学位論文要旨



No 217568
著者(漢字) 髙田,信敬
著者(英字)
著者(カナ) タカダ,ノブタカ
標題(和) 源氏物語考証稿
標題(洋)
報告番号 217568
報告番号 乙17568
学位授与日 2011.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17568号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 月本,雅幸
 中央大学 教授 池田,和臣
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、源氏物語が外在する歴史事象をどう把握し、その世界をいかに造形したかを考究の対象とする。方法的には、思弁や批評ではなくあくまでも文献に基づく実証的操作によって、これらの課題を明らかにするものである。「第一部 言葉と制度」は、官位制度・有職故実等との関連を主として取り上げ、「第二部 典籍踏査」は研究の基礎資料を吟味する迂遠な作業の集積だが、最終目標はやはり源氏物語における歴史事象の把握の仕方と造形方法とを解析することにある。

結論として、通説を再検討し訓詁注釈を試みる等の個別実証を積み重ねることによって、極めて意識的に言葉が用いられ、社会や制度と時には対峙し、時にはこれらを柔軟に受け入れる作品の具体相が、表現に即して分析出来た。また、外的素材と不可避に向き合う歴史物語よりも、源氏物語の方が表現において一層方法的・自覚的であることを指摘し得た。さらに、従来の研究では「延喜天暦」の典拠性が強調されてきたけれども、紫式部と同時代の事象を反映する例が相当数発掘され、いわば時代物ではなく世話物の側面を備えることも、随所に認められた。以下、各章の内容を要約する。

〇第一部 言葉と制度

第一章 侍従の場合―官職の語るもの―

一条朝の侍従は、蔵人にその職分を奪われ、高い身分の標示あるいは単なる昇進の一階梯に変質しており、また天皇の補導役を勤める侍従宰相も、円融朝以降低年齢化する。源氏物語にはこれらの事象が的確に映し出されていて、作品の同時代性を示す例と考えられる。

第二章 按察大納言―権力からの距離―

桐壺更衣の父である按察大納言は、生前筆頭大納言として相当の政治的地位を保っていたと見る有力な説がある。しかし源氏物語中の按察大納言は、それ以上の昇進が困難な官職として描かれ、摂関からは勿論、三公の地位にも遠く、高い政治的地位を想定することは無理であることを明らかにした。それは延喜天暦期ではなく一条朝の特徴を示し、作品の当代性を語る事例のひとつと言える。

第三章 皇妃の呼び名―物語の歴史性―

「女御」は、原則として天皇の御寝に侍し女御の宣下を受けた者のみに適用される呼称である。しかし11世紀には既に「女御」の外延が広がり、皇太子や一般の親王等の妃にまでも用いられ始めていることをまず例証する。次に、女御の適用範囲を広げて使う語法が同時代の通例であるにもかかわらず、源氏物語ではこれを基本的に採用せず、やや古風な「女御」の原則的呼称使用である点を考察した。あわせて、歴史物語では当時の一般的用法を無批判に導入しており、源氏物語の周到な呼び名への配慮と対照的であること、中宮と皇后の表記等にも言及する。

第四章 非参議の四位どもの―中の品の父親―

概念に揺れのある「非参議」の源氏物語中での語義を定め、三位より参議を高く評価することの意味を解析した。源氏物語が書かれて後、三位が参議をしのぐ選良の栄達路線を形成するので、参議重視は作品の同時代性を語る例である。

第五章 蔵人より今年かうぶり得たる―巡爵の話―

源良清の播磨下向が内包する意味を蔵人巡爵の制度から照射し、若紫巻の表現を分析する。良清の場合、蔵人の激職在任中は播磨下向は無理であり、殿上を降りて初めてそれは可能となる。したがって若紫巻始発までに、正月叙爵・播磨下向と相当期間の滞在および帰洛が想定され、良清は北山で印象鮮明な時点での報告をしたことが判明する。また、通説である蔵人労4年に対して修正案を提示、他の作品に見られる巡爵制度についても問題点を指摘した。

第六章 御息所御輿に乗り給へるにつけても―大臣の女、斎宮の母―

斎宮とともに内裏へ入る時、六条御息所が輿に乗ったことを、東宮妃としてときめいていた過去と関連づけて解釈するのが通説である。しかし輿は極めて身分性の強い乗り物であり、東宮妃に乗輿の資格はない。したがって御息所の東宮妃時代とは無関係である点をまず明らかにした。次いで御息所の父大臣が期待したこと及び栄花物語に見える類似例を整合的に参酌するならば、后の位と結びつけるのが妥当であることを考証する。あわせて乗輿の故実・陪乗の例等にもふれる。

第七章 宮のあひだの事―官僚の言葉―

従来的確に説かれてこなかった「宮のあひだの事」が、男性官僚の言葉遣いである点を例示し、古記録・故実書等では「~ニツイテノ事・~ト関連スル事」の意で用いられることを指摘する。光源氏は他人の目に触れる手紙において官僚の言葉を用い、あくまで公人の実務的な用務伝達を装いながら、藤壺中宮へ働きかけたのであって、源氏物語の言葉が、きわめて精密に用いられている例の一つである。別の手紙との対比・他の注目すべき「間事」の用法等にも言及した。

第八章 母后の地位―澪標箋注―

藤壺女院と言われていても「女院」の呼称は一度も現れず、本文中では中宮・母后・后の宮等の言葉によって表される。したがって藤壺は中宮からどのような身位に至ったか、確定的な答えの出されていないのが現状である。考察にあたって、まず10世紀後半から11世紀にかけての社会的慣用として、女院を中宮・皇后・宮・母后とも呼んだことを明らかにした。よって中宮や母后と書かれることを根拠に、藤壺は女院ではないと主張するのは、十分に説得的とは言えない。また院司の存在により、藤壺が女院になったことを推測した。関連する問題として、准太上天皇の待遇・女院の身軽さ等も考証する。この問題も源氏物語が持つ同時代性の一例である。

第九章 夕霧元服―高い位階から出発すること―

先行研究では、元服時に四位から出発させる可能性を乙女巻に読み取り、そこから様々な議論を展開している。最初に諸説の問題点を指摘し、六位に位置づけられたことの意味を分析した。高い出発点が結果として不利をもたらす慣行の存在・大学寮の勉学日程に合わせた光源氏の教育方針をも明らかにする。

第十章 直衣参内―五節の夜―

普段は内裏へ出かけたがらない夕霧が、何故五節の夜には喜々として参内したか、また直衣を許されることの意味は何かについて、有職故実の側面からこれらの疑問に答える。御前試の日には位階相当の束帯を着用する必要がなく、直衣での行事参加が認められていたことを古記録・故実書から復元的に解明した。源氏物語が同時代の儀礼を的確に踏まえていることの例証である。

第十一章 後宮殿舎の使われ方―玉鬘の宮仕え―

玉鬘が承香殿を王女御と共用することについて、史実の検討を経ないままに、殿舎単独使用より劣った女御のあり方と評価されてきた。そこで殿舎共用の事例を集め、使用者の地位・身分に関わらず、広く共用の実態が存在したことを明らかにした。源氏物語の書き方は、当時の慣行に即したものであり、過剰な読みは修正されるべきである。あわせて里内裏殿舎の呼称についても考証した。

第十二章 紫上葬送―方法について―

紫上が死後短時間で葬られることについて、そこに竹取物語の影響を読み取り、主題的解釈を行う有力な説がある。しかし、竹取物語の影響を確認するためには方法的・論理的に問題があるので、一旦影響関係の議論から離れ、即日もしくは翌日葬送の意味を具体的に分析する。平安時代には、翌日葬送の事例がごく一般的に見られ、即日葬送の場合も、故人に対する軽い扱いとは言えないことを実証した。

第十三章 光源氏の本貫―物語の背景―

一般に賜姓源氏の戸籍は左京一条一坊に設定されるが、それは内裏の中であって実際の居住には不適当な場所である。左京一条一坊は、現住所とは別に高い身分の標示あるいは保証として特別に選ばれた区域であること、その場所は子から孫へと継承されること、したがって光源氏も夕霧も、左京一条一坊に戸籍編付されたであろうことを考証した。

〇第二部 典籍踏査

第一章 小さな窓から眺めた源氏物語―古筆切二題―

古筆切研究の基礎として、伝為家筆大四半切と伝為相筆雲紙古系図切についての知見をまとめた。大四半切は河内本の源流に関して、雲紙古系図切は現在と異なる物語の享受形態を探る上で、重要な資料である。

第二章 『弘安源氏論議』異解―通説の再検討―

東宮時代の伏見天皇が命じた論議と見る定説に対し、その父後深草上皇主催の可能性が高いことを指摘し、論議の内容・伝本等基礎的諸事項を考証する。論議の題目の多くは史的典拠であり、これが所謂第一部に集中していることは、弘安源氏物語論議の問題を越えて、源氏物語がどのように歴史と向き合ったかを考える上で、きわめて示唆的である。

第三章 河海花鳥抄出―宗碩古典学の始発―

宗祇の河海花鳥抄出を本文と内容の両面から検討した結果、愛弟子宗碩に連歌界の正統性を保証し、同時に古典研究の出発点となった著作であることを明らかにする。

第四章 源氏男女装束抄―宗碩の古典学―

源氏物語が取り入れた風俗習慣のうち、装束に関わる諸事項は重要性が高く、したがって源氏男女装束抄も軽視できない注釈書であるが、研究対象とされることは少なかった。そこでまず内容の基礎的検討を行った結果、宗祇の河海花鳥抄出を根幹に三条西実隆の弄花抄から若干を引用して一書を纏めたことが実証された。出典注記の訂正・諸本の分類等についても考証を行う。

第五章 源氏歌詞少々―別本の一資料―

他に伝本を見ない梗概書源氏歌詞少々は、依拠本文の全体が別本に由来する点において注目すべき享受資料であることを具体的に示す。さらに古筆切を用い、その成立時期を室町時代初期以前と推定した。

第六章 源氏詞知―書物の生成―

源氏詞知は多様な書名と内容を持つので、まず諸本の整理を行う。次いで第一類から第三類への増補成長過程を辿り、古系図が梗概書作成に用いられていることを指摘した。

以上の他に資料篇を付加し、基礎文献二点を利用しやすい形で提供する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、平安朝貴族社会の制度や慣習が『源氏物語』の虚構の物語世界の形成にいかに奥行き深く組み込まれているかを、史料を広く丹念に調査して徹底的に考証したもので、論文の構成は、第一部「言葉と制度」、第二部「典籍踏査」の二部からなる。

第一部第一章「侍従の場合」は、平安朝における侍従任官者の事例を精査して、一条朝では十代前半の侍従が増加していることを明らかにし、『源氏物語』における侍従の任官例も一条朝の実態に準拠していることを指摘する。第二章「按察大納言」は、按察大納言に任ぜられた者はそれが極官となる例が多く、桐壺更衣の父・按察大納言が娘の入内に異常な執念を抱いていたことについて、彼は大臣への昇進を目前にして亡くなった有力な政治家だったとする従来の観方は成り立たないことを指摘する。第三章「后妃の呼び名」は、「女御」は本来天皇の夫人の呼称であるが、当時、東宮や院の女御といった慣用が一般化していたにも関わらず、『源氏物語』ではその呼称が厳格に本義に則して用いられていることを指摘する。第四章「非参議の四位どもの」は、「非参議」の多義性のなかで、「雨夜の品定め」に所謂「非参議の四位ども」の指す所を的確に示すととともに、所謂「不経参議」の栄達コースは、この物語が書かれた時代の直後に確立するもので、まだこの物語には反映していないとする。第五章「蔵人より今年かうぶり得たる」は、六位の蔵人とその巡爵について精査し、物語の読みに生かした論。第六章「御息所御輿に乗り給へるにつけても」は、六条御息所が斎宮に選ばれた娘とともに輿に乗って参内する際に抱いた感慨について、乗輿は天子・皇后・斎宮のみに許されていたことを明らかにし、これを御息所の東宮妃として時めいていた過去と対比しての感慨とする従来の解釈は誤りであることを指摘する。第七章「宮のあひだの事」は、光源氏が藤壺に宛てた消息のなかに見えるこの言葉は、「宮に関する事」を意味する男性官人用語であって、藤壺と東宮との間のことという従来の解釈は誤りであり、この消息は公人としての立場を装って書かれていることを明らかにしている。第八章「母后の地位」は、藤壺への女院宣下と思しき記事の後も、彼女の呼称は「中宮」のままであることから、近年、藤壺は女院にはならなかったという説が出されているが、女院宣下後も「中宮」と呼ばれる例は普通に見られることを指摘する。第九章「夕霧元服」第十章「直衣参内」は、光源氏の子息夕霧の大学寮入学に関連して、いずれも従来の解釈の不備を明快に正したものである。第一部はほかに、第十一章「後宮殿舎の使われ方」、第十二章「紫の上葬送」、第十三章「光源氏の本貫」の論からなる。

以上のような高田氏の考証は、もとより平安・鎌倉期の史料を博捜したものであるが、一方、氏の有職故実に関する知見は、中世・近世の源氏学に負う所も大きい。第二部は、そうした中・近世の源氏学の、従来あまり知られていなかった典籍について、文献学的・書誌学的考察を加えたものである。

本論文は、この物語の平安朝の制度・慣習の実態に即した写実性を強調するあまり、ロマネスクな要素を排除してしまった憾みをなしとしないが、しかしながら、従来の解釈にあった恣意的な憶測を厳しく正した功績はきわめて大きく、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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