学位論文要旨



No 217618
著者(漢字) 川村,大
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,フトシ
標題(和) 古代語ラル形述語文の研究
標題(洋)
報告番号 217618
報告番号 乙17618
学位授与日 2012.02.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17618号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾上,圭介
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 教授 月本,雅幸
 東京大学 准教授 井島,正博
内容要旨 要旨を表示する

動詞にいわゆる助動詞レル・ラレル、ル・ラル、ユ、ラユの下接した形(以下、「動詞〔ラレル〕形」と総称する)は、古代語においても現代語においても、受身・自発・可能等を表す多義の形式として知られている。しかし、その史的展開の詳細についてはなお不明な点が多い。動詞〔ラレル〕形述語文全体を対象とした通時的研究が必要だが、その前提となるべき記述の枠組も十分に整っているとは言えず、記述の枠組みを支えるべき理論的な見解も十分に検証されているとは言えないように思われる。少なくとも、以下の3点についての検討が必要である。

第一に、受身文の本質把握をめぐる問題である。今日、受身文は《対象》あるいは《被影響者》が主語に立ち、《行為者》が非主語位置に立つという、構文的な特徴によって規定されている。しかし、自発文や可能文の一部にも、《対象》項が主語に立つものが少なくない。〔ラレル〕形述語文の一種として受身文を見ようとする際には、自発文や可能文が意味によって規定されている以上、受身文もまた意味によって規定するのが有効である。しかし、どのような意味的特徴をもって受身文の本質と了解すべきか、ということに関する先行の議論はほとんどなく、意味による受身文規定を検討するためには、受身文研究史を「意味」の観点を主軸として全面的に見なおす必要がある。(以上、「課題I」と呼ぶ)

第二に、文献上遡り得るもっとも古い時代である奈良・平安時代の「動詞+ル・ラル、ユ・ラユ」の形(以下、「動詞ラル形」と呼ぶ)の諸用法について、従来認められている諸用法を精密に規定しなおし、必要に応じて新規に別用法を認めるとともに、今日までの知見の蓄積に基づいて、意味・構文の両面にわたって精密に記述する必要がある。(以上、「課題II」と呼ぶ)

第三に、ラル形述語文の多義の構造をめぐって、意味の面のみならず、主語に立ち得る名詞項の意味的立場や格表示といった構文面の現象をも説明し得る解釈が必要である。(以上、「課題III」と呼ぶ)

上記の3つの課題は、それぞれ独立の必要性を有しつつ、互いに他の二者無しでは存立し得ない関係にあり、どれか一つだけを単独で解決することはできない。本論文は、この3つの課題を同時に取り上げ、論じるものである。

第一章で上記の問題意識を提示した後、第二章では課題I(意味面に注目した受身文研究史の全体的把握と、それに基づいた受身文の本質理解)を論ずる。まず、意味的特徴から見た受身文の下位分類をめぐって、従来2つの立場があることに注目する。すなわち、〈はた迷惑〉という意味の有無に注目するもの(以下、「立場A」と呼ぶ)と、〈被影響〉という意味の有無に注目するもの(以下、「立場B」と呼ぶ)の2つである(以上、二・二)。両者はそれぞれ背景に異なる問題関心を有し、互いに独立の立場であるが、そのことを、それぞれの立場の史的展開を詳細に追い(二・三~二・五)、また、立場Aの論者による立場Bに対する理解、批判の内容を検討する(二・六)ことで確認する。以上の結果を踏まえ、意味的特徴に注目した受身文規定に際しても、「〈はた迷惑〉という特別な意味を帯びない受身文こそが典型的な受身文だ」と規定する立場(立場A)(これは実は「他動詞文の目的語が主語に立っている受身文こそが受身文だ」と考える立場である)と、「〈被影響〉という意味を帯びる」ものが受身文だと規定する立場(立場B)という、2つの立場があり、受身文を意味で規定する際にはそのどちらかの立場に決定的に立たざるを得ないこと、どちらの立場に立つ場合でも、従来「受身文」と呼ばれてきた文の一部が再定義された受身文からは排除されざるを得ないことなどを確認する(二・七・一)。その上で、古代語ラル形述語文における「受身文」の状況を参照しつつ、本論文は基本的に立場Bの了解に立って、受身文を「〔ラレル形〕述語を持つ文のうち、"(有情の)主語者が感じる被影響感"としての〈被影響〉を表すもの」と規定する(二・七・二)。この規定は、直接には先行する議論(尾上(2003)「ラレル文の多義性と主語」ほか)に基づいたものであるが、〈被影響〉の内実を「(有情の)主語者が感じる被影響感」として、精密化を図っている。

第三章では、上代から11世紀初頭ごろまでの和歌・物語等を資料とし、課題II(動詞ラル形述語文の諸用法の整理・確認と、各用法の意味・構文両面にわたる精密な記述)に取り組む。内容は以下の3点にまとめられる。

(1) 従来認められている受身・自発・可能・尊敬の4用法を意味的特徴によって再度規定しなおす(受身用法は第二章で採用した規定に従う)。その他に2つの用法を新たに認める。第一に、「浮海松の浪に寄せられたる」(伊勢)など、古代語に見られるいわゆる非情物主語受身文(の一部)は、意味・文法上他の受身文とは異質である。そのことを根拠に「受身用法」から除き、「発生状況描写用法」として別立てする(三・二・五、三・二・六)。第二に、「かうだにわきまへしられ侍る」(枕)など、「行為者が実現を目指して仕掛けた行為が、行為者の意図どおり実現する」ことを表す文は従来「可能文」の一種と見なされているが、表す意味が狭義の可能文とは明らかに異なることから、「可能用法」から除き、「意図成就用法」として別立てする(三・四・二)。

(2) 各用法について名詞項の格表示形式を記述する。その結果、諸用法は《行為者》項の格表示形式に注目すると次の3つの類に分けられることを指摘する(三・六・一)。

自発用法・意図成就用法・可能用法:《行為者》は必ず格助詞φ

受身用法・発生状況描写用法:《行為者》は必ず格助詞ニを伴う

尊敬用法:《行為者》項は格助詞φかあるいはノを伴う

さらに、自発・意図成就・可能の3用法については、現代語と異なり、《対象》項の格表示(φ・ガ・ノ・ヲ)や述語動詞の種類が共通だと言ってよいことを指摘する(三・三・三、三・四・四)。

(3) その他、間接受身文や自発、意図成就、可能、尊敬の各用法をめぐる重要な論点について、先行説を参照しつつ本論文の見解を提出している(三・二・四、三・三・四、三・四・三、三・五・二)。

第四章では、課題III(動詞ラル形述語文の多義の構造に関する解釈)を論ずる。まず、〔ラレル〕形述語文の多義の構造の説明をめぐっては、互いに異次元に存在する諸用法を統一的に把握する枠組みを構築する必要があると同時に、用法ごとに取る格体制の異同について、何らかの説明を与える必要があることを指摘する(四・一)。次に、従来の諸説には、上記の2つの要請を十分に克服したものがないことを確認する(四・二)。その上で、この2つの要請を共に解決し得る理論的枠組みとして、「出来文」説(尾上前掲論文)をとりあげる(四・三)。同説は、現代語と古代語とを問わず〔ラレル〕形述語文のすべてに対して有効な議論として提案されているが、主として現代語を対象にして議論を展開しており、古代語について有効かどうかは別途検証の必要がある。検証の結果、各用法が現れる論理や、各用法の位置関係、また、第三章で指摘した用法と格体制との相関について、「出来文」説によって古代語についても有効な説明が可能であることを確認する(四・三・三~四・三・五)。そして、「出来文」説によって古代語ラル形述語文の多義の構造を説明することの有効性を4点指摘し、併せて、「出来文」説は現代語よりも古代語において一層有効であることを指摘する(四・三・六)。四・五では補説として、助動詞ユ・ルが自動詞派生語尾由来であるという現在の有力説を受け、助動詞ユ・ルが自動詞語尾から形成される過程について、「出来文」説の立場から見通しを述べる。

第五章では、第二章~第四章の議論の成果に基づいて、ラル形述語の類義形式である動詞見ユ・聞コユ・思ユ(思ホユ)の諸用法を記述する。そして、この三つの動詞がラル形述語と同様の語的性格を持つ動詞(語彙的出来動詞)であると見てよいことを確認する。

本論文の中心をなす第二章~第四章の議論の成果は、それぞれラル形述語文(ひいては現代語を含む〔ラレル〕形述語文)の研究にとって独立の意義を有する。第二章(課題I)は、受身文研究史の詳細な記述と共に、現代の受身文研究に決定的に欠けている、妥当な受身文規定を提示している。第三章(課題II)は、今日までの〔ラレル〕形述語文研究の知見に基づいた古代語ラル形述語文の意味・構文両面にわたる記述を提供している。第四章(課題III)は、古代語のラル形述語を対象として、動詞〔ラレル〕形という文法形式が全体として何をする形式なのかを明らかにしたものであると言える。

しかし一方では、第二章~第四章の議論は、相互に他を支えあう関係にある。すなわち、第二章(課題I)の提示した、自発文や可能文が混入しないような妥当な受身文規定は、当然第三章(課題II)や第四章(課題III)の議論の前提である。第三章(課題II)の果たしたラル形述語文の諸用法に関する精密な記述は、第二章(課題I)に対しては、古代語受身文の使用の実態や自発文・可能文等に関する基礎情報を提供するものであるとともに、第四章(課題III)に対しては、言うまでもなく議論の前提である。そして第四章(課題III)が示す、ラル形述語文の本質把握やその中での受身文の位置づけに関する認識は、第二章(課題I)における受身文規定の正当性を保証している。また、同じく第四章が示す各用法の規定や分類に関する認識は、第三章(課題II)の記述の枠組みを支えている。このように、3つの議論はひとつのまとまりをなしている。第三章の事実記述が第二章・第四章の理論的主張を支え、第二章・第四章の理論的考察の結果が第三章の記述の枠組みを保証しているという点から言えば、本論文の全体は、記述面と理論面が互いに支え合う総合的知見を構成していることになる。

審査要旨 要旨を表示する

動詞にいわゆる助動詞ル・ラル、ユ・ラユ、レル・ラレルの下接した形は、古代語においても現代語においても、受身・自発・可能などを表す形式として知られている。提出された論文は、この述語形式をめぐる意味と構文を対象とし、古代語ラル形述語を中心として時に通時的、汎時的な観点を動員しつつ、総合的、全体的に考察したものである。

本論文は、次の三つの課題を立て、それを有機的に結び付けることによって、独自の主張を形成するに至っている。

「課題I」は、日本語の受身とは何かという本質規定である。日本語の受身は構文的には規定できないと論じ、意味の面から規定しようとするとどこにどのような問題があるかということに関して、膨大な研究史を驚くほど丹念に且つ論理的に整序することを通して緻密に論じた上で、「日本語の受身文とは、〔ラレル形述語〕を持つ文のうち、〈被影響〉(=有情の主語者が感じる被影響感)を表すもの」と規定している。

「課題II」は、古代語和文に見られるラル形述語文の諸用法の整理と、各用法の意味・構文の両面にわたる精密な記述である。この中で川村氏は、従来認められている受身・自発・可能・尊敬の4用法を意味の面から厳密に再度規定しなおし、そのほかに2つの用法を新たに認定している。その上に立って、各用法についての名詞項の格表示形式を綿密に調査し、その結果、6用法を大きく3種に分類することに成功している。

「課題III」は、ラル形述語文の多義の構造に関する説明である。課題IIで整理した6用法の意味は互いに異なる次元にあり、この異質な意味をもたらす構造を求めることに加えて、用法ごとに取る格体制の異同についても説明を与えなければならない。この難しい要請に応えうるものとして、先行学説の「出来文」説(ほぼ現代語についてのみ考えている)を古代語において検証し、「出来文」説は現代語のみならずむしろ古代語においてこそ一層有効であることを論証している。

課題のI、II、IIIにおける見解は、相互に緊密に支え合っており、論理に破綻がなく、全体として高度なまとまりを持った論文が完成している。独自の立論、主張を為すために新しい術語や従来の術語の新規定を採用しており、用語についてはもう少しクリアーであってもよいが、そのような用語法に拠ることによって論旨が明快になった面は十分に評価でき、論文の全体にわたって統一的な視点から説明することに成功している。理論的見解の構成の基になるべき古代語の事実に関しても、十分な調査の上に立って、個々の用例をよく吟味し、不明確な例を注意深く排除して明晰な論を立てている。

膨大な量の先行研究の完全な理解、捉え直しと周到な事実調査を踏まえて大きな理論的主張を為し得たことは高く評価でき、博士(文学)の学位を与えるにふさわしいものと認められる。

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