学位論文要旨



No 217563
著者(漢字) 長谷川,絵里
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,エリ
標題(和) 日本の針葉樹に産するナラタケ属菌のDNA配列による識別と生態
標題(洋) Sequence-based identification and ecology of Armillaria species on conifers in Japan
報告番号 217563
報告番号 乙17563
学位授与日 2011.10.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17563号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 教授 山田,利博
 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 准教授 久保田,耕平
 東京大学 准教授 松下,範久
内容要旨 要旨を表示する

ナラタケ属菌は汎世界的に分布し,樹木の根系腐朽病害である「ならたけ病」の病原である。日本ではこれまでに約10種のナラタケ属菌が報告されている。本論文では,ナラタケ属菌の分類の歴史を概括し,これまでの種の識別方法について,実用上の見地から検討を加えた。その知見にもとづき,日本産ナラタケ属菌のDNA配列による識別を試み,日本の針葉樹に産するナラタケ属菌の生態を,採集データから明らかにした。

ナラタケ属の分類学的な位置づけに歴史的な問題があったことと,子実体の形態に基づいた種の識別に伴う困難から,1970年代後半まで,ナラタケ属の種の分類と識別は混乱状態にあった。現在,ナラタケ属には約40種があるとされているが,かつて多くの樹病学者は,ならたけ病の病原である,子実体につばのあるナラタケ属の種を「ナラタケ」一種としていた。そのため,「ナラタケ」は汎世界的に分布し,子実体の形態の変異に富み,強い病原とされたり,あるいは腐生菌とされたりするなど幅広い生理・生態的性質を示し,針葉樹・広葉樹を含む広い範囲の宿主を持つ謎に満ちた種とされた。一方,分類学的には,属の性質を決定するタイプ種の選定に複数の説があったため,属の範囲自体にいくつかの解釈が併存するという混乱があった。その混乱を乗り超えてのちにも,子実体の形態の記載の困難が難問として残った。

1970年代後半に,複数の子実体由来の単胞子分離菌株の交配試験の結果,ナラタケ属の子実体につばのあるものの中には数種の「生物学的種」が含まれることが発見された。「生物学的種」のそれぞれは固有の形態的特徴を備えていることが明らかになり,子実体につばのあるナラタケ属菌は生物学的種にもとづいて記載されるようになった。これに伴い,種ごとの生理・生態が記録されるようになり,ナラタケの謎とされた多様な性質は多種の混同の結果であったことが明らかになりつつある。1980年代には,分子生物学的手法による種の識別,および種の系統関係の解析が盛んに行われるようになった。その結果,交配試験による生物学的種の識別を行わずに,分子生物学による系統解析と形態の記述のみで種を記載する例が見られるようになった。

今日,ナラタケ属の種の識別法には,子実体の形態,テスター菌株との交配,分子生物学的手法の3通りがある。これらの方法のもたらす結果はおおむね一致するが,細部では必ずしも一致しない。例えば異なる生物学的種の子実体がほとんど同じ形態を示したり,よく種の識別に用いられる領域のDNA配列が,異なる生物学的種の間で極めて違いが少なく種が識別できない例があるなどであり,各手法はそのことに留意して使用する必要がある。各手法の実用上の問題は,子実体の形態には子実体の発生する期間が限られることが,交配試験にはテスター菌株の一揃いと時間と労力が必要で,特に組織分離菌株の識別の結果が不明瞭な場合があることが挙げられる。分子生物学的手法は,迅速で再現性が高く明瞭な結果が得られる手法である。さらに,分子生物学的手法は単胞子分離菌株・組織分離菌株の別なく明瞭な種の識別が可能なことから,菌糸膜・腐朽材片などからの組織分離菌株を採集して使用することの多い菌類生態の研究では,活用すべき手法と考えられる。

一方,生物学的種の発見以降,ナラタケ属各種の生理・生態についての知見が世界的に蓄積されつつある。日本と共通する種の多い欧米では,多くの種の分布・寄主選好・病原性等が,野外観察と接種試験の両面から調査されており,比較的好温性で暖温帯に分布する種から逆に北方林に分布する種,しばしば針葉樹の病原である種や広葉樹の病原である種,主に腐生菌である種などが知られている。日本では,主要な針葉樹造林樹種のすべてにならたけ病が記録されており,経済的に重要であるにもかかわらず,種の識別に着目したならたけ病研究が非常に少ない。その原因の一つに,種の識別の困難が挙げられるだろう。本論文は,分子生物学的マーカーを用い,迅速かつ明瞭な種の識別を試み,野外で針葉樹から採集された菌株にその方法を適用し,日本産ナラタケ属菌の生態を明らかにすることを目的とした。

日本産ナラタケ属菌の種の識別の正確性を比較するため,交配試験で識別されたナラタケ属8種 (Armillaria mellea,A. ostoyae,A. gallica,A. cepistipes,A. nabsnona,A. sinapina,A. tabescens,生物学的種Nagasawa's E) に属する49菌株を用い,ポリペプチド鎖翻訳伸長因子1α (EF-1α) 遺伝子,リボゾームRNAをコードするDNAクラスタ (rDNAクラスタ) のinternal transcribed spacer (ITS) 領域,intergenic spacer (IGS) 領域の塩基配列を分析した。ITSとIGSの解析では5種が識別できたが,残りの3種である A. gallica,A. cepistipes,A. sinapinaの識別はできなかった。DNA配列からコンピュータでシミュレートしたIGS-1領域の制限酵素断片多型ではほとんどの種を識別できたが,4つの制限酵素を用いても,A. cepistipesとA. sinapinaの一部の菌株の識別ができなかった。EF-1α遺伝子の解析の結果は交配試験の結果とよく一致し,供試した8種を識別できた。結論として,今回用いた手法のうち,EF-1α遺伝子のDNA配列が最もナラタケ属の種の識別に適していることが明らかになった。一部の菌株のrDNA配列が判読できなかったが,rDNAは重複遺伝子であり,ゲノム内ヘテロがあったためと考えられた。このようなケースでDNA配列を判読するには,シーケンス前にクローニングを行うことが必要であり,簡便さ・迅速さに欠ける。通常単一遺伝子とされる菌類のEF-1α遺伝子を利用した方法は,この点でも種の識別法として優れていると考えられた。

海外のナラタケ属菌の既報のEF-1α遺伝子の情報を加えて系統樹を作成したところ,おおむね同種は同クレードまたは近接したクレードを形成した。しかし,一部の菌株は同種のまとまりから離れた位置に配されたため,海外菌株を加えた解析には,より多くの菌株データを用いた検討が必要と考えられた。Nag. Eはいずれの系統樹でも独立したクレードを形成し,交配のみならず分子系統でも明確な種であることが示された。

日本の針葉樹に産するナラタケ属菌の生態を解明するため,採取時の記録に基づき,ナラタケ属各種の分布・寄主選好・潜在的な病原性を解析した。子実体組織・菌糸膜・根状菌糸束・腐朽材片・単胞子を分離源とし,日本の主要な造林樹種6種を含む19種の針葉樹から65菌株が採集された。これらの菌株とテスター菌株との交配およびEF-1α遺伝子のDNA配列により,7種のナラタケ属菌が識別された。組織分離菌株とテスター菌株との交配試験では不明瞭な結果があったが,EF-1α遺伝子を利用した方法では全ての菌株が明瞭に識別された。これらの菌株のうちA. mellea,A. ostoyae,A. cepistipes,A. sinapina は高い頻度で検出された。採集地の暖かさの指数から,各菌種の温度への指向性を調べたところ,A. sinapina は寒冷地に,A. melleaは温暖地に出現する傾向が表れた。A. sinapina は初めて北海道以南で記録され,関東・中部の亜高山のシラベ・オオシラベから多く分離された。A. ostoyaeおよびA. cepistipesは多くの樹種を利用していたが,A. melleaは特にヒノキを選好することが明らかになった。A. nabsnona,A. tabescens,Nag. E の採集は希であり,採集されなかったA. gallica を含め,これら4種は主に広葉樹を基質として利用すると考えられた。各菌種の潜在的な病原性を評価するため,菌株が分離された基質の状態を,ナラタケ属菌が形成層に寄生している生立木,ナラタケ属菌が形成層に寄生している枯死後1年以内の枯死木,ナラタケ属菌が形成層に寄生している枯死後1年以上の枯死木,ナラタケ属菌が心材腐朽を起こしている病徴のない生立木,ナラタケ属菌が腐朽を起こしている倒木・伐根等の5つにクラス分けしたところ,A. mellea,A. ostoyae,A. cepistipes,A. tabescens は生立木かつ形成層に寄生されている状態,および枯死後1年以内の枯死木かつ形成層に寄生されている状態の寄主から分離されていた。これらの種は生立木に感染して衰弱・枯死させる能力がある,もしくはその可能性が高く,日本の針葉樹の中程度~強い病原と考えられた。

針葉樹から採集された7種のうち6種は,ヨーロッパもしくは北アメリカに同種が存在している。これらについて分布・寄主・病原性を比較したところ,多くの類似点と共にいくつかの相違点があった。例えば,欧米の A. mellea は多くの樹種を基質として利用するのに対し日本の A. mellea はヒノキを特に選好する,日本・欧州の A. cepistipes は両方とも多くの樹種を基質として利用するが,日本の A. cepistipes は特にスギからの採集が多い,欧州の A. tabescens は多くの場合広葉樹の腐朽菌とされ針葉樹への加害の報告はないが,日本のA. tabescens の針葉樹への加害の例は本研究を含め数例が報告されている等である。これらの結果は,これらの種が異なる環境に適応し,分化の途上にあることを示唆していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

「ならたけ病」は、世界の森林に大きな被害を与えている根系腐朽病害の一つである。我が国でも、林業的価値が高い針葉樹に被害が出ることから、その実態の把握が重要となっている。「ならたけ病」の病原であるナラタケ属菌は、汎世界的に分布し、日本でもこれまでに約10種のナラタケ属菌が報告されているが、病害把握のためにも、それらの種の簡便でかつ解像度が高い識別法と、それによるそれぞれの種の生態的特徴の把握が必要となっていた。こうした背景のもとで、本論文では、ナラタケ属菌の分類の歴史を全般的に概括し、その上で、これまでの日本産ナラタケ属菌種の識別方法について、実用上の見地から検討を加え、新たな改良法を確立している。更にその種の識別方法に基づき、日本の針葉樹に産するナラタケ属菌各種の生態を、採集データから明らかにしている。

第一章では、ナラタケ属の分類学的な位置付けと、従来からの種の識別法に関し、詳細にレビューしている。

第二章では、いくつかのタイプのマーカーを用いて、種が同定されている保存試料の塩基配列を決定し、それによる系統樹を作成した。それに基づき、日本産ナラタケの種識別には、従来用いられてきたリボゾームRNAをコードするDNAクラスタ (rDNAクラスタ) のinternal transcribed spacer (ITS) 領域、intergenic spacer (IGS) 領域の塩基配列を利用する分子系統学的な種識別法に較べ、EF-1α遺伝子のDNA配列を用いた方法を適用すると、より解像度の高いナラタケ属菌種の識別が可能になることを明らかにしている。

第三章では、日本の針葉樹に産するナラタケ属菌の生態を解明するため、子実体・菌糸膜・根状菌糸束・腐朽材片・単胞子を分離源とし、日本の主要な造林樹種6種を含む19種の針葉樹から65菌株を採集した。次いで、分離菌株とテスター菌株との交配およびEF-1α遺伝子のDNA配列により採集試料の菌種を同定し、採集時の位置、寄主および生育基質の記録に基づき、同定された日本産ナラタケ属菌各種の分布・寄主選好・潜在的な病原性を解析した。その結果、分布については、採集地の暖かさの指数から、A. sinapina は寒冷地に、A. melleaは温暖地に出現する傾向を見いだしている。なお、北海道より南に分布するA. sinapinaを見いだしているが、これは初めての知見である。寄主選好性については、A. sinapina が亜高山のシラベ・オオシラベに、A. ostoyaeおよびA. cepistipesは広い範囲の樹種に、A. melleaはヒノキを特異的に選好することを明らかにしている。さらに、病原性に関しては、菌株分離場所の基質の状態をもとに、我が国のナラタケ属菌のうちでは、A. mellea、A. ostoyae、A. cepistipes、A. tabescens の四種が、生立木に感染して衰弱・枯死させる能力が高いことを明らかにしている。一方、本章では、これらの菌の分布・寄主・病原性を、ヨーロッパもしくは北アメリカに産する同種のナラタケ属菌と比較し、日本産ナラタケ属菌種それぞれがもつ特徴の普遍性と特殊性も論じている。

以上のように本研究では、我が国の森林に大きな打撃を与える根系腐朽病害の病原である日本産ナラタケ菌に関し、実用的で解像度の高い種識別法を確立すると共に、病害防除上重要ないくつかの生態特性を明らかにしている。得られた知見は独創的、先駆的でありかつまた学術上、応用上の意義も大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク