学位論文要旨



No 217628
著者(漢字) 槌谷,智子
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,トモコ
標題(和) 石油開発と「伝統」の再構築 : パプアニューギニア、フォイの土地所有権をめぐる実践
標題(洋)
報告番号 217628
報告番号 乙17628
学位授与日 2012.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17628号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 福島,真人
 東京大学 准教授 箭内,匡
 東京大学 准教授 関谷,雄一
 東京外国語大学 教授 栗田,博之
内容要旨 要旨を表示する

本論は、パプアニューギニアの南部高地州に居住するフォイ語を母語とする民族、その中でも「低地フォイ」と呼ばれるムビ川下流域に居住する人びとの現地調査に基づいている。フォイは焼畑農耕と狩猟採集によるサブシステンス経済に依存している。しかし、居住地で1990年から開始された石油開発プロジェクトは、フォイ社会に大きな影響を与えることとなった。フォイは石油埋蔵地の土地所有者として、石油開発による利益の配分をめぐって石油会社や政府と度重なる交渉を行った。さらに、新たな油田が発見されると、その土地をめぐってフォイを含めた複数の民族が所有権を主張して裁判で争うことになった。そうした過程で、人びとがどのような実践を行っているのかを明らかにすることが本論の目的である。

第1章では、国家の現況と歴史的背景を概観し、開発政策と土地保有制度についてまとめた。独立以降、資源開発は国家経済を支えるために急務の課題となった。開発を促進するためには土地所有権の確定が不可欠であるが、それは容易なことではない。パプアニューギニアでは、慣習的土地所有が全国土の約97パーセントを占める。慣習的土地所有という場合、一般的に所有権は個人ではなく、出自・居住・共同活動への参加などに基づく集団にある。土地所有集団は多くの場合クランかサブクランであり、集団的に土地の所有・管理・防御を行っている。土地の境界は、自然の地形的特徴によって示され、土地をめぐる知識は口頭で伝承されてきた。植民地統制下においても独立後も、慣習的土地所有権は尊重され、土地登記促進政策が継続されているが、登記は順調に推進されているとは言えない。一方、土地の経済的価値が認識されるようになった1970年代以降、土地をめぐる紛争が深刻なものとなり、80年代に裁判に持ち込まれるケースが増大した。土地紛争に対して裁判所は、初めは、植民地行政府がその地域に初めて来た時に土地を所有していたクランか、あるいは現在居住しているクランの要求を認めていた。しかし、その後、土地を最初に占有した者の権利を認め始めた。最初の占有が認められるようになると、先住者であることを証明するために、口頭伝承や系譜の記憶が必須となり、神話やクランが入念に創りだされるようになった。

第2章以降はフォイの事例研究である。2章では、まずフォイ社会の大枠を概観した。フォイの居住地、近隣民族との関係、西欧との接触史、植民地行政府やミッションの影響を記述した後、コミュニティの構成と移動の変遷を説明した。

第3章では、土地と人とのかかわりについて論じた。まずサブシステンス活動のために土地がどのように利用され、継承されているのかを明示した。土地は父系親族集団であるドバの成員によって管理され、利用されるのが基本である。土地に生育する利用価値のある樹木は一般的に息子に相続される。しかし、実際の生活ではドバ成員以外の人びとも一緒に暮らしており、他のドバの土地を利用することも少なくない。その場合、土地を保有するドバの中の後見人との関係によって土地を利用することが可能になる。土地の利用は、状況に応じて柔軟に運用されている。

土地は生きていく糧を獲得するために必要不可欠なものである一方、それだけの意味に限定されない。フォイでは、土地と人々との関係はさまざまな形で語られ、伝承されてきた。土地と人との観念的な結びつきについて、歌に表象される土地、霊的存在やタブーの地への信仰などから明らかにした。フォイにとって、土地はひとくくりにできるようなものではなく、菜園などに利用できる身近な土地、祖霊や悪霊が暮らす場所、足を踏み入れることのできないタブーの土地など、さまざまな種類の土地が混在していることを論じた。

第4章では、父系親族集団「ドバ」について多角的に分析した。ドバのシンボルとされるアカとはどのようなものか、ドバと外婚規制について、婚資や賠償の交換関係にドバがどのようにかかわってくるのか、移住した場合のドバの帰属はどうなるのか、といった側面からドバについて論じた。フォイのドバは、歴史的に、戦闘や紛争による移住などで、併合や分裂を繰り返してきた。他のドバの成員に面倒を見てもらっている場合、「自分の父系ドバ」あるいは「後見人のドバ」のどちらに帰属するのかは、曖昧である場合が少なくない。というのも、帰属を明確に選択しなくてはならない場面が実際にはないからである。状況に応じて、どちらの成員としてもふるまうことができる。ドバとは、成員が厳密に特定できるようなものではなく、神話や伝承によってその固有性を明示できるようなものでもないが、同じドバの人間(キョウダイと呼ぶ人)とは婚姻できないという厳格な規範と、それに伴う贈与交換において一定の役割を果たし、歌の中に表象されるゆるやかなアイデンティティの知識は人々に共有されている。すなわち、ドバとは、成員が誰で、ドバの土地の境界はどこにあるのか、ということを厳格に規定することに意味があるものではなかった。

第5章から7章では、フォイの居住地で行われている石油開発に伴う問題について検討した。5章では、クトゥブ石油開発プロジェクトを概説し、その進行過程で、政府や開発会社と土地所有者たちとの間に生じた問題について論じた。土地所有者としてフォイがどのような政治的戦略をとっているのか、また、その過程でどのように重層的にアイデンティティが構築されているのかを明らかにした。さらに、その中で生じたフォイ内部での政治闘争についても分析した。低地フォイにおいて、住民全体による会社やアソシエーションが設立され、新たなリーダーが活躍しているが、一般の人びととリーダーとの間に生じた齟齬についても触れた。

第6章では、石油開発プロジェクト開始後、低地フォイで起きた紛争と実践を分析した。フォイにとって「土地所有権と用益権」という概念は、開発によって生じたものであると言える。油田探査のために試掘された土地の補償金をめぐって起きた紛争、あるドバの正当な継承者をめぐる紛争を取り上げ、開発によって生じた新たな種類の紛争について検証した。さらに、ドバが土地所有集団として法人化された際、土地所有法人が戦略的に構築されたことを明らかにすると同時に、登録完了後も、さらにドバの再構成が活発に行われているさまを、事例を取り上げて詳細に検討した。

第7章では、新たに発見されたゴベ油田の土地所有権をめぐって、フォイが土地裁判に向けてどのような準備と主張を行ったのかについて明らかにした。係争する土地に先住するドバであることや、始祖と現在のドバ成員との関係を合理的に証明するために、ドバの系譜や創生神話が再構成された経緯を論じた。また、裁判に向けて誰と協力するのかという公式・非公式な駆け引き、裁判の判決文とその他の文書資料から見えてくる人々の戦略的実践についても検証した。土地所有権を主張するあるドバが、移住後に創設したドバ名を名乗るのか、移住前のドバ名を名乗るのかで揺れ動いた経緯を、文書記録などから詳細に分析した。人々にとっては、どちらも自分の「本当の」ドバであり、どちらと名乗るのかは、状況に依存する。しかし、判事にはその論理は受け入れられなかった。そうした裁判における判断基準と人々が生きている実態とのズレについて論じた。

以上のことをまとめると、開発によって人々に与えた影響として以下の点が指摘できる。第一に、土地の意味の変容である。開発によって、これまでとは異なる価値基準で、特定の土地だけが経済的価値を帯びるようになり、その結果、それまで存在しなかった種類の紛争が生じている。第二に、土地所有集団としての「伝統的クラン」の再構築が行われるようになったことである。また、「伝統的クラン」であることを主張する論拠として、歴史的記憶と口頭伝承が重要性を増している。そのために、さまざまなバージョンを持つ物語が、整合的で唯一の「正しい」物語へと創造され、一般的に三世代程度しか記憶されていなかった系譜が、始祖から現在に至る長い系譜へと再構築されている。国家によって、「クラン」が土地所有者であるということがアプリオリな前提とされているために、そうしたことが起こっていると指摘できる。ニューギニアでは、慣習的に土地が集団、特にクランによって保有、管理されてきたとされているが、フォイのドバの成員やドバの名乗り・名付けは固定的なものではなく、政治的・歴史的に流動的なものであり、ドバとは汎用性のあるものであったと言えよう。フォイでは、さまざまな条件に応じて集団が再構成され、その土地で生きたことの記憶が積み重ねられ、土地を媒介にして新たなドバの歴史伝承が作り出されてきた。ところが、開発によって、国家の法に基づいてドバが土地所有集団として法人化され、ドバの帰属が脱コンテクスト化され、脱歴史化される。クランを実体化する実践が、開発のために国家によって強いられていると言えよう。しかし一方で開発が進行するにつれ、歴史の遡及が促進され、その結果、ドバの分裂、併合、復活が活発化している。あるいは、裁判の過程で、戦略的にクランが再構築されている。国家が土地所有者を決定するために「真正」なるクランを同定しようとすればするほど、クランの虚構性・非実体性が明らかになるというパラドックスが演じられているのである。こうした埋めることのできないズレを内包し、新たなリーダーをめぐる係争を巻き込みながら、着地点のないゲームを戦い続けているかのような状況が、現在のパプアニューギニアの実相であると解釈できよう。

審査要旨 要旨を表示する

槌谷智子氏の論文、『石油開発と「伝統」の再構築 ― パプアニューギニア、フォイの土地所有権をめぐる実践』の目的は、石油資源の開発によって引き起こされたパプアニューギニア、フォイの社会変化のメカニズムを、土地所有権を軸に解析することである。本論文のデータは、パプアニューギニア南部高地州の、低地フォイ・グループを対象に、1992年から96年にかけて、3次にわたる合計28ヶ月間の現地調査によって得られた。この中には低地フォイの住み込み調査に加えて、石油会社、シェブロンのキャンプや油田施設を訪れる調査行もあった。調査方法として用いられたのは、参与観察、インタビュー、聞き取り、石油会社や裁判所の公文書等の文献閲覧である。

本論文は、序論に続く7章と結論から成る本文と、地図、図表、文献表、及び公文書等の「付録」から成る。

序論では、パプアニューギニア、低地フォイ、調査内容、などが、概観されている。第1章では、パプアニューギニアの現況と歴史的背景を記述し、石油開発が行われるまでの、歴史的、社会的な背景が説明される。特に重要な点は、パプアニューギニアでは、一般的に土地所有権は個人にはなく、出自、居住、共同活動への参加などに基づく集団にある。その土地所有集団は多くの場合、出自に基づくクランかサブクランであり、共同で土地の所有・管理・防衛を行っている。歴史的には、戦争によって土地の権利が他の集団に移ることもまれではなかった。植民地時代の土地政策では、この慣習的土地所有権が保証されていた。しかし、土地の経済的価値が認識されるようになった1970年代以降、土地をめぐる紛争が深刻なものとなり、1980年代に訴訟が頻出した。裁判所は、初期においては、その時点で土地を占有していたクランに所有権を認めたが、次第に、さかのぼって「最初の占有」を認め始めた。最初の占有が認められると、先住者であることを証明するために、土地所有権の主張に口頭伝承やクランの系譜の記憶が必須となり、神話やクランが入念に「創出」されるようになった。ここに紛争の種が潜むこととなった。

第2章では、フォイの社会を、第3章では、彼らの土地と人とのかかわりについて論じている。フォイの人にとって土地は自給自足経済の源である。ある土地を利用できるのは、そこに占有権を持つ父系親族集団、「ドバ」の成員である。しかし、実際は、ドバの成員以外の人々も共に暮らしており、彼らも、土地を保有するドバ集団の中に後見人を持つことで、土地を利用することが可能になる。このように、土地の利用は、状況に応じて柔軟に運用されていた。また、土地は生きていく糧を獲得するためだけのものではなく、祖霊や悪霊が暮らす洞窟、河川や沼地、足を踏み入れることのできないタブーの土地など、さまざまな種類の土地がその生活世界には混在していたのである。第4章では、父系親族集団「ドバ」について分析が行われる。その結果、ドバとは、外婚単位としての厳格な規範があるものの、婚姻という事態が生起して規範の適用が起こらない限りは、その成員を特定できるものではなく、また、ドバの土地の境界も厳密に設定されてはいないことが分かった。

第5章では、石油開発プロジェクトの進行過程で生じたフォイ内部での政治闘争、それに伴った会社やアソシエーションの設立、そうした状況に対応できる若いリーダーが活躍する一方、一般の人びととリーダーとの間に生じた齟齬、について述べられる。第6章は、石油開発プロジェクト開始後、低地フォイで起きた紛争と実践の分析である。そこでは、フォイにとって「土地所有権と用益権」という概念が、開発によって生じたものであったことが見えてきた。それを論証するために、油田が試掘された土地の補償金をめぐる紛争の中で、土地所有法人としてのドバが神話や歴史の「操作」によって構築され、登録されたこと、そして、登録完了後もドバの再構成が活発に行われている詳細な事例が提出された。第7章では、まさに調査時に進行していた、新たに発見されたゴベ油田の土地所有集団として、フォイがドバの系譜や創生神話を再構成したことを検証した。そこで争われた裁判の判決文とその他の文書資料から、土地所有権を主張する、あるドバが、移住後のドバ名を名乗るのか、移住前のドバ名を名乗るのかで揺れ動いたありさまを、文書記録から詳細に検証し、裁判における判断基準と、人々が生きている実態とがズレている様子を明らかにした。

審査では、人類学において古くから議論の対象である親族出自集団をめぐって、また、開発がフォイの人々にどのように受け止められているのかについて、また、そうした「近代化」という状況に従来の「伝統と近代」、「中央と周辺」といった図式は当てはまるのか否か、といったことなどが議論された。その結果、本論文は、以下の三点において、文化人類学に対する貢献が顕著であると判断された。第一に、文化人類学の調査に困難はつきものであるが、どの基準に照らしても、厳しい自然環境であり危険とも言える社会環境の地域で、フォイの人にとっては「戦い」とも言える紛争の記録を、厚い記述として提出したことは、特筆に値する。第二に、親族研究としてのクランに関する議論はすでに低調になっているが、「開発」といった新たな、ダイナミックなコンテクストの中で再考され、興味深い事例として提出したことは、人類学のみならず、開発研究に一石を投じるものであること。第三に、「伝統と近代」といった図式によって、俯瞰するのではなく、あくまでフォイの人々の立場に立ち、内部からの視線で、その世界に進行している事態を彼らの世界観の中からモノグラフとして活写したこと、である。

審査員からは、内部からの視線に徹するあまり、広く理論をレビューすることへの不十分さが指摘されたが、本論文の持つ価値は、十二分に高いものがあり、本論文は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしていると判断された。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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