学位論文要旨



No 217598
著者(漢字) 井出,博生
著者(英字)
著者(カナ) イデ,ヒロオ
標題(和) 日本における医師の長期キャリア変遷に関する探索的研究
標題(洋) Exploratory studies on long-term career transitions of physicians in Japan
報告番号 217598
報告番号 乙17598
学位授与日 2011.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17598号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 教授 小山,博史
 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 准教授 東,尚弘
 国際母子保健研究所 所長 森,臨太郎
内容要旨 要旨を表示する

近年、わが国では小児科医の自殺、産科における救急の受入問題、医師に対する刑事訴訟などが大きな社会問題となった。また、産科、小児科からの医師の離脱、そして「医療崩壊」も大きく取り上げられた。政府はこの現象を改善するために医学部定員を増加させる政策を採ったが、医師のキャリアの変遷に関する正しい理解がなければ、必要な診療科で医師数を得るための適切な政策を立案することはできない。本研究の目的は「医師・歯科医師・薬剤師調査(三師調査)」の個票から得られる縦断データを分析し、医師の診療科選択における長期キャリア変遷を明らかにすることである。

医師の分布に関する要素としては、地域、性、診療科の3つが頻繁に取り上げられる。このうち最も多くの研究が行われているのは地域分布であり、わが国でもKobayashi and Takakiによる先駆的な研究がある。性に関しては、各国で女性医師割合の逓増が見られ、出産・育児等によって勤務から離れる傾向があることから、勤務環境や条件の整備が話題となっている。

これらの分布に関する要素と比較して、医師個人の診療科間の変遷は十分に分析されてこなかった。専門医制度が整備されている先進国では、医師がキャリアの途中で専門領域(診療科)を変更することはほとんどない。したがって、これらの国では医師の診療科間の変遷を分析する動機は乏しく、各領域を選択する医師数に関心が持たれる。

しかし、日本では医師はキャリアの中で診療科を変更することができるので、わが国で診療科偏在を解消するための有効な政策を提示するためには、診療科における医師のキャリアの変遷を分析する必要がある。本研究の仮説は、医師の専門自体が、その後のキャリアの変遷を説明する強力な要因であるというものであり、主に産婦人科、小児科、外科を対象とした分析を行った。

厚生労働省が集めている三師調査のうち、医師を対象とした調査の個票データについて、1972年から2006年の期間分を取得した。調査項目には、医籍登録年、医籍登録番号、生年、性、勤務地、勤務先、自己申告による従事する診療科などが含まれており、医籍登録番号を鍵として各医師の縦断データを構成した。1994年までの個票では、各医師は一意の診療科(主たる診療科)を申告していないため、診療科の組み合わせパターンを検討し、主たる診療科を割り当てるなどのデータクリーニングを行った。診療科間の医師数全体について調べた後に、医籍登録年を基準とするコホート毎に医籍登録から5年目時点における診療科からの離脱(他科への転向)に関する分析を行った。続いて産婦人科、小児科、外科について同様の分析を行った。基本的に、記述統計と10年間隔の全数推移を見た後に、医籍登録年を基準とする3つのコホート(コホート間の医籍登録年の間隔は10年)について、各科からの離脱等を分析した。さらに、小児科と産婦人科に関しては、医籍登録年が1970年から1990年のコホート(コホート間の医籍登録年の間隔は隔年)について、離脱状況の比較を行った。外科に関しては、一般外科の修練を行った後に専門領域として選択される科を対象として、医籍登録年が1970年から1990年のコホート(コホート間の医籍登録年の間隔は隔年)について、医籍登録から9年目時点を起点とした分析を行った。統計的有意水準を5%とし、記述統計に加え、カプランマイヤー法、ロジスティック回帰分析、Cox比例ハザード分析を用いた。

人口10万人対医師数は1974年の113から2004年には212に増加(87%増)した。1980年に医師免許を取得した者では、内科医と比べて心臓血管外科医(オッズ比11.6)、小児外科医(11.3)等は診療科を変える傾向が強かった。観察した期間における女性医師数および比率は高くなったが、男性医師と比較して診療科変更のオッズ比は1.3-1.5だった。

産婦人科医数は調査期間でおおよそ12,000人から14,000人の間であった。しかし、出生児1,000人あたりの産婦人科医数は、1974年から2004年の間に6.3人から10.9人へと増加した。2004年における産婦人科医の平均年齢は50.8歳であり、全医師の平均年齢(47.8歳)よりも高く(p < 0.01)、女性医師の比率も高かった(全医師17%、産婦人科医22%)。1995年から2004年の間に新規に産婦人科を専門として選択した医師は2,258人であり、1985年から1994年の間の2,913人から減少した。同じ期間で産婦人科から離脱した医師数も5,206人から3,831人へと減少した。産婦人科からの離脱に関しては、医籍登録年を基準とするコホート間で統計的な有意差はなく、どのコホートでも10年後には約1割の産婦人科医が離脱していた。

1974年から2004年の間に小児科医数は3倍以上になり、小児人口10,000人あたりの小児科医数は1.9人から7.4人へと増加した。これらは全医師の人口当たり増加率を大きく上回っていた。小児科への流入元としては、内科、小児外科が多かった。また、小児科医における女性の割合は、全医師と比べて有意に高く、小児科医の中で女性医師が占める割合は1974年の25%から2004年には31%に増加した。1985-1994年の期間と1995-2004年の期間における全小児科医数を比べると、小児科から離脱する医師数は後者の期間で増加した。さらに、1972年登録と1992年登録の者を比べると、前者では10%が離脱するのに15年を要したが、後者ではより早期に離脱していた(p < 0.01)。同じ医籍登録年の小児科医と産婦人科医を比較すると、医籍登録年が1982年までは小児科医の離脱率は産婦人科医を下回っていたが、それ以降は逆転し、小児科医の離脱率が産婦人科医を上回った。

最後に外科医について分析した。ここでは外科医全体を一般外科、整形外科、脳神経外科、泌尿器科、その他の外科(形成外科、胸部外科、心臓血管外科、小児外科)として扱った。また、離脱に関する分析では、「外科医であり病院勤務(active surgeon)」から「外科医であるが病院以外に勤務(primary care surgeon)」または「外科医以外(retired surgeon)」への変化を観察した。

2004年における人口10万人あたり外科医数は、1974年から160%増加した。一方で、2004年の全医師に占める外科医の割合は、1994年からわずかに減少した。また、同じ期間において、外科医の平均年齢は41.2歳から45.8歳へ、active surgeonでは38.2歳から42.2歳へと上昇した。2006年においても女性外科医の比率は4.5%であり、医籍登録年が1972年、1982年、1992年であるコホートの生存分析の結果は、女性外科医は男性外科医と比較して、外科医を継続していないことを示していた(p < 0.01)。どのコホートでも、一般外科医は整形外科医、脳神経外科医、泌尿器科医と比べてactive surgeonからretired surgeonへと移行しやすく(p < 0.01)、1972年および1982年登録の脳神経外科医は、他の外科医と比較してprimary care surgeonへと移行せず、active surgeonにとどまっていた(p < 0.01)。Cox比例ハザード分析の結果は、「女性」と「脳神経外科」という属性は常に有意な説明変数であり、概して「女性」、「医籍登録時点の年齢が30歳以上」、「一般外科医」といった属性が、active surgeonからprimary care surgeonまたはretired surgeonへの移行に関して有意な説明変数であることを示していた。その他の外科医に関する医籍登録9年目時点からの分析の結果、active surgeonからprimary care surgeonへの移行は形成外科医が他の外科医よりも早く、active surgeonからretired surgeonへの移行については小児外科医が最も早く、胸部外科医、心臓血管外科医、形成外科医の順であった。

本研究は、同じように業務負荷やリスクが高い診療科間でも、移行に関する差異があることを明らかにした。一般的な技能が必要とされる領域の医師の方が、診療科を変更する傾向があり、このことは診療科毎の医師数を保持するためには科別に異なった政策が必要であることを示唆している。一般的な技能が必要とされる領域では、キャリアの中間にある医師を留めるための政策が必要である。例えば、賃金の改善、クラークの増員による負荷の軽減が考えられるだろう。一方で専門的な技能が必要とされる領域では、その科を選択する新人を増やし、キャリアの初期における離脱を防ぐことが有効である。具体的には、奨学金の給付や若年者の賃金を引き上げる策が有効である。

女性医師数は増加しており、今後もその傾向は続くと考えられるが、女性医師に対する支援策が医師数の確保という観点からも重要である。パートタイム等の勤務形態は考慮に値し、このような支援策は新たに新人を養成するよりも即効性があると考えられる。その他、医学教育の早い時点での経験、医療機関の集中と医師間の分業、業務負荷を反映した診療報酬制度が求められる。

本研究にはいくつかの限界がある。第一に、三師調査における診療科は自己申告であり、実際の業務が反映されていないこと、また診療科とその変遷の分類に誤りがある可能性は否定できない。第二に、三師調査のデータ上、常勤であるか非常勤であるかなど、医師の実際の労働力供給の状況が不明であるため、人数の分析に留まっている。第三に、医師に対して専門とする診療科を割り当てるルールが任意であり、結果の解釈に注意が必要である。第四に、本研究では診療科によって医師のキャリアの変遷が異なることを明らかにしたが、その動機が分析できていない。最後に、科別の必要医師数との関係も議論できていない。

本研究では、医師が選択した診療科自体がその後のキャリア変遷を説明する要因であることを明らかにした。医師の診療科偏在を解消する政策としては、診療科毎の技能を前提とした個別の方法を採ることが効果的であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はわが国の医療供給体制に関する課題の一つである医師の診療科間偏在に関連して、医師の診療科選択の変遷を明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 1974年から2004年の間に、人口10万人対医師数が113から212に増加したことを示した上で、1970年、1980年、1990年に医師免許取得者の初期の診療科からの離脱についてロジスティック回帰分析を行い、内科医と比較して心臓血管外科医や小児外科医等、男性医師と比較して女性医師の方が診療科を変えていることを示した。

2. 研究の対象期間内で産婦人科医数は大きく変動していないことを示した。また、医籍登録年を基準とするコホート間の離脱率の違いをカプランマイヤー法によって検討したところ、統計的有意差はなかった。

3. 小児科医数が増加する過程で、新人の増加と共に他科からの流入があったことを示した上で、産婦人科医に関する分析と同じ手法を用いて、小児科医の離脱が早まっていることを示した。さらに、同じ医籍登録年の産婦人科医と小児科医を比較し、医籍登録年が1982年以降では小児科医の離脱率が産婦人科医を上回ったことを明らかにした。

4. 10万人あたり外科医数は大幅に増加したが、女性外科医は男性外科医と比較して外科医を継続せず、一般外科医は整形外科医、脳神経外科医、泌尿器科医と比べて外科医を止め、脳神経外科医は他の外科医と比較して病院で外科医を継続することを示した。さらにCox比例ハザード分析を行い、女性、一般外科医、医籍登録時点の年齢が30歳以上といった属性が外科医のキャリアの移行を説明する要因であることを明らかにした。

本研究は、長期間にわたる診療科毎の医師数の増減を確認した上で、医師各人の縦断データを構成し、初期の診療科からの移行を生存分析の手法によって解析したものである。その結果、キャリアの初期に選択した診療科自体が診療科の変遷を説明する要因であることを明らかにした。これは医療政策上も重要な貢献をなす知見であり、学位の授与に値すると考えられる。

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