学位論文要旨



No 217607
著者(漢字) 西野,聰
著者(英字)
著者(カナ) ニシノ,サトシ
標題(和) 赤外線光学特性を用いた対象物識別に関する研究
標題(洋)
報告番号 217607
報告番号 乙17607
学位授与日 2012.01.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17607号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小田,哲治
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 教授 浅田,邦博
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 准教授 小野,亮
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

本研究は近赤外線の持つ特性である物質の組成を間接的に検出できる利点を利用して生体的特徴を抽出することで男女識別と成人識別(成人:20歳以上と,未成年:20歳未満を識別)を行った。また,男女識別は近赤外線以外に人物から放射される遠赤外線をサーモグラフィにより熱画像(以下,撮影された画像を熱画像と呼ぶ)を得てこの画像から生体的特徴を抽出することでも行った。

この他に,本研究はボード上の搭載ICの多ピン化と増加の傾向に対処するために,ICボードの故障検出(ボード上のどのICが故障かは特定せずにボードが故障か否かを検出すること)と故障診断(ボード上のどのICが故障か特定すること)をボード上に搭載されているICの発熱をサーモグラフィで撮影して行った。このように本論文は赤外線の持つ特性を利用して対象物を識別する研究を行った結果について記述したものである。

2.研究の背景と目的

■ICボードの故障検出と故障診断

ボードの故障診断に関する実際技術はインサーキットテスタが適用されてきた。しかし,ICの高集積化が進展(2)しパッケージのピン数を増やす必要からBGA(Ball Grid Array)やその他の多数のピンを備えたICパッケージの出現により,従来ボードの故障診断に用いられていたインサーキットテスタが適用不能になってきた。これに対処するために,バウンダリースキャンを採用したICを搭載してボードの故障診断を可能にする手法が開発された。しかし,この手法もスキャン機能を実現するためにチップ面積が増大するトレードオフの問題や,スキャン機能自体が故障の場合は診断不能となる問題点がある。本研究では,これらの問題点に対処する目的でボードに搭載されているICの発熱画像をサーモグラフィで撮影してこの画像情報(発熱温度)を利用することでボードの故障検出と診断を行う研究を行った。

■男女識別

男女識別は大型商業施設やアミューズメント施設の隆盛により,これらの施設や商品の品揃えへの対応の必要性から1995年頃から種々の研究が盛んに試みられてきている。具体的には男女識別は大型商業施設やアミューズメントパークの入り口にカメラを設置し男女の来場者数を自動的に採取して,このデータを経営の参考とするため必要である。2008年にはこの目的で可視光顔画像を用いたシステムが発表され,その後2010年には人通りの多い駅構内などに大型ディスプレイを設置してこの画面を見ている人物の男女を識別して,その結果に合わせた内容の広告を表示するシステムも試行されている。また,アンテナショップなどの商品棚に置かれた商品を男女がどの程度の割合で手に取ったりして興味を示すかなどの調査への適用も考えられている。このように男女の自動識別は商業・サービス産業の効率化や拡大のための基礎データ収集に必要とされている。

図1に男女識別に関する本論文の手法と従来手法との対応を示す。従来手法と本研究の根本的な相違は,従来手法は可視光画像で人物を撮影してその外見(顔,服装など)を利用しているのに対して,本研究は人物の第二次性徴以降の現われる生体的特徴を利用する点である。

近年では女性専用施設(女性更衣室,ホテルの女性専用フロアー,女性専用マンションなど)が増え,その防犯が課題となっている。現在は防犯のための決定的な自動的な手法(なりすましを排除することが重要)が出現していない状況である。このような現状から本研究では頬を入り口の検出器に接触させることで男女を生体的に識別して高識別率を得て,防犯システムへの適用を目指した研究を行った。

■成人識別

タバコや酒の自動販売機は未成年者に対しては販売を行わないことが望まれている。2009年にはタバコの自動販売機の成人識別部に顔をかざすことで成人・未成年を自動的に識別して未成年者には販売しない自動販売機が開発されて市場に投入された。しかし,このシステムは顔の外見を可視光で撮影する方式であり,種々のなりすましに対して耐性が弱く,現在は市場から撤退している。このような背景から,本研究では近赤外線を用いて成人・未成年の生体的相違を検出してなりすましに対する高い耐性を有する識別システムの研究を行った。

3.結論

● 男女識別

本研究では,熱画像による顔抽出研究時に見出した,女性の頬温度が男性よりも低い現象を基に男女識別の研究を行った結果,熱画像と近赤外線画像で約90~93%の識別率を得ることができた。また,近赤外線分光器により,前記現象の医学的根拠である頬皮下脂肪厚の男女差を明確に確認することができた。さらに,近赤外線分光器により得た1200nm付近の狭波長領域分光特性の2次微分で分光特性のオフセットを除去でき,その上1100~1750nmの全波長域を使用して男女識別を行うよりも高識別率が得られることが判明した

熱画像では約91%の識別率を得たが,サーモグラフィが高価なために経済性で劣る欠点を持つ。したがって,この点を改善する目的で近赤外線画像を利用した研究を行った。この場合の医学的根拠も熱画像と同じ頬の皮下脂肪厚差であることがわかった。

以下に,来場者の男女数の統計的データ収集のための男女識別に関してまとめた見解を示す。

(1)男女識別では熱画像を使用した手法が外光の影響は全く受けないなどの利点があり,一番優れている。しかし,サーモグラフィは高価であるので経済性の観点からは他の手法に劣る。しかし,サーモグラフィの価格は低下しつつあり将来的にはさらに低下するので,実用化は可能であると思われる。

(2)一般の防犯カメラの前面に近赤外線透過フィルタを被覆または外すことで可視光画像(従来手法)と近赤外線画像(本研究手法)を撮影可能であるので,両画像を併用することで高精度で低価格の男女識別ステムを実現することが可能であると思われる

(3)防犯システムへの適用の場合は,従来手法ではなりすましに対する耐性が弱いので大きな問題である。したがって,本研究の手法を採用する方が効果的である。しかし,現在の識別率は100%を達成していないので識別不能領域を設定し,疑わしい場合は警報を発するなどの管理者の労力削減用の補助的な役割であれば荷えると思われる。

● 成人識別

本研究では近赤外線分光器で行った男女識別を発展させて成人識別に試みることを行い,約82%の識別率を得た。従来の可視光画像では顔のしわやしみなどの外見を用いるのに比較して,提案手法は頬の皮下2mmのコラーゲンとその反映である水分を検出して行う方法であるのでなりすましに対する耐性が従来手法より高いと考えられる。本手法は頬の接触位置を精度良く行えるように工夫すること,例えば水を顔に付けるなどのなりすましを防ぐために,識別前に熱風を頬に当てて水分を蒸発させるなどの工夫を行うことでさらに識別率を高めることが考えられる。

●男女識別研究結果の使用環境に対する耐性

表1に男女識別の従来研究と本研究の主な特徴を対応して示す。この表から,顔に関しては可視光を使用した手法と赤外線を使用した本研究の手法の大きな相違は,可視光による従来手法では男女の多くの顔の外見のデータベースをもとに特徴量を決定しているので,人種が(あるいは国が)異なれば男女の顔の特徴を抽出した膨大なデータベースを再構築して特徴量を再度決定する必要が生じると考えられる。一方,本手法は全人種の男女に共通する生体的特徴を利用しているためデータベースを再構築することなく異人種に対しても対応可能なことである。一方また,人物の外見を使用しているためになりすまし(女装,男装)に対する耐性が弱い。しかし,統計的に男女の来場者数を収集する場合は問題とならないと考えられる(例:女(男)装の男性は女(男)性製品を求めるので)。

4.今後の課題

●男女識別

今後の課題としては,近赤外線顔画像の頬と髪部分に特徴抽出のためのテンプレートを自動的に被覆することがある。現在,目を検出してこの目の位置を基準としてテンプレート被覆を行なうことを検討中である。今後はこれらの手法を完成させて,完全な自動男女識別システムの構築を目指す予定である。なお,熱画像では自動的な特徴抽出手法の開発を終了している。

近赤外線分光器を用いた男女識別は分光器が高価であるために,経済的には不利である。したがって,基本原理を基にハードウエア化することが検討課題である。

●成人識別

成人識別に関しては本研究で基本概念の確認はできているので,近赤外線分光器を使用せずに安価なハードウエアを実現することが残された課題である。

今後の男女識別システムは,従来の可視光画像の利点と本研究の近赤外線または発熱画像の利点(生体的特徴を利用)を活かすように両者を併用することで外光の影響の少ない高識別率な男女識別が可能になると考えられる。また,成人識別に関しても同様な考え方でシステム構築することでなりすましを許さない識別が実現できると考えられる。

図1 男女識別の研究分野と本論文の章・節の対応

表1 使用環境に対する男女識別の耐性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「赤外線光学特性を用いた対象物識別に関する研究」の表題で、「赤外線分光、赤外線画像によって物体、さらに、人物の識別への応用技術に関する研究」結果をまとめたものであって、全体で6章から構成されている。

第1章は序論であって、本研究の狙い、従来の研究状況、位置づけなどが記述されている。また、本論文の中心をなす赤外線の特徴、識別のための画像化方式などもまとめられている。

第2章は、「赤外線画像によるICボードの故障検出と故障診断」と題し、ICボードの赤外線像から、各素子の温度分布を計測し、この情報(発熱温度)を利用することでボードの故障検出と診断を行う研究を行ったものである。ボード上の全てのICに対して,個別にIC温度の統計的発熱範囲を決定して,この範囲を逸脱したICが一つでもボード上にあればそのボードは故障と判定することで故障検出が可能であることが示されている。ICの発熱は個々のICに流れる電源電流を同時に並列に観測していることと等価なことから、電源電流で見逃す故障を検出可能であるために電源電流による故障検出手法よりも検出率は優れていると考えられる。さらに、ボードの発熱画像を利用してニューラルネットワークを構築することでボード上のどのICが故障であるかを指摘する故障診断が可能なことを示している。

第3章は、「近赤外線分光器による男女識別」と題しており、頬部を近赤外線分光器(波長範囲:1100~1750nm)の検出部に接触させ計測することで男女識別が可能性能であることを示し、さらに本論文の男女識別の医学的根拠である頬皮下脂肪厚の男女差を明確に確認している。またこの研究をもとに狭波長域の近赤外線分光によってより精度良く男女識別が可能なことを示している。具体的には、近赤外線分光器により得た1200nm付近の狭波長領域分光特性の2次微分で分光特性のオフセットを除去でき,その上1100~1750nmの全波長域を使用して男女識別を行うよりも高い識別率を得ることが可能であることを示している。この章の最後では頬部の近赤外線分光特性をシミュレーションすることで前述の2つの男女識別の根拠となっている分光特性の相違が頬部の男女の皮下脂肪厚の相違に起因していることを検証している。これらの結果から、この手法は女性専用施設への男性入場規制のための補助的な役割には十分な性能であると主張している。

第4章は「近赤外線画像と熱画像を用いた生体的特徴による男女識別」と題し、第3章の基本原理となっている男女の頬部の皮下脂肪厚の相違を非接触で近赤外線およびサーモグラフィにより各々近赤外線画像または熱画像として撮影することで男女識別を行っている。近赤外線画像ではその研究過程で男女の頭髪の色(階調値)に相違がある(両者共にカラーリングをしていない状態。この相違は肉眼では判別不能で、近赤外線画像で判別できる)という新たな生体的特徴を見出し、この現象を頬部の画像と組み合わせることで高い識別率を得ることを実現している。さらに、頭上からこの髪の男女差を近赤外線撮影することで男女識別可能なことも示している。この場合は顔が撮影されないため、プライバシー保護の観点からは有用である。熱画像での男女識別は他の手法に比較して外光の影響を全く受けない利点がある。以上の結果から,統計的な目的の男女識別に対しては十分に本手法が適用できるとしている。

第5章は、「生体的特徴を用いた成人識別」のタイトルで、20歳未満(未成年)か、以上(成人)かを識別する研究を行ったものである。この章では第3章で用いた近赤外線分光器よりも高い周波数範囲(1100~2200nm)の近赤外線分光器を用いて成人・未成年の生体的相違を検出することでなりすましに対する高い耐性を有する識別システムの実現を目指している。従来の可視光画像では顔のしわやしみなどの外見を用いるのに比較して,この章の提案手法は頬の皮下2mmのコラーゲンとその反映である水分を検出して行う方法であるのでなりすましに対する耐性が従来手法より高いことを示している。さらに本手法は頬の接触位置を精度良く行えるように工夫することで識別率を高めることを予想している。

第6章は、結論で、これまでの研究結果から、頬や頭髪の赤外線特性から、男女の識別はもとより、成人への成長過程での頬と頭髪における男女差もある程度予測できることを示唆し、最後に、本手法の男女および成人識別手法は全人種の男女に共通する生体的特徴を利用しているためデータベースを再構築することなく異人種に対しても対応可能なことであることを述べ、学位請求論文全体のまとめを行ったものである。

以上を要するに、本論文は、熱画像、温度分布、赤外線スペクトルと物体、特に、生体との関係を検討し、その結果から、ボード上のIC故障個所の診断、男女識別、さらに、成人識別の可能性を実測値をもとに初めて示唆したもので、電気系工学上貢献するところが少なくない。よって、博士(工学)の学位を授与する。

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