学位論文要旨



No 217571
著者(漢字) 西谷,陽一
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤ,ヨウイチ
標題(和) 標的分子同定による生理活性化合物の作用機序解析
標題(洋) Analysis of mechanism of action of bioactive molecules through target identification
報告番号 217571
報告番号 乙17571
学位授与日 2011.10.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17571号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,隆司
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 黒田,真也
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 准教授 石谷,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

1.序

興味深い生理活性を持つ化合物の作用機序を解明することによって、これまで知られていなかった生理的メカニズムが明らかになった例は多い(FK506による免疫シグナル伝達機構の解明、ゲルダナマイシンによるHsp90クライアントタンパク質の機能解明、等)。このように化合物を出発点として生命現象を解明する研究はケミカルバイオロジーと呼ばれ、学際的な分野として近年注目を集めている。

生理活性化合物の作用機序解析は、生理活性の詳細な検討と標的分子の同定から成り立っている。本論文ではこの二段階に包含される一連の研究として、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用の作用機序解析を行った。また、標的分子を簡便に同定する新しい手法として、化合物が結合した際に生じる標的分子のプロテアーゼ感受性変化を利用する方法について述べる。

2.ベニジピンの骨芽細胞分化促進メカニズムの解析

ベニジピンは血管平滑筋弛緩作用をもつL型Caチャンネル阻害物質であるが、ラットの骨量増加作用(in vivo)、骨芽細胞の分化マーカーであるアルカリホスファターゼ(ALP)の活性促進作用(in vitro)も有している。しかし、他のCaチャンネル阻害物質にはそのような作用がないとも報告されており、骨芽細胞分化におけるベニジピンの標的分子は不明であった。

そこで私は、(1)骨芽細胞分化に対するベニジピンの効果を検討し、(2)ベニジピンの標的分子を同定すること、によって作用機序の解明を試みた。

既報ではマウス頭蓋冠由来の初代培養細胞を利用しているが、細胞の調製に手間がかかること、骨芽細胞以外の線維芽細胞も含まれていること、といった難点があった。そこで骨芽細胞様細胞株の中からベニジピンによってALP活性が上昇する細胞としてMC3T3-E1細胞を選択し、これを用いて検討を行うことにした。

まず、ベニジピンの各種骨分化マーカーに対する影響を調べた。骨芽細胞の分化過程においては、細胞外コラーゲンマトリックスの形成をきっかけに、ALP活性上昇、石灰化が起こることが知られている。ベニジピンは、MC3T3-E1のコラーゲン形成には影響を及ぼさなかったが、コラーゲン形成依存的に1 pmol/LからALP活性を濃度依存的に促進し、これはALP mRNA量の増加を伴っていた。また、骨形成の指標となるin vitroでの石灰化も1 nmol/Lから有意に促進した。

3.ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用における標的分子の同定

次にベニジピンの構造活性相関を調べる目的で、関連化合物のALP促進活性を測定した。その結果、意外にもALP促進活性は各関連化合物の血管平滑筋弛緩作用と相関が見られた。そこで、他の類似した構造を有するCaチャネル阻害物質アムロジピン・ニフェジピンのALP活性に対する効果を広い濃度で検討したところ、いずれも高濃度(100 nmol/L)ではALP活性を促進することが分かった。また、ベニジピンとはそれぞれ基本骨格が異なるL型Caチャンネル阻害物質のジルチアゼム・ベラパミルも共に100 nmol/L以上でALP活性を促進した。さらにベニジピンのALP活性促進作用は過剰量のCaチャンネル作動物質BayK8644存在下で完全に抑制された。これらの検討結果から、ベニジピンはL型Caチャンネルに作用して骨芽細胞の分化を促進していることが明らかになった。さらに、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用が特に強力である理由を探るため、細胞脱分極による細胞内Caイオン流入に対する各化合物の阻害強度を測定したところ、ベニジピンが最も強力であった。また、トリチウム標識体を用いた検討により、ベニジピンは処理時間に応じて細胞に蓄積することも分かった。これらのことから、ベニジピンの骨芽細胞に対する作用が低濃度から見られる理由は、Caチャンネル阻害作用が強く、かつ細胞に蓄積しやすいことに起因すると考えられた。

以上から、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用はL型Caチャンネルを阻害する作用に基づき細胞内Ca濃度を低下させることによって、コラーゲンマトリックス形成からALP遺伝子転写の間の経路に作用を及ぼすことが分かった。さらに骨芽細胞の最終分化形態である石灰化を促進するという興味深い作用も有していた。これらの結果から、骨芽細胞分化・骨形成におけるL型Caチャンネルの従来知られていなかった機能的重要性が示唆された。

4.プロテアーゼ感受性変化を利用した化合物標的タンパク質探索法の開発

作用機序解析の最も核心的なステップは、化合物が直接相互作用する標的分子の同定である。前章のように周辺情報や関連物質の存在により比較的容易に標的分子を確認できるのは実は稀である。これまで様々な標的探索の手法が報告されているが、成否は化合物や標的分子の性質に大きく依存し、未だ決定的な方法論は存在しない。したがって既存の手法の問題点を克服できるような新しい手法を開発することには大きな意義がある。

一般に、生理活性化合物の標的分子を同定する際には、結合タンパク質のアフィニティー精製を行うことが多い。しかしこのためには構造活性相関を把握し、化合物から側鎖を伸長してビーズ上に固相化する必要があり、多大な時間と労力を要する。

精製されたタンパク質について、プロテアーゼに対する感受性が低分子リガンドの結合により変化する例が複数報告されている。これは、化合物の結合自体や結合による標的タンパク質の微細な構造変化により、プロテアーゼの切断配列へのアクセスのしやすさに変化が生じるためだと理解されている。私はこの現象を化合物の標的分子探索に応用できないかと考えた。具体的には、標的タンパク質を含む細胞抽出液を37℃でインキュベーションし、化合物添加依存的にプロテアーゼによる分解が促進あるいは抑制されるタンパク質を標的候補として同定するというアイデアである。

大腸癌細胞株HCT116抽出液に、標的タンパク質が既知の3化合物(オカダ酸、FK506、Radicicol、それぞれ標的はprotein phosphatase 2A catalytic subunit (PP2Ac) 、FKBP12、Hsp90)をそれぞれ添加し、標的タンパク質に特異的なプロテアーゼ感受性の変化が見られるかどうかをSDS-PAGEとウェスタンブロッティングにて確認した。その結果、オカダ酸は濃度依存的にPP2Acの分解を抑制した。これはプロテアーゼ阻害剤により化合物の効果が検出されなくなったことから、内在性プロテアーゼによる分解作用を介していることが示唆された。また、FK506、Radicicolについてはプロテアーゼを外部から添加することによって、それぞれFKBP12に対する分解抑制作用、Hsp90部分断片の分解促進・抑制作用を検出した。これらの作用はいずれも標的タンパク質に特異的なものであった。以上により、本手法のコンセプト検証に成功した。

そこでSrcシグナル経路を阻害することが知られており直接の標的分子がよく分かっていないUCS15Aについて本方法を適用した。その結果、SDS-PAGE上で化合物濃度依存的に分解が促進されるバンドを複数見出し、うち一つは以前よりUCS15Aの標的候補の一つと示唆されていたSam68であった。

以上から、化合物によって反応条件や感受性変化の方向性は様々だが、いずれの系についてもコンセプトに合致した結果を得ることができた。したがって、本法は化合物の誘導体化を必要としない簡便な標的探索技術として有効であることが示唆された。

5.総括

生理活性化合物の作用機序解析は、化合物の生理活性の詳細な検討と標的分子の同定、という二つの研究から構成される。本論文では作用機序解析をテーマとして、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用の機序解析、およびベニジピンのような周辺情報や関連物質がない場合でも適用可能な新しい標的分子同定手法の開発を行った。これらの成果により、化合物を起点とした生命現象の理解に向けた研究がさらに加速されるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、緒論(第1章)、3つの主題に関する結果と考察(第2章~第4章)、総括(第5章)、引用文献および謝辞から構成されている。

第1章では、まずケミカルバイオロジー研究の意義を概説し、生理活性物質の標的分子同定が新たな生物学的知見に結びついた実例を複数紹介している。次に、第2章で標的分子を解明したベニジピンおよびその骨芽細胞分化促進活性について説明している。そして、標的分子を同定するために用いられる既存の実験手法を紹介し、第3章で用いた手法の位置づけを明確にするとともに、第4章で新しい標的分子探索手法を開発する意義を明らかにしている。これらによって、本研究全体の導入部を構成している。

第2章では、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用の解析結果が述べられている。ベニジピンは血管平滑筋弛緩作用を持つL型Caチャンネル阻害物質であり高血圧の治療薬としても使用されているが、他のCaチャンネル阻害物質と異なり、ラットの骨量増加作用や骨芽細胞分化マーカーであるアルカリフォスファターゼ(ALP)の活性促進作用が報告されていた。その機構を明らかにするために、論文提出者は調製と純度に問題のある骨芽細胞初代培養系に代わる新しい実験系としてMC3T3-E1細胞の系を構築し、骨芽細胞分化マーカーに対するベニジピンの効果を検討した。ベニジピンは、MC3T3-E1細胞のコラーゲン形成には影響を及ぼさないが、コラーゲン形成依存的に1 pMからALP活性を濃度依存的に促進した。この促進はALP mRNA量の増加を伴うことを明らかにした。さらに、骨形成の指標となるin vitroでの石灰化も1 nMからこれを有意に促進することを見出した。これらにより、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用を明確に示し、その作用点がコラーゲン蓄積とALP遺伝子転写の間にあることを明らかにした

第3章では、ベニジピンの骨芽細胞における標的分子の探索の結果が述べられている。まず論文提出者はベニジピン類似化合物の骨芽細胞分化促進作用の評価を行った結果、その構造活性相関が各関連化合物のCaチャネル阻害作用と相関があることを見出した。そこでCaチャネルが標的であると推測し、骨格の異なる複数のCaチャネル阻害物質のALP活性に対する効果を広い濃度で検討した結果、いずれも高濃度ではALP活性を促進することが分かった。さらに、ベニジピンのALP活性促進作用は過剰量のCaチャンネル作動物質BayK8644存在下で完全に抑制されることを示した。これらの検討結果から、論文提出者はベニジピンはL型Caチャンネルに作用して骨芽細胞の分化を促進していると結論している。さらに、ベニジピンの強力な骨芽細胞分化促進作用が、Caチャンネル阻害作用が強いこと、かつ細胞に蓄積しやすいことに起因する可能性があることを実験的に示し、上記結論を補強している。

第4章では、化合物と標的分子の相互作用に伴うプロテアーゼ感受性変化に着目した新しい標的探索手法を開発している。これは、ベニジピンのように周辺情報や関連物質が標的分子の探索に利用可能な場合はむしろ少ないという事実を踏まえた問題意識に基づくものである。この手法は、具体的には、標的タンパク質を含む細胞抽出液を37℃でインキュベーションし、化合物添加依存的にプロテアーゼによる分解が促進あるいは抑制されるタンパク質を標的候補として同定するというものである。まず論文提出者は、標的タンパク質が既知の3化合物(オカダ酸、FK506、Radicicol)について、反応条件を詳細に検討しながら、それぞれの標的タンパク質に特異的なプロテアーゼ感受性変化を検出し、本手法のコンセプト検証に成功している。次に直接の標的分子がよく分かっていなかったUCS15Aについて本方法を適用し、UCS15A濃度依存的に分解が促進されるバンドとして以前から標的分子としての可能性が示唆されていたSam68を同定した。さらに本手法を用いて全く新規な標的を同定する方法についての考察を加えている。

総括においては、上述のベニジピンの骨芽細胞分化促進作用の解析、ベニジピンの標的分子同定、および新しい標的分子探索手法の開発が、生理活性化合物の作用機序解析による新しい生命現象の発見に結びつく研究成果であることを議論している。実際に、ベニジピンの骨芽細胞分化促進作用がL型Caチャンネルの阻害による細胞内Ca濃度を介したALP遺伝子発現上昇によることを明らかにしたことは、骨芽細胞分化・骨形成におけるL型Caチャネルの関与という新規性のある生物学的知見である。さらに、新しい標的探索手法はシンプルだが汎用性が高い独自手法であり、今後、従来法では困難であった化合物について標的分子を発見できる可能性があり、Chemical Biologyのアプローチによる生命現象の分子的理解の基礎となるものである。

なお、本論文におけるベニジピンの標的分子同定研究については、協和発酵キリンの杉本整治・内井雅子・小坂信夫氏との、プロテアーゼ感受性変化を利用した標的分子同定法については、同社の柴田健志、小根山千歳、中野洋文、斎藤誠嗣、矢野敬一、スリーナスVシャーマ氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となり実験・研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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