学位論文要旨



No 217604
著者(漢字) 三角,洋一
著者(英字)
著者(カナ) ミスミ,ヨウイチ
標題(和) 宇治十帖と仏教
標題(洋)
報告番号 217604
報告番号 乙17604
学位授与日 2012.01.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17604号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 長島,弘明
 青山学院大学 教授 高田,祐彦
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、『源氏物語』の続篇、三部構成説でいえば第三部の匂宮三帖と宇治十帖を対象として、主として仏教的側面から解読しようと試みたものである。内容は、「I 源氏物語と仏教」「II 匂兵部卿巻をめぐって」「III 宇治の姫君たちをめぐって」「IV 蜻蛉巻の後半部分をめぐって」「V 手習・夢浮橋巻をめぐって」の五部から成るが、より大きくは『源氏物語』の仏教的側面を論じたIと、II以下Vまでの作品研究とに分けられる。

Iにおいては、王朝期の貴族社会を覆った天台浄土教の思想について、その具体的な様相を、往生伝類・歴史物語・歌書・『梁塵秘抄』などの外部資料や、『源氏物語』内部の叙述の読みによって明らかにする。村上朝に文人たちが深く仏教に傾倒し、多くの優れた願文を作成したのがさきがけとなり、慶滋保胤と源信による勧学会の企てがなされると、寂照(俗名大江定基)が天台宗の宗典の訓読を定めて、貴族と僧侶の知識の橋渡しをし、院政期に降ると、寂然により百の法文題による詠歌と題の趣旨を解説した後詞からなる『法門百首』が制作され、多くの歌人が追随した、これが今様集である『梁塵秘抄』の法文歌につながっていく、というのが大きな流れの要諦をたどる試案である。

浄土教信仰については、往生極楽を願った人物として女三の宮・明石の入道・紫の上などに注目し、それぞれの功徳を積むさまを確認していくほか、たとえば、「蓮の中の世界にまだ開けざらむ心地もかくや」のような物のたとえの場合から、「念仏よりほかのあだわざなせそ」のようなさりげない場合まで、古注釈書では丹念に拾い上げて法文を縮約したかたちで引用するところを、あらためて浄土三部経や『往生要集』などと照合したうえで考察を加え、当時、いかに広く深く信仰されていたかを確認する。また、南北朝・室町時代の注釈書にあっては善導『観無量寿経義疏』からの引用も見られるが、これは法然の専修念仏が広まってからの中世的な解釈であることを指摘した。

その他、これまで曖昧に仏教知識と呼んで済ませていた、仏弟子の伝記やありきたりの仏教語と見えることばについて、天台の六十巻を経由したうえでの知識であることを明らかにしたり、物語に登場する女性の出家や死をめぐって年代別に整理し、出家しない女性をも数え上げ、今後人物設定や人物像を論じるための基礎資料を提供したりした。

さらに、椎本巻の仏教語を取り上げて、中世の古典学者は天台僧・東密僧・禅僧に問い合わせ勘文を出させて注釈書に記載したのではないかとか、提婆達多品の故事を出典と認めるか否かの検討を行い、出典との対応関係をゆるく考えたほうがよいと判定した。

IIでは、光源氏亡きあと、新たな物語を始発させることになる匂兵部卿巻について、どのような工夫がこらされているのかを論じる。第二部までの正篇に登場した人物たちのその後の消息を伝えて、物語世界の今はどうなっているのかを隅々まで点検しつつ、それら旧世代の人物との関連を明らかにしながら、新たな主人公やこれから活躍するおもだった人物を登場させるこの巻には、特殊な語り進め方が見られる。

語り手はしばしば源氏の出家ないし逝去の時点にたち戻り、そこを起点として、仮の現時点までの匂宮の生活環境なりその対人関係なりをたどりなおし、薫についても同様にたどってきたうえで、薫や匂宮たちの人間形成と個性・性向を読者に紹介する方法をとっているのである。同じように新しく宇治の八の宮を登場させる橋姫巻の語り口が、ほぼ線条的な時間の流れに沿っているのとは決定的に異なる、匂兵部卿巻に固有の方法と見なければならない。

続篇の主人公となる薫の人物設定については、本文に「瞿夷太子」の名が見えることから、旧注以来、釈尊の子羅〓羅になぞらえられていると指摘されてきたが、身から芳香を放つ点も含めて、この問題が議論されたことはない。そこで、ここでは羅〓羅の伝記を『法華文句』『法華文句記』や『註維摩経』から、具体的な挿話を『維摩経』弟子品と香積仏品から、それぞれ取り出して両者の関連を考え、物語で薫の担わされている課題が道心と出家の問題であり、道心を抱えながら出家するわけにいかない薫の物語として読み進めていく必要があることを力説する。

IIIでは、宇治の大君の物語について考察すべく、まず発端となる橋姫巻の本文に注解を施しつつ、宇治の八の宮の優婆塞としての人物造型と道心を抱きながらも恋に陥ってしまう薫の心の動きを掘り起こす。薫は、修行に専念できる山里の宇治の地と八の宮の生き方をうらやましく思い、道心を深めていたが、八の宮家の姫君たちをかいま見て恋の思いにとらわれ、自身の出生の秘密を知って罪深い実父柏木と母女三の宮への孝養を思わずにはいられない。いつの間にか自縄自縛にもがくことになるのである。

ついで、匂宮が中の君と結ばれてからこれを二条院に迎え、若宮の誕生に至る経緯について、愛子匂宮の素行を案じて誡めたり中の君を嫁扱いしたりする母の明石の中宮の側から読み取ってみる。明石の中宮の立場は、物語の話型の点から見れば、継子いじめの物語に登場する男主人公の母親に相当し、嫁くらべの末に継子の姫君を息子の嫁と認める役回りであるが、明石の中宮はいかにも后らしく物分かりよく描かれている。おもしろいことに、この分析を通して、好色な匂宮がいかに中の君を深く愛し、大切に扱おうとしたかということが明らかになって、これは思わぬ収穫であった。

大君物語をめぐっては、藤原克己氏の論文「紫式部と漢文学――宇治の大君と〈婦人苦〉」をふまえて、死を見すえる大君を厄年の習俗の中に据え、仏教でいう生老病死の四苦とも重ね合わせて読み解くことを試みた。『法華経』の「枯槁」は苦の、「枯竭」は老苦のたとえであり、大君の最期は「ものの枯れゆくやうにて、消え果て」たとあるので、人間の苦を背負って亡くなったように読める。また、大君の死は、釈尊が入涅槃の相を示して弟子たちに恋慕渇仰の思いを抱かせ、修行に励むよう導いたごとく、薫に一方では道心を募らせずにはおかないが、もう一方では大君の遺託にこたえて中の君を後見する使命を自覚させたのである。

IVでは、入水したに違いない浮舟の中陰も過ぎた後の薫の言動を分析する。小宰相や中将と呼ばれる才気あふれる女房たちと会話し、女一の宮をかいま見て動揺し、父宮の死により女一の宮に宮仕えすることになった宮の君を観察するなど、薫は好色の振る舞いを見せるが、そこには、大君には先立たれ、中の君とは結ばれず、劣り腹の浮舟は裏切った末、一方的に姿を消したという奇しき縁を思って三姉妹を偲び、特に浮舟についてその人物を評定しなくてはならないという強い思いがあったことを見定める。物語の方法としては、唐小説『遊仙窟』のみごとな換骨奪胎によって語っていることを、新たに数多くの例を挙げて指摘した。宇治十帖の主題は女君たちが担っているという論調が主流である中、薫による品定めを経て初めて女君たちの思念の重みが読者に伝わるという物語の仕組みが明らかになった。

Vは、入水に至らなかった浮舟が出家する過程を分析する。『過去現在因果経』による釈尊伝の悉達太子の出家の経緯を典拠とするが、浮舟の出家はいろいろな意味でこれと好対照を示す描き方がなされていた。浮舟を世話する横川の僧都の妹の尼のもとには、老醜をさらす母の尼をはじめ年老いた尼たちがいて、五欲の楽しみにほかならない風流に耽って過ごしているが、そこに妹の尼の婿であった中将が訪ねて来て、浮舟をかいま見て求婚してくる。浮舟は薫と匂宮とのはざまで愛欲の思いに悩んだ過去と決別したいという逃避的な思いから、老いと死を見すえた末に、横川の僧都に願い出て出家したのであって、仏道修行はこれからである。

ところで、後に浮舟が生存し出家していることを知った薫は、浮舟に面会を求めたところ拒絶され、もしかして別の男に隠し据えられているのではないかと疑うところで物語は幕を下ろす。夢浮橋巻の結末はさまざまな後日譚を想像させる開かれた終わり方となっているが、これを横川の僧都の浮舟宛の消息の一解釈、蜻蛉巻の巻末では浮舟が薫の深い哀悼の思いを聞き知ったこと、光源氏における空蝉や女三の宮など、尼となった姫君を世話する好ましい男君の像が後代の物語にも引き継がれていること、の三方向から、次のような読みを提出する。すなわち、薫は浮舟の現在の心境をまったく知らないのであるが、いずれ事情を知って浮舟を引き取り、沙弥尼のまま世話することにより、自身の愛執の思いも克服するに違いない、というものである。

以上により、本論文では、薫の恋と道心の物語として展開する宇治十帖について、仏教的側面からいくつか新たに問題を発掘して提示するとともに、作品論としても部分的に考察を深めることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は『源氏物語』宇治十帖について、その世界形成に仏教がいかに深く関わっているかという視点を中心に据えて考究したものである。構成は5部23章からなっている。

第I部「源氏物語と仏教」は、本論文全体の基礎となる考察であり、この物語が書かれた当時の、作者と読者とが共有し得た仏教教学の水準と位相を具体的に解明している。その際、公卿日記や仏教説話、釈教歌、今様法文歌などが博く参照されているのはもとより、著者の方法の特徴をなしているのは、『河海抄』等の中世源氏学を手がかりにしつつ、天台六十巻や『往生要集』等の論疏類を出典調査と経文解釈の根幹に据えていることである。また中世源氏学の基盤となっている文芸思潮全般にも幅広く目配りしている。

第II部以下では、第I部で提示された方法と知見を生かしながら、宇治十帖を精緻に読み解いてゆく。第II部「匂兵部卿巻をめぐって」は、道心を抱きながら出家することができない主人公薫の物語と深く交錯するかたちで『維摩経』の引用があることを指摘し、薫の体に備わる生得の芳香も『維摩経』香積仏品・菩薩行品の香、ことに菩薩行品の「一切諸の煩悩の毒を滅除して然して後に乃ち消」えるという香と関わらせて解すべきであるという、この物語全体の主題とも関わるようなきわめて重要な問題を提起している。

第III部「宇治の姫君たちをめぐって」では、まず宇治の大君・中の君姉妹の父八の宮の優婆塞すなわち在家出家者としての生き方がやはり『維摩経』と関わらせて論じられ、ついで薫が、この八の宮に師事して仏道を習いながら宮の大君に心惹かれていよいよ出家から遠ざかってゆくさまが、物語が書かれた当時現実に相継いで起こっていた貴族青年の出家の事例とも対比させながら分析される。そして大君の死の前後の描写に生老病死の仏教的表現を析出しつつ、その死は『法華経』に説かれる釈尊の入涅槃相と同じように薫の発心を深めると同時に、中の君に対する後見の責務という絆によっていよいよ自縄自縛的に迷妄を深めてゆく因縁ともなっていると指摘する。

第IV部「蜻蛉巻の後半部分をめぐって」は、大君を失って以後その妹の中の君に、またその異母妹の浮舟にと、いよいよ愛執と迷妄を深めてきた薫が、明石の中宮方の侍女たちを観察し、そのさまざまな境遇に思いめぐらすことを通して、ようやく自身と宇治の三姉妹との関係を客観的に見据え直すことができるようになってきたことを指摘する。そして第V部「手習・夢浮橋巻をめぐって」では、浮舟出家の過程の描写を、釈尊の出家成道を描いた仏典『過去現在因果経』と対比しながら意味づけるとともに、従来さまざまな議論がなされてきた薫と浮舟の行く末について、物語は浮舟が薫の庇護のもとで仏道修行を続けてゆく将来を暗示しているという論をきわめて説得的に展開している。

仏典との関連を指摘した箇所にはやや円鑿方〓の憾みをなしとしない所も見られるが、それは上述のような本論文の研究成果の意義を減殺するものではない。よって審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク