学位論文要旨



No 217561
著者(漢字) 田森,雅一
著者(英字)
著者(カナ) タモリ,マサカズ
標題(和) 近代インドにおける古典音楽の社会的世界とその変容 : "音楽すること"の人類学的研究
標題(洋)
報告番号 217561
報告番号 乙17561
学位授与日 2011.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17561号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 准教授 名和,克郎
 東京大学 准教授 渡邊,日日
 国立民族学博物館 教授 寺田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、南アジアを代表する北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)の社会組織であるガラーナーgharanaとその集団概念の変化に焦点をあてつつ、近代インドにおいて"音楽すること"、すなわち音楽で生きる人々の日常的実践とその社会空間を探求しようとする人類学的試みである。日常的実践とは、個人的経験と社会的相互作用のなかで構成されるすべての人間的営みであり、社会空間は日常的実践が遂行される場とその歴史的広がりを意味する。そして、そのような"音楽すること"の人類学的研究において明らかにすべきは、現代のインドに生きる音楽家たちの再帰的なアイデンティティ化の過程であり、ガラーナーという概念を用いて"われわれ"を語る音楽家の主体的行為とその歴史的背景、個人や集団の意識が形成される土台となった社会関係の構築とその変化のあり方である。

序論では、"音楽すること"にまつわる音楽家の日常的実践と社会空間を考察するにあたり、アラン・メリアムの「音楽の再生産モデル」[Merriam1964]を再評価しつつ、アンソニー・ギデンズの「社会の再生産モデル」[Giddens1979]を援用してリモデリングを試みる。すなわち、概念に基づく音楽行動の結果としての楽音が、概念それ自体を再生産あるいは変化させるという「音楽の再生産モデル」の一方向的な循環的図式を、音楽形成の歴史、共同体における社会関係、音楽家の主体的行為という異なる水準の相互作用として捉えなおすために、ギデンズが社会的再生産を論じる際に設定した3つの時間性(制度の再生産、人間の再生産、相互行為の再生産)を分析的視点として導入する。音楽も社会も時間の流れのなかで再生産される他はないが、その流れは重層的であり、構造と行為は相互に規定しつつ変化を生み出していく。このような時間性の導入により、構造の現れとしての制度が維持ないし変化する歴史的過程、共同体における学習過程と社会関係が結び合う過程、そして人々の相互行為が織りなす実践的過程という、マクロとメゾとミクロの各レベルでのガラーナーの検討と同時に、それらの社会過程がいかに関連し合って社会空間を構成しているかという重層的関係性についての考察が可能になる。

本編では、マクロ・レベルはヒンドゥスターニー音楽とガラーナーの歴史を宗教・政治・経済・教育などの制度の維持あるいは変化との結びつきに、メゾ・レベルは系譜関係・婚姻関係・師弟関係・パトロン=クライアント関係などによって生産・再生産されるガラーナーの社会関係に、ミクロ・レベルは音楽家が語り、学習し、教え、演奏するという主体的行為とその相互作用に対応するものとして位置づけ、以下のような三部構成をとって論を進め、それぞれの問題について検討している。

第I部:ガラーナーとは何か

第II部:近代におけるインド音楽の社会空間

第III部:サロードのガラーナーのガラーナーをめぐって

第I部は、第1章から第6章までの全6章からなり、"ガラーナーとは何か"という問題について多角的に検討している。その目的は、ガラーナーという概念と実態を明確にしつつ、音楽家がガラーナーという用語・概念を用いて"われわれ"を語ることで何を得、何に抵抗しているのか、立場や諸属性、状況等によって異なるその語り口の戦略性と、それらの言説が生まれる歴史的背景との接合のされ方を考察することにある。

第1章では、ガラーナーに関する複数の言説や物語を参照すると同時に、日本の家元制度との比較を行いつつ、ガラーナーの定義と適用範囲を明確にしている。

第2章では、ガラーナーの成員性について、社会的成員性と音楽的成員性という二つの分析的視点から議論している。前者は生物学的あるいは儀礼的な親子関係を通して獲得されるものであり、後者はガラーナーの音楽スタイルを構成する実践知の学習によって獲得されるものである。そして、ガラーナーの成員性については、何が(音楽性の問題)、誰に(社会性の問題)、どのように(学習の問題)、伝承されてきたかという視点が有効になることを示し、音楽性の問題については"秘伝"となる音楽財産の内容について、また、社会性の問題については系譜関係、婚姻関係、師弟関係という3つの水準の社会関係の関連性について明らかにしている。

第3章は、音楽家の認識的視点から、彼らの社会音楽的カテゴリーについて検討することが主眼である。ガラーナーによって"われわれ"と"彼ら"を語る行為について分析し、「カースト」と結びつく社会音楽的カテゴリーが、世襲音楽家のアイデンティティ形成に多大な影響を及ぼしていることを明らかにする。そして、そのような"われわれ"の語りが前近代(ムガル帝国期)から植民地近代(英領インド帝国期)に至るガラーナー形成の歴史とどのような接合関係を有しているのかを、第4章から第6章で検討を行う。

第4章ではガラーナーが形成される以前の音楽家(楽師)の社会音楽的カテゴリー、すなわちガラーナーの母体となったと考えられる4つのカテゴリー(カラーワント、カッワール、ダーディー、ミーラースィー)に注目し、主として前3者の社会歴史的考察を行っている。そこでは、ムガル帝国の中央宮廷に集められた多様な音楽集団の中からセーニヤーという音楽的権威が形成されてゆくプロセスを整理し、古代に遡るヒンドゥーの古典音楽がなぜムスリムに継承され今日に至っているか、イスラーム宮廷における改宗の問題などを中心に議論がなされている。

第5章は、ラージャスターンを中心とする地方宮廷における王室と楽師たちの雇用関係(パトロン=クライアント関係)について検討し、ムガルの中央宮廷から移動してきたセーニヤーを中心とする大伝統的な宮廷楽師と、地元の伴奏者や踊り子など小伝統的な芸能者のカテゴリーとの差異と相互作用についての考察が主眼である。本章では、ムガル帝国の衰退とともに中央宮廷に集められた楽師たちの地方宮廷への分散と定住がガラーナー形成の契機となったことを検証している。

第6章では、都市に居住する宮廷楽師の子孫たちが、ガラーナーという用語・概念を用いて"われわれ"を語るようになった近代の背景を、英領インド帝国の国勢調査におけるカースト統計と分類、そして反ナウチ(舞踊=売春)運動などとの関連から検討している。そして、植民地政府により行われた国勢調査や民族誌において多様な社会集団に属する音楽家が、4つ目の楽師のカテゴリーであるミーラースィー=ドームという一つの「カースト」に"結晶化"され、社会改革運動の潮流の中でナウチの幇助者として扱われるに至った経緯と、そのようなカテゴリー化に抗するアイデンティティ構築のあり方について議論している。

第II部は、第7章から第9章までの全3章となっており、"近代におけるインド音楽の社会空間"と題し、第I部のガラーナーの社会歴史的背景と、第III部の事例研究を結びつける役割を担っている。より具体的には、20世紀に入って加速されたインド音楽とガラーナーの近代化およびその帰結としての今日の音楽家の社会空間について明らかにすることを目的としている。英領インド帝国下のガラーナー形成期から独立運動を経てポスト形成期に至る20世紀前半、ナショナリズム全盛のこの時代になされた宮廷音楽の国民音楽化と、その過程で行われた北インド古典音楽の理論化、全国的音楽会議での論争、学校教育におけるカリキュラム化(暗黙知の形式知化)、そしてマスメディアの発達による音楽家たちの社会経済的基盤の変化などを事例として取り上げ考察を加えている。

第7章では、旧来的な藩王・領主制が終わりを告げ、音楽家のパトロン=聴衆が王侯・貴族から地方領主へ、そして都市の富裕層から一般知識人へと拡大する流れのなかで、宮廷音楽の国民音楽化に奔走した3人の音楽改革者の活動に注目しつつ、彼らの活動がインド音楽とガラーナーの近代化に与えた影響力について検討している。

第8章では、20世紀に入ってのレコード産業、映画産業、そしてラジオ放送の発展について概観し、その中でも音楽家の日常生活とガラーナーのあり方に最も大きな変化を与えたと考えられる全インド・ラジオ放送All India Radio(AIR)の展開とそのインパクトについて検討している。そして、AIRが音楽の新しいパトロンとなり、古典音楽の大衆化に寄与しただけでなく、音楽家の演奏態度や生活習慣、また音楽表現そのものにも変化を与えたことを示した。

第9章では、第7章と第8章で検討した学校教育やマスメディアの発達などによってもたらされたインド音楽とガラーナーの近代化の今日的帰結を、定量分析と定性調査による把握を試みている。音楽家の属性に関する統計分析(定量的把握)と、サロード・ガラーナーに関連する音楽家の言説分析(定性的把握)を行うことで、現代の音楽状況の一端をマクロな社会空間およびミクロな日常的実践の両視点から考察している。

第III部は、第10章から第14章までの全5章からなる、弦楽器サロードのガラーナーについての事例研究である。第10章はサロード・ガラーナーの歴史と系譜に、第11章は婚姻関係と師弟関係を中心とするガラーナーの社会関係に、第12章はガラーナーの学習過程に、第13章はアイデンティティをめぐるポリティクスに、第14章は新しいガラーナーの可能性と音楽の再生産に関わる音楽家個人の創造性の問題を扱い、具体的な事例を基に検討を加えている。

第10章では、今日まで存続する4つのサロード・ガラーナーの系譜関係を整理し、サロードという弦楽器がインドに持ち込まれ、改良・発明された経緯と、その楽器演奏に特化したサローディヤーがどのようにして誕生したのか、その出自や権威の所在について、それぞれのガラーナーに属する音楽家の口頭伝承や歴史資料に基づいて検討している。

第11章では、前章で取り上げた4つのガラーナーのうち、パターン人起源を主張する二つのガラーナーの婚姻関係と師弟関係との相関について分析している。その目的は、家族・親族を中心とする親密性の高い関係性の中で音楽財産がどのように伝承されてきたのか、また「婚姻連帯」としてのガラーナーがどのような広がりと外縁を有するのか、そしてそのような婚姻連帯が英領インド帝国期から独立後のポスト植民地期にかけての歴史の中でどのように変化してきたのか、という問題群を検討することにある。これらの分析によって、婚姻関係と師弟関係の結びつきが音楽財産の分与・伝承と実践共同体としてのガラーナーの再生産に重要な役割を果たしていたことが明らかにされる。

第12章では、師弟関係とその連鎖からなる実践共同体としてのガラーナーに焦点を当て、音楽的実践知の学習過程と音楽家のアイデンティティ化についてよりミクロな視点から検討している。サロードにおける音楽的実践知の学習が道具(楽器)を通しての暗黙知の身体化プロセスであり、師匠との「わざ言語」を介してなされる知的協働作業であることを明らかにし、師弟関係の連鎖の中で蓄積され学習される音楽的実践知の歴史性と音楽家のアイデンティティ化という、マクロな時間軸とミクロな時間軸の接点について探求している。

第13章では、自らのガラーナーに言及するサローディヤーの語りの政治性に注目する。前章では師弟関係という実践共同体内部における学習プロセスに焦点を当てているのに対して、本章においては実践共同体外部に対する音楽家の言説を検討の対象としている。今日、音楽的・社会経済的に成功した音楽家は、さまざまな機会の語りを通して自らのガラーナーの過去と現在をどのように再構成しようとしているのか。一方、過去の栄光に対し、今日においては決して成功しているとは言えないガラーナーの子孫たちは、そのような言説をどのように受け止め評価しているのか。"われわれ"と"彼ら"の伝統(過去)に対する現在の語り口から、その政治性と再帰的なアイデンティティ化のあり方について考察している。

第14章では、系譜関係、婚姻関係、そして師弟関係という3つの次元からなる社会システムとしてのガラーナーの変容が生み出した、"新しいガラーナー"の可能性について探求している。第II部で検討したインド音楽とガラーナーの近代化、すなわち音楽スタイルの根底にある音楽財産のオープン化が音楽家の日常的実践に与えたインパクトを再検討しつつ、そこから生まれた"新しいガラーナー"が第I部で検討したガラーナーの定義と適応範囲の変更を迫るものなのかを検討する。そして、音楽スタイルの変化に対する音楽家の語りから伝統的システムと個人的創造性との関係について考察を加えている。

結論においては、「音楽の再生産モデル」を音楽形成の歴史、共同体における社会関係、音楽家の主体的行為という異なる水準・時間軸の相互作用として捉えるために、「社会の再生産モデル(3つの時間性)」を援用して第I部から第III部までの議論をまとめ、近代インドにおいて"音楽すること"とはいかなることなのかを述べている。

Merriam, Alan P. 1964 The Anthropology of Music. Chicago: Northwestern University.Anthony Giddens 1979 Central Problem in Social Theory. Berkeley: University of California.
審査要旨 要旨を表示する

田森雅一氏の論文、『近代インドにおける古典音楽の社会的世界とその変容 ー "音楽すること"の人類学的研究 』の目的は、インド古典音楽の、弦楽器、サロードの演奏家集団である「ガラーナー」を対象に、その組織原理と集団概念の歴史的変化に焦点を当て、近代インド社会において"音楽すること"によって生きる人々の、日常的な実践と社会空間を解析することである。

本論文のデータは、田森氏の1987年に始まる、長期にわたるインド音楽の、徒弟的学習体験の中で収集されたものであるが、その間、1997年12月から1999年1月にかけて、集中的なインタビュー調査が行われ、演奏家個々人の資料も得られた。

本論文は、序論に始まり、3部に分かれた14章が続き、結論で終わる。序論では、民族音楽学者のアラン・メリアムの批判的継承と社会学者のアンソニー・ギデンズに依拠しながら「音楽の再生産モデル」を提示する。第1部、「ガラーナーとは何か」では、ガラーナーと呼ばれる音楽家集団が、北インドにおいて歴史的にどのように発生し、ムガル帝国の中でどのように発展し、帝国の弱体化とイギリスの植民地化の中を、どのように生き延びながら変容したかを描く。第2部、「近代におけるインド音楽の社会空間」は、第1部の歴史的背景と、第3部の事例研究とを結びつける役割を果たしている。そこでは、それまでガラーナーによって宮廷音楽として継承されてきたものが、英領インドの統治下、独立運動の中で、いかにして国民音楽に生まれかわることとなったかを、音楽の理論化、音楽家たちの全国的な組織化、学校やレコード、マスメディアを通しての教育と普及、といったことがらを検討することで明らかにする。第3部の「事例研究:サロード・ガラーナーをめぐって」では、今日まで続く4つの主要なガラーナーの系譜関係を婚姻関係と師弟関係の錯綜の中に解明し、ガラーナーメンバー個々人の語りにみられる微細な意味を解読することで、彼ら音楽家たちのアイデンティティがいかに形成されるか、その音楽がいかに再生産されるかを論証する。結論では、現在のインドにおいて、"音楽すること"とはいかなる社会的実践であり、創造であるかを、その将来をも見据えて、説いている。

私たちの生活の中で、音楽が他の何と比べても、非常に高い価値を持つこと は、誰もがうなずくことであろう。しかし、文化人類学において、「民族音楽」としてではなく、「音楽」としての社会的な意味と活動とを正面から見据えた研究は、比較的、少なかった。本論文は、そうした中で、これまでの文化人類学の音楽研究の遅れを取り戻し、力強い出発を促すことに寄与する、堅固でかつ刺激的な労作である。本論文の学問的な貢献を大きく二点に絞れば、第一に、インドにおける長期にわたる参与観察と多くのキーインフォーマントへのインタビュー調査に基づく、そして著者自身がサロードの演奏者であることで初めて可能となる演奏技法の細部にまでわたる詳細な記述を含む、国際的な研究水準を抜く民族誌であることである。具体的には、南アジアを代表するインド古典音楽の集団であるガラーナーを対象に、彼ら個人や集団の意識が形成される土台となった社会関係の構築とその変化、そして彼らが、いかに語り、行為することによって日常的実践を遂行しているのか、をこと細かに記述し、解説し、その実態を 私たちの知識として、共有出来るものとしたことである。第二に、「音楽と社会」をめぐる研究に大いに寄与する理論的な成果であることである。それは、"音楽すること"にまつわる音楽家の日常的実践と社会空間を、音楽形成の歴史、共同体における社会関係、音楽家の主体的行為という異なる水準の相互作用として 捉えなおすために、3つの時間性、すなわち(1) 制度の再生産、(2) 人間の再生産、(3) 相互行為の再生産、という分析的視点を導入したことによる。このような時間性の導入により、構造の現れとしての制度が維持ないし変化するマクロな歴史的過程、共同体における学習過程と社会関係が結び合う過程、そして人々の相互行為が織りなすミクロな実践的過程という3つのレベルでのガラーナーの検討が可能になり、そのことが"音楽すること"の人類学的研究および「音楽と社会」をめぐる理論的研究を大きく前進させた。

むろん、本論文にも、問題点がないとは言えない。ことにいくつかの理論的援用が、かえって著者のデータ自体が発揮したであろう豊かさを減じているのではないか、という恨みが残った。しかしながら、本論文の持つ価値は充分に高いものがあり、本論文は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしていると判断された。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしい、と判定した。

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