学位論文要旨



No 217600
著者(漢字) 土肥,哲哉
著者(英字)
著者(カナ) ドイ,テツヤ
標題(和) 水稲根圏細菌叢の解析と生物学的水素生成への応用
標題(洋)
報告番号 217600
報告番号 乙17600
学位授与日 2011.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17600号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 芋生,憲司
 東京大学 准教授 吉田,薫
 東京大学 准教授 中元,朋実
内容要旨 要旨を表示する

今世紀に入っても増加を続ける地球人口を養うためには,食料の安定的な増産が必要不可欠である.従来の集約的な作物栽培では,窒素肥料を多用して高い生産をあげてきたが,同時に,硝酸態窒素による地下水の汚染や肥料製造に伴う化石エネルギーの消費によって,環境へ大きな負荷を与えてきた. その反省から, 近年では,少量のエネルギーを効率的に利用して作物栽培を行う低投入持続的農業への転換が求められている. この低投入持続的農業を実現する一つの有効な方法として, 根圏細菌を効果的に利用することが考えられる.そのためには,たとえば根圏と非根圏の細菌数や細菌叢の違い,根圏細菌への施肥の影響について解明しなければならないが,根圏微生物の動態を解析する方法が,十分に確立されていない.

一方,地球温暖化と化石燃料の枯渇も, 人類にとっての重要,かつ緊急の課題である. その対策の一つとして水素を利用したエネルギーの生成が注目されているが,これは,エネルギー効率が高く,二酸化炭素を排出しないからである.高い水素生成能を持つ嫌気性細菌叢が見つかれば,有機性廃棄物などの再生可能なバイオマス資源を原料として,容易に水素を得ることができる.そこで,本研究では, 最初に分子生物学的手法を利用してイネ根圏の細菌叢を解析する方法を確立したうえで,これらの方法を利用して,有機質肥料が水田土壌の細菌の群集構造に及ぼす影響について解析した.その過程で, イネの根圏細菌叢には水素生成能が高い細菌が生息している可能性が高いことが明らかとなったので, イネ根圏細菌叢を利用した嫌気性水素醗酵について検討した.

1. 分子生物学的手法を用いたイネ根圏の細菌叢解析

本章では,分子生物学的手法である変性剤濃度勾配電気泳動法(PCR-DGGE)と蛍光in situハイブリダイゼーション法(FISH)を利用して, 水田と畑地で栽培したイネの根圏細菌叢を比較検討した. その際,根圏土壌を採取するのに超音波処理を,また細菌を土壌粒子から分離するのにショ糖浮遊法を利用することを試みた.その結果, PCR-DGGEによる根圏細菌叢の16SrDNAバンドパターンは水田と畑地で異なり, 水田では嫌気性細菌のClostridium bifermentans, 畑地では好気性細菌のBacillus fusiformisがそれぞれ同定された. これらの細菌は,水田土壌(嫌気性)と畑地土壌(好気性)の環境を反映しているものと考えられる. また, FISHの結果から, 水田と畑地のいずれにおいても,根圏細菌として低GCグラム陽性菌グループ(LowGC)が優占していることが確認できた. PCR-DGGEで検出されたClostridium spp. やBacillus spp. はLowGCに属することから, FISHとPCR-DGGEの解析結果は符合し, 根圏細菌叢の研究に分子生物学的手法が有効であることが明らかになった.

2. イネ根圏細菌叢に及ぼす有機質肥料の影響

つぎに,水田で栽培したイネの根圏および非根圏における土壌細菌叢に対する有機質肥料の影響を,培養試験およびPCR-DGGEを利用して検討した.すなわち,水田に化学肥料と堆肥を元肥として施用した堆肥区,化学肥料を元肥として施用した後,米ぬかと化学肥料を追肥した米ぬか区,元肥も追肥も化学肥料のみの対照区を設け,水稲品種日本晴を栽培した. 栽培期間中に毎月1回,それぞれの処理区の根圏土壌および非根圏土壌を採取し,細菌叢を調査した. 培養試験の結果から,嫌気性細菌数は非根圏より根圏で著しく多いことが分かった. とくに, 堆肥区および米ぬか区は高温の夏に根圏細菌数が著しく多く,根圏効果が著しかった.また,16SrDNAバンドパターンによる主成分分析の結果から,イネ細菌叢は根圏と非根圏とで大きく異なり,また同じ根圏でも堆肥区, 米ぬか区および対照区では異なった.さらに,堆肥区および米ぬか区の根圏細菌叢は季節的な変化を示し,秋には対照区の細菌叢との差異が小さくなった.これは,夏は高温で細菌の活性が高く,堆肥や米ぬかの分解が急速に進んで土壌中の有機物が減ったため,秋以降は対照区との差異が小さくなったと考えられる.一方,非根圏では,細菌叢に対する施肥の影響は根圏に比べると小さかった.

合わせて,黒ボク土と荒木田土を充填したポットで同様の処理区を設けて水稲品種日本晴を栽培したところ,根圏細菌叢は土壌の種類によって大きく異なっていた.また,黒ボク土のポットでは,同じ黒ボク土の水田で得られた結果と同様,堆肥区と米ぬか区で根圏と非根圏の細菌叢が明確に異なっており,荒木田土のポットの根圏細菌叢は,米ぬか区より堆肥区の方が対照区との差が明瞭であった.一方,非根圏の細菌叢に対する土壌および施肥の影響は,いずれも明瞭ではなかった.

以上,本研究で開発した手法を利用して,水稲の根圏における土壌細菌叢が有機物や土壌の種類に対して明瞭に反応することを明らかにした.

3. イネ根圏細菌叢を利用した水素生成に関する研究

以上の研究を進める過程で, イネ根圏に嫌気性水素生成菌のClostridium bifermentans が生息することが確認できた. そこで, イネ根圏細菌叢を利用して リンゴ搾り滓や廃パンなどの有機性廃棄物から水素を生成させることができるかどうかを検討した. まずグルコースを原料とした培養液を用いたバイアス実験を行い,イネ根圏細菌の水素生成能を検討した結果, ヘキソース 1mol 当たり1.53(mol-H2/mol-hexose)の水素収率が確認できた.そこで次に,ジュース工場から廃棄されたリンゴ搾り滓を原料とした回分実験を実施し,水素生成量およびスラリー内の細菌叢を調査した.その結果, バイオガス生成は実験開始から12時間後にピークに達し, その後は徐々に減少して24時間以降は認められなかった. 実験開始から24時間のバイオガスの総生成量は6.1(L/L-slurry)で, そのうちの総水素生成量は2.52(L/L-slurry), 水素収率は2.28(mol-H2/mol-hexose)という高い値を示した. また,PCR-DGGEにより, スラリーからC. butyricum EIB3-3が検出された. これらの結果から,イネ根圏細菌叢由来のC. butyricum EIB3-3 などによりリンゴ搾り滓中の炭水化物から水素が生成されたこと, グルコースなどの易分解性炭水化物は実験開始から12時間以内で分解したのに対して, セルロースやペクチンなどの難分解性炭水化物は12時間以降,徐々に分解されたことが考えられる.さらに, パン工場から廃棄されたパンを原料としたパイロットスケールの連続水素醗酵実験を実施し,イネ根圏由来細菌叢の有用性を検討するとともに,あわせてスラリー内の細菌叢の経時変化を調査した.すなわち,廃パン10(kg/day)と水100(L/day)を混合撹拌してスラリーにした醗酵原料を0.2m3の水素醗酵タンク内に投入し, イネ根圏細菌叢と反応させて水素生成を確認した. その結果, 640~885(L/day)のバイオガスが生成されたが, そのうち102~206(L/day)は水素ガスであった.最大水素生成量は廃パン1kg当たり16.8L,水素収率は1.30(mol-H2/mol-hexose)であった. PCR-DGGEの解析結果、 Megasphaera spp. とBifidobacterium spp. が実験期間を通して検出され, また実験開始から46日目にはC. tyrobutyricum も検出された. FISHやキノンプロファイルによる解析もPCR-DGGEによる細菌叢の解析結果と整合しており,実験開始46日目にはClostridium spp.が優占細菌であることが判明した.

以上の結果から,最初にイネ細菌叢のMegasphaera spp.やBifidobacterium spp.によって廃パン中の有機物がグルコースなどの易分解性炭水化物や酢酸などの有機酸に変わり,次に, Clostridium spp. が易分解性炭水化物や有機酸を分解して水素が生成したと考えられる.

以上のように,イネ根圏細菌の菌叢解析で開発した分子生物学的手法は,圃場における根圏細菌叢の解析だけでなく,水素醗酵における細菌叢の働きを解析するのに有効であることが実証された.

審査要旨 要旨を表示する

水田には稲わらを鋤き込むほか,有機質肥料を施用することがあるが,これらが根圏細菌叢に及ぼす影響については十分に研究が進んでいない.一方,地球温暖化や化石燃料枯渇の対策として,バイオマスエネルギーの利用が提案されており,その1つに,細菌によって生成するバイオ水素がある.イネ根圏では多様な有機物分解が起こっていることから, 根圏細菌叢を利用して有機性廃棄物からバイオ水素を生成させることが期待できる.そこで,本研究では根圏細菌叢の解析方法を確認したうえで,水田に施用した有機質肥料がイネ根圏細菌叢に与える影響を検討した.また,イネ根圏細菌叢を種菌として,有機性廃棄物からの水素生成についても検討した.

1.イネ根圏細菌叢の解析への分子生物学的手法の利用

水田と畑で栽培したイネ(Oryza sativa)の根圏細菌叢を,分子生物学的手法である変性剤濃度勾配電気泳動法(PCR-DGGE)と蛍光in situハイブリダイゼーション法(FISH)を用いて比較した.PCR-DGGEの結果,水田では嫌気性菌,畑地では好気性菌と高い相同性を示すDNAバンドが検出され,それぞれの菌種はそれぞれの土壌環境を反映していた.また,FISHの結果,根圏では低GC含有グラム陽性菌が優占していた.このように,FISHとPCR-DGGEの結果は矛盾しておらず,根圏細菌叢の解析に分子生物学的手法が有効であることが確認できた.

2.イネ根圏細菌叢に及ぼす有機質肥料の影響

有機質肥料が根圏と非根圏の細菌叢に及ぼす影響について検討するため,堆肥区と米ぬか区を設置し,PCR-DGGEの16SrDNAバンドパターンに基づく主成分分析を行った.また,根圏効果を評価するための培養試験を実施した.さらに,土壌の影響を検討するため,黒ボク土と荒木田土を利用したポット実験も行った.その結果, 両区とも非根圏より根圏の方が菌種や菌数が多かった.とくに,夏期に根圏細菌叢の増殖が著しく,根圏効果が高かった.また,土壌の酸化還元電位は低下したが,これは,根圏細菌による有機物分解に伴って根圏土壌の酸素が消費され,還元化が進んだためと考えられた.また,ポット実験でも同様の結果が得られた.以上のように,水稲の根圏細菌叢は有機質肥料によって著しく影響を受けることが分かり,根圏には有機物分解能力をもつ多様な細菌種が生息することが確認できた.

3.イネ根圏細菌叢を利用した水素生成

イネ根圏細菌叢を利用して,グルコース基質のバイアル実験を行ったところ, 水素生成能があることが確認された.そこで,リンゴジュース工場から廃棄されたリンゴ搾り滓を原料とした回分実験を実施したところ,バイオガス生成が確認できた.また,PCR-DGGE解析の結果,Clostridium butyricum EIB3-3が検出された.このことから,果糖などの易分解性炭水化物が実験開始から12時間以内に分解し,12時間以降にセルロースやペクチンなどの難分解性炭水化物が徐々に分解されたと考えられる.つぎに,パン工場から廃棄されたパンを原料としたパイロットスケールの連続水素醗酵実験を実施してイネ根圏由来細菌叢の有用性を検討したところ,水素ガスの生成が確認された.PCR-DGGE,FISHおよびキノンプロファイルの結果から,本実験の水素生成では,最初にイネ細菌叢の一部によって難分解性物質がグルコースなどの易分解性炭水化物に変わり,その後、別の細菌叢によって易分解性炭水化物が分解されて水素が生成したと考えられる.

以上のように,分子生物学的手法を用いてイネ根圏の菌叢解析を行った結果,水田のイネ根圏細菌は有機質肥料によって著しい影響を受けること,またイネ根圏細菌叢には有機物分解能力を持つ多様な細菌種が生息することが確認された.さらに,イネ根圏細菌叢を利用した有機性廃棄物からの水素生成が可能であることを明らかにされた.これらの知見は学術上また応用上,極めて価値が高いものである.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)に値するものと認めた.

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