学位論文要旨



No 217597
著者(漢字) 伊藤,晋介
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,シンスケ
標題(和) 肝臓の糖・脂質代謝調節におけるインスリン受容体基質(IRS)-1、2の役割の解明
標題(洋)
報告番号 217597
報告番号 乙17597
学位授与日 2011.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17597号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 黒川,峰夫
内容要旨 要旨を表示する

糖尿病は、インスリン作用不足による慢性高血糖状態と定義される。インスリンは膵β細胞から分泌され、肝臓や骨格筋といったインスリン作用臓器に作用し、肝臓では糖取り込み促進や糖新生抑制が、骨格筋では糖取り込み促進が行われる。ところが、何らかの原因によりインスリン分泌低下・インスリン抵抗性が惹起されると、インスリン作用不足が生じ、高血糖状態へと移行し、糖尿病の発症に至る。

従来から肝臓はインスリン作用臓器として注目され、研究されてきた。肝臓は糖代謝に必須な臓器であり、摂食後には糖をグリコーゲンとして貯蔵し、絶食時にはグリコーゲン分解もしくは糖新生によって糖を放出する。インスリンは、肝臓の酵素活性及び遺伝子発現に対する直接的及び間接的な作用によって、グリコーゲン合成を促進し、グリコーゲン分解及び糖新生を抑制する。そのため、肝臓におけるインスリン作用の不全は2型糖尿病の病態の重要な一因であると考えられている。

近年、インスリンは肝臓において直接的に糖産生を抑制するだけでなく、中枢に対する作用を介して糖新生を抑制することが報告されており、インスリンは肝臓への直接作用と中枢における間接作用を介して肝臓の糖産生を抑制すると考えられている。このインスリンの中枢を介した作用を考慮すると、肝臓特異的にインスリンシグナルが障害されたマウスはインスリンの肝臓における直接作用の生理的役割を解明する上で有用なモデルであると考えられる。実際、肝臓特異的インスリン受容体欠損マウスは重篤なインスリン抵抗性、及び、摂食後の高血糖を呈することが報告されており、肝臓のインスリン受容体シグナルは肝臓、及び全身の糖代謝の制御において重要であると考えられる。

インスリン受容体シグナルはインスリン受容体からインスリン受容体基質(Irs)へ伝達される。Irsには4つのアイソフォームが存在している。その中でIrs1及びIrs2は相同性が高く、肝臓において豊富に発現しており、インスリン受容体から細胞内因子へのインスリンシグナルの伝達因子として糖代謝及び脂質代謝を制御している。しかし、全身のIrs1を欠損するマウス(Irs1KOマウス)は肝臓のインスリンシグナル障害が認められず、骨格筋や脂肪においてインスリン抵抗性が認められることが報告されてきた。一方で、全身のIrs2を欠損するマウス(Irs2KOマウス)は肝臓のインスリンシグナル、及び、インスリンによる糖新生の抑制に障害が認められることが報告されてきた。これらのデータは肝臓のインスリン作用には肝臓もしくは中枢のIrs2が重要である可能性を示唆している。

本研究において、我々は肝臓特異的Irs1欠損マウス(LIrs1KOマウス)及び肝臓特異的Irs2欠損マウス(LIrs2KOマウス)を作製し、糖代謝の制御における肝臓のIrs1及びIrs2の生理的機能について検討した。さらに、我々は肝臓特異的Irs1/2ダブル欠損マウス(LIrs1/2DKOマウス)を作製し、肝臓のインスリンシグナルに対してIrs1及びIrs2がどの程度関与しているのかを解明することを試みた。

LIrs1KOマウスは、絶食条件ではインスリン抵抗性を呈さず、再摂食条件ではインスリン抵抗性を呈した。一方、LIrs2KOマウスは、再摂食条件ではインスリン抵抗性を呈さず、絶食条件ではインスリン抵抗性を呈した。さらに、絶食及び再摂食による野生型マウスの肝臓のPI3kinase活性の変化を解析したところ、Irs2にassociateするPI3kinase活性は絶食後増加し、再摂食直後にその活性はピークに達したが、その後速やかに低下していた。Irs1とassociateするPI3kinase活性は再摂食後数時間に増加し始め、その後ピークに達した。以上の結果から、肝臓においてIrs1は主に再摂食後に機能し、Irs2は主に絶食時と再摂食直後に機能することが示唆された。

LIrs1/2DKOマウスでは、肝臓のインスリンシグナルがほぼ完全に消失しており、肝臓のIrs1とIrs2はインスリンシグナルの大部分を担っていることが明らかとなった。実際、LIrs1/2DKOマウスは絶食及び再摂食両条件でインスリン抵抗性を呈した。絶食条件における経口糖負荷試験では、LIrs1/2DKOマウスは糖負荷前から高インスリン血症を呈しているだけでなく、糖負荷後に強い耐糖能異常が認められ、糖尿病の症状を呈した。

以上から、Irs1及びIrs2は絶食及び再摂食条件下で異なる役割を果たしており、肝臓のインスリンシグナル伝達の大部分はこの2分子を介していることが明らかとなった。本研究を通じて肝臓のインスリンシグナルの分子メカニズムを理解することは2型糖尿病への理解を深め、その治療をするための基盤となるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、肝臓のインスリンシグナル伝達を担うインスリン受容体基質(Irs)1及び2が肝臓の糖・脂質代謝調節において果たす役割を解明するために、肝臓特異的Irs1欠損マウス(LIrs1KOマウス)及び肝臓特異的Irs2欠損マウス(LIrs2KOマウス)を作製し、糖代謝の制御における肝臓のIrs1及びIrs2の生理的機能について検討した。さらに、肝臓特異的Irs1/2ダブル欠損マウス(LIrs1/2DKOマウス)を作製し、肝臓のインスリンシグナルに対してIrs1及びIrs2がどの程度関与しているのかを検討し、下記の結果を得ている。

1.インスリン負荷試験、及び、グルコースクランプ試験を実施した結果、LIrs1KOマウスは、絶食条件ではインスリン抵抗性を呈さず、再摂食条件では肝臓のインスリン抵抗性を呈した。一方、LIrs2KOマウスは、再摂食条件ではインスリン抵抗性を呈さず、絶食条件では肝臓インスリン抵抗性を呈した。これらの結果と一致して、ウェスタンブロッティングによるインスリンシグナル解析では、LIrs1KOマウスは再摂食条件で、LIrs2KOマウスは絶食条件で肝臓のインスリンシグナル障害が認められた。

2.絶食及び再摂食条件における野生型マウスの肝臓のIrs1及びIrs2の遺伝子発現、蛋白発現、及びPI3kinase活性の変化を解析した。絶食後Irs2は遺伝子発現及び蛋白発現の増加が認められ、同時にIrs2にassociateするPI3kinase活性は増加していた。再摂食直後にその活性はピークに達したが、その後速やかに低下していた。また、再摂食後にはIrs2の遺伝子発現と蛋白発現の低下が認められた。Irs1は絶食により遺伝子発現がやや増加したが再摂食後には大きな変化はなく、蛋白発現については絶食及び再摂食による変化はほとんど認められなかった。Irs1とassociateするPI3kinase活性は再摂食後数時間に増加し始め、その後ピークに達した。以上の結果から、肝臓においてIrs1は主に再摂食後に機能し、Irs2は主に絶食時と再摂食直後に機能することが示唆された。

3.ウェスタンブロッティングによるインスリンシグナル解析において、LIrs1/2DKOマウスの肝臓のインスリンシグナルはほぼ完全に消失しており、肝臓のIrs1とIrs2はインスリンシグナルの大部分を担っていることが明らかとなった。インスリン負荷試験、及び、グルコースクランプ試験において、LIrs1/2DKOマウスは絶食及び再摂食両条件でインスリン抵抗性を呈した。絶食条件における経口糖負荷試験では、LIrs1/2DKOマウスは糖負荷前から高インスリン血症を呈しているだけでなく、糖負荷後に強い耐糖能異常が認められ、糖尿病の症状を呈した。

以上から、本研究において、Irs1及びIrs2は絶食及び再摂食条件下で異なる役割を果たしており、肝臓のインスリンシグナル伝達の大部分はこの2分子を介していることが明らかとなった。本研究を通じて肝臓のインスリンシグナルの分子メカニズムを理解することが、2型糖尿病への理解を深め、その治療をするための基盤となるものと期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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