学位論文要旨



No 217581
著者(漢字) 綿引,智成
著者(英字)
著者(カナ) ワタビキ,トモナリ
標題(和) TRPV1受容体拮抗薬の疼痛治療薬としての有用性に関する薬理学的検討
標題(洋)
報告番号 217581
報告番号 乙17581
学位授与日 2011.11.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17581号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景

疼痛刺激は、末梢感覚神経を介して脊髄に伝えられ、続いて上行性疼痛伝達経路が活性化されることで脳に伝えられる。疼痛を発症原因により分類すると、炎症や刺激による痛み(侵害受容性疼痛)、または神経障害による痛み(神経因性疼痛)に大別される。神経因性疼痛においては、末梢感覚神経の反応閾値低下(末梢感作)、脊髄シナプス間の伝達効率の上昇(中枢感作)、下降性疼痛抑制系の機能低下(中枢性脱抑制)が生じ、慢性疼痛が形成される。神経因性疼痛に対する対症療法としては、神経型Ca2+チャネル調節薬(プレガバリン)やモノアミン取り込み阻害薬(デュロキセチン)が第一選択薬として用いられている。しかし、有効率の低さや中枢性副作用の頻度の高さが問題点であり、新規作用機序を有し、副作用の少ない鎮痛薬が求められている。

Transientreceptor potential vanilloid 1(TRPV1)受容体は、トウガラシの辛み成分カプサイシンに対する作用標的としてクローニングされた、リガンド開口型非選択的カチオンチャネルであり、特にCa2+に対して高い透過性を有する。生体内では末梢感覚神経に高発現しており、各種の内因性リガンド候補分子(NADA、OLDA、12-HPETE、lipoxygenase代謝物、アナンダミド等)、プロトン、酸によってチャネル開口を受け、Ca2+流入を介した神経活性化が生じる。TRPV1の生理的機能としては、欠損マウス等での解析から、痛覚伝達および体温調節に関与するものと考えられている。また、これまで数多くのTRPV1拮抗薬が見出されているが、これら化合物は、実験動物において鎮痛作用を示すが、同時に体温上昇作用を引き起こすため、新規疼痛治療薬として開発する上で大きな障害となっている。

2.研究目的

今回私は、新規に見出した選択的TRPV1拮抗薬ASI928370を用いて、以下に関する薬理学的検討を行うことで、TRPV1受容体の生理機能および拮抗薬の疼痛治療薬としての有用性について、さらに明らかにしようと試みた。

(1)TRPV1拮抗による鎮痛作用と体温上昇作用の検討

(2)TRPV1拮抗による鎮痛作用の作用点の解明

(3)TRPV1拮抗による正常感覚機能への影響の検討

3.研究成果

3-1.新規TRPV1拮抗薬AS1928370のin vitro作用プロファイル、鎮痛作用、および体温上昇作用の検討

まず初めに、新規TRPV1拮抗薬AS1928370のin vitro作用プロファイルを検討した。AS1928370は、ヒトTRPV1のRTX結合部位に結合し(Ki=131nM)、カプサイシン誘発の内向き電流および細胞内Ca2+取り込みを濃度依存的に阻害した(pA2=6.72)。一方、プロトン誘発のCa2+取り込みに対しては、弱い抑制作用しか示さなかった。既存の代表的TRPV1拮抗薬であるBCTCは、本系において両刺激によるCa2+取り込みを同じ濃度範囲で抑制した。これらより、AS1928370は、既存TRPV1拮抗薬とは異なり、リガンド誘発のTRPV1活性化を選択的に阻害する性質を有することを明らかとした。また、同じTRPファミリー分子の中で、痛覚伝達への関与が報告されているTRPV4、TRPA1、TRPM8に対しては、AS1928370は10μMまでアゴニストおよびアンタゴニスト活性を示さなかった。

次に、AS1928370のラット病態モデルでの鎮痛作用を検討した。代表的な神経因性疼痛モデルであるL5/L6脊髄神経結紮モデルでは、von Frey hairフィラメントを用いて回避反応閾値を測定した。AS1928370(0.1-3mg/kg)の経口投与は、用量依存的に反応閾値を改善したことから、カプサイシン刺激に選択的なTRPV1拮抗薬でも神経因性疼痛モデルに有効性を示すことを初めて見出した。また、その改善率は、BCTCや神経因性疼痛治療薬プレガバリンと同程度であった。作用機序としては、内因性TRPV1リガンド誘発の疼痛伝達物質放出の抑制が想定された。一方、代表的な炎症性疼痛モデルであるアジュバント肢裏投与モデルでは、熱投射装置を用いて回避反応潜時を測定した。AS1928370経口投与は、高用量(10mg/kg)では有意に反応潜時を改善したが、BCTCや非ステロイド性抗炎症薬ジクロフェナクの作用と比較し改善率が低かった。炎症部位では組織アシドーシスが生じ、プロトンによるTRPV1活性化が炎症性疼痛発症に大きな役割を果たしていると考えられるが、AS1928370ではその機序を抑制できないことが、炎症疼痛に対する不十分な鎮痛効果の原因であると考察した。

最後に、AS1928370のラット体温への影響について検討した。BCTCは鎮痛用量において有意な体温上昇作用を示したが、AS1928370経口投与は10mg/kgまで有意な体温上昇作用を示さなかった。腹部内蔵でのプロトンによるTRPV1恒常的活性化が、体温維持に関与していると考えることが出来るが、AS1928370はその機構に影響を与えないことで体温上昇を回避した可能性がある。

以上の結果より、TRPV1の阻害形式により、神経因性疼痛に対する鎮痛作用と体温上昇作用が分離可能であることが示唆された。

3-2.マウスL5/6脊髄神経結紮モデルを用いたTRPV1拮抗薬AS1928370の鎮痛作用の作用点の検証

TRPV1受容体は感覚神経の末梢端および脊髄端に発現しているが、TRPV1阻害薬の鎮痛作用点として脊髄TRPV1が関与しているかどうかを明らかにすることは、鎮痛薬として血液脳関門を通過する必要があるか否かを判断する上で有意義である。私はまず、覚醒下で簡便に脊髄腔内薬物投与が可能なマウスにおいて、新たに神経因性疼痛モデルの構築を試みた。その結果、マウスにおいてもL5/L6脊髄神経結紮により、von Frey hairフィラメント刺激時の回避反応閾値が持続的に低下することや、既存の神経因性疼痛治療薬(プレガバリン、デュロキセチン等)が有意な閾値改善作用を示すこと、脊髄神経根での各種遺伝子変動がラットモデルと同様であることを確認した。

本モデルにおいてAS1928370経口投与は、高い脊髄内移行性を示し、用量依存的(0.1-1mg/kg)に反応閾値を改善した。また、脊髄腔内投与(0.3-30μg)においても、有意な反応閾値改善がみられた。神経因性疼痛状態下においては、感覚神経上でのTRPV1発現上昇が報告されているが、内因性リガンドによるこれらTRPV1の活性化が、AS1928370により阻害されることで、脊髄シナプス間の異常な疼痛伝達が抑制されるものと考察した。

一方、AS1928370経口投与は、高い中枢移行性を示すにも関わらず、既存鎮痛薬とは異なり、高用量(30mg/kg)までマウス自発運動量に影響を及ぼさなかった。上位中枢にもTRPV1の発現がみられるが、その役割は限定的なものと考えた。

以上の結果は、脊髄TRPV1が神経因性疼痛抑制の重要な作用点の一つであることを示唆する。

3-3.TRPV1拮抗薬AS1928370の正常感覚機能への影響の検討

μ受容体作動薬(フェンタニル等)のような強力な鎮痛薬は、病態時の痛覚のみならず、正常感覚機能についても非選択的に阻害することが知られている。これらの作用は、サイン派電流刺激法により神経線維毎に定量可能であり、ラットでも評価が可能である。今回私は、この方法がイヌでも適応可能かを検討した結果、サイン波電流刺激によるイヌの反応が、ラットよりも明確かつ安定的であることを見出した。本系において、フェンタニル静脈内投与(3-10mg/kg)は、臨床有効濃度付近において電流検出閾値を上昇させたが、プレガバリンおよびAS1928370経口投与は、神経因性疼痛モデルでの有効濃度以上においても、電流検出閾値を変化させなかった。この原因として、神経因性疼痛状態とは異なり、Ca2+チャネルおよびTRPV1の発現上昇が生じていない正常状態では、感覚神経伝達における他のチャネルや受容体の役割が相対的に大きいためと考えた。

以上の結果は、TRPV1拮抗薬が、臨床適応において正常感覚神経機能に影響を与えない可能性を示す。

4.総括

本研究において私は、マウス神経因性疼痛モデルおよびイヌ正常感覚機能検査法という2つの新しい実験系を確立するとともに、TRPV1に関して以下の新たな知見を得た。(1)リガンド刺激に選択的なTRPV1拮抗は体温上昇を引き起こさずに神経因性疼痛を抑制する、(2)脊髄TRPV1は神経因性疼痛抑制の重要な作用点の一つである、(3)TRPV1拮抗では、正常感覚機能障害を生じない。これら知見は、中枢移行性の高いリガンド刺激選択的なTRPV1拮抗薬が、有望な神経因性疼痛治療薬になり得ることを示すとともに、TRPV1受容体の更なる機能解明に役立つものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

疼痛刺激は、末梢感覚神経を介して脊髄に伝えられ、続いて上行性疼痛伝達経路が活性化されることで脳に伝えられる。疼痛を発症原因により分類すると、炎症や刺激による痛み(侵害受容性疼痛)、または神経障害による痛み(神経因性疼痛)に大別される。神経因性疼痛においては、末梢感覚神経の反応閾値低下(末梢感作)、脊髄シナプス間の伝達効率の上昇(中枢感作)、下降性疼痛抑制系の機能低下(中枢性脱抑制)が生じ、慢性疼痛が形成される。神経因性疼痛に対する対症療法としては、神経型Ca2+チャネル調節薬(プレガバリン)やモノアミン取り込み阻害薬(デュロキセチン)が第一選択薬として用いられている。しかし、有効率の低さや中枢性副作用の頻度の高さが問題点であり、新規作用機序を有し、副作用の少ない鎮痛薬が求められている。

Transient receptor potential vanilloid 1(TRPV1)受容体は、トウガラシの辛み成分カプサイシンに対する作用標的としてクローニングされた、リガンド開口型非選択的カチオンチャネルであり、特にCa2+に対して高い透過性を有する。生体内では末梢感覚神経に高発現しており、各種の内因性リガンド候補分子(NADA、OLDA、12-HPETE、lipoxygenase代謝物、アナンダミド等)、プロトン、酸によってチャネル開口を受け、Ca2+流入を介した神経活性化が生じる。TRPV1の生理的機能としては、欠損マウス等での解析から、痛覚伝達および体温調節に関与するものと考えられている。また、これまで数多くのTRPV1拮抗薬が見出されているが、これら化合物は、実験動物において鎮痛作用を示すが、同時に体温上昇作用を引き起こすため、新規疼痛治療薬として開発する上で大きな障害となっている。申請者は、新規に見出した選択的TRPV1拮抗薬AS1928370の薬理学的検討を行うことにより、TRPV1受容体の生理機能および拮抗薬の疼痛治療薬としての有用性について研究した。

まず初めに、新規TRPV1拮抗薬AS1928370のin vitro作用プロファイルを検討した。AS1928370は、ヒトTRPV1のRTX結合部位に結合し(Ki=131 nM)、カプサイシン誘発の内向き電流および細胞内Ca2+取り込みを濃度依存的に阻害した(pA2=6.72)。一方、プロトン誘発のCa2+取り込みに対しては、弱い抑制作用しか示さなかった。既存の代表的TRPV1拮抗薬であるBCTCは、本系において両刺激によるCa2+取り込みを同じ濃度範囲で抑制した。これらより、AS1928370は、既存TRPV1拮抗薬とは異なり、リガンド誘発のTRPV1活性化を選択的に阻害する性質を有することを明らかとした。また、同じTRPファミリー分子の中で、痛覚伝達への関与が報告されているTRPV4、TRPA1、TRPM8に対しては、AS1928370は10μMまでアゴニストおよびアンタゴニスト活性を示さなかった。

次に、AS1928370のラット病態モデルでの鎮痛作用を検討した。代表的な神経因性疼痛モデルであるL5/L6脊髄神経結紮モデルでは、von Frey hairフィラメントを用いて回避反応閾値を測定した。AS1928370(0.1-3mg/kg)の経口投与は、用量依存的に反応閾値を改善したことから、カプサイシン刺激に選択的なTRPV1拮抗薬でも神経因性疼痛モデルに有効性を示すことを初めて見出した。また、その改善率は、BCTCや神経因性疼痛治療薬プレガバリンと同程度であつた。作用機序としては、内因性TRPV1リガンド誘発の疼痛伝達物質放出の抑制が想定された。一方、代表的な炎症性疼痛モデルであるアジュバント肢裏投与モデルでは、熱投射装置を用いて回避反応潜時を測定した。AS1928370経口投与は、高用量(10mg/kg)では有意に反応潜時を改善したが、BCTCや非ステロイド性抗炎症薬ジクロフェナクの作用と比較し改善率が低かった。炎症部位では組織アシドーシスが生じ、プロトンによるTRPV1活性化が炎症性疼痛発症に大きな役割を果たしていると考えられるが、AS1928370ではその機序を抑制できないことが、炎症疼痛に対する不十分な鎮痛効果の原因であると考察した。

最後に、AS1928370のラット体温への影響について検討した。BCTCは鎮痛用量において有意な体温上昇作用を示したが、AS1928370経口投与は10mg/kgまで有意な体温上昇作用を示さなかった。腹部内蔵でのプロトンによるTRPV1恒常的活性化が、体温維持に関与していると考えることが出来るが、AS1928370はその機構に影響を与えないことで体温上昇を回避した可能性がある。

以上の結果より、TRPV1の阻害形式により、神経因性疼痛に対する鎮痛作用と体温上昇作用が分離可能であることが示唆された。

TRPV1受容体は感覚神経の末梢端および脊髄端に発現しているが、TRPV1阻害薬の鎮痛作用点として脊髄TRPV1が関与しているかどうかを明らかにすることは、鎮痛薬として血液脳関門を通過する必要があるか否かを判断する上で有意義である。申請者はまず、覚醒下で簡便に脊髄腔内薬物投与が可能なマウスにおいて、新たに神経因性疼痛モデルの構築を試みた。その結果、マウスにおいてもL5/L6脊髄神経結紮により、von Frey hairフィラメント刺激時の回避反応閾値が持続的に低下することや、既存の神経因性疼痛治療薬(プレガバリン、デュロキセチン等)が有意な閾値改善作用を示すこと、脊髄神経根での各種遺伝子変動がラットモデルと同様であることを確認した。

本モデルにおいてAS1928370経口投与は、高い脊髄内移行性を示し、用量依存的(0.1-1mg/kg)に反応閾値を改善した。また、脊髄腔内投与(0.3-30μg)においても、有意な反応閾値改善がみられた。神経因性疼痛状態下においては、感覚神経上でのTRPV1発現上昇が報告されているが、内因性リガンドによるこれらTRPV1の活性化が、AS1928370により阻害されることで、脊髄シナプス間の異常な疼痛伝達が抑制されるものと考察した。

一方、AS1928370経口投与は、高い中枢移行性を示すにも関わらず、既存鎮痛薬とは異なり、高用量(30mg/kg)までマウス自発運動量に影響を及ぼさなかった。上位中枢にもTRPV1の発現がみられるが、その役割は限定的なものと考えられた。

以上の結果は、脊髄TRPV1が神経因性疼痛抑制の重要な作用点の一つであることを示唆した。μ受容体作動薬(フェンタニル等)のような強力な鎮痛薬は、病態時の痛覚のみならず、正常感覚機能についても非選択的に阻害することが知られている。これらの作用は、サイン派電流刺激法により神経線維毎に定量可能であり、ラットでも評価が可能である。申請者は、この方法がヨイヌでも適応可能かを検討した結果、サイン波電流刺激によるイヌの反応が、ラットよりも明確かつ安定的であることを見出した。本系において、フェンタニル静脈内投与(3-10mg/kg)は、臨床有効濃度付近において電流検出閾値を上昇させたが、プレガバリンおよびAS1928370経口投与は、神経因性疼痛モデルでの有効濃度以上においても、電流検出閾値を変化させなかった。この原因として、神経因性疼痛状態とは異なり、Ca2+チャネルおよびTRPV1の発現上昇が生じていない正常状態では、感覚神経伝達における他のチャネルや受容体の役割が相対的に大きいためと考えた。以上の結果は、TRPV1拮抗薬が、臨床適応において正常感覚神経機能に影響を与えない可能性を示した。

本研究において、申請者はマウス神経因性疼痛モデルおよびイヌ正常感覚機能検査法という2つの新しい実験系を確立するとともに、TRPV1に関して以下の新たな知見を得た。(1)リガンド刺激に選択的なTRPV1拮抗は体温上昇を引き起こさずに神経因性疼痛を抑制する、(1)脊髄TRPV1は神経因性疼痛抑制の重要な作用点の一つである、(3)TRPV1拮抗では、正常感覚機能障害を生じない。これら知見は、中枢移行性の高いリガンド刺激選択的なTRPV1拮抗薬が、有望な神経因性疼痛治療薬になり得ることを示すとともに、TRPV1受容体の更なる機能を明らかにしたものであり、博士(薬学)の学位に相応しいものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク