学位論文要旨



No 217619
著者(漢字) 木村,美也子
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,ミヤコ
標題(和) 知的障害児の母親の次子妊娠・出産の意思決定過程、及び障害児ときょうだい児養育過程における困難と対処に関する研究
標題(洋)
報告番号 217619
報告番号 乙17619
学位授与日 2012.02.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第17619号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 講師 村山,陵子
 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 教授 神馬,征峰
 東京大学 講師 宮本,有紀
内容要旨 要旨を表示する

緒言

わが国の18歳未満の障害児数は知的障害、身体障害、精神障害の順に多く、年々増加傾向にある。障害者を取り巻くわが国の環境は厳しく、他の先進国より困難な状況にあることが国際比較調査で明らかになっている。またわが国においては、障害者の多くは自宅に居住し、家族の介護を受けているケースが多く、約9割が親に依存しているという報告もみられる。

そして、知的障害児をもつ親、特に母親は就労率が低く、社会的に孤立したり、ストレスに晒されやすく、うつになる危険性も高いことが、国内外の多くの研究で指摘されてきた。さらにきょうだい児も、ストレスに晒されやすく、問題行動が多くみられるという。このように、知的障害児の家族に関する研究は国内外で蓄積されてきた。しかしながら多くの研究は、障害児が家族にもたらす影響のみに注目しており、障害児に続く子の誕生や、障害児ときょうだい児養育が親にとってどのような意味をもつのか、そこにどのような困難があり、どのような対処がなされているのか、といった点に関しては、ほとんど明らかになっていない。

そこで本研究では、知的障害児に続く妊娠、出産における意思決定過程、及び障害児ときょうだい児養育過程における母親の困難と対処に着目し、知的障害児とその家族にとって望ましい環境を構築するための実践的示唆を得ることを目的とした。具体的には、以下の通りとする。

研究Iでは、知的障害児に続く妊娠、出産の意思決定過程における母親の困難と対処を、障害児の出生順序と障害の原因が特定されるものか否かを考慮した上で探究し、理論化することを目的とした。

研究IIでは、知的障害児とそのきょうだい児養育過程において、母親がどのような困難に直面し、どのような対処を行っているのか、きょうだい児の障害の有無の違いを考慮に入れ、検討し、理論化することを目的とした。

方法

1. 対象と方法

対象は、東京都在住の18歳未満の知的障害児をもつ母親とした。サンプリングは、知的障害児の親の会Tと障害児のデイ・サービス事業Sの協力を得て行った。最初に、これら調査協力者を通じ、調査への参加を呼びかける文書を、障害児の母親に配布した。次に、調査参加者のネットワークを通じ、機縁法によってさまざまな背景をもつ障害児の母親に本研究を紹介いただいた。いずれの場合も、参加意思のある者は介在者を通じ、もしくは直接研究者に連絡をとり、調査参加の意思を伝え、2007年11月~2010年4月に半構造化面接調査と質問紙調査を実施した。

障害の違い、きょうだい構成などを考慮に入れ、データ収集を行っては分析し、不足していると思われるサンプルを新たに求めるという方法で、データ収集を続けた。最終的な調査参加者数は47名となった。面接の平均所要時間は約107分で、面接調査の主な内容は、「あなたの次子出産に関する選択の中で、悩んだり苦しんだりしたことがありましたか。あったとしたら、それはどのようなものでしたか。」など、次子妊娠・出産の意思決定過程、及び障害児ときょうだい児養育過程での悩み、気持ちの変化、必要だった支援などについて尋ねた。

さらに2011年4月~9月に、6名の参加者に再度インタビュー(面接調査4名、電話によるインタビュー2名)を行い、過去に集積したデータ内容との違い、解釈などについて再検証した。

2. 分析方法

本研究では、社会学から発展し、基本的なソーシャルプロセスの中で説明的理論を発展させることを目的としたグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた。本研究は、様々な社会的背景をもつ知的障害児の母親が、次子妊娠・出産意思決定過程と、障害児とそのきょうだい児養育過程において、どのような体験をしているのかに着目している。そして、それぞれの過程で、どういう条件で、どういう選択がなされるのか、またどういう問題に対し、どのような行動がなされるのか、それが一体何を示すものなのか、を1つの理論として提示したいと考えている。それには、理論構築を最終目的とするグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いることが、最も望ましいと思われた。分析は、最初に録音した音声データ、メモから逐語トランスクリプトを作成し、繰り返し読み、全体の内容を把握しながら意味を捉え、カテゴリーを抽出するという方法で行った。

結果

研究I

知的障害をもつ母親の次子妊娠・出産の意思決定過程における困難への対処という現象は、【納得する変化を得るための挑み】であった。そして、《障害との出会いによって余儀なくされた変化への納得できない思い》、《次子誕生による新たな変化への期待と不安の比較考量》、《次子障害の可能性に関する情報収集》、《今以上に厳しい状況に変化する可能性を避け、次子誕生を諦める》《新たな変化を求めたことを否定的に考えない姿勢》、《次子が得られない状況で、次子を求める気持ちの継続と諦めとの葛藤》、《新たな変化を求めて次子妊娠を試みる》、《次子妊娠実現による家族の変化の開始》、《次子出産を考えずに、自分の姿勢を変えてゆこうとする姿勢》の9つのカテゴリーが抽出された。母親は、障害児が第一子の場合は、自身や障害児の現状に納得できず、第二子以降の場合は、年長子(健常児)や家族全体の現状に納得できず、新たな変化をもたらしてくれる次子を求めていた。また、次子障害の可能性について、検査と数値で情報提供を受けることができる染色体異常児の母親に比べ、原因不明の障害児の母親は、周囲の言動から次子障害の可能性を推察し、不安を高めていた。大半の母親は次子誕生による新たな変化を求めたものの、実際に次子出産に至った母親は半数に満たなかった。次子誕生に期待を託す考えを切り替え、自身が主体的に変化しようと試みた母親は、'納得できない'思いを軽減することが可能になっていた。その一方で、次子誕生による新たな変化を望みながら叶えられない母親は、'納得できない'思いに長期間苦悩していた。

研究II

知的障害児とそのきょうだい児養育過程における母親の困難と対処とは、【『がんじがらめ』状態から抜け出すための試み】であり、《A.自分が必要とする支援や子どもに適した居場所を獲得することの難しさ》、《B.家族それぞれに時間や手をかけることの難しさ》、《C.将来を見据えることの難しさ》、《D.障害をコントロールすることの難しさ》、《E.家族がうまくやってゆくことの難しさ》、《F.「なぜ自分ばっかりが」という思いを遠ざけることの難しさ》、《G.障害児やその家族に対する厳しい目、決めつけとの遭遇》の7つの困難がみられた。これらは単独で母親に影響をもたらすだけでなく、互いに連鎖し合うことで、「がんじがらめ」の状況を作り出していた。

これに対し、《1.つながりをフル活用して情報を得る》、《2.自分の姿勢や状況を変えることで支援を得る》、《3.健常者・健常児との交流により「わかってもらう」機会を増やす》、《4.気持ちが落ち込む状況を避ける》、《5.別な状況との比較や成功体験により「何とかなる」と考える》の5つの対処を示すカテゴリーが抽出された。この対処カテゴリーも、互いに影響し合い、困難カテゴリーの1つ1つに、或いは7つ全ての困難を軽減すべく働きかけていた。そして、対処によって困難が軽減された場合、《帰結I.少しずつ状況が良くなっているとの思い》へ、軽減されなかった場合は、《帰結II.がんじがらめの日々の継続》へ向かうことが確認された。但し、困難との遭遇は、子の成長過程において、次から次へと起こっており、多くの母親は、帰結I、IIの間を揺れ動いているものと考えられた。障害児が一人で他のきょうだい児が健常児の場合は、きょうだい児の行動制限など、きょうだい児の負担に対する呵責が母親に苦悩をもたらしていた。一方、障害児を複数養育する母親からは、不公平感や他者に特別視されることへの恐れ、子の障害の特徴と男女差によって異なる対応の難しさが示された。

考察

研究Iにおいては、知的障害児の出生順序によって、母親の現状への'納得できない'思い、次子誕生にかける期待と不安に相違がみられた。また、原因不明の障害児の母親は、染色体異常児の母親とは異なり、周囲の言動から次子障害の可能性を推察して不安を高めており、同胞障害発症率に関する適切な情報提供の必要性が示唆された。そしてどのような状況でも、母親が納得できる状態、もしくは納得する姿勢がとれることが重要であり、こうした母親の内的側面を深く理解してゆく必要性が示された。

研究IIにおいては、きょうだい児が健常児のみである場合は、きょうだい児に負担をかけてしまう状況が母親に苦悩をもたらしていた。これに対し、障害児を複数養育する母親は、自身をみる他者の言動や、障害児の男女差・障害の違いによる困難を体験していた。いずれの母親も、障害児ときょうだい児養育過程の困難に向き合う中で、不足している情報・支援・理解を得ようとし、その一方で自身の受け止め方を変えて現実との間で折り合いをつけようとしていた。これは既存のストレス認知理論の問題焦点型戦略、情動焦点型戦略に相当するものと考えられた。また、肯定的認識、楽観主義、コントロール感覚も困難に向き合う中で培われ、対処の動力となっていた。

知的障害児に続く妊娠・出産から障害児ときょうだい児の養育過程において、母親は多様な困難と対峙しており、同胞障害発症率に関する科学的情報提供、保育・教育の現場できょうだい児への理解が深められるような取り組み(研修・人権教育など)、行政・自治体からの支援に関する積極的な情報提供が求められる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、知的障害児に続く妊娠、出産における意思決定過程、及び障害児ときょうだい児養育過程における母親の困難と対処に着目し、知的障害児とその家族にとって望ましい環境を構築するための実践的示唆を得ることを目的としたものである。これは、研究I、IIの2つの研究により試みられた。研究Iは、知的障害児に続く妊娠、出産の意思決定過程における母親の困難と対処を、障害児の出生順序と障害の原因が特定されるものか否かを考慮した上で探究し、理論化することを目的としたものである。研究IIは、知的障害児とそのきょうだい児養育過程において、母親がどのような困難に直面し、どのような対処を行っているのか、きょうだい児の障害の有無の違いを考慮に入れ、検討し、理論化することを目的としたものである。そして、研究I・IIから下記の結果を得ている。

1. 知的障害をもつ母親の次子妊娠・出産の意思決定過程における困難への対処という現象は、【納得する変化を得るための挑み】であった。そして、《障害との出会いによって余儀なくされた変化への納得できない思い》、《次子誕生による新たな変化への期待と不安の比較考量》、《次子障害の可能性に関する情報収集》、《今以上に厳しい状況に変化する可能性を避け、次子誕生を諦める》、《新たな変化を求めたことを否定的に考えない姿勢》、《次子が得られない状況で、次子を求める気持ちの継続と諦めとの葛藤》、《新たな変化を求めて次子妊娠を試みる》、《次子妊娠実現による家族の変化の開始》、《次子出産を考えずに、自分の姿勢を変えてゆこうとする姿勢》の9つのカテゴリーが抽出された。

2. 母親たちは、知的障害児が第一子の場合は自分自身や障害児の現状に納得できず、第二子以降の場合は、年長子(健常児)や家族全体の現状に納得できず、新たな変化をもたらしてくれる次子を求めていた。

3. 知的障害児がダウン症など染色体異常である場合と、発達障害など原因不明の場合とで、母親の《次子障害の可能性に関する情報収集》は対象的であった。次子障害の可能性について、検査と数値で情報提供を受けることができる染色体異常児の母親に比べ、原因不明の障害児の母親は、周囲の言動から次子障害の可能性を推察し、不安を高めていた。

4. 大半の母親は"納得できない"思いをもち、次子誕生による新たな変化(納得できる変化)を求めたものの、実際に次子出産に至った母親は半数に満たなかった。次子誕生に期待を託す考えを切り替え、自身が主体的に変化しようと試みた母親は、"納得できない"思いを軽減することが可能になっていた。その一方で、次子誕生による新たな変化を望みながら叶えられない母親は、"納得できない"思いに長期間苦悩していた。

5. 知的障害児ときょうだい児養育過程における母親の困難と対処とは、【『がんじがらめ』状態から抜け出すための試み】であり、《A.自分が必要とする支援や子どもに適した居場所を獲得することの難しさ》、《B.家族それぞれに時間や手をかけることの難しさ》、《C.将来を見据えることの難しさ》、《D.障害をコントロールすることの難しさ》、《E.家族がうまくやってゆくことの難しさ》、《F.「なぜ自分ばっかりが」という思いを遠ざけることの難しさ》、《G.障害児やその家族に対する厳しい目、決めつけとの遭遇》の7つの困難がみられた。これらは単独で母親に影響をもたらすだけでなく、互いに連鎖し合うことで、「がんじがらめ」の状況を作り出していた。これに対し、《1.つながりをフル活用して情報を得る》、《2.自分の姿勢や状況を変えることで支援を得る》、《3.別な状況との比較や成功体験により「何とかなる」と考える》、《4.気持ちが落ち込む状況を避ける》、《5.健常者・健常児との交流により「わかってもらう」機会を増やす》の5つの対処を示すカテゴリーが抽出された。この対処カテゴリーも、互いに影響し合い、困難カテゴリーの1つ1つに、或いは7つ全ての困難を軽減すべく働いていた。そして、対処によって困難が軽減された場合、《帰結I.少しずつ状況が良くなっているとの思い》へ、軽減されなかった場合は、《帰結II.がんじがらめの日々の継続》へ向かうことが確認された。但し、困難との遭遇は、子の成長過程において、次から次へと起こっており、母親の多くの母親は、帰結I、IIの間を行き来しているものと考えられた。

6. 知的障害児ときょうだい児養育過程における母親の困難は、障害児が一人の場合と、障害児が複数の場合とで、異なっていた。障害児が一人で他のきょうだい児が健常児の場合は、きょうだい児の行動制限など、きょうだい児の負担に対する呵責が母親に苦悩をもたらしていた。一方、障害児を複数養育する母親からは、不公平感や他者に特別視されることへの恐れ、そして子の障害の特徴と男女差によって異なる対応の難しさが示された。

7. 知的障害児ときょうだい児養育過程の困難に対し、情報・支援・理解を得ようとする、自分の受け止め方を変えて現実との間で折り合いをつける、といった2つの対処がなされていた。これらは問題焦点型戦略、情動焦点型戦略に相当するもので、肯定的認識や楽観主義、コントロール感覚が、その対処の動力となっていた。

以上、本論文は知的障害児の母親の次子妊娠・出産の意思決定過程における困難と対処、及び障害児ときょうだい児養育過程における困難と対処を母親の体験から明らかにした。本研究は、これまでほとんど焦点があてられることがなかった知的障害児の母親の体験を描き出すことで、知的障害児の家族研究、障害受容研究、及びストレス対処研究に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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