学位論文要旨



No 217610
著者(漢字) 白土,宏之
著者(英字)
著者(カナ) シラツチ,ヒロユキ
標題(和) 種子付きマットを用いた水稲の箱なし育苗に関する研究
標題(洋)
報告番号 217610
報告番号 乙17610
学位授与日 2012.02.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17610号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 根本,圭介
 東京大学 特任教授 岡田,謙介
 東京大学 准教授 山岸,徹
 東京大学 准教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

日本の農業現場では、農家の高齢化が進む一方で規模拡大が進行している。農業就業人口に占める65歳以上の割合は2005年の58.2 %から2010年の61.6 %に5年で3.4ポイントも増加している。経営面積集積割合をみると、30 ha以上の割合が2005年の20.7 %から2010年には26.2 %に増加する一方、2 ha以下の割合は36.1 %から30.2 %に減少している。水稲の移植栽培では担い手の高齢化や大規模化により、播種から移植の間の複数回にわたる重い苗箱の運搬が問題となっている。苗の運搬等の補助作業は高齢者や女性が担当することも多い。また、苗の枚数は作付面積に比例するので、大規模経営において効率的になるという性質のものではない。むしろ、取り扱う苗の枚数に比例して労働負荷が増えるので、大規模経営において軽作業化は一層重要な課題である。さらに、従来の育苗方法は育苗箱を用いるため育苗箱の回収・洗浄の手間や保管場所が必要であり、かなりの労力的、心理的、時間的負担が生じている。忙しい春に播種をしなくてはならないなどの問題もある。

本研究では、これらの問題の解決のため、まずもみがら成型マットにハードニング種子と覆土を接着した軽量の種子付きマットを開発した。開発した種子付きマットを利用して、育苗箱を使わずに田植機用の苗を育成する箱なし育苗に適した苗床被覆資材、覆土量および育苗開始時の灌水量を明らかにした。次に、慣行の苗箱を利用した苗と同等の箱なし苗が得られる育苗期間と無加温平置育苗における被覆期間を明らかにした。また、箱なし苗と慣行苗の苗形質、移植精度、生育、収量を比較し、箱なし苗の実用性の評価を行った。最後に、現地試験において、箱なし苗育苗の作業時間、苗マットの形質、搬出・運搬を含む現場に近い条件における移植精度などを慣行苗と比較し、箱なし苗の優れた作業性を明らかにした。

本研究で得られた結果の概要は次の通りである。

1.開発すべき種子付きマットに求められる特性として、常温で数ヶ月保存可能で、出芽が早く苗の生育が良いことおよび軽量であることが挙げられる。そこで、保存可能で発芽が早いハードニング種子と覆土をもみがら成型マットに接着して種子付きマットを作成することを検討した。種子に対するハードニング処理と乾熱処理が発芽に与える効果、覆土が箱なし育苗における苗生育に与える影響および種子付きマットの保存性を検討し、以下の結果を得た。

(1)15 ℃の水に5日間浸漬したのち乾燥させる種子のハードニングと50 ℃で5日間または7日間の種子の乾熱処理は50 %発芽日数 (T50) を減少させた。休眠種子の場合、ハードニング前の乾熱処理はハードニング後の乾熱処理よりハードニングの効果を高めた。ハードニング処理は無処理に対して種子付きマットからの苗の茎葉乾物重を増加させた。

(2)マットに覆土を接着することにより、無覆土の場合に対して、箱なし育苗における種子付きマットの出芽率、苗丈、葉齢および茎葉乾物重が増加した。

(3)ハードニング種子は短いT50と95 %以上の発芽率を室温で120日間維持した。ハードニング種子を用いた種子付きマットは95 %以上の出芽率を208日間維持した。開発した種子付きマットは冬に製造して春の育苗時期まで保存できると判断された。

2.種子付きマットを用いて箱なし育苗する場合の育苗方法について検討した。箱なし苗は培土の水分を適切に保つ働きがある育苗箱を使用しないので、他の方法で水分を適切に保つ必要がある。種子付きマットの水分吸収と乾燥に影響を与える要因として、苗床被覆資材、覆土量および育苗開始時の灌水量に着目し、種子付きマットを用いた箱なし育苗に適した条件を検討して、以下の結果を得た。

(1)苗床被覆資材として防草シート、根切りシート、有孔ポリ、有孔ポリ2重、ポリエチレンマルチ (以下ポリマルチ) を用い、それらの上で箱なし育苗を行ったところ、ポリマルチで出芽勢が高く、苗の茎葉乾物重が大きかった。

(2)苗床被覆資材に用いたポリマルチの小孔の有無、覆土量300 g、400 gおよび500 g、育苗開始時の灌水量1.5 Lと3 Lを組み合わせて箱なし育苗を行った。苗床被覆資材は小孔なしのポリマルチ、覆土量は300 g~400 g、育苗開始時の灌水量は1.5 Lが適当と判断した。

(3)これらの条件で育苗した箱なし苗の葉齢と茎葉乾物重は慣行苗より劣る傾向が見られた。

3.箱なし苗が慣行苗より茎葉乾物重や葉齢がやや劣った主因は、慣行苗が催芽種子を用いているのに対して、種子付きマットがハードニング種子を用いているため、発芽が遅いことにある。そこで、箱なし苗の発芽の遅れによる生育不足を補償し、慣行苗と同等の苗が得られる育苗期間と被覆期間を検討した。さらに、そのような箱なし苗を田植機で移植し、欠株率、初期生育、収量等を慣行苗と比較し、現地試験も含めて実用性を検討して、次の結果を得た。

(1)育苗期間が慣行苗より4日~8日長く、被覆期間が除覆時苗丈3 cm~6 cmの時に慣行苗と同等の苗丈、葉齢、茎葉乾物重を持つ箱なし苗が得られたので、これを適正育苗条件とした。

(2)適正育苗条件で育苗した箱なし苗は、欠株率がやや高いことを除けば、慣行苗と苗生育、本田生育、収量、品質の点で同等であった。

4.現地試験において、箱なし苗と苗箱を用いた慣行苗をビニールハウス内の無加温平置出芽法にて育苗し、育苗準備に必要な作業時間、苗マットの形質を比較した。さらに、箱なし苗を丸めてトラックで運搬した上で移植精度等を慣行苗と比較し、箱なし苗の作業性を検討して、次の結果を得た。

(1)箱なし苗は、育苗準備の作業時間が苗20枚当たり20.7分と慣行の約1/3になり、苗箱の回収・洗浄・保管も不要となった。

(2)箱なし苗の苗マットの重量は2.8kgで慣行の半分以下であり、従来軽量苗として報告されているバーク堆肥を使った苗やもみがら成型マットを苗箱にいれて育成した苗より軽く、ハンドリングの軽作業化に大きな効果があった。

(3)箱なし苗を丸めてトラックで運搬した現地試験において、箱なし苗は慣行苗より欠株率が高かったものの、最大で7 %であり、苗運搬の影響は小さいと考えられた。

以上のとおり、本研究により、水稲の種子付きマットが開発され、それを用いて慣行苗と同等の形質の苗が得られる箱なし育苗技術が開発された。箱なし苗は収量、品質も慣行苗と同等であった。箱なし苗は苗箱の回収、洗浄、保管が不要であり、育苗準備の作業時間が短く、苗マットが軽くて苗のハンドリングの軽作業化に大きな効果があった。

審査要旨 要旨を表示する

水稲の移植栽培では担い手の高齢化や大規模化により、播種から移植の間の複数回にわたる重い苗箱の運搬が問題となっている。苗の運搬等の補助作業は高齢者や女性が担当することも多い。また、苗箱の数は作付面積に比例するため、大規模経営において軽作業化は一層重要な課題である。さらに、従来の育苗方法は育苗箱を用いるため育苗箱の回収・洗浄の手間や保管場所が必要であり、かなりの労力的、心理的、時間的負担が生じている。忙しい春に播種をしなくてはならないなどの問題もある。

本研究では、これらの問題の解決に資するため、まず、従来の土壌苗床の代わりに、もみがら成型マットにハードニング種子と覆土を接着した軽量の種子付きマットの開発を目指した。また、開発した種子付きマットを利用して行う箱なし育苗に適した苗床被覆資材、覆土量および育苗開始時の灌水量を検討した。次に、慣行の苗箱を利用した苗と同等以上の高品質な苗が得られる育苗期間と無加温平置育苗における被覆期間を検討した。また、箱なし苗と慣行苗の苗形質、移植精度、生育、収量を比較し、箱なし苗の実用性の評価を行った。最後に、現地試験において、箱なし苗育苗の作業時間、苗マットの搬出・運搬を含む現場に近い条件における移植精度などを慣行苗と比較し、箱なし苗の作業性を検討した。

開発すべき種子付きマットに求められる特性として、常温で数ヶ月保存可能で、出芽が早く苗の生育が良いことおよび軽量であることが挙げられる。第1章では、種子に対するハードニング処理と乾熱処理が発芽に与える効果、覆土が箱なし育苗における苗生育に与える影響および種子付きマットの保存性を検討した。その結果、(1)15 ℃の水に5日間浸漬したのち乾燥させる種子のハードニング処理と50 ℃で5日間または7日間の種子の乾熱処理によって休眠程度が減少し、発芽日数が短くなった。(2)マットに覆土を接着することにより、無覆土の場合に対して、箱なし育苗における種子付きマットの出芽率、苗丈、葉齢および茎葉乾物重が増加した。(3)ハードニング種子は95 %以上の発芽率を室温で120日間維持した。また、ハードニング種子を用いた種子付きマットは95 %以上の出芽率を208日間維持した。このため、開発した種子付きマットは冬に製造して春の育苗時期まで保存できると判断された。

第2章では、種子付きマットを用いて箱なし育苗する場合の育苗方法について検討した。箱なし苗は培土の水分を適切に保つ働きがある育苗箱を使用しないので、他の方法で水分を適切に保つ必要がある。種子付きマットの水分吸収と乾燥に影響を与える要因として、苗床被覆資材、覆土量および育苗開始時の灌水量に着目し、種子付きマットを用いた箱なし育苗に適した条件を検討した。その結果、(1)苗床被覆資材として防草シート、有孔ポリ、ポリエチレンマルチ (以下ポリマルチ) などを用い、それらの上で箱なし育苗を行ったところ、ポリマルチで出芽勢が高く、苗の茎葉乾物重が大きかった。(2)苗床被覆資材に用いたポリマルチの小孔の有無、覆土量300 g、400 gおよび500 g、育苗開始時の灌水量1.5 Lと3 Lを組み合わせて箱なし育苗を行ったところ、苗床被覆資材は小孔なしのポリマルチ、覆土量は300 g~400 g、育苗開始時の灌水量は1.5 Lが適当であった。しかし、(3)これらの条件で育苗した箱なし苗の葉齢と茎葉乾物重は慣行苗より劣る傾向が見られた。

箱なし苗が慣行苗より茎葉乾物重や葉齢がやや劣った主因は、慣行苗が催芽種子を用いているのに対して、種子付きマットがハードニング種子を用いているため、発芽が遅いことにある。そこで、第3章では、箱なし苗の発芽の遅れによる生育不足を補償し、慣行苗と同等以上の苗が得られる育苗期間と被覆期間を検討した。さらに、そのような箱なし苗を田植機で移植し、欠株率、初期生育、収量等を慣行苗と比較した。その結果、(1)育苗期間が慣行苗より4日~8日長く、被覆期間が除覆時苗丈3 cm~6 cmの時に慣行苗と同等以上の苗丈、葉齢、茎葉乾物重を持つ箱なし苗が得られたので、これを適正育苗条件とした。(2)適正育苗条件で育苗した箱なし苗は、欠株率がやや高いことを除けば、慣行苗と苗生育、本田生育、収量、品質の点で同等であった。

第4章では、現地試験を行い、箱なし苗と苗箱を用いた慣行苗をビニールハウス内の無加温平置法にて育苗し、育苗準備に必要な作業時間、苗マットの形質を比較した。さらに、箱なし苗を丸めてトラックで運搬した上で移植精度等を慣行苗と比較し、箱なし苗の作業性を検討した。その結果、(1)箱なし苗は、育苗準備の作業時間が苗20枚当たり20.7分と慣行の約1/3になり、苗箱の回収・洗浄・保管も不要となった。(2)箱なし苗の苗マットの重量は2.8kgで慣行の半分以下であり、ハンドリングの軽作業化に大きな効果があった。(3)箱なし苗は慣行苗より欠株率が最大で7 %と高かったものの、収量には影響を与えなかった。

以上、本研究において、水稲の種子付きマットが開発され、それを用いて慣行苗と同等の形質の苗が得られる箱なし育苗技術が開発された。箱なし苗は収量、品質も慣行苗と同等であるばかりでなく、育苗準備の作業時間が短く、苗マットが軽く苗のハンドリングの軽作業化に大きな効果があった。更に、苗箱の回収、洗浄、保管も不要となった。以上、本研究で得られた知見は、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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