学位論文要旨



No 217551
著者(漢字) 池内,幸司
著者(英字)
著者(カナ) イケウチ,コウジ
標題(和) 大規模水害時における人的被害等のリスク評価と被害軽減方策の効果分析に関する研究
標題(洋)
報告番号 217551
報告番号 乙17551
学位授与日 2011.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17551号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 教授 藤田,光一
 東京大学生産技術研究所 教授 沖,大幹
 東京大学 准教授 知花,武佳
内容要旨 要旨を表示する

近年,世界各地で大規模な水害が発生し,多くの人命が失われている.我が国においては,治水施設は整備途上であり,利根川・荒川において,昭和22年のカスリーン台風時の洪水と同規模の洪水が発生した場合には,堤防の決壊により大規模な氾濫が生じ,甚大な人的,物的な被害が発生するおそれがある.このような状況を踏まえ,利根川・荒川において大規模水害が発生した場合に,被害を最小限にとどめるための応急対策等を検討することが喫緊の課題となっている.

大規模水害対策については,これまで,災害予防対策としての治水施設の整備や河川情報の提供システムの整備,水防体制の整備等が行われてきたが,大河川が決壊し大規模な水害が発生した場合における人的被害を軽減するための応急対策等については,十分な検討がなされていなかった.

本論文では,利根川・荒川の決壊により大規模な水害が発生した場合において人的被害を最小限にとどめるための応急対策等を的確に実施するために,氾濫形態の類型区分を行い,死者数,孤立者数・孤立時間,地下鉄等の浸水状況の想定を行うとともに,被害軽減方策を実施した場合の効果等について分析を行い,これらを踏まえた今後の課題等についてとりまとめた.

1.大規模水害時の氾濫形態の分析

大河川の氾濫解析に当たっては,氾濫状況に大きな影響を与える連続盛土等の位置及び高さ等を把握することは重要であるが,その詳細な把握は,技術的な限界等から必ずしも十分にはなされてこなかった.そこで,レーザプロファイラデータ等を活用して,連続盛土等の位置及び高さ等を効率的に把握する手法を構築した.

想定死者数,孤立者数・孤立時間等の把握を的確に行うためには,浸水継続時間や排水状況等のより精緻な把握が重要であり,流域における排水施設の稼働状況を組み込んだ氾濫解析を行う必要がある.また,大規模水害時には排水ポンプ場が水没して機能が停止する場合やアクセス道路の冠水により燃料補給ができない状況下において備蓄燃料だけで稼働せざるを得ないような場合も想定される.しかし,利根川や荒川のような大河川における氾濫解析は,もっぱら,浸水想定区域図の作成等のために,最大浸水深等を求めることを目的としており,流域における排水施設までを考慮したモデルとはなっていなかった.そこで,流域における各管理者の排水ポンプ場,水門,排水ポンプ車等の排水施設のデータを網羅的に収集し,水没による排水ポンプ場の機能停止水位及び燃料補給ができない場合における備蓄燃料のみによる連続運転可能時間等の条件も加えた氾濫解析モデルを構築した.

大規模水害発生時に,限られた人員で応急対策を的確に行うためには,警察,消防,自衛隊等の救助・救援部隊を適切に配置する必要がある.そのため,利根川・荒川流域において数多くの決壊地点を想定して氾濫解析を実施し,氾濫形態を類型化した.

2.死者数の想定と被害軽減方策の効果分析

これまで,我が国においては,大規模水害の被害想定は,治水施設の整備効果の把握や整備内容の検討等を行うために経済被害を推計するものがほとんどであり,利根川や荒川等の大河川が決壊し大規模な水害が発生した場合の死者数の想定はこれまで行われていなかった.

そこで,大規模水害時の避難体制や応急対策活動等を検討するために,日本における適用可能性を検証した上で,LIFESimモデルを用いて我が国で初めて大規模水害時における死者数の想定を行うとともに,排水ポンプ場,水門等の排水施設の稼働による人的被害の軽減効果の把握を行った.

利根川や荒川等が決壊した場合には,避難率が40%の場合でも,1000人を超える死者が発生する可能性があることや,浸水想定区域内人口に対する想定死者数の割合が高い地域があること等が分かった.また,もっぱら内水排除を目的としている排水施設を外水氾濫時においても的確に稼働させることにより,想定死者数を大幅に軽減できる場合があることが分かった.

危機管理の観点から,年超過確率が河川整備基本方針の対象である1/200の洪水に加えて,1/1000の規模の洪水が発生した場合におけるリスクの増加状況の把握を行い,浸水区域内人口の増加割合と比較して想定死者数が大幅に増加する地域があることが分かった.

3.孤立者数・孤立時間の想定と被害軽減方策の効果分析

現在,利根川・荒川等の浸水想定区域には約660万人が居住している.堤防が決壊して大規模な水害が発生した場合には,多くの人々が逃げ遅れて家屋等に孤立し,救助活動には多くの時間を要することが想定される.大規模な水害が発生し,自宅等に留まり長時間孤立した場合,水道,電気等のライフラインが途絶するため,生活環境が著しく悪化する.各家庭での飲料水や食料等の備蓄も限られており,長時間孤立することが予測される地域では,飲料水や食料の不足等により健康障害や最悪の場合には生命の危機も生じる可能性がある.したがって,大規模水害時の応急対策を検討する上で,孤立者数・孤立時間の推計と救助活動等による被害軽減効果を検討することが必要となる.

そこで,警察庁,消防庁,防衛省からの聞き取り調査により,救助艇の能力と台数,救助のサイクルタイムを把握し,孤立者の救助者数を推計するシミュレーションモデルを構築し,利根川・荒川が決壊した場合の孤立者数・孤立時間の推計等を行った.

利根川の首都圏広域氾濫,荒川の荒川右岸低地氾濫で避難率40%の場合,対策が実施されない場合には,数十万人の人々が数週間以上にもわたって孤立するのに対し,救助活動が的確に実施され,排水施設も的確に稼働させた場合には,数日で孤立が解消されること及び救助活動の的確な実施,排水施設の的確な稼働,避難率の向上の3つ被害軽減方策を実施することにより,孤立者の健康を守るという観点から重要な指標となる3日後の孤立者数をゼロにできることが分かった.

4.地下鉄等の浸水想定と被害軽減方策の効果分析

荒川が決壊し大規模な水害が発生した場合には,大量の氾濫水が駅の出入口等から地下鉄等に流入し,乗換駅から他路線へも大量の氾濫水が流入して地下空間における浸水域が広範囲に拡大する可能性がある.また,東京の地下鉄等の駅の出入口等には,様々な止水対策が講じられており,これらの条件を考慮しないと,地下鉄等への流入量を的確に把握することはできない.

そこで,荒川の氾濫域にある地下鉄等の出入口の形状,止水板及び防水扉の設置状況,トンネル内における防水扉の設置状況,トンネル坑口における防水扉及び防水壁の設置状況,乗換駅における各路線の接続状況等を構造図や現地調査等により把握し,これらの結果を踏まえて地下鉄等の浸水状況の想定を行うシミュレーションモデルを構築し,荒川が決壊し大規模な水害が発生した場合の地下鉄等の浸水状況の把握を行った.

北区志茂地先で決壊した場合,都心部には複数の経路で氾濫水が到達し,多くの都心部の駅が水没状態となること,東京駅等は地上部よりも早く地下鉄等のトンネルを通じて氾濫水が到達することが分かった.足立区千住地先で決壊した場合,地上の浸水範囲は局所的であるにもかかわらず,都心部を含む広い範囲が水没状態となることが分かった.

地下鉄等の出入口等に応急的な止水対策等を行うことで,浸水区間の減少や浸水開始時間の遅延に対して効果を発揮する場合があることが分かった.

5.今後の課題

大規模水害時の人的被害等を軽減するため,広域避難,避難率の向上,孤立者の救助・救援,地下空間の被害軽減,氾濫の抑制と排水等の対策を強化する必要がある.

広域避難については,避難対象者の把握,想定される浸水状況,地域特性等を踏まえた適切な避難方針や具体的な避難計画を策定する必要がある.特に,浸水深が深く死者が発生する可能性が高い地域や,浸水継続時間が長い地域において,広域避難対策を重点的に実施する必要がある.逃げ遅れ者の被災回避対策として,小中学校等の活用に加え,民間ビル等の管理者の協力を得て緊急時の避難場所を確保する必要がある.水害発生に関する予測の精度と避難に要する時間等を踏まえて適切な避難勧告・指示等の発令基準を検討する必要がある.その他,交通規制等の検討,円滑な避難のための体制の強化,病院・介護施設等における避難対策,情報の収集・伝達体制の強化等の対策を講じる必要がある.

大規模水害時における人的被害を軽減するためには,避難率の向上が極めて重要である.そのため,大規模水害のリスクに関する情報の提供,避難の呼びかけ体制の強化,具体的な行動内容等の周知等の対策を実施する必要がある.

孤立者の救助・救援については,被害想定等に基づいて,具体的な救助・救援部隊の配置や活動内容等を定めた応急対策活動要領等を策定し,訓練を行っておくことが重要である.また,孤立発生場所の把握体制や孤立者の救助・救援体制の整備,救助・救援活動に必要な資機材等の確保,救助しきれない孤立者への必要物資の供給体制の整備等の対策を実施する必要がある.

地下空間の被害軽減については,地下空間の滞留者に対する避難勧告・指示等の発令基準,滞留者の避難誘導方策,地下空間への進入禁止措置,鉄道の地下区間の運行停止基準,乗客の避難誘導方策,情報伝達体制,地下空間の浸水防止・軽減対策等の検討を行い,所要の対策を実施する必要がある.

氾濫の抑制と排水については,連続盛土等を活用した氾濫拡大の抑制対策,連続盛土等の保全対策や水防体制,排水施設の浸水防止対策や操作員の安全確保対策,燃料補給体制等の検討を行い,所要の対策を実施する必要がある.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、利根川、荒川の堤防の決壊による大規模氾濫で生じる甚大な人的、物的な被害を、最小限にとどめるための応急対策を実施するための基礎的知見を提供することを目的として、氾濫状況の推定精度の向上と氾濫形態の類型区分を行った上で、死者数、孤立者数・孤立時間、地下鉄等の浸水状況を想定するとともに、被害軽減方策の有効性の分析を行っている。

大規模水害時の氾濫状況の推定精度向上のために、本論文ではまずレーザプロファイラデータを活用した連続盛土の位置及び高さ等を効率的に把握する手法を構築している。また、流域における排水ポンプ場、水門、排水ポンプ車等の排水施設のデータを網羅的に収集し、水没による排水ポンプ場の機能停止や、燃料補給路が閉ざされた場合における備蓄燃料のみによる連続運転可能時間等の条件をも加えた、精緻な氾濫解析モデルを構築した。さらに、数多くの決壊地点を想定して氾濫解析を実施し、その結果を用いて氾濫形態を類型化している。これによって、より簡便な被害想定が可能となり、加えて、警察、消防、自衛隊等の救助・救援部隊等、限られた人員を適切に配置するための情報を得ることが可能となる。

死者数の想定には、米国で開発された浸水深を用いた死者数推定モデルを導入し、国内事例でモデルの有効性を確認した後、氾濫解析結果と組み合わせて人的被害を推定している。さらに、避難率や排水ポンプ場、水門等の排水施設の稼働状況によって、どの程度人的被害を軽減できるかを試算している。その結果、利根川や荒川等が決壊した場合には、避難率が40%の場合でも、1000人を超える死者が発生する区域があることや、浸水想定区域内人口に対する想定死者数の割合が高い地域があることを明らかにしている。また、危機管理の観点から、年超過確率1/1000の規模の洪水が発生した場合における人的被害の増加状況を検討し、浸水区域内人口の増加割合と比較して想定死者数が大幅に増加する地域があることを示した。

また本論文では、利根川、荒川という想定浸水区域内人口が極めて大きい首都圏の特徴として、堤防が決壊して大規模な氾濫が発生した場合に、多くの孤立者が生じることに着目し、その救助活動に要する時間を解析している。ここでは、警察庁、消防庁、防衛省からの聞き取り調査により、救助艇の能力と台数、救助のサイクルタイムを把握し、孤立者の救助に要する時間を推計し、避難率40%の場合、対策が実施されない場合には、数十万人の人々が数週間以上にもわたって孤立する地区があることを明らかにした。一方、孤立者の健康を守るという観点からは、3日後の孤立者数をゼロにすることが必要であるが、救助活動を的確に実施し、排水施設を的確に稼働させた場合には、これが達成できることを示し、大規模氾濫時の孤立者救援対策の基礎的な知見を提供している。

水害発生時に、地下鉄、地下街が冠水被害を生じる危険性は以前から指摘されていたが、大規模水害時の被害想定はこれまでなされてこなかった。本論文では、氾濫域にある地下鉄等の出入口の形状、止水板及び防水扉の設置状況、トンネル内における防水扉の設置状況、トンネル坑口における防水扉及び防水壁の設置状況、乗換駅における各路線の接続状況等を、構造図や現地調査等により網羅的に把握し、これらの結果を踏まえて地下鉄等の浸水状況の想定を行うシミュレーションモデルを構築した。このモデルを用いて、荒川の一部で決壊した場合を想定したシミュレーションを行った結果、都心部には複数の地下鉄経路で氾濫水が到達し、多くの都心部の駅が水没状態となること、東京駅等は地上部よりも早く地下鉄等のトンネルを通じて氾濫水が到達することを示している。また、地下鉄等の出入口等に応急的な止水対策等を行うことで、浸水区間の減少や浸水開始時間の遅延に対して効果を発揮する場合があることを明らかにしている。

以上のように本論文は、首都圏の利根川と荒川という2つの大河川流域において、氾濫解析モデルの高度化、氾濫形態の類型化を行った上で、死者数、孤立者数・孤立時間、地下鉄等の浸水状況の想定を行うとともに、被害軽減方策を実施した場合の効果等を分析している。本論文により、対象とした2河川流域における大規模水害への応急対応策を具体的に考えるための有用な知見が得られるとともに、中小規模とは異なる大規模水害緊急対応の基本的な視点を確立している。これらの成果は、モデルの高度化や氾濫形態の類型化に学術的価値が認められるうえ、河川計画、河川管理はもとより、国家的な危機管理においても、有用性に富む独創的な研究成果と評価できる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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