明らかした。計算にはGaussian98WとGaussian03Wを用いた。

結果と考察

1.シミュレーションを用いたEQSITのトラップ性能の評価と問題点の解明

EQSITに材料ガスとしてデカボランとジボランを導入しても、クラスターはほとんど成長しなかった。そこで、EQSITにXeを導入してトラップ性能を調べ、SIMIONによるシミュレーション結果と比較することで、トラップ内部におけるイオンの挙動を調べ、クラスターが成長しないという問題点の解明を試みた。実験結果とシミュレーションを比較すると、EQSITの電圧パラメータの一つであるVdc依存性の挙動が実験結果とシミュレーションとでずれていることがわかった。Vdcは四重極電極とケージ電極との電位差であり、Vdcのずれはケージ電極か四重極電極の電位の実効値がずれていることを意味する。ここで、材料ガスのイオン化に用いている電子銃のエミッション電流を減少させると、Vdcのずれも小さくなった。電子銃からの電子はケージ電極に衝突しているため、これが原因となってケージ電極電位の実効値が減少していると考えられる。そこで、電子銃からの電流量を10 mAから10 μAや100 nA程度まで減少させることで、クラスターを成長させることが可能となった。

2. 四重極イオントラップ法による水素化ボロンクラスターの成長と反応プロセス

電子銃の電流量が問題点であることが判明したので、電流量をできるだけ抑えてクラスターの作製を試みた。EQSITにデカボランのみを導入した場合、Q-massの質量スペクトルから最大でBmHn+(m= 40)のクラスターの生成が確認できた。デカボラン2量体であるm = 20のイオン電流を測定したところ、21 pAであった。次にEQSITにデカボランとジボランを導入したところ、BmHn+(m=12~22,)クラスターが成長しているのが確認できた。B12Hn+クラスターの水素数を見積もると、図2(a)に示すようにB12H8+が主に生成していることがわかった。生成したクラスターの構造や反応プロセスに関する知見を得るため、DFT計算を行った。計算によると、デカボランイオン(B10Hx+, x= 6, 8)とジボランの反応によって図2(b)に示すような正二十面体構造のB12H8+が生成することが予想され、実験結果と一致した。このことから、EQSIT内では、イオンが雰囲気の中性分子と反応して水素リッチなクラスターが生成し、反応熱による水素脱離によってクラスターが生成していることが判明した。

3 水素化ボロンクラスターの水素数制御

水素数によって、クラスターの構造や物性は変化する。そこで、B12Hn+クラスターの水素数制御を試みた。合成に成功したB12H8+よりもクラスターの水素数を減少させるために、クラスター成長の材料であるデカボランイオンの水素数の制御に着目した。そのために、バッファガスによる電荷移動を利用した。バッファガスからデカボランへ電荷が移動する際、バッファガスとデカボランのイオン化エネルギーの差に相当するエネルギーが発生し、そのエネルギーによってデカボランイオンから水素が脱離すると考えられる。そのため、バッファガスの種類を変えることでデカボランイオンの水素数を制御できる。バッファガスとしてAr, Ne, Heを導入した結果、それぞれ水素数x= 6, 4-12, 2-12のデカボランイオンが生成し、水素数をバッファガスの種類で制御できた。これにジボランを導入してB12Hn+クラスターを合成し、図3に示すようにn= 8, 4-8, 2-8のようにクラスターの水素数の制御に成功した。また、DFT計算によりこの反応過程を明らかにした。

4 多重極イオントラップ

EQSITによって合成したクラスターイオンビームの電流量は非常に小さいものであった。そこで、四重極イオントラップよりもイオンを安定にトラップできると考えられる多重極イオントラップ(EMSIT, 図4)について、そのクラスター源としての性能をシミュレーション・実験の両面から明らかにした。SIMIONによるシミュレーションにより、EMSITはイオンのトラップ性能がEQSITよりも高いことが分かった。また、本研究によって電子銃の影響によりケージ電極電圧の実効値が低くなる可能性が分かっているが、EMSITではケージ電極の電圧が不均一になった場合も高いトラップ性能を維持することが分かった。デカボランとジボランを導入してクラスターを合成したところ、EQSITに対して28.2倍のクラスターを検出できた。また、ジボランのみからクラスターを合成したところ、6.2倍のクラスターを検出できた。このように、EMSITはイオンのトラップ能力に優れており、クラスター源として優れていることを明らかにした。

5 原子内包正二十面体B12クラスターの設計指針

ボロンは固体中で図5(a)のような正二十面体B12クラスターを基本とする構造を形成するため、孤立クラスターにおいて原子を内包したクラスターは興味を持たれてきた。しかし、原子内包正二十面体Al13-は非常に安定であるのに対し、同じ価電子数のBからなる図5(b)のようなB13-は非常に不安定である。そこで、B13-の不安定性の原因を第一原理計算によって明らかにし、原子内包クラスターを作製するための指針を明らかにすることを試みた。

B13-と安定なB122+, Al13-の分子軌道のクラスターサイズ依存性を計算して比較することで、B13-の不安定性の原因は反結合性軌道を占有している点と、結合距離が短いことから反結合性軌道の不安定性が増大していることが原因であることがわかった。反結合性軌道を占有しないように骨格電子数を34に調整することで、局所安定なB@B12H5, Fe@B12, Co@B12+, Ni@B122+, Cu@B123+ を新たに見い出した。

総括

EQSITの問題点をシミュレーションと実験との比較から明らかにし、電子銃の電流量を調整することでこの問題を解決した上で、EQSITにデカボランを導入することで水素化ボロンクラスターBmHn+ (m= 40)を創製し、デカボランとジボランを導入することで、BmHn+(m=12- 22)を創製した。質量分析によりB12Hn+ではn= 8が多いことが分かり、DFT計算によって反応過程を明らかにすることで正二十面体構造のB12H8+が生成していることを明らかにした。水素数を制御するためにバッファガスからの電荷移動を利用し、Ar, Ne, Heを導入することで、n= 8, 4-12, 2-12のB12Hn+クラスターがそれぞれ生成した。その反応過程をDFT計算で明らかにした。このようにして合成されたクラスターイオンの量はごく微量(デカボラン2量体では21 pA)であるため、より多量にクラスターを合成するため、多重極イオントラップの性能を調べた。シミュレーションの結果、確かにEQSITよりもイオンのトラップ性能が高いことが判明し、実験的にはEQSITに対して28.2倍のクラスターを検出できた。また、合成するクラスターの対象として興味深い原子内包ボロンクラスターを安定化するためには骨格電子数を調節すれば良いという設計指針をDFT計算により明らかにした。

図1. EQSITの概要

図2 (a): B10H14とB2H6をEQSITに導入して生成したB12Hn+クラスターの水素数分布と、(b):主に生成したB12H8+クラスターの構造

図3 バッファガスを導入し、デカボランとジボランから合成したB12Hn+クラスターの質量スペクトルと水素数分布。(a), (b), (c)はそれぞれAr, Ne, Heを導入した場合のB12Hn+クラスターの水素数分布である。

図4 EMSITの概略図

図5 (a) 正二十面体B12クラスターと、(b) 原子を内包した正二十面体B13クラスターの構造

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、大きさや構造によって物性が大きく変化するという特徴を有する水素化ボロンクラスターの応用として、クラスターをボトムアップ的に組み上げることによる新材料の創製や、シリコン半導体製造プロセスにおけるボロンの極浅接合形成を挙げている。これらを実現するためには、大きさや構造を制御した水素化ボロンクラスターを気相合成する必要がある。しかし、主に実験の困難さから、クラスターの気相合成に関する研究報告例は非常に限られている。本論文は以下に示す通り全8章から構成されている。

第1章は序論であり、クラスターは僅かな構造変化によって物性が大きく変化する点について概説している。また、気相においてボロンクラスターの安定構造は平面構造であるが、ダングリングボンドを水素で終端すると正二十面体構造が安定となり、水素数で構造制御できる可能性がある点を指摘し、水素化ボロンクラスターを研究対象として選択した経緯について述べている。最後に、本研究の目的と本論文の構成について述べている。まず、質量選択したクラスターを合成できるイオントラップである四重極イオントラップ (EQSIT) について、シミュレーションと希ガスを用いた実験によって、EQSITに印加する電圧や原料ガスイオン化用電子銃の電流量などの影響の理解に努め、EQSITを用いてクラスターを合成するための条件を明らかにすることを目的とした。次に、その結果をもとに、EQSITを用いて実験的に水素化ボロンクラスターを孤立状態で合成し、かつクラスターの水素数を制御することを目的とした。また、同時に密度汎関数法を用いた計算的手法によってその結果を解析することで、孤立状態におけるクラスターの反応プロセスを解明することも目的とした。

第2章は希ガスを用いた実験と、それに対応するシミュレーションによってEQSITのトラップ特性を評価しており、電極先端部のポテンシャル障壁やイオン化用電子銃の電流がトラップ特性に悪影響を及ぼすことを明らかにした。さらに、電極構成の変更や電子銃電流、各種電圧の設定など、クラスターを成長させるための設定条件を明らかにしている。

第3章は、デカボラン (B10H14) とジボラン (B2H6) を材料ガスとし、EQSITを用いてB12Hn+クラスターの創製に成功したという結果について述べている。さらに密度汎関数法によって計算を行い、デカボランイオン (B10H6, 8+) がジボランと反応することで生じる反応熱により、クラスターから水素が脱離してB12H8+が生成するという反応プロセスを明らかにし、B12H8+の生成の説明に成功している。これらの結果から、クラスター成長プロセスの計算的評価の可能性を示したとともに、水素終端されていないボロン原子の存在がクラスター成長において重要であることを明らかにした。

第4章は、水素化ボロンクラスターの水素数制御による構造制御が可能であるかを考察するために、正二十面体構造と平面構造のB12Hn+の構造遷移エネルギー障壁を計算し、水素数制御による構造制御が可能であることを示している。

第5章は、EQSITを用いて水素数を制御したB12Hn+を創製した結果について述べている。バッファガスからの電荷移動に着目し、バッファガスの種類によって生成するクラスターの水素数の制御に成功している。

第6章は、EQSITよりも効率的にイオンをトラップ・成長させられる可能性のある、多重極イオントラップ (EMSIT) について述べている。計算と実験の両面からそのトラップ性能を明らかにしている。

第7章は、密度汎関数法による計算結果を元に、新奇な原子内包クラスターの設計指針を提案している。反結合性軌道を占有しないように骨格電子数を調整することで、遷移金属を内包した原子内包B12正二十面体クラスターが安定に存在し得ることを示している。

第8章では総括と本研究の今後の展望を述べている。

なお、本論文第3, 4, 5章は、木村,薫、山口,政晃、内田,紀行、金山,俊彦との、本論文第6章は、内田紀行、正知晃、木村薫、金山俊彦との、本論文第7章は、木村薫、山口政晃との共同研究であるが、論文提出者が主体となって測定及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上、本論文は、四重極および多重極イオントラップを用いた水素化ボロンクラスター気相合成における反応プロセスを、実験・計算の両面から解明し、得られた結果から実験的に水素数制御ボロンクラスターの創製へと導いた点で、物質科学の発展に寄与するところが大きく、よって博士(科学)の学位を授与できると認める。

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