学位論文要旨



No 217547
著者(漢字) 松原,弘典
著者(英字)
著者(カナ) マツバラ,ヒロノリ
標題(和) 日本の建築界における中国認識 : 建築メディアにおけるその構造
標題(洋)
報告番号 217547
報告番号 乙17547
学位授与日 2011.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第17547号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 出口,敦
 東京大学 准教授 清家,剛
 東京大学 教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、日本の建築界がいかに中国を認識してきたかという問題を、いくつかの建築系定期刊行物の1880年代末から2000年代末までの記事について検討し、その中国認識が、1.だれによってどのような形で記述されてきたのか、2.中国のどの部分について着目してきたのか、3.その構造はどのような傾向があるのか、という3点について、明らかにするものである。

本論文は序章・本章3章・終章により構成される。

序章では、広く日本の中国認識について、また日本の建築界における中国研究とテクスト分析を用いた研究について、先学の研究を挙げて本研究の独自性を確認する。本論文は「中国のこういうところを知っている」というような一般的な中国研究とは異なり、「中国を知っていることを知っている」という、中国をメタ認識の対象として扱うものであり、これに類似した視点を持つ先行研究を主に取り上げている。またここで、日本における建築メディアの歴史を概観した上で、検討の対象として3つの定期刊行物、『建築雑誌』『新建築』『日経アーキテクチュア』を取り上げることを示し、これらの雑誌における中国に関する記事=「中国関連記事」と、その記事の記述の中で執筆者が要約的に中国への印象を述べている箇所=「中国観」を実際の分析対象にするとしている。

本章第1章では、『建築雑誌』における日本建築界の通時的な中国認識の変化を検討する。章の前半では、日本建築学会の機関誌である『建築雑誌』の創刊1887年から2008年までの全中国関連記事229編を通覧し、中国情報の日本建築界への伝達手段がいかなるものなのかを把握する。まず記事の経年分布と内容の変化からこれを4つの時期(I期:1887-1920年、II期:1920-1958年、III期:1959-1985年、IV期:1985-2008年)に区分した。さらに期ごとの記事数、執筆者と記事形式の属性の推移を定量的に把握した上で、各期において重要と思われる記事について、時系列に沿ってその論題と論調をレビューしている。この結果、『建築雑誌』の4期の中国関連記事において、中国に関する情報の伝達手段は、執筆者・記事の属性とも限定的な状態からその種類が拡大する傾向が観察され、かつそれが1950年代末を境に、2回繰り返されたことを明らかにした。

章の後半では、『建築雑誌』の1887年から2008年までの全中国関連記事において発現の見られた156回の中国観について、中国情報の日本建築界における論題の布置がいかなるものかを把握する。中国の「どこを見ているか」という各中国観の論題をKJ法によって整理し、中国観の内容と発現の時期の連関を見ることで、論題の布置の特徴を描き出している。ここで結果としてわかったのは、『建築雑誌』の中国観の論題は大きく「技術」に着目したものと「社会」に着目したものに二分され、明治から1980年代中期までは「技術」側が主流であったのに対し、それ以降は「社会」側への着目が増えてその関係を逆転させたことである。以上の前半と後半の分析から、『建築雑誌』における通時的な中国認識の特徴とは、中国情報の伝達手段の拡大とその反復、かつ中国観の論題布置の「技術」から「社会」への重心移動としてまとめられた。

本章第2章では、『建築雑誌』に加えて、新建築社発行の商業系月刊誌『新建築』と、日経BP社発行の商業系隔週刊誌『日経アーキテクチュア』3誌における日本建築界の共時的な中国認識のありようを検討する。章の前半では、3誌の1985年から2008年までの全中国関連記事490編を通覧し、前章と同じ方法で中国情報の伝達手段を把握した。この結果、これらの3誌においてはそれぞれ異なる記事の伝達軸があることが明らかになった。すなわち、論説の形をとった各専門家の署名記事やシンポジウムの発言録などその専門性に依存した記事が並ぶ『建築雑誌』、作品紹介の形をとったグラビア記事を中心に情報が配列された『新建築』、現地取材の場所に即した論説を記者が再配列した『日経アーキテクチュア』である。3誌にはそれぞれ、「執筆者の専門性」「建物」「場所」というように異なる伝達軸があることがわかった。

章の後半では、3誌の当該中国関連記事において発現の見られた220回の中国観について、その論題の布置がいかなるものかを把握する。前章と同様、KJ法を用いて中国観の論題を整理し、内容とその発現のメディアの連関を見ることで、論題の布置の特徴を描き出している。ここで結果としてわかったのは、3誌の中国観の論題は、「技術」「社会」「場所」に着目したものの三つに分類が可能で、『建築雑誌』は「技術」と「社会」に着目した中国観が多く、『新建築』は「技術」を中心に、『日経アーキテクチュア』は「技術」に加えて「場所」に着目した中国観が多いことである。すなわち、どの雑誌においても「技術」への着目は共通して強いが、「社会」「場所」についての着目はメディアによってまちまちであるということが明らかになった。また、「場所」に着目する中国観は、第1章で『建築雑誌』のみを見ていたのでは分布の少なかった論題のカテゴリであり、これが第2章後半の分析で多く見られるのは、『日経アーキテクチュア』が現地取材を多用して「場所」に即した記事を集中的に掲載していることからである。こうした中国観が、1997年の中国返還に際する香港、2008年の北京オリンピックに際する北京についての記事に集中していることから、1985年以降の日本建築界の中国認識においては、現代中国を同時代的に把握する上で、「場所=現場」に関する論題の伝達が一般的になっていることを指摘した。

本章第3章では、3誌における日本建築界の中国認識の繰り返しのパタンの傾向を検討する。『建築雑誌』の1997年から2008年まで、『新建築』と『日経アーキテクチュア』の1985年から2008年までに発現する全中国観311回において、繰り返し現れている類似する説明や共通の述語に注目し、それらを3回以上含むものを、繰り返される中国観として抽出、分類したところ17の論点に整理することができた。さらに、各中国観の中国に対する評価の論調を、肯定的か否定的かテクストを解釈しながらそれぞれの論点ごとにレビューし、反復する中国観における発現時期と論調の関係を散布図に示してそれらを比較分析した。この結果、繰り返される中国観は、時期と論調の関係から以下の3種類に分類が可能であることが明らかになった。すなわち、1.中国観が肯定的否定的論調のどちらかに一貫して反復する「一貫型」の7つ、2.肯定的否定的論調が混在して反復する「混在型」の7つ、3.肯定的否定的論調が期ごとに入れ替わって反復する「交替型」の3つ、である。また、これらは個別の中国観において対中評価の態度が変わらないないしは肯定否定がわかれる安定したもの(「一貫型」と「混在型」のうち中立論調のないもの)と、評価がよく変わるないしは肯定否定がはっきりわかれづらい不安定なもの(「混在型」のうち中立論調を含むものと「交替型」)にさらに分類が可能である。例えば「一貫型」の中国では建物のメンテナンスができないという「維持管理」論点はほとんどの中国観が否定論調であり、「混在型」の中国は場当たり的で物事が決まってゆくという「アドリブ的」論点は肯定否定が中国観ごとにはっきりわかれていて中立論調がない。これらは執筆者が各論点を自我との関係で語ることのできるものとして扱っている。一方「混在型」の「建設ラッシュ」論点は中立論調の中国観が多く、「交替型」の「中国の人」論点は時期によって肯定と否定の論調がはっきり入れ替わっている。これらは執筆者が各論点を時代との関係で語ることのできるものとして扱っていると理解できる。こうした自我と時代との関係で規定される複層性が、日本の中国認識の構造に見られる傾向であると言える。

終章では、序章で掲げた日本建築界の中国観に関する3つの主題にそって、本論文の内容を要約するとともに、若干の結論的考察と今後の課題、展望を述べた。

日本の建築界の中国認識とは、しばしば本来「他者」であるはずの中国を「半他者」として扱っている部分に特徴がある。例えば明治時代の『建築雑誌』では西洋に対して優位に立つために「中国をよりよく知るのは欧米ではなく日本」という言い方とともに中国を半ば主体の一部として取りこもうとしたし、2000年代以降の『日経アーキテクチュア』では、その経済成長に引き寄せられるかのように中国の情報を国内情報と一緒に配列することなどで両国間の垣根を低くみせようとしていた。『新建築』の記事の中国観の中には中国は世界の建築家の実験場だという言い方があったが、これも中国を日本の自分たちが利用する対象として取り込もうとしている言説ととれるものである。日本の建築界のこうした振る舞い、中国を「他者」としてではなく「半他者」として位置付けるようなそれ、は、戦争中なら侵略的な言説としてとらえることもできるであろうし、遅れた中国を励ますというのであれば優越感や親近感の表出ともとれるし、追い上げてくる中国を批判的に見るのであれば脅威論ともみなすことができる。こうした状況は日中相互の地理的・歴史的な「近さ」がもたらすものだと思われる。この「近さ」をどう扱うかで、これからも日本の建築界の中国観はさまざまな変容をとげてゆくであろうことが予測される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、序章・本章3 章・終章により構成される。

序章では、まず研究の目的が示される。それは「日本の建築界が中国をどのように認識してきたのか」、つまり、中国に関する日本の建築界のメタ認識を対象として扱うとしている。そして、これを明らかにするために以下の3つの検討すべき主題が設定される。

1.日本の建築界による中国に関する記述はだれがどのように伝えてきたのか

2.日本の建築界は中国のどの部分について着目してきたのか

3.日本の建築界が繰り返し持つ対中論調にはどのような傾向があるのか

先行研究のレビューに続いて、「日本の建築界による中国に関する記述」の具体的な検証として、日本を代表する3 つの建築関連の定期刊行物を取り上げている。即ち日本建築学会の機関誌である月刊誌『建築雑誌』、写真を主体として新築の建築物件を作品的側面から紹介する新建築社発行の月刊誌『新建築』そして建築設計を軸に建設および建築産業まで視野にいれて、それらをビジスネス的観点から扱う日経BP社発行の隔週刊誌『日経アーキテクチュア』である。これらの雑誌における中国関連記事と、その記事の中で執筆者が要約的に中国への印象を述べている箇所=「中国観」を抽出し、これらを一次資料としている。

第1 章では『建築雑誌』の創刊の1887 年から最近の2008 年までの全ての中国関連記事229 編を通覧し、論調と論点の傾向から仮説的に4期に区分したあと、各期の記事数、執筆者の属性、記事の形式についての内訳を定量分析している。章前半では各期の記事の論題と論調を解釈・分類することで『建築雑誌』の中国情報伝達手段を通時的に検証する。章の後半では、同じ対象の中に現れた156 か所の「中国観」の発現時期と内容の間の相関を定量的に分析して、中国情報の日本建築界における論題の布置の特徴を分析している。

第2 章では、1985年から2008年のあいだについては『建築雑誌』に加えて、『新建築』と『日経アーキテクチュア』を加えて、日本建築界の共時的な中国認識のありようを検討している。章の前半では、3 誌の中国関連記事490 編を通覧し、前章と同じ方法で中国情報の伝達手段を把握している。章の後半では、3 誌の当該中国関連記事において見られた220 か所の「中国観」に関する、論題の布置の特徴を分析している。

第3 章では、3 誌において繰り返される日本建築界の対中論調の傾向を検討している。1887 年から2008 年までの『建築雑誌』、1985 年から2008 年までの『新建築』と『日経アーキテクチュア』に発現する全「中国観」311 か所において、繰り返し現れる類似する説明や共通の述語を17 の論点に分類している。各論点における中国に対する評価を肯定的か否定的かを判別して、時期と論調の関係を分析している。

終章では、以上の3つの建築系雑誌の記事の比較を通して、日本の建築界が中国の「何を見ているか」という「論題の布置」を通時的、共時的に検討した結果をまとめ、仮説的な4時期の区分の妥当性を確認するとともに、日本の建築界が中国観を総合的に検討している。

筆者が着目するのは、中国観関連の「論題の布置」の移動である。『建築雑誌』では、時代が下るに従って「技術」的論題から「社会」的論題に移動していること、そして『新建築』と『日経アーキテクチュア』では、「技術」以外の「社会」と「場所」的論題がこの2誌の性格付けに重要な役割を果たしていることを指摘している。そして、論題の移動の背後には、時代とメディアを越えて日本の建築界の中国認識が「技術」的論題を重視しつつも、同時にそれ以外の論題に関心を持ち続けているとしている。それを著者は、日本の建築界が、中国を「半他者」的位置づけをしているからだとする。日本の建築界がひとたび中国について語り始めると、話は実際の建築からはじまって、建築にまつわる社会、建築の周辺の問題について論題が拡がってゆくというのである。

このように、日本の文化交流史において少なくとも近世までは圧倒的地位を保って来た中国を、近代以降どのように日本の建築界がみてきたかを、地道に記事を一つ一つ実証的に検証することで明らかにした。それは、日本の建築界の中国観が政治経済の影響下で揺れ動きながらも、ある特定の態度を示していることである。この成果を建築学的に評価すれば、有史以来、変わらず、世界中で常に国境を越えて流通してきた「建築」という概念が、近代帝国主義時代からグローバル化という複雑な流れのなかで、どのように言説化されてきたかを明らかにした点で評価されよう。一方、文化交流史的にも、建築界における日中の文化交流の実相を極めて具体的に照らし出したことにより、この成果は、恐らく他領域における日中の交流史を読み解く上でも大きな示唆があると思われる。

したがって、本論は極めてオリジナリティの高い価値ある研究であり、提出者には、博士(環境学)の学位を授与できると認められる。

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