学位論文要旨



No 217601
著者(漢字) 河江,綾乃
著者(英字)
著者(カナ) カワエ,アヤノ
標題(和) 広葉樹ECF漂白パルプの褪色へのヘキセンウロン酸の関与および対策法に関する研究
標題(洋)
報告番号 217601
報告番号 乙17601
学位授与日 2012.01.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17601号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 講師 横山,朝哉
 筑波大学 教授 大井,洋
 森林総合研究所 研究室長 真柄,謙吾
内容要旨 要旨を表示する

従来パルプの漂白には塩素が使用されていたが、1990年代に漂白排水に含まれる活性炭吸着性有機ハロゲン化合物を低減する目的で漂白工程の無塩素化が進められると、無塩素漂白したパルプ、もしくは無塩素漂白したパルプを使用した紙の褪色(白色度低下)が問題となった。褪色とは、パルプ又は紙が時間と共に着色し、白色度が低下する現象であり、消費者にパルプ又は紙の劣化を連想させ、印象が悪くなるだけでなく、変色による各種製品トラブルにも発展することから、製紙メーカーにとっては、回避すべき課題の一つである。

これまでに、セルロース誘導体、ヘミセルロース、キシラン中のヘキセンウロン酸(HexA)、金属イオン、温度と湿度が褪色へ及ぼす影響が調べられ、これら全てが褪色に関与する可能性が報告されたが、その中で特にHexAの影響が強いことが共通の認識となっている。

HexAは、蒸解過程でキシラン中の4-O-methylglucuronic acid(MeGlucA)残基からメタノールが脱離して生成する。酸や求電子性の酸化剤によって分解、除去することができるため、現在、多段漂白工程では、酸処理や、高温二酸化塩素処理、オゾン高添加処理等の方法が、HexAに由来する褪色の抑制法として定着しているが、これらの処理はパルプの損傷を避けられないため、パルプの収率や強度の低下、叩解性の悪化が課題となっている。

HexAとパルプの褪色に関する研究は海外で多くの研究が見られるが、これらは白色度が90 ISO%を越す晒クラフトパルプを対象としたものである。しかし、日本においては、白色度が90 ISO%を越す晒クラフトパルプを製造することは稀であり、多くの場合、86ISO%前後の白色度設定である。また漂白シークエンスやパルプの原材料も海外と日本では異なっている。これらの事情により、本研究の開始時期においては、最終目標白色度が86ISO%前後の広葉樹クラフトパルプを製造する日本のクラフトパルプ製造条件におけるHexAの挙動については、あまり知られていなかった。また、より基本的な問題として、日本で製造されるパルプにおいてHexAが褪色の主要因であるかどうかも分かっていなかった。

本研究では、白色度86ISO%程度の広葉樹クラフトパルプについて、クラフトパルプ製造工程におけるHexA量の挙動を明らかにすると共に、HexAが褪色へ与える影響を調べ、褪色機構について明らかにすることを第一の目的とした。次いで、多段漂白工程でのみHexAを除去するこれまでの対処法とは異なり、クラフトパルプ製造工程全体を通してHexAを低減する方法と、褪色抑制作用のある薬品を紙に添加することによって褪色を抑制する方法を見出すことを第二の目的とした。

初めに、クラフトパルプ製造工程におけるHexA量の挙動について分析したところ、蒸解工程で蒸解時の温度、活性アルカリ添加率、時間を変更しても、蒸解によって製造された広葉樹未晒クラフトパルプ(LUKP)のカッパー価が同一ならばHexA量も同じレベルであること、そして、HexA量はカッパー価に対して極大を持つ傾向があることを見出した。

蒸解工程後の酸素脱リグニン工程では、酸素脱リグニン時のアルカリ添加率と温度を変更しても、パルプ中のHexA量は低減しなかった。

酸素脱リグニン工程後の多段漂白工程では、従来の条件下での二酸化塩素を主体とするD-ECF漂白法ではHexAを効果的に除去するのは難しいこと、また、二酸化塩素の添加率と広葉樹晒クラフトパルプ(LBKP)に残留するHexA量に相関があることが分かった。D-ECF漂白シークエンスにキシラナーゼ処理段を導入しても、LBKPに残留するHexA量を低減する効果は小さいと思われた。

パルプに残留したHexAが褪色へ影響するかどうか調べたところ、白色度86ISO%前後のECF晒クラフトパルプにおいても、加湿加熱条件下での褪色とLBKP中のHexA量に強い相関が確認された。

D-ECF漂白したLBKPにHexAが残りやすく、残留したHexAが褪色へ影響を及ぼすことから、D-ECF漂白の条件を変更してHexAを除去する方法を検討した。多段漂白工程でLBKPの目標白色度を86ISO%前後に合わせながらHexAを除去するためには、HexAの除去量とリグニンの除去量をバランスさせる必要がある。しかし、D-ECF漂白法において、HexAとリグニンの除去量には、全二酸化塩素添加率が大きく影響を及ぼし、全二酸化塩素添加率を合理的な範囲内で変えても、HexAの除去量とリグニンの除去量の比率はおよそ1:3だった。

D-ECF漂白工程でHexA除去量とリグニン除去量のバランスを制御することは難しいと思われたため、漂白前にあらかじめパルプ中のHexA/リグニン量比を制御しておくことで、HexAの除去量とリグニンの除去量のバランスをとることを試みた。LUKPと酸素脱リグニン後のパルプ(LOKP)中のHexA/リグニン量比とLBKPに残留するHexA量の関係を調べると、LUKPおよびLOKP中のHexA/リグニン量比が小さいパルプほど、LBKPに残留するHexA量が少ない傾向があった。漂白前のパルプ中のHexA/リグニン量比を制御する工程としては、一般的には蒸解工程と酸素脱リグニン工程の二つが考えられるが、これまでの実験から酸素脱リグニン工程でHexAは分解されないことが示されているため、実質的には蒸解工程ということになる。前述したようにLUKP中のHexA/リグニン量比はLUKPのカッパー価に対して極大を持つ傾向があるため、LUKP中のHexA/リグニン量比を低く抑えるには、カッパー価を、この極大を与える値からできるだけ離れたところに設定するのが有効と考えられる。ただし、カッパー価を下げ過ぎるとパルプ収率の低下やパルプ強度の低下に繋がるため、カッパー価を高めに設定するのが実質的な対策であると結論した。

以上の結果から、本研究では、HexA残留量が少なく、且つ白色度が86 ISO%前後の漂白パルプを製造する方法として、LUKPのカッパー価を最適化してD-ECF漂白前にパルプ中のHexA/リグニン比を低くする方法を提案した。

次に、褪色機構について検討した。無塩素漂白パルプから製造した酸性紙では、残留したHexAが酸によって分解し、2-furancarboxylic acid (FA)と5-formyl-2-furancarboxylic acid (FFA)が生成し、FAとパルプ中のFe(III)による呈色と、FFAによるその後の反応が褪色に大きく影響を及ぼすことが示唆された。FFAの反応相手として、酸性糖が影響する可能性があり、酸性糖の中でも、glucuronic acid(GlucA)とFFAの相互作用が特に大きく、これらが褪色において重要な反応であると考えられた。

FFAとGlucAに特徴的なカルボキシル基や水酸基に注目し、これら官能基を他の化合物と反応させ、且つ反応物による着色の程度が小さければ、褪色を抑制できる可能性があると考えた。そこで、カルボキシル基や水酸基と反応する可能性が高い化合物として、アミノ基やカルボキシル基といった官能基を持つ薬品について検討した。

初めに、製紙用薬品として一般的なものの中でアミノ基やカルボキシル基等の官能基を持つものと、それ以外の低分子のアミノ化合物をLBKP手抄き紙に添加し、加速劣化処理前後のΔb*へ及ぼす影響を調べたが、これらを添加しないLBKP手抄き紙と比較して、褪色の指標とした値であるΔb*は低減しなかった。

次に、カルボキシル基を持つ化合物として低分子カルボン酸化合物の褪色抑制効果を調べると、グルコン酸およびポリカルボン酸である酒石酸、クエン酸、リンゴ酸、琥珀酸、マロン酸、イタコン酸を添加したLBKP手抄き紙のΔb*が低減した。

また、PAAのような高分子のポリカルボン酸や、クエン酸ナトリウムのような塩を用いた場合でもΔb*が低減した。

カルボキシル基を持つ化合物には褪色抑制効果が期待でき、特に一分子中にカルボキシル基を複数持つポリカルボン酸に効果があり、カルボキシル基が一つしかないものは効果が小さく、分子量や立体構造も影響すると思われた。

ポリカルボン酸を紙に含有させる方法として、パルプのポリカルボン酸処理、内添法、外添法を検討したが、パルプの処理と内添法で褪色を抑えることは難しかった。外添法の検討では、ポリカルボン酸としてクエン酸ナトリウムを用い、澱粉と表面サイズ剤からなるサイズプレス液にポリカルボン酸を混合し、サイズプレスすると、褪色を抑制することが可能であり、紙の強度やサイズ性に影響もないことが確認できた。この結果から、パルプ中にHexAを残したまま褪色を抑える方法として、ポリカルボン酸を紙に外添する方法を提案した。

本研究で提案した二つの方法-LUKPのカッパー価を最適化してD-ECF漂白前にパルプ中のHexA/リグニン量比を低くする方法と、紙にポリカルボン酸を外添する方法-は、厳しい漂白条件を選択せずに褪色を抑制することができるので、パルプ収率や強度の低下、叩解性の悪化を抑えることができる。

審査要旨 要旨を表示する

元来紙を構成する要素には時間と共に着色するものが多い。例えば、リグニン、ヘミセルロース、金属イオン、ロジンやデンプン、酸化されたセルロース、ヘミセルロース中の酸性糖が褪色の要因となる。塩素が主体であった従来の漂白方法では、漂白シークエンスと漂白条件の最適化によって、褪色は問題とならないレベルに抑えられていた。しかし、1990年代に環境負荷の軽減を目的として、多段漂白工程の無塩素化が進められると、それに伴いパルプの褪色問題が顕在化するようになった。

褪色を抑えるためには、主要因物質と主要因物質が着色する機構を把握することが重要である。2002年頃から、パルプ中のキシラン側鎖として残存するヘキセンウロン酸(HexA)を除去すると白色度が安定することがより明確となり、褪色の主要因がHexAであることが共通の認識となってきた。HexAは蒸解過程でキシラン側鎖の4-O-メチルグルクロン酸残基からメタノールが脱離して生成する。酸や求電子性の酸化剤によって分解、除去することができるので、現在、多段漂白工程における酸処理や、高温二酸化塩素処理、オゾン高添加処理等の方法が褪色抑制法として定着しているが、これらの処理は、セルロースの損傷を避けられないため、パルプ収率やパルプ強度の低下、および叩解性の悪化が問題となっている。

本研究では、白色度86 ISO%程度の広葉樹クラフトパルプについて、クラフトパルプ製造工程におけるHexAの挙動を定量的に明らかにすると共に、HexAによる褪色機構についても明らかにすることを第一の目的とした。次いで、多段漂白工程のみでHexAを除去するこれまでの対処法とは異なり、蒸解工程を含めたクラフトパルプ製造工程全体を通してHexAを低減する方法と、薬品を紙に添加することによって褪色を抑制する方法を見出すことを第二の目的とした。

まず、第二編において、ヘキセンウロン酸含有量の蒸解・漂白過程における変化を定量的に追跡した。蒸解工程では、温度、アルカリ添加率、時間を変更しても蒸解によって製造された広葉樹未晒クラフトパルプ(LUKP)のカッパー価(リグニン含有量の指標)が同一ならば、HexA含有量は同じレベルであること、そして、HexA含有量はカッパー価に対して極大を持つ可能性が示唆された。蒸解後の酸素脱リグニン工程ではHexA量は低減しないが、それに引き続くD-ECF漂白法においては、HexAの除去量とリグニンの除去量の比率がおよそ1:3と言う値を保ってHexAが除去される事を明らかにした。したがって、この値よりもHexA/リグニン量比が小さくなるように蒸解工程において脱リグニンを調節すれば、D-ECF工程でHexAが効果的に除去されると考えた。具体的には、蒸解工程における脱リグニン目標値を通常よりもやや高めに設定することによって、この事が達成されることを明らかにし、蒸解・漂白工程をトータルに管理する事によるHexAの除去法として提案した。

続いて、第三編では、HexAによるパルプの褪色機構を追及した。パルプ中に残存するHexAが酸によって分解し、フラン-2-カルボン酸(FA)と5-ホルミル-2-フランカルボン酸(FFA)を生成し、FAとパルプ中のFe(III)による呈色と、FFAによるその後の反応が褪色に大きく影響を及ぼすことが示唆された。FFAの反応相手として、グルクロン酸(GlcA)、ガラクツロン酸(GalA)などの酸性糖が影響する可能性があり、GlcAとFFAの相互作用が特に大きく、これらの反応が褪色に対して重要であると考えられた。

FFAの反応性に関する知見が得られたので、第四編では、FFAと反応はするが呈色しない化合物を探索し、これを褪色抑制剤として用いる試みを行った。さまざまな化合物を試みた結果、酒石酸、クエン酸、リンゴ酸、琥珀酸、グルコン酸、マロン酸、イタコン酸のような低分子カルボン酸類、または、PAAのような高分子のポリカルボン酸や、クエン酸ナトリウムのようなカルボン酸塩を添加した場合、褪色抑制効果がある事が分かった。この結果に基づき、これら褪色抑制効果が認められた薬品を、さまざまな方法で紙に添加する方法を試した結果、ポリカルボン酸を紙に外添することによって、パルプ中にHexAを残したまま褪色を抑えられることを明らかにした。

このように本研究では、環境に配慮した新しいパルプ製造工程を採用したために顕在化してきたパルプの褪色問題について、基礎的な研究にとどまらず実践的な解決法を提案したものとして高く評価できる。この成果は今後バイオマスの化学的利用を図る上でも貴重な示唆に富んだものである。従って、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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