学位論文要旨



No 217621
著者(漢字) 光辻,克馬
著者(英字)
著者(カナ) ミツツジ,カツマ
標題(和) 脱植民地化と主権国家性 : 極小国家独立をめぐる国際連合における議論の研究
標題(洋)
報告番号 217621
報告番号 乙17621
学位授与日 2012.02.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17621号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 教授 遠藤,貢
 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 田中,明彦
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、1960年代以降、急速に起こるようになった極小国家の創設に焦点をあて、近代国際体系が変動する過程を明らかにしたものである。

図1-1が示しているように、1960年までは、極小領域が独立して主権国家となることはほぼ無かった。脱植民地化過程自体は、1920年代、1930年代から始まっていたが、独立して主権国家になったのは、人口が100万人以上の通常規模の(大きな)領域だけであり、極小領域は、別の主権国家と連合する、あるいは統合するかたちで脱植民地化していた。それが、1960年を境として、一気に急に極小領域の大量の独立が始まったのである。

1950年代から60年代にかけて国際連合において各国代表のあいだで行われた議論の内容を詳細に検討し、上記のような国際体系の変動の背景に、国際共同体の成員(主権国家)間に、従属領域の脱植民地化や主権国家性について、どのような了解があり、それがどのように変動した(しなかった)のかを検討した。

取り上げた議論は以下の5つである。

(1)信託統治目標達成問題:1951-59年

(2)西サモアの脱植民地化問題:1953-62年

(3-1)植民地独立付与宣言:1960年

(3-2)情報提出義務指針問題:1960年

(4)独立付与宣言履行問題:1961-67年

いずれの議論も、従属領域(植民地)の脱植民地化とそれぞれの領域の国家性に深く関連した問題であった。議論の内容を検討し明らかになったことは、1950年代および60年代の国際共同体の成員間には、次のような了解が存在したということである。

(1)植民地支配は望ましいものではなく、できるだけ速やかに脱植民地化がなされるべきだという了解が存在した。

(2)脱植民地化にあたっては、領域民族の希望を尊重することが重要であるという了解が存在した。脱植民地化過程をすすめるうえで、領域民族の希望が尊重されるべきというだけでなく、領域の国制的地位の決定においても、領域民族の希望が尊重されるべきという了解も生じていた。

(3)主権国家には自立可能性が必要であるという了解も存在した。それゆえ、明らかに自立可能性が欠けている極小領域については、脱植民地化は望まれていたが、単独で独立することが要求されたり想定されたりすることはなかった。

細かな立場の差はあったが、1950年代から60年代にかけて驚くほど一貫して以上のような了解が、国際共同体の成員間(従属領域施政国、非施政国、反植民地主義諸国)には存在した。

注目すべきは、(3)の了解であり、反植民地主義国や非施政国も、脱植民地化にあたって、領域が脱植民地化して独立国家になる場合は、十分な人口に支えられた経済、十分な人的資源に支えられた政治、十分な協調性を備えた社会等を発展によって整え、自立可能性(viability)が必要であるということを当然視しているという点である。

それゆえ、自立可能性に欠けると判断された領域については、脱植民地化こそ求められても、独立が要求されたことはなかった。極小領域については、可能な範囲で連合関係を形成し、自立可能性を高めるかたちで脱植民地化することが望まれていた。1960年代後半においても、それは変わっておらず、非施政国の多くが、カリブ海の極小領域に隣接領域との連合関係を形成することを期待していた。

それにも関わらず、実際には1960年代以降、自立可能性に欠けると考えられていた極小国家が陸続と創設されていった。反植民地主義諸国も含め、自立可能性に欠ける極小領域が単独で独立国家になることは望ましくないと考えていたにも関わらず、極小領域が主権国家としての地位を獲得していったのは、(A)領域民族の希望を尊重するという了解が形成されていたことや、(B)1960年に植民地独立付与宣言というかたちで、領域民族が希望をすれば独立できるという原則が確立していたことによる。

(A)については、施政国を筆頭に、極小領域の民族が分離独立を希望することを想定しておらず、極小領域の民族が独立以外の方法での脱植民地化を希望すると予想されることが施政国によって折りにふれて示唆されていたため、矛盾が生じるとは考えられていなかった。実際に極小領域の民族が、想定をくつがえして、独立を希望するとそれを拒むことはできなくなっていた。

(B)については、国際共同体の関心が「通常規模の」「アフリカの」領域に強く傾斜している状況で、本来は全ての従属領域の脱植民地化についての合意が生じていただけであったのに、過剰な普遍性をそなえたかたちで原則が確立した。極小領域の独立についての了解のないままに、極小領域の独立を促すかたちの原則が成立し、結果として通常規模の領域についての原区や了解が「溢出(spillover)」して、極小領域についての原則ともなってしまったのである(図6-1参照)。

1960年代に極小国家の独立が急に見られるようになったのは、多くの既存研究が想定しているような無条件の分離独立を求める反植民地主義諸国の力が働いていたからではない。

審査要旨 要旨を表示する

光辻克馬がこのたび提出した「脱植民地化と主権国家性:極小国家独立をめぐる国際連合における議論の研究」と題する学位申請論文は6章からなり、A4用紙で約200ページの分量である。本論文は、20世紀に入って「民族自決」原則の浸透から「植民地独立付与宣言」の採択にいたる過程で、主権国家の資格の認定に「革命」が起こったという近年の通説を批判的に検討し、自立可能性がないとされた極小国家までもが単独独立できるようになった経緯を、1950年代から60年代にかけての国際連合における脱植民地化をめぐる議論を丹念に追うことによって、実際にはどのような国際規範に変化が生じたのかを明らかにしようとするものである。

第1章「1960年の近代国際体系の変動」では、1960年を境にして、それ以前は極小従属領域は他の主権国家と連合するか、極小従属領域どうしが統合して大きな単位になって脱植民地化を達成していたのに対し、それ以降は、極小従属領域が相次いで単独独立するようになった現象を指摘した上で、それが、1960年の国連総会決議「植民地独立付与宣言」によってもたらされたという通説によって説明できるものではなく、実は国際規範が二重に変更したという仮説を提示する。

第2章「信託統治目標達成問題:1951-1959」では、国連信託統治対象地域が脱植民地化できるための目標達成をめぐる国連における議論の焦点について1950年代を通じて分析する。その結果、一方では脱植民地化はできるだけ速やかに実現すべきであるという了解が成立したものの、他方では、主権国家は自立可能であることも了解されていたことを指摘する。すなわち、自立可能性を欠く極小従属領域の単独独立は想定されていなかったのである。

第3章「極小領域西サモアはいかにして脱植民地化したか:1953-1962」では、ニュージーランドの施政下にある信託統治領の西サモアが、人口10万人程度であり、脱植民地化の議論では単独独立が全く考慮されていなかったのに対し、脱植民地化の最終段階で、西サモア代表が単独独立の希望を表明し、結局そのとおりになった経緯を詳細に分析する。

第4章「極小領域問題から見た1960年」では、この年に採択された「植民地独立付与宣言」と従属領域如何を判断するための「情報提出義務指針」とを取り上げ、脱植民地化と独立付与とが同一視されていない点に注目し、前者への圧倒的支持は、従属領域の単独独立を促す意図ではなく、脱植民地化の文脈からであることを明らかにする。

第5章「付与宣言履行問題と極小領域:1961-1967」では、付与宣言を受けて新たに設立された宣言履行委員会の活動を分析することを通じて、カリブ海域の極小従属領域の脱植民地化に関しては、隣接諸領域の連合による独立が想定されていたことを明らかにして、1960年代に入っても、極小従属領域に対する単独での独立付与が規範化されていなかったことを指摘する。

第6章「1960年代の国際体系の変動はいかにして起こったか」は、結論に相当する章であり、第2章から第5章までの分析を総合して、国際規範の変化の実態をまとまる。すなわち、1950年代において、脱植民地化では従属領域の民族の希望を尊重するべきであることが共通了解として成立したものの極小従属領域の民族は単独独立を希望するとは想定されていなかったこと、しかしながら自立可能性が疑わしくても単独独立を希望した場合には、それを受け入れる例ができたことが指摘される。そして1960年の植民地独立付与宣言の採択にあたっては、アフリカを中心とする通常規模の従属領域の脱植民地化イコール独立が主要な課題であり、極小従属領域の扱いには関心が払われていなかったこと、しかしながら極小従属領域の民族に対して単独独立を促す原則を打ち立ててしまったことが指摘される。その結果、1960年代以降、極小従属領域の脱植民地化は単独独立が主流になったことが指摘される。

このように、本論文は、国際連合における従属領域施政国、非施政国、反植民地主義国などの議論を詳細に検討することによって、実際には、反植民地主義国でさえ通常規模の従属領域の独立付与を主張していただけで、極小従属領域の独立を想定していなかったことを明らかにした。そして、極小従属領域が独立することの了解は、通常規模の領域の独立に関する了解と民族の意向を尊重するという了解というふたつの了解から事後的に生まれたスピルオーバーであると結論づける。

このような内容からなる本論文は、主権国家性をめぐる了解が反植民地主義の興隆により促されて1960年前後に革命的に変化し、極小国家の独立を引き起こしたという従来の通説に対して、詳細な分析を通じて実証面から修正を迫る力作である。とくに、主権国家性という国際社会における最も基本的な規範とそれについての了解が形成されるダイナミズムの詳細な実証分析は、国際秩序論や国際体系史の書き直しを迫るものであり、高く評価できる。また、従来は帝国史研究として施政国と従属領域との関係として扱われることの多かった脱植民地化をめぐって、国際連合という公開のフォーラムにおける議論から国際規範の問題を論じるという新しい研究領域を開拓した点も高く評価できる。

他方で、改善すべき点がないわけではない。まず、本論文の結論を先行研究との関係でどのように位置づけるべきかについて、第1章での先行研究の整理・批判に応える形で、第6章を整理した方が分かりやすかったとの指摘がなされた。また、自立可能性の意味をめぐって、当時実際に共有されていた認識と論理的帰結とのずれについて、もっと踏み込んだ議論ができたのではないかとの指摘がなされた。さらに、本論文が扱っている時期に民族自決が権利になったという国際法の捉え方との関連を明示的に打ち出してもよかったとの指摘がなされた。もっとも、このような指摘は、学界に対して大きな貢献となる本論文の学術的価値を損なうものではない。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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