学位論文要旨



No 217566
著者(漢字) 水越,弓子
著者(英字)
著者(カナ) ミズコシ,ユミコ
標題(和) NMRによるペプチドリガンドの迅速スクリーニングと構造決定
標題(洋)
報告番号 217566
報告番号 乙17566
学位授与日 2011.10.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17566号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 清水,敏之
 東京大学 教授 井上,将行
内容要旨 要旨を表示する

ペプチドリガンドの研究は、機能既知のレセプター作動薬(アゴニスト)、反作動薬(アンタゴニスト)の探索のみならず、ゲノム解析から新規に同定されたレセプターの機能研究や、抗体に代わるバイオドラッグの候補として盛んに行われている。しかし、ペプチドリガンドをそのまま薬剤とするには生体内での安定性が低い等の問題があり、その作用を持つ別の分子を創造する必要が生じる。この際もっとも必要とされるのが、ペプチドリガンドの作用点の解析と構造情報である。詳細なファルマコフォア情報が得られれば、in-silicoスクリーニング等の手段により、3次元で活性化合物の同定が可能となり低分子創出への道程が短縮される。

本論文は、標的タンパク質と結合するペプチドリガンドを迅速に同定し、さらにペプチドの結合状態における詳細な構造を解析するという二つの目的で研究を行ったものである。一つ目はファージライブラリーから得られたペプチドリガンドをそのまま、安定同位体ラベルペプチドとし、NMRで結合のスクリーニングを行ったものであり、二つ目は得られた複数のペプチドリガンドの結合状態における構造をこれまで適用例のなかった交差相関緩和法を体系的に適用して、詳細に解析したものである。

1.ペプチドリガンドのスクリーニングに用いたファージからNMR解析可能な同位体ラベルペプチドを直接調製する方法の開発

従来の方法ではペプチドリガンドを得てから、NMR解析可能な同位体ラベルペプチドを調製するまでには、タンパク質と融合した形で発現精製するため、多工程あり、日数にして短くとも2週間を要していた。そこで、本研究ではこれを短縮する目的で本来スクリーニングソースとしてのみ用いられるペプチド呈示ファージから直接ペプチドを切断し、ペプチドリガンドを得る方法を考案した。これが達成できれば、遺伝子操作による新たな発現系構築や、融合タンパク質の精製などの工程数を大幅に削減できるため、最短3日間でペプチドリガンドが得られる。ファージは大腸菌中で増殖するため、通常の同位体標識用培地で培養することで同位体ラベルペプチドを得ることができる。

この方法を達成するため、ファージライブラリーに3つの修飾を施した。1点目はペプチドをM13ファージの主要外郭タンパク質g8p(1ファージ粒子中2700コピー)に融合したこと、2点目はg8pとペプチドを化学的に切断できるようにg8pの最初の残基をAlaからMetに変異させた点、3点目はペプチドライブラリーを融合したg8pの遺伝子をファージミドベクター内のプロモーター下流に挿入したことである。この3点目の修飾により、スクリーニング時と大量発現時でペプチドを呈示するg8pの発現頻度を調節することが可能になる。

10残基のランダム配列からなる新規ファージライブラリーを抗Fas抗体を用いてスクリーニングした結果、4ラウンドのパニングから5種類のクローンが選択された。これらのクローンのうちの1種類を大量培養し、集めたファージから化学的にペプチドリガンドを切断後、精製した結果、発現誘導時(プロモータ-作動薬添加時)と非誘導時では発現誘導時の方が、目的ペプチドが約100倍多く得られることが示された。50mLの培養から精製されたペプチドの収量は約20μgであり、一回のNMRによる結合スクリーニングに十分な量であった。

2.ペプチド呈示ファージから直接調製した同位体ラベルペプチドのNMRによる結合スクリーニング

前項で選択された、即ち、ファージ上に呈示されていたときには標的タンパク質である抗Fasリガンド抗体と結合していた5種類のクローン全てを、前項の方法に従って培養・精製し同位体ラベルペプチドを得た。これらの同位体ラベルペプチドの結合活性をNMRによって解析した。まず、ペプチドのみの時の1H,15N HSQCスペクトルを測定し次に抗Fasリガンド抗体を加えたときの1H,15N HSQCスペクトルと比較した。1H,15N HSQCスペクトルで観測されるシグナルは化学的・物理的環境の変化に非常に鋭敏なため、ペプチドが分子量の大きいタンパク質に結合すると、その結合した部分のシグナル強度が減弱あるいは消失する。ペプチド1, 2, 3でそのシグナル強度が減弱、消失した数が多く、ペプチド4, 5では少なかった。この結果からペプチド1, 2, 3の結合活性が、ペプチド4, 5より強いことが予想された。これを表面プラズモン共鳴(SPR)法で確認したところ、ペプチド1, 2, 3の結合活性が、ペプチド4, 5より約10倍強いことが分かった。このように、それぞれのペプチドの結合活性はファージ上に呈示された状態では明確でないが、同位体ラベルペプチドを用いたNMR解析ではその差が明確になる。こうしてNMRによる結合スクリーニングでペプチド1, 2, 3を選択し、さらなる解析へと進めた。

さらに、同位体ラベルペプチドとノンラベルのペプチドを組みわせることでNMRによる解析を行った結果、ペプチド1と2は競合し、ペプチド2と3は競合しないことが分かった。また、SPR実験でペプチド2はこの抗体の本来のリガンドであるFasリガンドと抗体の結合部位で競合することが示された。

3. ペプチドリガンドの構造解析

前項のNMRとSPRによる相互作用解析の結果、ペプチド1, 2はアミノ酸配列上のホモロジーは低いにも関わらず、結合サイトで互いに競合し、さらにその結合サイトは本来のリガンドであるFasリガンドの結合サイトでもあることが示された。これらのペプチドリガンドの抗体結合状態での立体構造に共通項があるのか興味が持たれた。そこで、これらのペプチドリガンドの結合状態での構造解析を試みた。

ペプチドのNMRによる構造解析はこれまでにも多く報告されているが、従来の原子間距離情報に基づくNOE法ではペプチドのコンフォメーションによっては情報が限られ、構造決定が難しいことが知られている。

上記のペプチド1, 2の結合状態での構造を 交感系の転移NOE(TrNOE)法で決定しようと試みたが、情報量が少なく、得られたNOEシグナルの殆どが近接する残基間であったため計算構造も収束度の低いものであった。そこで、原子間距離情報を補完する別種の情報が必須であると考えた。

原子間距離情報を補完する情報として、主鎖二面角情報がある。ペプチドは残基と残基の間のペプチド結合が平面性をもつため、ψアングル、φアングルが正確に決定できれば、主鎖構造が規定される。1997年、GriesingerやKayによって主鎖二面角は交差相関緩和法により実験的に求められることが報告された。ところが、これまで結合の弱いペプチドリガンドの解析(交感系)において、転移交差相関緩和法を適用して2種類の主鎖二面角を得、ペプチドの結合状態での構造を決定した例は報告されていない。2種類の主鎖二面角情報を体系的に導入するためには障壁となる以下の3つの項目を克服する必要があった。(1)安定同位体標識したリガンドが必要となる。(2)これまで報告されていた3次元測定では感度が悪く、長時間の測定を要する。(3)φアングル分子量の大きいもの(>20K Da)は測定できない。(1)に関しては、前項で確立した迅速ラベルペプチド調製法により、短時間でラベルペプチドを得ることができるようになった。(2)に関しては、本研究室で最近開発された2次元測定法を応用することで測定感度も上昇し測定時間が約1/3に短縮された。(3)の分子量制限については、転移交差相関緩和法の測定法、ならびに解析法を開発したため、ペプチドリガンドの分子量(~数K Da)となり、標的分子の分子量制限は無くなった。

上記のペプチド1, 2を同位体ラベル標識したものに、抗体を添加し交差相関緩和速度を測定した。この二面角情報を、TrNOE法で得られた原子間距離情報に加え構造計算を行なった。200個計算した構造のうち、安定構造20個の構造について、主鎖の収束度を求めた結果、原子間距離情報のみから計算された構造と比較すると、rmsdがペプチド1 で1.47 ± 0.30 A から 0.94 ± 0.27 Aへ、ペプチド2で 1.32 ± 0.37 A から 0.37 ± 0.10 Aへとそれぞれ向上した。

それぞれのペプチドの1残基変異体と抗体との結合実験(SPR法)から、結合に重要な残基はペプチド1ではVal5, Arg7, Trp10であり、ペプチド2ではPhe3, Arg5, Leu8であることが示された。これらの残基を含む領域が結合のコアであると考えられる。二つのペプチドの最安定構造のコア領域を主鎖で重ね合わせたところ、主鎖間rmsdが1.06 Aと非常によく一致し、かつ結合に重要であることが示されたそれぞれの3残基の側鎖の方向も一致していた。アミノ酸配列ではホモロジーの低い2種類のペプチドの、標的タンパク質に結合した構造が3次元的には一致するという興味深い結果が得られた。

結論

以上をまとめると、第一に、新規に開発したファージディスプレー法を用い、リガンドスクリーニングから複数のペプチドリガンドのNMR解析までを迅速に行える方法を確立した。第二に、主鎖二面角情報を得るための体系的方法を確立したことにより、従来の原子間距離情報を補完できるようになり、従来法では困難であったペプチドリガンドの立体構造を高精度に決定できた。第三に、複数の結合の弱いペプチドリガンドの高精度な結合構造から、結合モチーフの同定が可能であることを示すことができた。

本研究は、これまでスクリーニングソースとしてのみ利用されていたファージライブラリーを、ペプチドを融合する一つのタンパク質として活用し、ペプチドを呈示したファージから直接ペプチドを精製した初めての例である。NMR解析可能な収量が得られるため、他のアッセイ系にも適用できるペプチド作製法であると考えられる。また、同位体ラベルペプチドを用いた転移交差相関緩和法による、ペプチドリガンドの結合状態での体系的な二面角情報の取得はこれまで報告例がない。結合の弱いペプチドリガンドでは、他にこの二面角情報を得る手段がないため、これまで構造が明らかにできなかったペプチドリガンドの構造を解析する有用な方法であると確信する。

審査要旨 要旨を表示する

本学位論文は、NMRの手法により、標的タンパク質と結合するペプチドリガンドを迅速に同定し、さらにペプチドの結合状態における詳細な構造解析を行った研究に関するものである。ペプチドリガンドをリードとする低分子薬開発の問題点は、ペプチドリガンドの構造自由度が高いため、活性なコンフォメーションが予想できない点にある。ペプチドのスクリーニングから、標的タンパク質と結合した活性なコンフォメーションでの構造決定、複数のリガンド問に共通の三次元構造の抽出、高アフィニティリガンドのデザインまでの工程を体系的にすすめる必要があると考えられる。従って、標的タンパク質と結合するペプチドを迅速にスクリーニングし、結合状態での構造解析を達成することにより詳細なファルマコフォア情報が得られれば、in-silicoスクリーニング等の手段により、3次元での活性化合物の探索・同定が可能となり低分子創出への道程が短縮されることが期待される。本論文では、ペプチドリガンドのスクリーニングソースとして、ファージライブラリーを、構造決定の手段として、低アフィニティのものにも応用可能なNMRを用いている。

本論文はファージライブラリーから得られたペプチドリガンドをそのまま、安定同位体ラベルペプチドとし、NMRで結合のスクリーニングを行った研究(第二章)と第二章で得られた複数のペプチドリガンドの結合状態における詳細な構造解析に関する研究(第三章)から構成されている。

第二章では、ファージ粒子からペプチド部分を直接切断できる新規なライブラリーシステムを構築し、同位体ラベルペプチドの調製の効率を上げている。これまで、陽性クローンの選択から同位体ラベルペプチドの獲得まで2週間を要していたスキームを、同位体ラベルファージから化学的に切断し、HPLCによる1ステップの精製スキームに変更できたことにより、3日間に短縮できている。さらに、同位体ラベルペプチドを用いたNMR解析により、ファージライブラリーから得られたペプチドの結合活性が迅速に評価できているだけでなく、ペプチドそれぞれの残基レベルでの結合部位の推定や、他のペプチドとの結合様式を解析している。

第二章では先ず、10残基からなるランダムペプチドライブラリーをファージ上に呈示させている。この際、ペプチド部分の大量発現を可能にするため、ライブラリー部分をファージ中にもっとも多いコピー数を持つ主要外郭タンパク質g8pに融合している。また呈示量の調節が可能なように、ファージミド内のlacプロモーター下流にファージライブラリーをコードする遺伝子を挿入している。さらにペプチド部分をファージから化学的に切断可能なように、methionine残基を変異により導入している。このライブラリーシステムを抗Fas抗体に対してスクリーニングし、複数のクローンを得たのち、それぞれを同位体標識用培地で増殖させ、同位体ラベルペプチドを大量に精製している。同位体ラベルペプチドを用いることで、簡便なNMR測定が適用でき、ペプチドリガンドはその結合能によって取捨選択されている。以上の検討から、本章で構築した新規ライブラリーシステムが、ペプチドリガンドの結合能を判断する迅速なスクリーニング法である事を示した。

第三章では、第二章で得られたFasLと競合した2種類のペプチドの結合状態での構造決定をNMR法により試みている。まず初めに、従来法である原子間距離情報に基づく方法(Nuclear Overhauser Effect,NOE法)で決定することを試みているが、両ペプチドとも原子間距離情報は限られたものしか得られず、詳細な構造決定に至っていない。そこで本章では、これを補完する方法としてペプチドの二面角情報を与える交差相関緩和法(cross correlated relaxation,CCR法)の適用を試みている。これまで交差相関緩和法をペプチドの構造決定に用いた例は非常に少なく体系的に適用する方法がなかった。ペプチドのどの領域にこの情報を適用できるのか、またどのような測定条件にするか、得られた結果を構造決定時の拘束条件にする方法を検討し、ペプチドの構造決定を行っている。NOE法で得た情報に交差相関緩和法で得た情報を加えることで、ペプチドの結合状態における構造の収束度は顕著に上昇している。また変異体を用いたSPR実験から重要残基の特定を行っており、両ペプチドについてそれぞれ不連続な3残基を同定している。二つのペプチドを重要残基を含む領域同士、主鎖で重ね合わせたところ、非常によく重なり、重要残基の側鎖の方向も両ペプチドで一致していた。この領域がファルマコフォアであると考えられる。弱い結合能を示す複数のペプチドリガンドから三次元でのファルマコフォア情報が得られたことは、ペプチドリガンドからの低分子創出研究に貢献できると考えられる。

以上、本研究は、これまでスクリーニングソースとしてのみ利用されていたファージライブラリーを、ペプチドを融合する一つのタンパク質として活用し、ペプチドを呈示したファージから直接ペプチドを精製した初めての例である。またNMR解析可能な収量が得られるため、他のアッセイ系にも適用できるペプチド作製法であると考えられる。

さらに、転移交差相関緩和法によるペプチドリガンドの標的結合状態での体系的な二面角情報の取得法は、結合の弱いペプチドリガンドでは他にこの二面角情報を得る手段がないため、これまで構造が明らかにできなかったペプチドリガンドの構造を解析する有用な方法であると期待されることから、本研究は博士(薬学)の学位授与に値すると判断した。

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