学位論文要旨



No 217572
著者(漢字) 田中,祐嗣
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒロツグ
標題(和) Foxo1とTRPV1の糖・脂質代謝制御機構とその糖尿病治療薬への応用
標題(洋) Mechanism of the regulation of glucose and lipid metabolism by Foxo1 and TRPV1, and the application to therapeutic medicine for diabetes
報告番号 217572
報告番号 乙17572
学位授与日 2011.10.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17572号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 講師 山下,朗
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨 要旨を表示する

生物にはエネルギーの恒常性を保つ機構が存在し、とりわけヒトを含めた高等生物においてその機構は複雑かつ精巧に制御されている。ヒトを含む哺乳動物においてエネルギーの担体である糖・脂質の恒常性を保つ機構は膵臓・肝臓・脂肪・骨格筋等多くの臓器で多様に制御されているが、様々な原因からこれら機構が破綻すると糖尿病を発症する。発症した糖尿病は複数の臓器で高脂血症とともに相乗的に進行し、膵臓ではインスリンの分泌不全を、肝臓では糖新生の亢進を、脂肪では細胞肥大とそれに伴う悪玉アディポサイトカインの放出を、骨格筋ではインスリン抵抗性惹起と糖消費の減少を引き起こし、総合的に血糖値の上昇と全身の臓器不全を引き起こす。この糖尿病・高脂血症の治療薬に関しては現在数多くの種類が開発・上市されており、様々な臓器で多様な作用を示す。しかし、糖尿病・高脂血症は多臓器での複合要因に起因するため一剤で多くの臓器に多様な作用を及ぼすことは難しく、その作用は限定的である。そこで新たに全身性の糖・脂質代謝を一剤で改善できる薬剤を探索するため、一つの遺伝子産物が多臓器へ作用しうるターゲットに着目しようと考えた。多くの機能を持ちうる分子として、初めに多くの臓器で多くの遺伝子の転写調節に関わる転写因子をその候補として考え、そしてこの観点から肝臓で糖新生への関与が報告されているフォークヘッド型転写因子Foxo1に着目した。また次に、下流シグナル経路により多くの臓器で多くの遺伝子の発現やその産物の制御に影響しうる受容体に着目し、いくつかの臓器で糖代謝への関与が報告されているCGRPの分泌にかかわる受容体TRPV1に着目した。これらFoxo1,TRPV1はそれぞれ特に肝臓、膵臓での糖・脂質代謝への関与が示唆されているが、その他全身性への糖・脂質代謝への影響の全貌に関しては未知数である部分が多い。そこで、本研究では、これら分子の機能調節を行う低分子薬剤の探索と評価を行うことでこれら分子の全身性の糖・脂質代謝への影響とその分子基盤を見極めるとともに、これら因子の機能調節薬が新たな糖尿病治療薬となりうる可能性を探索することとした。

Foxo1は多くの組織で発現するフォークヘッド型転写因子であり、肝臓を中心として糖・脂質代謝関連遺伝子の転写への影響が報告されている。特に肝臓においてFoxo1は糖新生の律速酵素G6Pase,PEPCKの発現を正に制御して糖新生を促進するとともに、中性脂肪合成に関わるapoCIIIの発現を正に制御して中性脂肪合成を促進することが報告されている。しかし、Foxo1のノックアウトマウスは胎生致死であり成体形成後に全身性でFoxo1を阻害した時に複合的にどのように糖代謝に影響するかについては不明であり、またFoxo1の機能を阻害する低分子についてもいまだ報告はない。そこで、私はこのFoxo1を全身性に阻害した時の糖・脂質代謝への影響を調べるため、はじめにその低分子阻害剤を探索することとし、その後得られた阻害剤によってその下流遺伝子の変動・全身性作用を検証することを試みた。

TRPV1は主に疼痛シグナルの伝達に重要な働きをしている受容体であるが、その下流の血中因子CGRPは、膵臓においてインスリン分泌を抑制することが報告されているとともに肝臓と骨格筋において糖取り込みを抑制する可能性が示唆されている。ここではTRPV1とその下流のCGRPのどちらを阻害してもこの経路の阻害は可能と考えたが、ペプチドであるCGRPを低分子により機能調節することは困難であると考えられ実際報告も存在しないため、より低分子で機能調節が容易であると考えられるターゲットとして受容体であるTRPV1に着目した。さらに、TRPV1はCGRPを介さなくても膵臓と脂肪において糖代謝を抑制する可能性が示唆されており、全身性の糖・脂質代謝を低分子により一分子の機能調節で制御するにはターゲットとしてCGRPよりもTRPV1の方がより適していると考えた。TRPV1の機能を抑制する低分子に関しては既にいくつか報告があり、中でもBCTCは直接アンタゴニストとしてTRPV1機能を阻害することが報告されている。BCTCは炎症性神経疼痛に有効であることが報告されているが、このBCTCの糖・脂質代謝について検証した例はこれまで見られなかった。そこでこのBCTCを糖尿病モデルマウスに投与し、糖・脂質代謝への影響を検証した。

1.Foxo1阻害剤AS1708727,AS1842856の発見

今回新たにFoxo1の阻害剤を探索するにあたり、今回私はOne-hybrid法を主とした方法と、MADS法(Mass spectrometric Affinity Detection System)を主とした方法の2種類の方法を用いた。One-hybrid法はFoxo1の転写活性に着目した転写活性を指標にしたスクリーニング法であり、ここではFoxo1の転写活性ドメインのみを用いてその転写活性を検出できる系を構築し、ここに化合物を反応させることでFoxo1に作用して転写活性を抑制する化合物を探索する方法を用いて、約170000の化合物ライブラリーについて評価を行った。MADS法はFoxo1への物理的な結合に着目したスクリーニング法であり、精製した活性化型Foxo1蛋白質を化合物と混合して結合させて蛋白質ごと結合化合物を分離し、その後化合物のみを単離してMass spectrometryによる同定を行う方法であって、本法により約560000の化合物ライブラリーについて評価を行った。それぞれのスクリーニングの結果、目的の化合物を複数単離し、そのうち最もその活性が高い化合物としてOne-hybrid法からはAS1708727、MADS法からはAS1842856という新規Foxo1阻害剤を見出すことに成功した。AS1708727とAS1842856は図1に示すように全く異なった構造をもち、これらはFoxo1を阻害する物質として初めての報告例である。

2.Foxo1阻害剤は肝臓を中心とした糖・脂質代謝改善作用を示す

上記より得られたAS1708727とAS1842856の2つのFoxo1阻害剤は共に肝臓由来HepG2細胞に導入したFoxo1レポーター系において濃度依存的にFoxo1の転写活性を抑制した。そして、これら2つの阻害剤は肝臓由来Fao細胞においてFoxo1下流で糖新生にかかわるG6Pase,PEPCK遺伝子の発現を濃度依存的に抑制し、結果としてこの細胞で糖新生をも濃度依存的に抑制することを見出した。また、AS1708727とAS1842856は糖尿病モデルマウスに投与することで、共に肝臓においてG6Pase,PEPCK遺伝子、および中性脂肪合成に関連するapoCIII等複数の遺伝子の発現を低下させた(図2)。さらにこの時に糖新生の基質となるピルビン酸を糖尿病モデルマウスに負荷することで生体内で糖新生による血糖値の上昇を抑制した(図3)。また、AS1708727とAS1842856はマウス生体での体内動態が大きく異なってはいたが、血中持続の長いAS1708727は糖尿病モデルマウスへの連投試験により長期間の全身性のFoxo1阻害を実現し、血糖値と血中中性脂肪値の低下を中心とした糖・脂質代謝全般を改善することを見出した。一方、AS1842856は骨格筋由来C2C12細胞において糖消費亢進作用も示し、骨格筋においても糖代謝を改善することが明らかになった。よって、Foxo1阻害剤は肝臓のみならず骨格筋等への作用も併せ持ち、複合的に糖・脂質代謝を改善していく可能性が示唆され、上記の連投試験で観察された全身性の糖・脂質代謝改善は肝臓での作用のみならず、このような多臓器での作用が奏功している可能性が示唆された。

3.TRPV1阻害剤は膵臓を中心とした糖・脂質代謝改善作用を示す

TRPV1阻害剤として報告のあるBCTCを用いて糖尿病モデルマウスへの影響を検証するため連投試験を行ったところ、BCTC投与によって血糖値と血中中性脂肪値の低下、そして血中インスリン値の低下傾向という全身性の糖・脂質代謝の改善作用を示すことを見出した(図4)。これは同時に並行して投与したインスリン抵抗性改善剤Pioglitazoneと同様の傾向を示し、BCTCもPioglitazone同様末梢組織でインスリン抵抗性を改善した可能性が示唆された。さらに私は、BCTCの連投後に経口糖負荷試験を行ってインスリン分泌作用を検証したところ、BCTCは今度はPioglitazoneと異なりインスリン分泌促進作用を示すことを発見した(図5)。インスリン分泌促進とインスリン抵抗性改善の両作用を併せ持つ薬剤は現在のところ存在しないが、今回の結果からTRPV1阻害剤はこれら作用を併せ持ち、膵臓のみならず他末梢組織でも糖脂質代謝を改善して全身性での糖・脂質代謝を改善した可能性が示唆された。糖尿病態ではインスリン分泌不全とインスリン抵抗性惹起によるインスリン作用不全が相乗的におこり病態を悪化に導くが、今回の結果からTRPV1阻害剤は逆に必要時にインスリンを分泌し、かつ同時にインスリン抵抗性を改善してその作用を増強するという正の相乗効果がおこり病態を改善していくことが期待できる。

以上の結果からFoxo1阻害剤およびTRPV1阻害剤は糖尿病モデルマウスに対して抗糖尿病作用を示すことが明らかになり、Foxo1およびTRPV1はその一遺伝子産物を阻害することによって多臓器に影響し、全身性の糖・脂質代謝を改善するマスター因子たりうる可能性が示唆された。それぞれの糖尿病への作用モデルとして、Foxo1阻害剤は特に肝臓での糖新生阻害・中性脂肪合成阻害作用を中心として加えて骨格筋での糖消費を促進する等の作用によって、TRPV1阻害剤は特に膵臓でのインスリン分泌促進作用を中心として加えて骨格筋等の末梢組織でのインスリン抵抗性を改善する等の作用によって全身性の糖・脂質代謝を改善し、抗糖尿病作用を示すというモデルが考えられる(図6)。以上のことより、本研究はこれら阻害剤が新しいクラスの糖尿病治療薬になる可能性を示唆し、また本研究によって見出された新たなFoxo1阻害剤であるAS1708727とAS1842856自体が新たな糖尿病治療薬となりうる可能性を示した。

図1 AS1708727とAS1842856の構造

図2 AS1842856による肝臓内遺伝子発現抑制

図3 AS1842SS6による糖尿病モデルマウスでの糖新生抑制

図4 BCTCによる糖尿病モデルマウスでの糖代謝改善作用

図5 BCTCによる糖尿病モデルマウスでのインスリン分泌坑進作用

図6 Foxo1阻害剤とTRPV1阻害剤の作用仮説モデル

審査要旨 要旨を表示する

生物にはエネルギーの恒常性を保つための機構が存在し、ヒトを含めた高等動物においては膵臓・肝臓・脂肪・骨格筋等の臓器で複雑かつ精巧に制御されている。学位申請者の田中祐嗣は、エネルギーの担体である糖・脂質の恒常性を保つ機構が破綻すると糖尿病・高脂血症が発症することに着目し、その制御に作用を及ぼす低分子量化合物の研究を行った。糖尿病は複数の臓器で高脂血症と相乗的に進行し、膵臓ではインスリンの分泌不全、肝臓では糖新生の亢進、脂肪では細胞肥大とそれに伴う悪玉アディポサイトカインの放出、骨格筋では糖消費の減少を惹起し、総合的に血糖値・血中脂質の上昇とインスリン抵抗性等の全身の臓器不全を引き起こす。糖尿病・高脂血症の治療薬は現在数多く開発・発売されており、それぞれ標的とする臓器でいろいろな作用を示す。しかし、糖尿病・高脂血症では多臓器において複合的に糖・脂質代謝が破綻しているため、一剤で全体に有効な作用を及ぼすことは難しく、その治療効果は限定的であった。学位申請者は多くの臓器で共通に糖・脂質代謝に関わっている因子の活性を一剤で調節する可能性を考え、そのような因子の候補として、転写因子Foxo1とカプサイシン受容体TRPV1に注目した。本論文では、これら二つの因子につき分子機能の検討と機能調節薬剤の探索・評価を行った結果が述べられている。

論文は序論、材料と方法、結果、考察、結論、参考文献、謝辞から構成されている。結果は二部に分かれ、前者ではFoxo1阻害剤の機能、後者ではTRPV1阻害剤の機能の解析結果が詳述されている。それらの内容と総合的な考察の概要を以下に述べる。

Foxo1は転写を介して下流遺伝子のG6PaseとPEPCKの発現を抑制し、糖新生を抑制する可能性が示唆されていた。しかしFoxo1の阻害物質についての報告はこれまでになく、またFoxo1欠損マウスは胎生致死となるため、全身性でFoxo1を阻害した時の糖代謝への影響について知見はなかった。学位申請者はFoxo1の転写活性を指標にしたOne-hybrid法と、Foxo1との結合性を指標にしたMADS法という二つの異なる方法によりFoxo1を阻害する低分子化合物を探索し、それぞれ17万、56万種の化合物ライブラリーからAS1708727とAS1842856という新しい化合物を発見した。これらのFoxo1阻害剤を肝臓と骨格筋由来の細胞に処理すると、肝臓での糖新生の抑制作用と骨格筋での糖消費亢進作用という抗糖尿病作用を示した。さらに、糖尿病モデルマウス生体に経口で連続投与すると、糖新生の抑制作用と血糖値の低下、さらに血中中性脂肪値と血中インスリン値の低下という全身性の抗糖尿病作用を示すことを見出した。

TRPV1に関しては、その阻害剤としてBCTCという物質が既に知られていた。学位申請者はこの物質の糖・脂質代謝への影響を調べた。その結果、糖尿病モデルマウスを用いた摂食時を模倣する経口糖負荷試験で膵臓でのインスリン分泌亢進作用を見出すとともに、この場合も連続投与時に血糖値の低下および血中中性脂肪値と血中インスリン値の低下という全身性の抗糖尿病作用を示すことを見出した。

以上の知見より、Foxo1およびTRPV1は多くの臓器における糖・脂質代謝に影響し、全身性の糖・脂質代謝を制御するマスター因子としての性格をもつことが明らかとなった。Foxo1は肝臓で糖新生を制御する作用が、TRPV1は膵臓でインスリン分泌を制御する作用が大きかったが、どちらの機能を調節しても糖・脂質代謝への全身性の影響はほぼ同等で、糖尿病モデルマウスにおいて血糖値の低下と血中中性脂肪値の低下、およびインスリン抵抗性改善の指標である血中インスリン値の低下という全身性の改善が見られた。この結果は多臓器で複合的に糖・脂質代謝を改善することが全身性の糖・脂質代謝の改善に有効であることを示唆している。

以上、学位申請者田中祐嗣は低分子化合物を用いてFoxo1およびTRPV1の遺伝子産物の機能を特異的に阻害した際の糖・脂質代謝への影響を解析し、Foxo1の阻害剤およびTRPV1の阻害剤が全身性の糖・脂質代謝改善する薬理作用をもつことを明らかにした。またFoxo1を阻害する低分子化合物二種を新たに発見した。これらの業績は糖・脂質代謝制御における分子レベルの理解を大きく進めるものであり、また今後新しい糖尿病治療薬の創生にもつながる重要な成果と考えられる。よって、学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査員全員が判定した。なお本論文は長島建之、島谷彰良、浦野泰治、下川晃彦、柴崎雅之、重松伸治、今村(丸木)理世、木曽哲夫、倉持孝博との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、田中祐嗣に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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