学位論文要旨



No 217605
著者(漢字) 福元,真由美
著者(英字)
著者(カナ) フクモト,マユミ
標題(和) 大正期・昭和初期の都市における保育の系譜 : アソシエーショニズムと郊外のユートピア
標題(洋)
報告番号 217605
報告番号 乙17605
学位授与日 2012.01.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17605号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 田中,智志
 東京大学 准教授 小国,喜弘
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、1920‐30年代の都市における保育のアソシエーションを形成した保育所と郊外住宅地に誕生した幼稚園の成立の経緯と実践の展開過程を事例に即して叙述し、都市化とともに登場した保育実践の特徴を考察することを主題とする。

20世紀初頭の東京と大阪では、急速な工業の発展と大量の人口流入、スラムの貧困と家族の解体という都市の膨張と崩壊に直面し、セツルメントの事業と郊外住宅地の開発により都市の再生が試みられた。セツルメントを基盤にアソシエーションを形成した協同組合型保育所と郊外住宅地に成立した郊外型幼稚園は、産業化と郊外化を背景に従来の保育の個別性と閉鎖性を越えて、協同的かつ社会と相互交渉的に保育実践を展開し、新しい保育所と幼稚園の機能を備えていった。本研究は、「都市化により成立した保育の系譜」を設定し、この系譜を協同組合型保育所の保育と郊外型幼稚園の保育の二つの相において検討する。

近代日本の保育史研究では、次の二つの関心を主流に研究されてきた。一つ目は、概論的な通史を記述する関心であり、東京女子師範学校附属幼稚園に始まる幼稚園教育の制度と理論と実践を中心に、保育所の制度と実践を加えて史的展開に沿う史実の整理が行われた。二つ目は、幼稚園と保育所を方法的に分けて検討する関心であり、保育所保育を通史から抽出して幼稚園教育とは異なる性格をもつとして描く研究や、幼稚園教育が幼稚園としての基本的性格を形成した過程を解明した研究が行われた。これらの研究を通して、当時の文部省と内務省(厚生省)による保育の二元的な制度に基づく幼稚園教育の系譜と保育所保育の系譜が示され、保育史研究の大きな枠組みが構成されてきた。これに対し、幼稚園と保育所の違いを越えた社会科学的な研究関心から、保育の問題の編成とそれに基づく保育の歴史的な展開を描いた研究は少なかった。

本研究の注目する都市化と保育は、保育史研究おいて社会科学の関係諸科学を横断する新しい視座である。本研究は、「都市化により成立した保育の系譜」の検討を通じて、1920‐30年代の保育実践の展開を幼稚園教育の系譜、保育所保育の系譜とともに多様な系譜において描くと同時に、その後の我が国の保育実践を基礎づけた協同組合型保育所と郊外型幼稚園の保育の歴史的な価値を考察する。

協同組合型保育所と郊外型幼稚園の保育実践は、次の四点に注目して検討する。第一に、協同組合型保育所と郊外型幼稚園のそれぞれの受容層となった労働者層と新中間層の二つの社会階層である。都市の大多数を占めた二つの社会階層における母親の位相、子育ての問題、教育要求を検討することで、都市化を通して保育の場がいかに再定義されたかを多層的に明らかにする。第二に、自然を中心とする保育が、協同組合型保育所と郊外型幼稚園の交渉により多様な展開を見せた点である。これを都市化の諸相と合わせて検討することで、自然との直接的な接触を重視する保育がどのような言説と実践により確立したか考察する。第三に、従来の保育では周辺的に扱われた子どもの人間関係や身体が、協同組合型保育所と郊外型幼稚園では、新しい関心や保育方法の開発によって保育の中心的な領域として開拓された点である。第四に、協同社会と郊外ユートピアの新しい都市の構想において、協同組合型保育所と郊外型幼稚園がその理念を表現し、人々の実際的な活動を促す不可欠の社会構成の単位として実践を展開した点である。

第I部で取り上げた四つの協同組合型保育所の実践は、関東大震災後の復興の道筋を模索した東京と、産業化により劣悪となった都市生活の再編を迫られた大阪を舞台に展開された。セツルメントでは、家庭での子育ての危機的位相を主題化し、母親の協同を掲げて様々な組織や活動を足場に保育のアソシエーションが形成された。第1章では、賀川豊彦の光の園保育組合の設立と実践の展開の過程を、保育組合の組織と事業の発展を中心に叙述した。賀川の「子供の権利」によるスラムの家族の再編の理念がセツルメントに引き継がれ、協同組合の手法と結びついて保育組合が成立した。第2章では、志賀志那人の北市民館保育組合における「協同社会」の構想、保育組合の組織、「郊外保育」の実践を検討した。志賀は、家庭生活の再建は個人よりも世帯を対象とし、親子の扶養関係を家族を越えた人々との対等な関係に開いた。第3章では、東京帝国大学セツルメント託児部の鈴木とくを中心に、人間関係の保育方法の開発と母親の協同関係の模索の過程を描いた。地区別グループによる家庭問題の共有、生活の協同化の合理性、保育へ参与する満足感を足場に、保育のアソシエーションが形成された。第4章では、平田のぶの「子供の村」が、子供の村保育園の母様学校等の親の組織、「協同」「自治」の保育を通していかに構想されていたかを考察した。「母性」は、社会や教育の体制の変革へ母親を動員し、その共同性を打ち立てるシンボルとして語られた。

第II部で取り上げる郊外型幼稚園の事例は四つである。郊外型幼稚園の成立は、大阪と東京の郊外住宅地形成と新中間層の登場を基盤にした。ここでは、自然を中心とする保育と子育ての成功を志向する実践が、郊外ユートピアの構想のもとでどのような特徴をもったかを明らかにした。第5章では、橋詰良一の家なき幼稚園が小林一三による郊外開発の戦略的展開と一体となって成立し、自然の保育の言説と実践及び母親の新しい子育てのスタイルを産出した様相を描出した。橋詰は、自然を保育の環境に同定し自然に関わる幼児の素朴な経験を保育内容として組織した。第6章では、成城幼稚園の設立をめぐる小原国芳の「学校村」構想と小林宗作のリトミックの展開を叙述し、教育の共同体における身体の開発という実験的試みとそれを支えた新中間層の教育要求を検討した。成城幼稚園は、「学校村」の中心の成城学園の新教育と経営を支える要として位置づけられた。第7章では、高崎能樹の阿佐ヶ谷幼稚園の実践を幼児の個性を重視する保育と母親教育から記述し、新中間層の教育要求を組織して保育の場が子どもと親の教育の場として再定義される過程を検討した。高崎は、母親が情報に通じた教育者となり、合理的で徳性豊かな教育を家庭で実現するための母親の学習の場として幼稚園を再定義した。第8章では、賀川豊彦における郊外の自然のもつ意味の変容過程を叙述し、松沢幼稚園の「幼児自然教案」のカリキュラム開発と賀川の「社会改造」における位置を考察した。「幼児自然教案」は、自然美の体験と表現、自然の法則の科学的探究、愛の社会的態度の涵養により自然の教材化と幼児の経験の組織化を多元的に試みた。

第III部の第9章では、協同組合型保育所と郊外型幼稚園が当時の都市の近代化のいかなる状況と一体となって成立したのかを明らかにした。個人主義を越えようとした保育のアソシエーションは、都市の急激な工業化と人口増加により、孤立した個人が大量に析出され家庭生活の解体が進行する都市問題を背景に形成された。経済的格差の拡大は、資本主義社会への不信と絶望をもたらしてオルタナティブ社会を賀川や志賀に展望させ、震災復興は同潤会アパートの建設により新しい都市の集住のモデルを平田に託した。「郊外保育」「転住保育」は、都市の劣悪な生活環境を保育から切り離し、自然の中で保育の環境を構成する試みだった。一方、都市の郊外化は、鉄道会社を中心とする沿線の郊外住宅地開発によって推し進められた。郊外の教育の意義を謳う言説は、郊外の田園イメージ、記号を用いて郊外の自然の価値を増幅させた。郊外生活に家族の幸福を求めて移住した新中間層は、幼稚園の受容層を形成し、性別役割分業で子育てと家庭教育の責任者となる母親を析出して、母親教育の対象とした。

本研究で明らかになった都市化により成立した保育の系譜の特徴は次の四点である。

第一に、都市化による保育の系譜において、保育のアソシエーションや母親への教育は保育所や幼稚園という保育の場のあり方を問い直す重要な契機となった。アソシエーションは、個人的な子育てを代替する場から、協同で子育てをする場への転換をもたらした。郊外では、子育てによる母親の自己形成の場、家庭教育のための母親の学習の場となった。

第二に、保育に自然を組織する多様な方法が開発され、自然の価値を表現する言説と実践がメディアを通じて大量に産出された。保育における自然は、幼児と自然の直接的な接触を重視する関心、幼児の心身を自然の中で回復させる関心、自然の教材と幼児の経験を組織するカリキュラムの関心の三つの関心から議論された。

第三に、これまでの幼稚園や保育所の保育内容の中心ではなかった人間関係や身体に関わる実験的な実践が展開された。人間関係では、年長者による年少者への世話やいたわり、協同の作業が重視され、カリキュラムの編成も試みられた。リトミックは、健康かつ良い頭と性格を準備する完全な身体の育成に重点をおく保育を産出した。

第四に、いかなる地域社会を形成するかという展望において、保育所や幼稚園がその具体的な実践の場を準備していた。協同社会の構想では保育組合そのものが社会を現実化する組織であり、保育組合の事業を通して地域の生活も協同的に再編された。子どもの幸福を理念とする社会の構想のもとでは、保育所の親の組織が多層的に形成されて地域に広がった。郊外では、幼稚園は社会の精神文化を基礎づけるものとされ、保育実践を通して地域の人間関係が編み直されていた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1920年代から1930年代における保育の協同主義(アソシエ-ショニズム)を形成した保育所と郊外住宅地の幼稚園の成立の経緯と実践の展開を事例に則して叙述し、都市化とともに登場した保育実践の特徴を考察している。これまで保育史の研究は、東京女子師範学校附属幼稚園を嚆矢とする幼稚園教育の制度的普及を扱った研究と、もう一方では都市スラムを中心に展開した保育の運動史という二つの系譜によって研究されてきた。本論文は、そのいずれにも属さない都市化を背景として保育の協同化を志向した保育実践の系譜に着目した独創的で斬新な研究である。

本論文は、都市スラム地域における協同主義(アソシエ-ショニズム)の保育実践の展開を叙述した第1部(第1章から第4章)と、郊外住宅地において協同のユートピアを掲げて成立した幼稚園の事例研究を叙述した第2部(第5章から第8章)、および、その二つの系譜を都市化という社会的文脈において特徴づけ考察した第3部(第9章)で構成されている。そして、第1章では賀川豊彦の光の園保育組合、第2章では志賀志那人の北市民館保育組合、第3章では帝国大学セツルメント託児部、第4章では平田のぶの子供の村保育園、第5章では橋詰良一の家なき幼稚園、第6章では成城幼稚園、第7章では高崎能樹の阿佐ヶ谷幼稚園、第8章では賀川豊彦の松沢幼稚園が事例として取り上げられ、精緻な資料調査にもとづく個性記述法による分析が行われている。上記のうち、第1章と第8章の賀川豊彦の光の園保育組合と松沢幼稚園の研究は本論文が最初の学術的研究であり、他の事例については、いずれも資料調査と資料の解読において先行研究の水準を凌駕している。

本論文は上記の事例研究によって、第一に母親の協同関係、自然や人間関係による保育実践の改革、オールタナティブな社会の構想を検討し、第二に郊外型幼稚園における自然や身体に関わる保育実践、新中間層の教育要求の特徴、郊外ユートピアの構想を考察し、第三に産業化と郊外化に集約される都市化によって形成された新しい保育の特徴を探究している。

本論文の最大の貢献は、都市化によって成立した保育の新たな展開を幼児教育と保育実践の歴史的構造の中心的な系譜の一つとして定位したところにある。もう一つの貢献は、都市化による保育実践を推進した二つの主要なモチーフとして協同主義(アソシエ-ショニズム)と郊外ユートピアの二つの思想を抽出し、それぞれの思想がどのような保育実践の新たな特質を形成し、またそれぞれの思想にもとづく実践がどのような痕跡を残したのかを詳述したところにある。これらの学術的貢献は、幼児教育と保育実践の歴史の見直しを迫り、現代の幼児教育と保育実践の改革にも資するところが大きい。

よって、本論文は、博士(教育学)の学位の水準に十分に達しているものと評価された。

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