学位論文要旨



No 217590
著者(漢字) 高橋,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヒデキ
標題(和) アルツハイマー病動物モデルにおける非競合型BACE1阻害剤TAK-070の効果に関する病理学的・行動学的検討
標題(洋)
報告番号 217590
報告番号 乙17590
学位授与日 2011.12.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17590号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 准教授 杉田,和幸
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)は老年者認知症の主因となる神経変性疾患であり、病理学的には大脳皮質における進行性の神経細胞脱落とともに、βアミロイドからなる老木斑と、過剰リン酸化されたタウタンパク質を主成分とする神経原線維変化の蓄積を特徴とする。このうちβアミロイドはAβペプチドよりなり、Aβはアミロイド前駆体タンパク質(APP)からβ-セクレターゼ(β-site APP-cleaving enzyrne1; BACEI),γ-セクレターゼによる2段階の切断を経て生成、分泌される。

現在、ADの治療薬としては、神経伝達の賦活を目的とした、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤などの少数の薬剤が臨床応用されているに過ぎず、それらの効果が限定的であることからも、ADの病態メカニズムに即じた根治療法(disease-modifying therapy)の創出に対する社会的要請はますます強くなっている。

脳におけるAβの蓄積は、ADに特異性が高く、AD病理の最初期に生じる。また、家族性ADの病因遺伝子変異が凝集性の高いAβ42分子種の産生を増加させる。これらの知見から、AβはADの病因分子と想定され、ADの根治療法の第一の創薬標的と目されている。BACE1はAβ産生の第1段階を担う非定型アスパラギン酸プロテアーゼである。BACEI切断はAβ産生の律速段階となること、また孤発性AD患者脳においてその量・活性の増加を示した複数の報告があることから、ADに対するAβ産生阻害療法の有望な分子標的と考えられている。これまでに数種類のBACE1阻害剤が報告されているが、ADモデル動物において経口投与で良好な脳組織への移行性を有し、機能改善作用をも示す化合物は報告されていない。

本研究において私は、まずAβを恒常的に産生するIMR32ヒト神経芽細胞腫を用いたcell-basedアッセイにより、Aβの分泌を減少させ、神経栄養因子様作用をもつsAPPaの分泌を上昇させる低分子化合物を探索し、非ペプチド性化合物TAK-070を見出した。In vitroのAβ産生アッセイおよびcell-freeのBACE1活性測定により、TAK-070は、非競合的な様式でBACEIを阻害することを見出した(IC35:3.15μmol/L、最小有効濃度(MEC):約100nmol/L)。表面プラズモン共鳴技術により、TAK-070はBACEIと相互作用することを見出し、その標的部位は触媒領域とは異なる膜貫通領域内部(BACE 465-474)と想定された。TAK-070はスウェーデン型家族性AD変異APP遺伝子をNero2a細胞に過剰発現させたN2aAPPsw細胞において、濃度依存的にAβの分泌を抑制し、sAPPαの分泌を促進する作用を示した(MEC:0.1-0.3pmol/L)。

次に正常ラットを用いて、in vivo効果について生化学的に解析を行った。ラットへの単回投与および反復投与によって、大脳皮質の可溶性Aβのレベルは用量依存的に低下した(4週間処置における最小有効用量:0.03-0.1mg/kg/day)。上記の如く、TAK-070の培養細胞系におけるAβ分泌抑制効果は100nmol/Lのオーダーから観察される比較的弱い作用であったが、in vivoでは高い脳曝露レベルとPKプロファイルが見られ、脳における薬理効果もこれに一致していた。

続いて、AD動物モデルとして繁用される、スウェーデン型家族性AD変異APP遺伝子を過剰発現したTg2576マウスにおけるTAK-070の効果を、生化学、免疫組織化学および行動薬理学的に検討した。TAK-070の短期間の経口投与により、可溶性Aβの脳内レベルは約20%低下し、sAPPaのレベルは増大した。またY迷路試験、モリス水迷路課題、新奇物体認知試験における行動障害を改善した。6ケ月間の慢性投与により、可溶性Aβ、sAPPαレベルは短期投与時と同等の変化を示し、脳実質内のAβ蓄積は約60%の減少を示した。これらの結果から、非競合的、部分的なBACE1阻害能を示すTAK-070はin vivoのADモデル動物脳において、疾患修飾効果と症状改善効果を示すことが明らかになった。

最後に、遺伝子改変を加えていない動物モデルとして、老齢ラットにおいて、TAK-070の効果を検討した。ラット脳では内因性APPからAβが産生されているが、アミロイド蓄積は認められない。しかし、F344系ラットでは、脳内の不溶性(トリス緩衝液不溶性・蟻酸可溶性)Aβ42レベルが22ケ月齢から加齢に伴い有意に増加するが、一方Aβ40のレベルは変化しないことを見出した。TAK-070をF344系ラットに19ケ月齢から65ケ月間混餌投与することにより、脳の不溶性Aβ42は若齢ラットと同等のレベルまで低下した。F344系老齢ラットに対し、03-1mg/kgのTAK-070を2週間にわたり反復経口投与すると、モリス水迷路課題における空間認知障害が改善され、可溶性および不溶性Aβ42レベルが低下した。シナプスタンパク質であるシナプトフィジンの量は老齢ラットにおいて低下するが、TAK-070の投与により若齢ラットのレベルまで回復が見られた。以上の結果から、TAK-070はラット脳における内因性Aβに対しても低下作用を有し、加齢に伴う認知機能低下を改善することが示された。

本研究において私は、ADモデル動物脳において、非競合的機序によるBACE1の部分的な阻害により、Aβの低下とsAPPaの増加を引き起こし、アミロイド蓄積の緩和や認知機能の改善をもたらすことが可能であることを示した。BACE1を完全に欠損するノックアウトマウスでは、高次脳機能の障害、ミエリン形成不全などの発生が示唆されている。TAK-070を用いた非競合的な部分的BACE1阻害により、このような副作用を回避しつつ、ADの症候改善、disease modificationを達成できる可能性が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)は老年者認知症の主因となる神経変性疾患であり、病理学的には大脳皮質における進行性の神経細胞脱落とともに、βアミロイドからなる老人斑と、過剰リン酸化されたタウタンパク質を主成分とする神経原線維変化の蓄積を特徴とする。このうちβアミロイドはAβペプチドよりなり、Aβはアミロイド前駆体タンパク質(APP)からβ-セクレターゼ(β-site APP-cleaving enzyme1; BACEI),γ-セクレターゼによる2段階の切断を経て生成、分泌される。

現在、ADの治療薬としては、神経伝達の賦活を目的とした、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤などの少数の薬剤が臨床応用されているに過ぎず、それらの効果力雪限定的であることからも、ADの病態メカニズムに即した根治療法(disease-modifying therapy)の創出に対する社会的要請はますます強くなっている。

脳におけるAβの蓄積は、ADに特異性が高く、AD病理の最初期に生じる。また、家族性ADの病因遺伝子変異が凝集性の高いAβ42分子種の産生を増加させる。これらの知見から、AβはADの病因分子と想定され、ADの根治療法の第一の創薬標的と目されている。BACE1はAβ産生の第1段階を担う非定型アスパラギン酸プロテアーゼである。BACE1切断はAβ産生の律速段階となること、また孤発性AD患者脳においてその量・活性の増加を示した複数の報告があることから、ADに対するAβ産生阻害療法の有望な分子標的と考えられている。これまでに数種類のBACEI阻害剤が報告されているが、ADモデル動物において経口投与で良好な脳組織への移行性を有し、機能改善作用をも示す化合物は報告されていない。

本研究において申請者は、まずAβを恒常的に産生するIMR32ヒト神経芽細胞腫を用いたcell-basedアッセイにより、Aβの分泌を減少させ、神経栄養因子様作用をもつsAPPaの分泌を上昇させる低分子化合物を探索し、非ペプチド性化合物TAK-070を見出した。In vitroのAβ産生アッセイおよびcell-freeのBACEI活性測定により、TAK-070は、非競合的な様式でBACE1を阻害することを見出した(IC35:3.15μmol/L、最小有効濃度(MEC):約100nmol/L)。表面プラズモン共鳴技術により、TAK-070はBACEIと相互作用することを見出し、その標的部位は触媒領域とは異なる膜貫通領域内部(BACE 465-474)と想定された。TAK-070はスウェーデン型家族性AD変異APP遺伝子をNero2a細胞に過剰発現させたN2aAPPsw細胞において、濃度依存的にAβの分泌を抑制し、sAPPaの分泌を促進する作用を示した(MEC:0.1-0.3μmol/L)。

次に正常ラットを用いて、in vivo効果について生化学的に解析を行った。ラットへの単回投与および反復投与によって、大脳皮質の可溶性Aβのレベルは用量依存的に低下した(4週間処置における最小有効用量:0.03-0.1mg/kg/day)。上記の如く、TAK-070の培養細胞系におけるAβ分泌抑制効果は100nmol/Lのオーダーから観察される比較的弱い作用であったが、in vivoでは高い脳曝露レベルとPKプロファイルが見られ、脳における薬理効果もこれに一致していた。

続いて、AD動物モデルとして繁用される、スウェーデン型家族性AD変異APP遺伝子を過剰発現したTg2576マウスにおけるTAK-070の効果を、生化学、免疫組織化学および行動薬理学的に検討した。TAK-070の短期間の経口投与により、可溶性Aβの脳内レベルは約20%低下し、sAPPαのレベルは増大した。またY迷路試験、モリス水迷路課題、新奇物体認知試験における行動障害を改善した。6ケ月間の慢性投与により、可溶性Aβ、sAPPαレベルは短期投与時と同等の変化を示し、脳実質内のAβ蓄積は約60%の減少を示した。これらの結果から、非競合的、部分的なBACEI阻害能を示すTAK-070はin vivoのADモデル動物脳において、疾患修飾効果と症状改善効果を示すことが明らかになった。

最後に、遺伝子改変を加えていない動物モデルとして、老齢ラットにおいて、TAK-070の効果を検討した。ラット脳では内因性APPからAβが産生されているが、アミロイド蓄積は認められない。しかし、F344系ラットでは、脳内の不溶性(トリス緩衝液不溶性・蟻酸可溶性)Aβ42レベルが22ケ月齢から加齢に伴い有意に増加するが、一方Aβ40のレベルは変化しないことを見出した。TAK-070をF344系ラットに19ケ月齢から6.5ケ月間混餌投与することにより、脳の不溶性Aβ42は若齢ラットと同等のレベルまで低下した。F344系老齢ラットに対し、0.3-1mg/kgのTAK-070を2週間にわたり反復経口投与すると、モリス水迷路課題における空間認知障害が改善され、可溶性および不溶性Aβ42レベルが低下した。シナプスタンパク質であるシナプトフィジンの量は老齢ラットにおいて低下するが、TAK-070の投与により若齢ラットのレベルまで回復が見られた。以上の結果から、TAK-070はラット脳における内因性Aβに対しても低下作用を有し、加齢に伴う認知機能低下を改善すること浴示された。

以上、本研究において申請者は、ADモデル動物脳において、非競合的機序によるBACEIの部分的な阻害により、Aβの低下とsAPPαの増加を引き起こし、アミロイド蓄積の緩和や認知機能の改善をもたらすことが可能であることを示した。BACEIを完全に欠損するノックアウトマウスでは、高次脳機能の障害、ミエリン形成不全などの発生が示唆されている。TAK-070を用いた非競合的な部分的BACEI阻害により、このような副作用を回避しつつ、ADの症候改善、disease modificationを達成できる可能性が期待される。これらの成果は、アルツハイマー病の治療薬開発とその臨床応用に、直接的に大きな進歩をもたらすものであり、博士(薬学)の学位に相応しいものと判定した。

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