学位論文要旨



No 217570
著者(漢字) 中村,泰信
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ヤスノブ
標題(和) 超伝導量子ビットの研究
標題(洋)
報告番号 217570
報告番号 乙17570
学位授与日 2011.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17570号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 小芦,雅斗
 慶應義塾大学 教授 伊藤,公平
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、超伝導量子ビットの実現に至るまでの研究とその後の展開に関して議論した。電気回路上で巨視的量子力学系を設計・構築し、その状態を自在に制御し観測するということが、この研究の過程で可能になった。

以下に各章ごとに内容を紹介する。

第1章では、研究の背景として、1911年の超伝導の発見から現在に至るまでの歴史を、巨視的量子現象としての超伝導に焦点を当てながら概観した。半世紀前に発見されたジョセフソン効果が、やがて超伝導回路における量子揺らぎの研究において中心的役割を果たし、巨視的量子コヒーレンスの実現を目指した研究へ進展した。さらに量子情報科学の興隆に機を同じくして、超伝導電気回路を用いた量子ビットが実現し、現在も急速に研究が進展している。

第2章では、超伝導単一電子トランジスタに関する研究を取り上げた。本研究の出発点となった単一電子トランジスタの実験を2.2節に紹介する。本研究で用いた素子作製のための微細加工技術はここで確立された。次に2.3節で、単一電子トランジスタの金属電極が超伝導状態になったときに現れる新しい現象に着目し、準粒子トンネル現象におけるパリティ効果を観測した結果を議論する。これは微小超伝導電極中の総伝導電子数の偶奇によって超伝導単一電子トランジスタを流れる電流に変化が生じるというものである。

超伝導単一電子トランジスタでは、準粒子トンネリングの他に、クーパー対のトンネリングによっても電流が運ばれる。2.4節では、クーパー対箱などの基本的な概念を紹介する。2.5節では、超伝導単一電子トランジスタにおいて、クーパー対のトンネリングと2つの準粒子のトンネリングが交互に起こることで電流が運ばれる過程、ジョセフソン-準粒子サイクルに着目し、有限電圧のもとで現れる電流ピークを観測し、その出現条件を議論した。

第3章では、マイクロ波照射下で起こるマイクロ波光子介在トンネル過程に着目した。超伝導単一電子トランジスタにおけるジョセフソン-準粒子サイクルを、クーパー対箱におけるクーパー対トンネリングによる電荷数状態の重ね合わせの実現とプローブ接合における準粒子のトンネリングによる電荷数状態の観測からなるサイクルと理解できることを議論し、パラメータ条件によりインコヒーレント領域とコヒーレント領域に区分した。3.1節では、インコヒーレント領域における実験を行ない、マイクロ波光子介在ジョセフソン-準粒子サイクルによる、多数のサイドピークが観測された。この実験で、サイドピークの出現位置とマイクロ波周波数の関係、サイドピークの高さとマイクロ波パワーの関係が調べられ、光子介在クーパー対トンネリングの関与した過程であることが確認された。次に3.2節で、コヒーレント領域の素子にこの実験手法をすることで、クーパー対箱のエネルギー準位のスペクトロスコピーを行い、その結果、2つの電荷数状態の重ね合わせに由来するエネルギー準位反交差を観測した。

第4章では、クーパー対箱を用いた電荷量子ビットのコヒーレント制御実験について述べた。4.2節で、高速のゲート電圧パルスを用いた量子状態の非断熱制御を実現し、その様子をプローブ接合に流れるジョセフソン-準粒子電流を測定することで観測した。固体素子を用いた人工量子2準位系におけるコヒーレント制御の世界初の実現となった。さらに4.3節で、共鳴マイクロ波に誘起されるラビ振動を用いた量子状態制御も実現した。また4.4節では、磁気共鳴の分野で知られたスピンエコーの技術を応用し、「電荷エコー」の観測を行ない、電荷量子ビットの位相緩和が1/f型のスペクトル密度分布を持つ電荷揺らぎに起因することを示した。

第5章からは、磁束量子ビットに関する実験について述べた。第5章では、磁束量子ビットにおける量子状態制御の実験を紹介した。3つのジョセフソン接合を持つ微小超伝導ループからなる磁束量子ビットのコヒーレント制御は、1999年に提案されて以来、本研究の当時まで実現していなかった。本研究では、磁束量子ビットを状態読み出しのためのSQUIDと融合するなどの工夫により、ラビ振動の観測に成功した。電荷と共役の関係にある磁束の自由度を用いても、巨視的量子コヒーレンスが実現したことになる。

第6章では、磁束量子ビットのデコヒーレンスの要因を詳しく調べた。6.1節では特に磁束量子ビットの位相緩和の原因を調べるために、スピンエコーの方法を用い、様々なバイアス条件下での位相緩和時間を測定することで多くの知見を得た。様々な制御パラメータを持つ人工量子2準位系としての量子ビットを、「量子スペクトラムアナライザ」として用い、その周辺環境の揺らぎのスペクトルを計測することにも相当する研究である。磁束量子ビットにおいても、位相緩和の主要因は低周波の1/f磁束揺らぎであることが見出された。またそのスペクトル密度も定量的に決定され、他の超伝導デバイスでもほぼ普遍的に観測されている値と一致した。その磁束揺らぎの原因については未だ完全に明らかになっていないが、超伝導回路の電極表面に局在電子スピンが多数存在し、磁束揺らぎを与えているという理論などが提案されている。6.2節では、2つの結合した磁束量子ビットにおいて位相緩和の詳細な測定を行い、それぞれの量子ビットにおける揺らぎの間の相関を調べた。その結果、磁束揺らぎは大局的なものではなく局所的であり、その相関強度は局在スピンモデルと矛盾しないことを示した。

第7章では、磁束量子ビット間の可変結合方式の実証に関する研究を報告した。量子計算を実現するためには、個々の量子ビットの制御すなわち1ビットゲートの他に、2つの量子ビット間で量子もつれあいを実現する2ビットゲートが必要になる。そのために量子ビット間の相互作用が要求される。超伝導量子ビットは、大きな電気的あるいは磁気的双極子モーメントを持つので、2つの量子ビットを近接させることで十分な相互作用強度を得ることが可能である。例えば2つの磁束量子ビットを互いに接するように設けると、磁気的相互作用が強く働く。しかしながら、このような相互作用は恒常的であり、不要なときにオフすることができない。そのため2ビットゲートの実現および1ビットゲートとの両立という点で大変不便である。そこで結合強度を自在にオンオフできるような可変結合方式が期待される。7.1節では、2つの磁束量子ビットの間に、結合回路としての第3の磁束量子ビットを設け、その非線形インダクタンスを利用した可変結合を提案した。結合をオンするには、2つの量子ビットの和周波数または差周波数を持つマイクロ波パルスを用いてパラメトリック遷移を誘起する。7.2節では、実際の素子のスペクトロスコピーを行なうことで、パラメータの抽出および調整を行い、7.3節での実証実験につなげた。実験では、結合回路を通じて2ビットゲートが実現できること、個々の量子ビットの1ビットゲートが他方の量子ビットの状態によらずに実現できることを示し、結合のオンオフができることを示した。ただしオフ時の残留結合成分の存在も確認され、オンオフ比は約19であった。7.4節では、この残留結合成分およびオン時の結合強度を、結合用量子ビットのバイアス条件を変えながら測定し、理論との比較から、改善方法を検討した。

図1.電荷量子ビットとコヒーレント振動の観測結果

図2.磁束量子ビットとラビ振動の観測結果

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、超伝導量子ビットの実現に至るまでの研究とその後の展開に関して議論している。電気回路上で巨視的量子力学系を設計・構築し、その状態を自在に制御し観測するということが、この研究の過程で可能になっている。

以下に各章ごとに内容を紹介する。

第1章では、研究の背景として、1911年の超伝導の発見から現在に至るまでの歴史を、巨視的量子現象としての超伝導に焦点を当てながら概観している。

第2章では、超伝導単一電子トランジスタに関する研究を取り上げている。まず、本研究の出発点となった単一電子トランジスタの実験を2.2節に紹介している。本研究で用いた素子作製のための微細加工技術はここで確立された。次に2.3節で、単一電子トランジスタの金属電極が超伝導状態になったときに現れる新しい現象に着目し、準粒子トンネル現象におけるパリティ効果を観測した結果を議論している。これは微小超伝導電極中の総伝導電子数の偶奇によって超伝導単一電子トランジスタを流れる電流に変化が生じるというものである。超伝導単一電子トランジスタでは、準粒子トンネリングの他に、クーパー対のトンネリングによっても電流が運ばれる。2.4節では、クーパー対箱などの基本的な概念を紹介している。2.5節では、超伝導単一電子トランジスタにおいて、クーパー対のトンネリングと2つの準粒子のトンネリングが交互に起こることで電流が運ばれる過程、ジョセフソン-準粒子サイクルに着目し、有限電圧のもとで現れる電流ピークを観測し、その出現条件を議論している。

3章では、マイクロ波照射下で起こるマイクロ波光子介在トンネル過程に着目している。超伝導単一電子トランジスタにおけるジョセフソン-準粒子サイクルを、クーパー対箱におけるクーパー対トンネリングによる電荷数状態の重ね合わせの実現とプローブ接合における準粒子のトンネリングによる電荷数状態の観測からなるサイクルと理解できることを議論し、パラメータ条件によりインコヒーレント領域とコヒーレント領域に区分している。

第4章では、クーパー対箱を用いた電荷量子ビットのコヒーレント制御実験について述べている。4.2節で、高速のゲート電圧パルスを用いた量子状態の非断熱制御を実現し、その様子をプローブ接合に流れるジョセフソン-準粒子電流を測定することで観測している。これは、固体素子を用いた人工量子2準位系におけるコヒーレント制御の世界初の実現となっている。さらに4.3節で、共鳴マイクロ波に誘起されるラビ振動を用いた量子状態制御も実現している。また4.4節では、磁気共鳴の分野で知られたスピンエコーの技術を応用し、「電荷エコー」の観測を行ない、電荷量子ビットの位相緩和が1/f型のスペクトル密度分布を持つ電荷揺らぎに起因することを示している。

第5章からは、磁束量子ビットに関する実験について述べている。第5章では、磁束量子ビットにおける量子状態制御の実験を紹介している。3つのジョセフソン接合を持つ微小超伝導ループからなる磁束量子ビットのコヒーレント制御は、1999年に提案されて以来、本研究の当時まで実現していなかった。本研究では、磁束量子ビットを状態読み出しのためのSQUIDと融合するなどの工夫により、ラビ振動の観測に成功している。電荷と共役の関係にある磁束の自由度を用いても、巨視的量子コヒーレンスが実現したことになる。

第6章では、磁束量子ビットのデコヒーレンスの要因を詳しく調べている。6.1節では特に磁束量子ビットの位相緩和の原因を調べるために、スピンエコーの方法を用い、様々なバイアス条件下での位相緩和時間を測定することで多くの知見を得ている。磁束量子ビットにおいても、位相緩和の主要因は低周波の1/f磁束揺らぎであることが見出されている。また、そのスペクトル密度も定量的に決定され、他の超伝導デバイスでもほぼ普遍的に観測されている値と一致している。その磁束揺らぎの原因については未だ完全に明らかになっていないが、超伝導回路の電極表面に局在電子スピンが多数存在し、磁束揺らぎを与えているという理論などが提案されている。6.2節では、2つの結合した磁束量子ビットにおいて位相緩和の詳細な測定を行い、それぞれの量子ビットにおける揺らぎの間の相関を調べている。その結果、磁束揺らぎは大局的なものではなく局所的であり、その相関強度は局在スピンモデルと矛盾しないことを示している。

第7章では、磁束量子ビット間の可変結合方式の実証に関する研究を報告している。量子計算を実現するためには、個々の量子ビットの制御すなわち1ビットゲートの他に、2つの量子ビット間で量子もつれあいを実現する2ビットゲートが必要になる。そのために量子ビット間の相互作用が要求される。超伝導量子ビットは、大きな電気的あるいは磁気的双極子モーメントを持つので、2つの量子ビットを近接させることで十分な相互作用強度を得ることが可能である。例えば2つの磁束量子ビットを互いに接するように設けると、磁気的相互作用が強く働く。しかしながら、このような相互作用は恒常的であり、不要なときにオフすることができない。そのため2ビットゲートの実現および1ビットゲートとの両立という点で大変不便である。そこで結合強度を自在にオンオフできるような可変結合方式が期待される。7.1節では、2つの磁束量子ビットの間に、結合回路としての第3の磁束量子ビットを設け、その非線形インダクタンスを利用した可変結合を提案している。結合をオンするには、2つの量子ビットの和周波数または差周波数を持つマイクロ波パルスを用いてパラメトリック遷移を誘起する。7.2節では、実際の素子のスペクトロスコピーを行なうことで、パラメータの抽出および調整を行い、7.3節での実証実験につなげている。実験では、結合回路を通じて2ビットゲートが実現できること、個々の量子ビットの1ビットゲートが他方の量子ビットの状態によらずに実現できることを示し、結合のオンオフができることを示している。

以上のように、本研究は、超伝導量子ビットを用いた量子情報処理の分野において、マイルストーン的な実験の成功や多くの重要な知見を得ており、この分野の発展に多大な貢献をしている。よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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