学位論文要旨



No 217567
著者(漢字) 唐澤,博史
著者(英字)
著者(カナ) カラサワ,ヒロシ
標題(和) 遺伝的背景を利用した新しい2型糖尿病マウスモデルの作製と解析
標題(洋)
報告番号 217567
報告番号 乙17567
学位授与日 2011.10.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17567号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 有田,誠
内容要旨 要旨を表示する

第1章:序論

2型糖尿病の病因には、環境・生活習慣因子と遺伝因子の両者が重要である。近代的なライフスタイルは慢性的なエネルギー過剰により肥満を発症させインスリン抵抗性を惹起する。さらに、膵β細胞のインスリン分泌機能が異常を来たすことにより、インスリン抵抗性状態は2型糖尿病に移行するが、この過程には個人差及び民族差が大きく膵β細胞の耐性は主に遺伝因子によって規定されると考えられている。

2型糖尿病の研究には優れた動物モデルが必要であるが、理想的な2型糖尿病マウスモデルの確立には至っていない。これまでに、ヒトの2型糖尿病に病因・病態の類似したモデルとして、C57BL/6 (B6) 正常マウスに高脂肪食を与えて肥満を誘導した食餌誘導性モデルが報告されているが、その病態は肥満及びインスリン抵抗性病態にとどまっており、2型糖尿病の発症には至っていない。2型糖尿病の動物モデルは、その病態要素として膵β細胞機能異常を含むことが必要と考えられる。

現在、B6は代表的な正常マウス系統として各領域で汎用されているが、本系統は膵β細胞の耐性が強い遺伝的背景を持つため、2型糖尿病モデルとして利用するには不向きと考えられる。一方で、C57BLKs (BKs) やDBA/2は膵β細胞の耐性が弱い遺伝的背景を持つことが示唆されている。

マウス系統における糖尿病発症の違いが遺伝的に規定された膵β細胞の耐性の違いに起因するとすれば、BKsやDBA/2マウスは高脂肪食負荷による食餌性肥満の誘導により糖尿病を発症し、優れた2型糖尿病マウスモデルになることが期待される。しかしながら、両系統は高脂肪食による肥満誘導に対して抵抗性を示すために、2型糖尿病を発症するのに十分な肥満を誘導することが出来なかった。

これらの事から、理想的な2型糖尿病マウスモデルの確立には、膵β細胞が脆弱な遺伝的背景を持つマウスにおいて重度の肥満を誘導することにより、インスリン抵抗性状態から2型糖尿病発症に至らしめることが重要であると考えられる。

上記の仮説に基づき、本研究では2つの異なる手法を用いることで従来のモデルの問題点を克服し、正常マウスが肥満から糖尿病を発症する2型糖尿病マウスモデルを確立するに至った(第2章、第3章)。さらに、確立された2型糖尿病マウスモデルを用いて、膵β細胞機能異常と糖尿病発症にかかわる原因遺伝子を探索し、候補遺伝子の機能解析を行なった(第4章)。

第2章:高脂肪食負荷BDF1マウス2型糖尿病マウスモデル

B6マウスは高脂肪食負荷によって著しい肥満を発症するが、膵β細胞の耐性が強く糖尿病を発症しない。一方、DBA/2マウスは膵β細胞の耐性が弱いものの、高脂肪食負荷によって十分に肥満しない。本検討では、両マウス系統の交配により、高脂肪食負荷により肥満する形質と膵β細胞の耐性が弱く肥満糖尿病を発症しやすい形質とを両立させることで、2型糖尿病モデルの確立を試みた。

B6マウスとDBA/2マウスのF1雑種であるBDF1マウス(雄性)を購入し、通常食または高脂肪食を与えて肥満と糖尿病の発症を検討した。7週齡より高脂肪食を与えたBDF1マウスは、著明な体重増加と脂肪蓄積を呈する肥満を形成した後に、約3ヶ月で著しい高血糖と糖尿、及びHbA1C上昇を呈する糖尿病を発症した。血漿中のインスリン濃度は上昇し、インスリン抵抗性が示唆された。これらのマウスは経口糖負荷試験において著しい耐糖能異常を示すとともに、糖負荷直後のインスリン分泌応答不全を呈した。また、膵ランゲルハンス島のインスリン含量は低下し、in vitroにおけるグルコース応答性のインスリン分泌能も低下していた。

これらの結果から、BDF1マウスはB6マウスの肥満しやすい形質とDBA/2マウスの膵β細胞が脆弱な形質を併せ持つことにより、高脂肪食負荷により肥満糖尿病を発症することが示された。糖尿病を発症したBDF1マウスにおいては、in vivoおよびin vitroでインスリン分泌能の低下が認められ、インスリン抵抗性に対する膵β細胞の代償不全が糖尿病発症の原因と考えられた。

本モデルは、病因的には正常動物が高脂肪食によって肥満から糖尿病を発症する点で、病態的にはインスリン抵抗性からβ細胞機能異常により糖尿病を発症する点で、ヒトの2型糖尿病に類似していると考えられる。本モデルは、2型糖尿病の発症メカニズムの解明および、その治療薬の薬効評価に有用と期待される。

第3章:GTG処置過食肥満マウス2型糖尿病マウスモデル

DBA/2マウスやBKsマウスは膵β細胞が脆弱な遺伝的背景を持ち、肥満から2型糖尿病に移行しやすいと考えられるが、高脂肪食負荷による肥満誘導には抵抗性を示す。本検討では、満腹中枢の存在する視床下部腹内側核のグルコース受容ニューロンを選択的に破壊するgold thioglucose (GTG)投与により過食肥満を誘導し、2型糖尿病マウスモデルの確立を試みた。

いずれも雄性のB6、DBA/2、BKs、及びBDF1マウスを購入し、7週齡でGTGまたはsaline (対照群)を腹腔内投与し、全群を通常食で飼育して肥満と糖尿病の発症を検討した。各系統のGTG処置マウスはいずれも過食性の肥満を呈し、対照群に対する体重増加および体脂肪率の上昇は4系統でほぼ同様であった。このとき、DBA/2、BKs、及びBDF1系統のGTG処置マウスは、体重増加に伴って著しい血糖値上昇を示す糖尿病を発症した。一方で、B6系統のGTG処置マウスは3系統のマウスと同程度の体脂肪・内臓脂肪量を示しながらも正常血糖を維持し、糖尿病を発症しなかった。DBA/2、BKs、及びBDF1系統のGTG処置マウスは約3ヶ月後に実施した耐糖能試験において顕著な耐糖能悪化と、糖負荷後のインスリン応答不全を示した。

これらの結果から、膵β細胞の耐性が弱い遺伝的背景を持ち、肥満から糖尿病に移行しやすいと考えられたDBA/2マウスおよびBKsマウスが、GTG処置による肥満誘導によって肥満糖尿病を発症することが示された。また、第2章にて同様の形質が示唆されたBDF1マウスも糖尿病を発症した。糖尿病を発症した3系統では、糖負荷試験におけるインスリン分泌低下と、膵ランゲルハンス島のインスリン含量低下が認められ、膵β細胞の機能不全が肥満糖尿病の発症の重要な原因と示唆された。なお、本検討では通常食において糖尿病を発症したことから、膵β細胞の機能不全の原因は脂質の過剰摂取による代謝異常ではなく、肥満とインスリン抵抗性によることが示唆される。

本モデルの病態はヒトの2型糖尿病に類似していると考えられ、2型糖尿病の発症メカニズムの解明および、その治療薬の薬効評価に有用と期待される。

第4章:DNAマイクロアレイを用いたRaldh3の同定と機能解析

高脂肪食負荷BDF1マウスで発症した糖尿病は、膵β細胞の機能異常に基づくと考えられる。本検討では、DNAマイクロアレイを用いて膵ランゲルハンス島の遺伝子発現解析を行い、肥満糖尿病で特異的に発現の上昇する遺伝子としてRetinaldehyde dehydrogenase 3 (Raldh3) を同定し、機能解析を行った。Raldh3はレチナールからレチノイン酸への変換を触媒する酵素であり、レチノイン酸合成組織で発現が認められるものの、その生理的機能は不明な部分が多い。

高脂肪食負荷によって糖尿病を発症したBDF1マウスの膵島におけるRaldh3の発現レベルは、通常食を与えた対照と比較して約7倍に上昇していた。また、遺伝的糖尿病モデルであるdb/dbマウスの膵島においても、糖尿病の発症前後で約20倍の著しいRaldh3発現上昇が認められた。また、膵β細胞とα細胞に由来するMIN6細胞とalphaTC1 clone 9細胞を、高血糖を模した高グルコース条件で培養すると、いずれの細胞でもRaldh3発現が著しく亢進したことから、Raldh3は高血糖条件下において、膵β細胞とα細胞で発現が亢進することが示唆された。さらに、MIN6細胞とalphaTC1 clone 9細胞にRaldh3を強制発現させた結果、MIN6細胞からのインスリン分泌が低下する一方で、alphaTC1 clone 9細胞からのグルカゴン分泌が増加し、Raldh3がインスリン分泌を抑制しかつ、抗インスリンホルモンであるグルカゴンの分泌を亢進させることにより糖代謝を悪化させる可能性が示唆された。

今後、膵島におけるRaldh3の機能を解明する事で、2型糖尿病の新たなメカニズムが明らかになる可能性が考えられる。なお、Raldh3が細胞内のレチノイド代謝に与える影響や、レチノイドそのものによる細胞機能への影響等についても、さらに検討を進めることが必要である。

第5章:総括

本研究では、高脂肪食で肥満しやすいB6マウスとの交配、及び、視床下部の満腹中枢を破壊する薬物の使用、の2種類の手法により、正常マウスが肥満から糖尿病を発症する新しい2型糖尿病マウスモデルを確立した。さらに、高脂肪食負荷BDF1マウスの膵ランゲルハンス島を用いた遺伝子発現解析により、2型糖尿病発症の関連遺伝子として、Raldh3を同定し、その機能の一部を明らかにした。

これらは、膵β細胞の機能異常や2型糖尿病の発症メカニズムの解明に寄与するとともに、肥満および2型糖尿病の新たな治療法の開発に貢献するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

現代のライフスタイルは、慢性的なエネルギー過剰により肥満を発症させインスリン抵抗性を惹起する。さらに、膵β細胞のインスリン分泌機能が異常を来たすことにより、インスリン抵抗性状態から2型糖尿病に移行するが、この過程には個人差及び民族差が大きく、膵β細胞の耐性は主に遺伝因子によって規定される。2型糖尿病の研究には優れた動物モデルが必要である。これまでに、ヒトの2型糖尿病に病因・病態の類似したモデルとして、C57BL/6(B6)正常マウスに高脂肪食を与えて肥満を誘導した食事誘導性モデルが報告されているが、その病態は肥満及びインスリン抵抗性病態にとどまっており、2型糖尿病の発症には至っていない。

B6マウスは、代表的な正常マウス系統として汎用されているが、本系統は膵β細胞の耐性が強い遺伝的背景を持つため、2型糖尿病モデルとしては不向きである。一一方、C57BLKs(BKs)やDBA/2は膵β細胞の耐性が弱い遺伝的背景を持っことが示唆されている。マウス系統における糖尿病発症の違いが遺伝的に規定された膵β細胞の耐性の差に起因するとすれば、BKsやDBA/2マウスは高脂肪食負荷による食餌性肥満の誘導により糖尿病を発症し、優れた2型糖尿病マウスモデルになうことが期待されるa唐澤は、理想的な2型糖尿病マウスモデルの確立には、膵β細胞が脆弱な遺伝的背景を持つマウスにおいて、重度の肥満を誘導することによりインスリン抵抗性状態から2型糖尿病発症に至らしめることが重要である、と考えた。本研究で唐澤は、2っの異なる手法を用いて従来のモデルの問題点を克服し、正常マウスが肥満から糖尿病を発症する2型糖尿病マウスモデルを確立した。さらに、確立した2型糖尿病マウスモデルを用いて、膵β細胞機能異常と糖尿病発症にかかわる原因遺伝子を探索し、候補遺伝子を同定した。以下にその結果を述べる。

1.高脂肪食負荷BDF1マウス2型糖尿病マウスモデル=B6マウスは高脂肪食負荷によって著しい肥満を発症するが、膵β細胞の耐性が強く糖尿病を発症しない。一方、DBA/2マウスは膵β細胞の耐性が弱いが、高脂肪食負荷によって十分に肥満しない。本研究で唐澤は、両マウス系統の交配により、高脂肪食負荷により肥満する形質と膵β細胞の耐性が弱く肥満糖尿病を発症しやすい形質とを両立させることで、2型糖尿病モデルの確立を試みた。B6マウスとDBA/2マウスのF1雑種であるBDF1マウス(雄性)に、通常食または高脂肪食を与えて肥満と糖尿病の発症を検討した。高脂肪食を与えたBDF1マウスは、著明な体重増加と脂肪蓄積を呈する肥満を形成した後に、著しい高血糖と糖尿、及びHbA1C上昇を呈する糖尿病を発症した。血漿インスリン濃度も上昇しインスリン抵抗性を示した。これらのマウスは経口糖負荷試験において著しい耐糖能異常を示すとともに、糖負荷直後のインスリン分泌応答不全を呈した。膵ランゲルハンス島のインスリン含量も低下していた。これらの結果から唐澤は、BDF1マウスはB6マウスの肥満しやすい形質とDBA/2マウスの膵β細胞が脆弱な形質を併せ持つことにより、高脂肪食負荷により肥満糖尿病を発症することを示した。本モデルは、病因的には正常動物が高脂肪食によって肥満から糖尿病を発症する点で、またインスリン抵抗性からβ細胞機能異常により糖尿病を発症する点で、ヒトの2型糖尿病に類似していると考えられた。従って本モデルは、2型糖尿病の発症メカニズムの解明およびその治療薬の薬効評価に有用と期待される。

GTG処置過食肥満マウス2型糖尿病マウスモデル:DBA/2・マウスやBKsマウスは膵β細胞が脆弱な遺伝的背景を持ち1肥満から2型糖尿病に移行しやすいと考えられるが、高脂肪食負荷による肥満誘導には抵抗性を示す。唐澤は、満腹中枢の存在する視床下部内側核のグルコース受容ニューロンを選択的に破壊する事により過食肥満を誘導し、2型糖尿病マウスモデルの確立を試みた。雄性のB6、DBA/2、BKs、及びBDF1マウス各系統のグルコース受容ニューロン選択的破壊マウスは、いずれも過食性の肥満を呈し、対照群に対する体重増加および体脂肪率の上昇は4系統でほぼ同様であった。このとき、DBA/2、BKs、及びBDF1系統のGTG処置マウスは、体重増加に伴って著しい血糖値上昇を示す糖尿病を発症した。これらの結果から、膵β細胞の耐性が弱い遺伝的背景を持ち、肥満から糖尿病に移行しやすいと考えられたDBA/2マウスおよびBKsマウスが、過食による肥満誘導によって肥満糖尿病を発症することが示された。また、第2章にて同様の形質が示唆されたBDF1マウスも糖尿病を発症した。糖尿病を発症した3系統では、糖負荷試験におけるインスリン分泌低下と、膵ランゲルハンス島のインスリン含量低下が認められ、膵β細胞の機能不全が肥満糖尿病の発症の重要な原因と示唆された。なお、本検討では通常食において糖尿病を発症したことから、膵β細胞の機能不全の原因は脂質の過剰摂取による代謝異常ではなく、肥満とインスリン抵抗性によることが示唆される。本モデルの病態はヒトの2型糖尿病に類似していると考えられ、2型糖尿病の発症メカニズムの解明および、その治療薬の薬効評価に有用と期待される。

DNAマイクロアレイを用いたRaldh3の同定と機能解析:高脂肪食負荷BDF1マウスで発症した糖尿病は、膵β細胞の機能異常に基づくと考えられる。唐澤は、DNAマイクロアレイを用いて膵ランゲルハンス島の遺伝子発現解析を行い、肥満糖尿病で特異的に発現の上昇する遺伝子としてRetinaldehyde dehydrogenase 3(Raldh3)を同定した。Raldh3はレチナールからレチノイン酸への変換を触媒する酵素であり、レチノイン酸合成組織で発現が認められるものの、その生理的機能は不明な部分が多い。高脂肪食負荷によって糖尿病を発症したBDF1マウスの膵島におけるRaldh3の発現レベルは、通常食を与えた対照と比較して約7倍に上昇していた。また、遺伝的糖尿病モデルであるdbldbマウスの膵島においても、糖尿病の発症前後で約20倍の著しいRa1dh3発現上昇が認められた。また、膵β細胞とα細胞に由来するMIN6細胞とalphaTC1 clone9細胞を、高血糖を模した高グルコース条件で培養すると、いずれの細胞でもRaldh3発現が著しく亢進したことから、Raldh3は高血糖条件下において、膵β細胞とα細胞で発現が亢進することが示唆された。MIN6細胞とalphaTC1 clone 9細胞にRaldh3を強制発現させた結果、MIN6細胞からのインスリン分泌が低下する一方で、alphaTC1 clone 9細胞からのグルカゴン分泌が増加し、Raldh3がインスリン分泌を抑制しかつ、抗インスリンホルモンであるグルカゴンの分泌を亢進させることにより糖代謝を悪化させる可能性が示唆された。

以上のように唐澤は本研究において、高脂肪食で肥満しやすいB6マウスとの交配、及び視床下部の満腹中枢を破壊する薬物の使用、の2種類の手法により、正常マウスが肥満から糖尿病を発症する新しい2型糖尿病マウスモデルを確立した。さらに、高脂肪食負荷BDF1マウスの膵ランゲルハンス島を用いた網羅的遺伝子解析により、2型糖尿病発症の関連遺伝子として、Raldh3を同定し、その機能の一部を明らかにした。これらは、膵β細胞の機能異常や2型糖尿病の発症メカニズムの解明に寄与するとともに、肥満および2型糖尿病の新たな治療法の開発に貢献するものと期待される。従って、本研究は、博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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