学位論文要旨



No 217614
著者(漢字) 松田,一乗
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,カズノリ
標題(和) rRNAを標的とした定量的RT-PCR法によるヒト腸内細菌叢の解析法の開発
標題(洋)
報告番号 217614
報告番号 乙17614
学位授与日 2012.02.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17614号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 関崎,勉
 東京大学 教授 松本,芳嗣
 東京大学 教授 小柳津,広志
 日本獣医生命科学大学 教授 藤澤,倫彦
内容要旨 要旨を表示する

ヒトの腸管内には多種多様な細菌群がバランスを保ちながら生息しており,この複雑な微生物群集は総称して腸内細菌叢と呼ばれる。腸内細菌叢はさまざまな生理活性を有しており,それゆえに宿主であるヒトの健康と密接な関係がある。腸内細菌叢の機能を明らかにするには,この複雑多様な生態系の構成を正確に把握することが重要である。

これまで腸内細菌叢の構成の解析は主に培養法により行われてきたが,本細菌叢は数百種類の微生物から構成されること,その構成は各個人に固有でありかつ安定していること,生息レベルは菌種により糞便 1 gあたり102から1011 個に及ぶ範囲で多様なこと,などが明らかとなっている。しかしながら,培養法による解析には,すべての細菌を培養できない,従来の分類・同定法は正確性を欠く,解析作業に多大な労力と時間を要する,などの欠点があった。一方で,近年,16S rRNA遺伝子の塩基配列に基づく細菌の系統分類が確立され,この遺伝子を標的としたさまざまな分子生物学的手法[FISH法,ランダムシーケンス法,フィンガープリント法,定量的PCR(qPCR)法,等]が腸内細菌叢の研究に幅広く用いられるようになった。これらの方法を用いて,腸内に生息する難培養菌を含む多くの細菌を培養することなしに検出・同定・定量することが可能となったが,一方で当該手法は検出限界が高いため腸内に低い菌数レベルで存在する細菌の検出には不向きであった。そこで本研究では,ヒト腸内細菌を低い菌数で存在する菌群も含めて網羅的に定量できる手法として,細菌がその細胞内に多コピーを有するrRNAを標的とした定量的RT-PCR(RT-qPCR)法による腸内細菌叢解析システムの構築を試みた。

第1章の研究では,rRNAを標的としたRT-qPCRによる高感度定量法の確立を行った。16Sまたは23S rRNA遺伝子配列をもとにEnterobacteriaceae,Enterococcus,Staphylococcus,Clostridium perfringens,およびPseudomonasを標的としたプライマーを新規に作製するか,または既報の情報にもとづいて合成した。本プライマーを用いたRT-qPCR法により標的細菌を定量的に検出することができ,その感度は従来のqPCR法に対して64倍から1,024倍高かった。すなわち,RT-qPCR法はヒト糞便中のEnterobacteriaceaeおよびP. aeruginosaを103 個/g 糞便の感度で定量することが可能であった。さらに,RT-qPCR法による菌数測定の結果は,菌体の増殖時期に関わらず培養法あるいは細胞膜の安定性で評価される生菌測定法による菌数とよく一致することが確認された。また,RT-qPCR法によりヒト末梢血に添加されたS. aureusおよびP. aeruginosaを血液 1 ml中2 個の感度で定量可能であった。上記の結果から,rRNAを標的としたRT-qPCR法はヒト糞便および血液中の細菌を正確,高感度,簡便に定量可能であることが示唆された。

第2章の研究では,rRNAを標的としたRT-qPCR法によるヒト腸内細菌叢の高感度な解析システムの構築を行った。16S rRNA遺伝子配列をもとにLactobacillus 9サブグループ,Enterococcus,およびStaphylococcusを特異的に定量するためのプライマーを新たに作製した。また,C. perfringens,Enterococcus,およびStaphylococcusについて,前章の研究で作製したプライマーの改良を行った。これらの新規プライマーと既報の腸内優勢菌6菌群(Clostridium coccoides group,Clostridium leptum subgroup,Bacteroides fragilis group,Bifidobacterium,Atopobium cluster,Prevotella)の特異的プライマーを用いたRT-qPCR法により健常成人40名の糞便を解析した。その結果,本手法は標的とする細菌を102から104 個/g 糞便の検出感度で定量できることが確認された。さらに,この測定結果を従来法と比較したところ,RT-qPCR法による最優勢菌群の測定菌数はqPCR法による結果と同等であった。一方,菌数レベルが低い細菌については,RT-qPCR法はqPCR法あるいは培養法よりもはるかに高感度にこれらを定量することができた。さらに,Lactobacillus属細菌をサブグループ・菌種別に解析したところ,ヒト一人あたり平均で4.6種類のサブグループ・菌種が106.3 個/g 糞便の菌数レベルで存在することが明らかとなった。上記結果より,RT-qPCR法はヒト腸内の優勢菌群および低い菌数レベルで存在する細菌を網羅的にしかも正確に解析できる有効な手法であることが認められた。

第3章の研究では,RT-qPCRによるヒト腸内のカタラーゼ陰性,グラム陽性球菌の解析システムを構築し,ヒト糞便におけるそれらの分布を解析した。16Sまたは23S rRNA遺伝子配列をもとにEnterococcus,Streptococcus,およびLactococcusのサブグループあるいは菌種特異的プライマーを新たに作製し,これらと既報の菌属・菌種特異的プライマーを用いたRT-qPCR法により健常成人24名の糞便を解析した。その結果,EnterococcusおよびStreptococcusは,全被験者からそれぞれ平均で106.2 個/g 糞便および107.5 個/g 糞便の菌数レベルで検出された。サブグループまたは菌種特異的プライマーを用いてさらに詳細に解析したところ,Streptococus属細菌としてはS. salivariusが健常成人の腸管内に広く分布していること,Enterococcus属細菌についてはE. avium subgroup,E. faecium subgroup,E. faecalis,E. casseliflavus subgroup,およびE. caccaeが同程度の菌数レベルおよび頻度で検出され,その分布が多様なことが明らかとなった。また,Lactococcusの菌数レベルおよび検出頻度はいずれも低く(平均菌数 104.6 個/g 糞便,検出頻度 33%),L. lactis subsp. lactis,L. lactis subsp. cremoris, L. garvieae, L. piscium,およびL. plantarumがその構成菌種として同定された。

以上より,本研究で構築したrRNAを標的としたRT-qPCR法は,腸内細菌叢を高感度かつ網羅的に解析する方法として非常に有効であることが示された。本手法により,腸内細菌叢の形成に影響を及ぼす因子や,腸内細菌叢と健康や腸疾患との関連性をより詳細に調べることができると考えられ,これらの研究に飛躍的な進展を生むことが期待される。また,本手法は,その高い検出感度と迅速性から,食品衛生や臨床検査領域において非常に有効な細菌検出法となり得る可能性も示唆されたことから,当該領域における応用研究も今後の重要な検討課題と考えられる。

以上

審査要旨 要旨を表示する

ヒトの腸管内には多種多様な細菌群がバランスを保ちながら生息しており,この複雑な微生物群集は総称して腸内細菌叢と呼ばれる。腸内細菌叢はさまざまな生理活性を有しており,それゆえに宿主であるヒトの健康と密接な関係がある。腸内細菌叢の機能を明らかにするには,この複雑多様な生態系の構成を正確に把握することが重要である。これまで腸内細菌叢の構成の解析は主に培養法により行われてきたが,本法には,すべての細菌を培養できない,従来の分類・同定法は正確性を欠く,解析作業に多大な労力と時間を要する,などの欠点があった。一方で,近年,16S rRNA遺伝子を標的としたさまざまな分子生物学的手法が腸内細菌叢の研究に幅広く用いられるようになった。これらの方法を用いて,腸内に生息する難培養菌を含む多くの細菌を培養することなしに検出・同定・定量することが可能となったが,一方で当該手法は検出限界が高いため腸内に低い菌数レベルで存在する細菌の検出には不向きであった。本論文では,ヒト腸内細菌を低い菌数で存在する菌群も含めて網羅的に定量できる手法として,細菌がその細胞内に多コピーを有するrRNAを標的とした定量的RT-PCR(RT-qPCR)法による腸内細菌叢解析システムの構築を目的とした研究である。

第1章の研究ではRT-qPCRによる高感度定量法の確立を行った。16Sまたは23S rRNA遺伝子配列をもとにEnterobacteriaceae,Enterococcus,Staphylococcus,Clostridium perfringens,およびPseudomonasを標的としたプライマーを新規に作製するか,または既報の情報にもとづいて合成した。本プライマーを用いたRT-qPCR法により標的細菌を定量的に検出することができ,その感度は従来のqPCR法に対して64倍から1,024倍高かった。すなわち,RT-qPCR法はヒト糞便中のEnterobacteriaceaeおよびP. aeruginosaを103 個/g 糞便の感度で定量することが可能であった。さらに,RT-qPCR法による菌数測定の結果は,菌体の増殖時期に関わらず培養法あるいは細胞膜の安定性で評価される生菌測定法による菌数とよく一致することが確認された。上記の結果から,RT-qPCR法はヒト糞便中の細菌を正確,高感度,簡便に定量可能であることが示唆された。

第2章の研究ではRT-qPCR法によるヒト腸内細菌叢の高感度な解析システムの構築を行った。前章に続きプライマーの作製を行い,Lactobacillusのサブグループあるいは菌種特異的プライマーを新たに作製するとともに,C. perfringens,Enterococcus,およびStaphylococcus特異的プライマーの改良を行った。これらの新規プライマーと既報の腸内優勢菌6菌群の特異的プライマーを用いたRT-qPCR法により健常成人40名の糞便を解析した。この測定結果を従来法と比較したところ,RT-qPCR法による最優勢菌群の測定菌数はqPCR法による結果と同等であった。一方,菌数レベルが低い細菌については,RT-qPCR法はqPCR法あるいは培養法よりもはるかに高感度にこれらを定量することができた。さらに,Lactobacillus属細菌をサブグループ・菌種別に解析したところ,ヒト一人あたり平均で4.6種類のサブグループ・菌種が106.3 個/g 糞便の菌数レベルで存在することが明らかとなった。上記結果より,RT-qPCR法はヒト腸内の優勢菌群および低い菌数レベルで存在する細菌を網羅的にしかも正確に解析できる有効な手法であることが認められた。

第3章の研究ではRT-qPCR法によるヒト腸内のカタラーゼ陰性,グラム陽性球菌の解析システムを構築し,ヒト糞便におけるそれらの分布を解析した。16Sまたは23S rRNA遺伝子配列をもとにEnterococcus,Streptococcus,およびLactococcusのサブグループあるいは菌種特異的プライマーを新たに作製し,これらと既報の菌属・菌種特異的プライマーを用いたRT-qPCR法により健常成人24名の糞便を解析した。その結果,EnterococcusおよびStreptococcusは,全被験者からそれぞれ平均で106.2 個/g 糞便および107.5 個/g 糞便の菌数レベルで検出された。サブグループ・菌種別に解析したところ,Streptococus属細菌としてはS. salivariusが広く分布していること,Enterococcus属細菌についてはE. avium subgroupをはじめとする複数のサブグループ・菌種が同程度の菌数レベルおよび頻度で検出され,その分布が多様なことが明らかとなった。また,Lactococcusの菌数レベルおよび検出頻度はいずれも低く(平均菌数 104.6 個/g 糞便,検出頻度 33%),L. lactis subsp. lactisをはじめとする4菌種5亜種がその構成菌種として同定された。

以上より,本論文で構築したrRNAを標的としたRT-qPCR法は,腸内細菌叢を高感度かつ網羅的に解析する方法として非常に有効であることが示された。本研究の成果が腸内細菌叢の形成に影響を及ぼす因子や,腸内細菌叢と健康や腸疾患との関連性をより詳細に調べることができると考えられ,これらの研究に飛躍的な進展を生むことが期待される。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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