学位論文要旨



No 217612
著者(漢字) 李,永實
著者(英字)
著者(カナ) リ,ヨンシル
標題(和) 肥満とII型糖尿病に作用する生理活性物質の探索とその作用機構の解析
標題(洋)
報告番号 217612
報告番号 乙17612
学位授与日 2012.02.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17612号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 加藤,久典
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 特任教授 矢ヶ崎,一三
 中部大学 教授 禹,済泰
内容要旨 要旨を表示する

肥満は過剰なエネルギーをトリグリセリド(TG)として脂肪組織に蓄積した状態で、その原因は、エネルギー摂取とエネルギー消費のアンバランスにある。インスリン抵抗性は、インスリンの標的臓器(骨格筋,脂肪組織,肝臓)において、その作用効率が低下している状態として定義され、2型糖尿病の重要な原因である。肥満やインスリン抵抗性は、糖尿病や高脂血症、高血圧、動脈硬化といったメタボリックシンドロームの発症と密接に関連していることから、これらの予防と治療が重要な課題と考えられる。

肥満およびインスリン抵抗性は、脂肪細胞機能の異常が原因であるという証拠が蓄積されてきている。脂肪組織は余剰エネルギーを中性脂肪として蓄積する貯蔵器官であり、エネルギーが必要なときにこれを分解して遊離脂肪酸として血中へ放出し、エネルギー源として供給する。また脂肪細胞は、食後に糖取り込みを促進して血糖値調節にも関わる。さらに、脂肪細胞はアディポカインと呼ばれる生理活性物質を分泌し、身体のホメオスタシス維持における多様な機能を有する。しかし肥満となれば、脂肪組織に備わる脂質や糖の代謝調節機能異常、及びアディポカイン分泌調節機能異常が生じやすくなり、その結果、脂肪細胞への糖取り込みの減少、脂肪分解増加による遊離脂肪酸の分泌増加、及びアディポカイン調節不全によって脂肪細胞のインスリン抵抗性が惹起される。脂肪細胞のインスリン抵抗性は、骨格筋における糖取り込みの低下や、肝臓における糖新生の増加を引き起こす原因であり、脂肪細胞の機能を調節することが、肥満とインスリン抵抗性改善に有用であると考えられる。

本研究では、動物モデルと脂肪細胞を用いて、肥満とインスリン抵抗性を予防もしくは改善する効果を有する天然素材を探索し、それらが脂肪細胞の機能を調節する分子メカニズムについて解析をおこなった。その結果、高麗人参抽出物とシークワーサー果皮抽出物に、高脂肪食肥満マウスにおいて抗肥満効果と脂質代謝改善効果があることを見出した。また、シークワーサー成分であるnobiletin とシンイ成分であるfargesinに、肥満・糖尿モデルob/obマウスと高脂肪食肥満マウスにおいて、抗肥満および脂質代謝改善の効果、さらにはインスリン抵抗性改善効果があることを見出した。

第1章の序論では、メタボリックシンドローム、肥満と脂肪細胞の機能、糖尿病とインスリン抵抗性について、既知の知見を述べた。

第2章では、高脂肪食肥満マウスにおける肥満と脂質代謝に対する高麗人参抽出物混餌投与の影響について検討した。高麗人参抽出物には、高脂肪食肥満マウスの体重増加や脂肪組織重量と白色脂肪組織のサイズを減少させる効果があることがわかった。また、血中TG濃度とレプチン濃度を低下させる作用もあることを確認した。高麗人参抽出物による抗肥満効果の分子メカニズムを検討するため、白色脂肪組織において脂質代謝関連因子の遺伝子とタンパク質の発現を検討したところ、脂質合成関連因子であるPPARγ2 とSREBP-1の遺伝子とタンパク質の発現、これらのターゲット遺伝子であるLPL, FASやSCD-1の発現、TG合成の最終酵素であるDGAT-1の遺伝子発現が減少することを確認した。腸において膵リパーゼの活性を抑制することにより脂質吸収を低下させ、その結果肥満を予防する効果が推定された。また、脂質の経口投与の結果より、高麗人参抽出物には腸の脂質吸収を抑制する効果が認められた。これらの結果から、高麗人参抽出物には抗肥満効果と脂質代謝改善効果があることが示唆され、そのメカニズムとして腸からの脂質吸収を抑制または遅延させることで体内への脂肪輸送を低下させ、脂肪組織における脂肪合成関連遺伝子の発現を減少させて、脂質合成を低下させるためであると考えられた。

第3章では、高脂肪食肥満マウスにおける肥満と脂質代謝に対するシークワーサー果皮抽出物混餌投与の効果について検討した。シークワーサー果皮抽出物には、高脂肪食肥満マウスにおける体重減少作用と、内臓脂肪重量と白色脂肪組織の細胞サイズを減少させる効果があり、血中TG濃度、レプチン濃度を低下させる効果もあった。シークワーサー果皮抽出物摂取により観察された抗肥満作用の分子メカニズムを検討するため、肝臓と白色脂肪組織において脂質代謝関与伝子の発現を検討した。その結果、肝臓において、脂質合成関連遺伝子(SREBP-1c、FASなど)の発現が減少する傾向が見られ、脂肪組織においては脂肪合成関与遺伝子であるaP2やFATP、SCD-1、ACC-1、DGAT-1の発現が減少することを確認した。これらの結果より、シークワーサー果皮抽出物には抗肥満効果と脂質代謝改善効果があることが示唆され、これは肝臓と脂肪組織における脂肪合成関連遺伝子の発現を減少させたためであると考えられる。

第4章では、肥満・糖尿病モデルob/obマウスと高脂肪食肥満マウスにおける肥満とインスリン抵抗性に対するnobiletinの効果を検討した。第4-1節では、肥満・糖尿病マウスob/obにおいて、nobiletinは、血中インスリン濃度を低下させる傾向が見られ、血中glucose濃度(非絶食時と絶食時)を低下させる効果があった。さらに、nobiletinによりインスリン抵抗性指標であるhomeostasis model assessment(HOMA)と耐糖能が改善された。Nobiletinを投与すると、ob/obマウスの白色脂肪組織と筋肉において、インスリンシグナルの下流であるAktのリン酸化が増加し、glucose transporter 4タンパク質のplasma membraneへの移動が増加した。また、白色脂肪組織において、PPARγ とそのターゲット遺伝子の発現が増加し、アディポネクチンの遺伝子発現が増加し、MCP-1とIL-6などの炎症性サイトカインの遺伝子発現が減少した。肝臓において、nobiletinが糖新生に及ぼす影響を検討したところ、関連するPEPCKやG6Paseの遺伝子発現が減少したが、これらのタンパク質の発現には有意な変化はなかった。

第4-2節では、高脂肪食肥満マウスにおけるnobiletin摂取の影響を解析した。Nobiletinは体重、脂肪組織重量や白色脂肪組織のサイズを減少させた。さらに血中TGとglucose濃度を低下させ、耐糖能を改善させる活性があることも示された。Nobiletin投与により、高脂肪食肥満マウスの白色脂肪組織において、PPARα、γなどの脂質代謝に関与する因子の発現が増加した。さらに、高脂肪食肥満マウスの白色脂肪組織において、インスリンシグナルの下流であるAktのリン酸化が増し、glucose transporter 4タンパク質の発現が増加した。また、白色脂肪組織において、アディポネクチン遺伝子発現が増加し、の炎症性サイトカインTNF-αとMCP-1の遺伝子発現が減少した。

以上の結果から、nobiletinには、抗肥満効果と脂質代謝改善効果、糖代謝やインスリン抵抗性改善効果があることが示され、そのメカニズムとして脂肪代謝関与遺伝子の発現調節、インスリンシグナルの亢進及びアディポカイン調節が関与していると考えられた。

第5章では、生薬のMagnolia flos から分離・精製されたリグナン化合物であるfargesinについて、高脂肪食肥満マウスにおける肥満とインスリン抵抗性に対するfargesinの効果を検討した。Fargesinは、高脂肪食肥満マウスにおいて体重や脂肪組織重量、血中のFFAとTG濃度、glucose濃度を低下させる効果があり、さらに耐糖能を改善させる効果があることも示された。Fargesinにより糖代謝改善効果が示唆されたため、3T3-L1脂肪細胞と白色脂肪組織において糖取り込みに関連するインスリンシグナルとAMPK経路の解析を行ったところ、fargesin添加により、インスリンシグナルの下流であるAktのリン酸化とglucose transporter 4タンパク質の発現が増加し、AMPKとACCのリン酸化も増加した。さらに、fargesin添加によりTNF-α、MCP-1などの炎症性サイトカインの遺伝子発現が減少した。これらの結果から、fargesinは、抗肥満効果、脂質や糖代謝の改善効果、インスリン抵抗性改善効果があることが示され、そのメカニズムとしてインスリンシグナルとAMPK経路の促進、及びアディポカイン調節が関与していると考えられる。

以上の研究結果より、高麗人参抽出物とシークワーサー果皮抽出物は、肥満を予防し、脂質代謝を改善する効果を有する食品素材であることが示された。さらにnobiletin とfargesinは、肥満予防および脂質代謝改善のみならず、糖代謝及びインスリン抵抗性を改善する作用を持つ天然化合物であることも示された。

Fig.1. Effect of Korean ginseng extracts, Shiikuwasa extracts, nobiletin and fargesin on obesity and insulin resistance in animal models

審査要旨 要旨を表示する

肥満は、糖尿病や高脂血症、高血圧、動脈硬化といったメタボリックシンドロームの発症と密接に関連していることから、その予防と治療が重要な課題となっている。脂肪細胞は、エネルギーを貯蔵するという役割に加え、血糖値の調節やアディポカインと呼ばれる生理活性物質の分泌など、多様な機能を有する。肥満は、脂肪組織のインスリン抵抗性を引き起こし、それはさらに骨格筋や肝臓の糖代謝異常を伴い、II型糖尿病を惹起する。そのため、脂肪細胞の機能を調節することは、各種生活習慣病予防において重要であると考えられ、特に食品成分の有効な利用が望まれる。本論文では、肥満およびII型糖尿病の予防もしくは改善効果を有する天然素材を探索し、それらが脂肪細胞の機能を調節する分子機構について解析をおこなったものである。

第1章の序論では、関連分野の既知の知見を述べ、研究の目的について記述した。

第2章では、高脂肪食肥満マウスにおける肥満と脂質代謝に対する高麗人参抽出物(KGE)混餌投与の影響について検討した。KGEには白色脂肪組織重量と白色脂肪細胞のサイズを減少させる効果が認められた。また、血中トリグリセリド(TG)濃度とレプチン濃度を低下させる作用も観察された。その分子機構を遺伝子発現の変化を中心に検討したところ、脂質合成関連因子であるPPARγ2 とSREBP-1の遺伝子発現とタンパク質量が低下しており、さらにこれらの因子のターゲットであり脂質代謝に関わるLPL, FASやSCD-1、DGAT-1をコードする遺伝子の発現がKGE投与で減少することを確認した。さらにKGEには腸の脂質吸収を抑制する効果が認められた。これらの結果から、KGEは、脂質吸収の抑制や脂肪合成関連遺伝子の発現減少を介して抗肥満効果と脂質代謝改善効果を発揮すると考えられた。

第3章では、高脂肪食肥満マウスにおいてシークワーサー果皮抽出物(SE)混餌投与の効果を検討した。SEには、体重減少作用と、内臓脂肪重量と白色脂肪組織の細胞サイズを減少させる効果があり、血中TG濃度、レプチン濃度を低下させる効果もあった。抗肥満作用の分子メカニズムを検討したところ、肝臓における脂質合成関連因子(SREBP-1c、FASなど)の遺伝子の発現が減少する傾向が見られ、脂肪組織においては脂肪合成に関与する様々な遺伝子の発現が減少することを見出した。これらの結果より、SEは肝臓や脂肪組織における脂肪合成関連遺伝子の制御を介して、抗肥満効果と脂質代謝改善効果を示すと考えられた。

nobiletinは柑橘類に多く含まれるポリメトキシフラボンである。第4章では、nobiletinを精製し、肥満モデルマウスに混餌投与し、肥満とインスリン抵抗性に対する効果を検討した。まず、肥満・糖尿病モデルであるob/obマウスにおける検討で、nobiletinは、血中glucose濃度を低下させ、インスリン抵抗性指標であるHOMA値と耐糖能を改善させた。また白色脂肪組織と筋肉において、インスリンシグナルの下流因子Aktのリン酸化と糖輸送体GLUT4の細胞膜への移動が増加した。また、白色脂肪組織において、PPARγとそのターゲットをコードする遺伝子、およびアディポネクチンの遺伝子発現が増加し、炎症性サイトカインの遺伝子は発現が減少した。一方、高脂肪食肥満マウスにおいて、nobiletin摂取は体重、脂肪組織重量や白色脂肪組織のサイズを減少させた。さらに血中TGとglucose濃度を低下させ、耐糖能を改善させる活性があることも示された。nobiletin投与により、PPARα、γなどの脂質代謝に関与する因子の発現が増加していた。さらに、白色脂肪組織におけるAktのリン酸化とGLUT4量が増加した。また、白色脂肪組織でのアディポネクチンの遺伝子発現が増加し、炎症性サイトカインTNF-αとMCP-1の遺伝子が発現低下していた。

以上の結果から、nobiletinは、インスリンシグナルの亢進及びアディポカイン調節、脂肪代謝関与遺伝子の発現調節を介して、抗肥満効果と脂質代謝改善効果、糖代謝やインスリン抵抗性改善効果を示すと考えられた。

第5章では、生薬のシンイ(Magnolia biondii)から分離・精製されたリグナン化合物であるfargesinについて、その効果を検討した。3T3-L1脂肪細胞においてfargesinは、糖取り込みを増加させ、TNF-α により誘導される脂肪分解を抑制した。高脂肪食肥満マウスにおいて体重や脂肪組織重量、血中の遊離脂肪酸とTG濃度、glucose濃度を低下させ、さらに耐糖能も改善させた。白色脂肪組織においてAkt、AMPK、ACCのリン酸化とGLUT4量がfargesin摂取により増加しており、TNF-α、MCP-1などの炎症性サイトカインの遺伝子の発現は減少していた。fargesinは、インスリンシグナルとAMPK経路の促進及びアディポカインの調節によって、抗肥満効果と脂質や糖代謝の改善効果を示すと考えられた。

以上、本研究は、柑橘類や生薬およびその成分が肥満や糖尿病の予防や軽減において有効であることを示し、生活習慣病予防における新たな手段の可能性を提供するもので、学術的、応用的に貢献するところは少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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