学位論文要旨



No 217580
著者(漢字) 鈴木,裕一
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ユウイチ
標題(和) 新規脳神経選択的電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の分子設計・構造活性相関と合成研究
標題(洋)
報告番号 217580
報告番号 乙17580
学位授与日 2011.11.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17580号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 客員教授 世永,雅弘
 東京大学 准教授 松永,茂樹
 東京大学 准教授 横島,聡
内容要旨 要旨を表示する

脳梗塞(虚血による神経細胞死)のメカニズムとして最も重要視されている仮説の1つに「グルタミン酸-カルシウム仮説」がある。脳血流量が低下すると嫌気性解糖が行われ脳組織のATPが枯渇し、その結果、細胞内外のイオン濃度勾配が維持できなくなり、脱分極が発生する。プレシナプスでは、脱分極により電位依存性カルシウムチャネル (VDCC)が活性化しグルタミン酸の過剰放出が誘発される。ポストシナプスにおいては、脱分極によりVDCCが活性化し細胞内Ca2+濃度を上昇させると共に、過剰に放出されたグルタミン酸がグルタミン酸受容体を刺激して細胞内Ca2+濃度を上昇させる。これらの結果、カルパイン、ホスホリパーゼなどCa2+ 濃度に依存する種々の酵素が過度に活性化され、神経細胞死を誘導される。上記仮説では、細胞内Ca2+の濃度上昇が神経細胞死への一連のカスケードの引き金となる。VDCCは細胞膜上に存在し、膜の脱分極により活性化され、細胞外から細胞内にCa2+を流入させる。VDCCは更に、L, N, P/Q, R, T型というサブタイプに分類される。脳神経特異的なP/Q及びN型VDCCのペプチド阻害剤の研究から、筆者らは、これら阻害剤の神経細胞保護効果の知見を得ていたことから、低分子VDCC阻害剤が神経細胞死に至る一連のカスケードを遮断する新規脳梗塞治療薬としての可能性があると考え、本研究に着手した。

当時、脳神経特異的なP/Q型、N型の電位依存性カルシウムチャネル(VDCC)阻害剤としてペプチド化合物が報告されていたが、これらは薬剤として、代謝安定性、注射剤としての水溶性、脳内移行性等に大きな課題を有していた。一方、十数年に渡りサブタイプ選択的カルシウムチャネル阻害剤の研究も精力的に取り組まれていたが、水溶性や脳内移行性を有する低分子阻害剤の成功例は報告されていなかった。このように低分子阻害剤の創出は非常に困難であると考えられたが、筆者らは以下に述べる戦略により低分子阻害剤の創出に向けて検討を行った。

研究の開始当初、脳神経のカルシウムチャネルを選択的に阻害する低分子化合物は報告されていなかったがL型阻害剤であるニフェジピンの誘導体アムロジピンがN型阻害作用も有することが報告されており、二フェジピン(L型)からアムロジピン(N型)への変換のように側鎖変換によりL型からP/Q型、N型などの脳神経のVDCCへ阻害作用をシフトすることが可能であると仮設立て、シード化合物獲得の創薬手法として、既存のL型阻害剤の化学構造修飾からP/Q型、N型などの脳神経選択的なVDCC阻害作用を獲得するアプローチを検討することとした。

L型阻害剤にはジヒドロピリジン、ジルチアゼム、ベラパミルの異なるscaffoldが存在するが、この中でベラパミルの特徴的構造であるフェニル、イソプロピル、シアノ部位の分子量は200以下であり、筆者が目指す下記(1)~(3)((1)脳梗塞治療薬として、静注剤となりうる水溶性を確保していること、(2)中枢薬として適切な分子量であること(構造修飾後も分子量500以下となるような低分子量のscaffoldであること)、(3)フォーカスドライブラリー化が可能であるscaffoldであること)を満足する合成展開が可能なscaffoldと判断した。そして、以下の分子設計・作業仮説(1)-(2)((1)ベラパミルの構造的特徴である2-Phenyl-3-methylbutyronitrile moietyが脳神経のVDCCのbioactive motifの役割を担える。(2) 前記の目指す化合物像(1)、(2)を満たすため、経験的に水溶性や脳内移行性向上に寄与すると推定されるピペラジンを予め導入したものを基本骨格とし、その側鎖R1の変換により活性を向上させ、更に各パーツにおいて最適化を図る)に基づき、L型阻害剤ベラパミルの側鎖変換の合成展開を行い、脳神経選択的なVDCC阻害剤創出の可能性を検討することとした。

構築したFLから以下の構造活性相関を得た。R1では、ある程度の鎖長を有するスペーサーを介したフェニル基の存在が活性向上に重要である。一方、中央部の塩基性アミンであるピペラジンの位置は厳密な規定は受けない。各パーツにおいて、in vitroの活性向上には、適度な脂溶性が不可欠であり、極性基の導入はほぼ許容されない。このことは、静注剤の溶解性確保には不都合なSARであったが、基本骨格にピペラジンを予め導入していたことが溶解性確保に奏功した。そして、FL構築を通じて、化合物4cがin vitro活性、適度な水溶性を有し、更に脳内移行性の1つの指標としていた音誘発痙攣モデルにおいて、抗痙攣作用を 10 mg/kg (i.v.)で示す最初の化合物として見出された。in vitro活性、抗痙攣作用及び適度な水溶性を有するラセミ体化合物4cを代表化合物として光学分割し、光学活性なE2050 (34a)として更に詳細に評価した。ラット脳シナプトゾームの細胞内カルシウム濃度の上昇、及びラット大脳皮質スライスからのグルタミン酸遊離をE2050は濃度依存的に抑制し、そのIC50はそれぞれ3.0 μMと3.7 μMであった。

脳内移行性を確認する1st in vivoモデルとして用いた音誘発痙攣モデルにおいて、E2050は10 mg/kg, i.v.にて100%抑制した。脳梗塞モデルの一つである中大脳動脈閉塞モデルにおいて、E2050は6時間持続投与により用量依存的に脳虚血性神経細胞死により生じる梗塞巣を有意に抑制し脳梗塞治療薬としての可能性を示した。E2050はL型VDCC阻害剤ベラパミルを一種のプロトタイプ化合物としていたため、L型VDCC阻害作用に由来する心脈管系への副作用が懸念されたが、麻酔犬を用いた心血行動態試験においてE2050は殆んど心臓への影響を示さず、脳神経のVDCC阻害作用とL型VDCC阻害作用間の乖離をin vivoにおいて確認した。このように筆者が当初目論んだようにL型阻害作用を減弱しつつ、脳神経のVDCC阻害作用を向上させることによりL型VDCC阻害作用と脳神経のVDCC阻害作用の間に十分な乖離を有する化合物へ変換できたことがin vivo試験において確認された。

以上のように脳梗塞治療薬候補化合物E2050を見出すことに成功したが、薬剤としての可能性を追求するには更に様々な試験を行うために数十から数百グラムスケールで化合物を供給するためのルート構築が必要であった。そこで、筆者らは、スケールアップ合成に耐えうるE2050の新規な不斉四級炭素構築の検討を行った。

まず、不斉合成の検討では、鍵反応として、アリルアルコールのSharpless不斉エポキシ化とエポキシシリルエーテルの不斉転移反応を用いた。フェニルアセトニトリル40aから合成した不飽和ニトリル40bは還元してアリルアルコール40cへと導いた。アリルアルコール40cのSharpless不斉エポキシ化は高収率で光学活性なアルコール40dを与えた。40dの水酸基をトリフェニルシリル基で保護し化合物40eとした。更にMAD (methylaluminum bis(2,6-di-t-butyl- 4-methylphenoxide))を用いて不斉転移を行い、光学活性なアルデヒド40gを得た。アルデヒド40gをニトリルに変換した後、後処理を行わずに脱シリル化を行うことで、ラセミ化の制御に成功し、>99% eeのアルコール40jを得た。アルコール40jは酸化してアルデヒド40kとした後、Horner-Emmons反応、更に2重結合とエチルエステルを順に還元しアルコール40nに変換した。アルコール40nからメタンスルホニル化、更にピペラジン誘導体19aとのカップリング反応を行い高収率、高光学純度でE2050を得た。この不斉合成における精製工程は、蒸留・結晶化・ショートカラムのみにより行われており、大量合成という観点からも非常に効率的な合成法となった。

次に酵素による速度論的分割を用いたE2050の合成検討を行った。ラセミ体アセテート41 hの固定化リパーゼを用いた加水分解において、目的のアルコール43aの光学純度を85%eeまで向上させることに成功し、更に緩衝液から有機溶媒に変更することでアルコール43aの光学純度が向上し、反応速度も速くなることを見出した。加えて、トランスエステル化の検討においても固定化リパーゼは優れた選択性と反応性を示すことを見出し、35 gの基質を用いた場合においても、高い光学純度と収率を得ることに成功した(光学純度94.7% ee、回収率32%)。この際の反応条件は、反応基質41g(1 g)に対して、酵素(2 mg)、ビニルアセテート(1 mL)であり、通常の実験室レベルで反応基質を更に数百グラムまでスケールアップできる可能性を示した。

固定化リパーゼを用いたトランスエステル化では反応時間が短縮し、また、カラムクロマトグラフィーを用いた精製においても、未反応のアルコールとアセチル化体44aは短いカラムを用いることで極めて容易に精製することが可能となり、新たな大量合成ルート構築にも成功した。

以上、本研究から以下の成果を得た。まず、既知のL型電位依存性カルシウムチャネル阻害剤ベラパミルの特徴的構造である2-Phenyl-3-methylbutyronitrile moietyをscaffoldとしたフォーカスドライブラリー構築を基軸とした創薬手法を用いて、in vivoにおいてL型カルシウムチャネル阻害作用と十分な乖離幅を有する新規脳神経選択的低分子電位依存性カルシウムチャネル阻害剤E2050の創出に成功した。また、脳梗塞モデルの一つである中大脳動脈閉塞モデルにおいて、E2050は6時間持続投与により用量依存的に脳虚血性神経細胞死により生じる梗塞巣を有意に抑制し、脳神経選択的低分子電位依存性カルシウムチャネル阻害剤の脳梗塞治療薬としての可能性を示した。次にSharpless不斉エポキシ化とエポキシシリルエーテルの不斉転移を基軸とした不斉合成ルートを構築し、E2050のスケールアップ合成法を確立した。更に固定化リパーゼを用いた実用的な光学分割条件を見出すことでE2050のスケールアップ合成法を別途確立した。本研究を通じて見出された新規四級炭素構築法は、本合成研究以外への適用も可能な汎用性の高い経路となることが期待される。

図1.異なるスキャフォールドを有する代表的なL型力ルシウムチャネル阻害剤

図2.脳神経選択的N型、P/Q型Ca(2+)チャネル阻害剤を志向したフォーカスドライブラリーデザイン

R=OMe: verapamil(1); synaptosomes(rat)10% inhibition at 10μM

R=H : emopamil(2); synaptosomes(rat) IC(50)=28μM

表1.化合物4cのin vitro活性と抗痙攣作用

表2.E2050(34a)とそのエナンチオマー(34b)のin vitro活性評価

Scheme1.Chiral synthesis of E2050

表3.有機溶媒中での酵素加水分解

表4.スケールアップ条件下でのトランスエステル化反応

審査要旨 要旨を表示する

脳血管障害は我が国で第3位の死亡順位を占め、年間約13万人の死亡者数のうち60%が脳梗塞によるものである。脳梗塞のメカニズムの有力な仮説の1つに「グルタミン酸-カルシウム仮説」がある。脳血流量の低下により脳組織のATPが枯渇し、細胞膜イオンポンプ機能が破錠し脱分極が起こり、その結果、電位依存性カルシウムチャネル (VDCC)が活性化され細胞内Ca2+濃度が上昇して、神経細胞死が誘導されるというものである。VDCCの複数あるサブタイプの中で脳神経特異的なP/Q及びN型VDCCのペプチド系阻害剤が神経細胞保護効果を示す知見をもとに、鈴木はP/Q型やN型の低分子VDCC阻害剤の創出が新規脳梗塞治療薬の開発に繋がると考え、本研究に着手した。

P/Q型、N型のペプチド系VDCC阻害剤は、代謝安定性、注射剤としての水溶性、脳内移行性等が大きな課題であった。一方、それらの欠点を持たない低分子阻害剤の成功例は知られていなかったが、鈴木は以下の戦略によってその創出に向けて検討を行った。

アムロジピンはL型に加えN型の阻害作用を併せ持つことが知られており(図1)、鈴木は、二フェジピン(L型)からアムロジピン(N型)のように、既存のL型阻害剤の側鎖変換によりL型から(P/Q型、N型等の)脳神経型へ阻害作用を変換できると作業仮説を立て検討を開始した。

L型阻害剤には異なる3種のscaffoldが存在するが(図2)、(1)注射剤としての水溶性、(2)中枢薬に適した分子サイズ、(3)フォーカストライブラリー(FL)構築を考慮してベラパミルを選択した。

まず、 (1) ベラパミルの2-phenyl-3-methylbutyronitrile部分が脳神経型VDCCに対してもbioactive motifの役割を担えると仮説立て、(2) 前記(1)、(2)を意図し水溶性や脳内移行性の向上が期待されるピペラジンを予め導入した基本骨格とし、その側鎖R1の変換により活性、選択性、溶解性向上を図り、更に各部位において最適化を図った(図3)。

構築したFLの構造活性相関研究の結果、化合物4cがin vitro活性と十分な水溶性を有し、脳内移行性も期待できる化合物として見出された。これを光学分割したE2050 (34a)は更なるin vitro活性向上の結果を示した(表1)。

更にE2050は脳梗塞モデルにおいて脳保護効果を示し、脳梗塞治療薬としての可能性が示唆された。E2050はL型阻害剤をプロトタイプとしており心脈管系副作用が懸念されたが、麻酔犬を用いた心血行動態試験において殆んど心臓への影響を示さず、脳神経選択的 VDCC阻害作用とL型VDCC阻害作用間の乖離がin vivoにおいて確認された。

以上のように、鈴木は脳梗塞治療薬候補化合物E2050の創出に成功したが、更なる開発研究のために大量合成法の開発に着手した (Scheme 1)。まず、不斉合成の検討では、鍵反応として、アリルアルコールのSharpless不斉エポキシ化とエポキシシリルエーテルの不斉転位反応を用いた。フェニルアセトニトリル40aから合成した不飽和ニトリル40bを還元してアリルアルコール40cへと導いた。アリルアルコール40cのSharpless不斉エポキシ化で得たアルコール40dの水酸基をトリフェニルシリル基で保護し化合物40eとした。更にルイス酸MAD (methylaluminum bis(2,6-di-t-butyl-4-methylphenoxide))を用いて不斉転位を行い、光学活性なアルデヒド40gを得た。アルデヒド40gをニトリルに変換した後、脱シリル化してアルコール40jを得た。アルコール40jは酸化してアルデヒド40kとした後、Horner-Emmons反応、更に2重結合とエチルエステルを順に還元しアルコール40nに変換した。アルコール40nからメタンスルホニル化、更にピペラジン誘導体19aとのカップリング反応を行い高収率、高光学純度でE2050を得た。本不斉合成における精製は、蒸留・結晶化・ショートカラムのみで行われ、大量合成の観点からも簡便で実用的な合成法となった。

次に鈴木は酵素法による検討を行った。固定化リパーゼを用いた有機溶媒中でのアセテート41hの加水分解において、アルコール43aの光学純度は95% eeまで向上した (表2)。トランスエステル化反応においても固定化リパーゼは優れた選択性と反応性を示し、スケールアップ条件下においても、高い光学純度と収率を得た(光学純度94.7% ee、回収率32%)(表3)。本反応は反応時間が短縮化され、また、アセテート44aの精製も非常に簡便化され、実用的な大量合成法となった。

以上、鈴木はまず、L型阻害剤ベラパミルの2-phenyl-3-methylbutyronitrile部分をscaffoldとしたFL構築から新規脳神経選択的低分子VDCC阻害剤E2050の創出に成功した。本研究の成果は脳神経選択的低分子VDCC阻害剤の脳梗塞治療薬としての可能性を示唆する重要な知見になると考えられる。次にSharpless不斉エポキシ化とエポキシシリルエーテルの不斉転位を基軸とした不斉合成法と固定化リパーゼによる光学分割法の2つのE2050の大量合成法の開発に成功した。本研究から見出された新規四級炭素構築法は、汎用性の高い有用な経路となることが期待され、これらの研究成果は薬学研究への寄与が大きく、博士(薬学)の学位を授与するに値すると認めた。

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