学位論文要旨



No 217630
著者(漢字) 吉田,大志
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,タイシ
標題(和) 糖新生の制御に基づく非肥満インスリン分泌不全型糖尿病の血糖調節技術に関する研究
標題(洋)
報告番号 217630
報告番号 乙17630
学位授与日 2012.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17630号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 佐藤,守俊
 東京大学 教授 松尾,基之
 東京大学 准教授 増田,建
 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 准教授 坪井,貴司
内容要旨 要旨を表示する

糖尿病は、高血糖を主徴とする疾患であり、血糖の恒常性維持のための調節システムが破綻した状態と捉えられる。2011年現在、世界で3億人強の患者が存在するといわれ、この数は、今後さらに増加すると予想されているものの、根本的な治療薬は存在せず、その開発は喫急の課題となっている。

糖尿病の原因は患者により異なるものの、血糖低下ホルモンであるインスリンの作用が減弱した「インスリン抵抗性型(作用不全型)」と、インスリンの産生臓器である膵臓からのインスリン分泌そのものが減弱した「インスリン分泌不全型」の2つに大きく分けられる。これらの発症原因の違いにより、現在治療に用いられている各種糖尿病薬の血糖低下作用には差異が認められるものの、患者の発症原因を簡便に決定する手段が存在しないため、臨床における治療薬選択は困難なものになっている。また、上述の2つの発症原因が混在する患者が多数存在する事も、治療薬選択の難しさに拍車をかけている。このことから、発症原因によらず広範な糖尿病患者に血糖低下作用を発揮する薬剤の開発が強く求められている。

ピルビン酸や乳酸などの非糖質からグルコースを生合成する経路は糖新生と呼ばれる。発症原因により病態が異なる糖尿病において、糖新生はその発症原因によらず亢進していることから、糖新生を抑制する薬剤は、広範な糖尿病患者に血糖低下作用を発揮する画期的な新薬になると考えられる。近年、糖新生律速酵素の一つであるフルクトース-1,6-ビスフォスファターゼ(FBPase)を阻害することにより、糖新生を抑制し、糖尿病の改善を目指した化合物CS-917の開発が行われてきた。CS-917はインスリン抵抗性型糖尿病モデル動物であるZucker糖尿病肥満ラットや、同じくインスリン抵抗性型糖尿病が多い欧米人患者を対象とした臨床試験において血糖低下作用を発揮し、糖新生を抑制することがインスリン抵抗性型糖尿病の改善に有効であることが示された。一方で、もう一つの病型であるインスリン分泌不全型糖尿病において、糖新生を抑制することが糖尿病の改善に有効であるか否かは明らかでない。

そこで、インスリン分泌不全型糖尿病モデル動物として広く用いられているGoto-Kakizaki(GK)ラットを用いて、FBPase阻害剤・CS-917の血糖低下作用、及び、その血糖低下作用機序を解析する事により、インスリン分泌不全型糖尿病モデルであるGKラットの血糖調節システムにおける糖新生の寄与を明らかにし、また、CS-917がインスリン分泌不全型糖尿病の高血糖を是正する有効な手段となりうるか否かを評価する事を目的として、鋭意研究を行った

はじめに、CS-917のGKラットにおける抗糖尿病作用について検討した。糖尿病の臨床における診断指標として、食後血糖値と空腹時血糖値の二つが用いられており、各々、死亡に対する独立した危険因子と考えられている。そこで、CS-917の食後高血糖に対する上昇抑制効果と空腹時血糖値に対する低下作用を別々に評価した。前者を流動食負荷時の血糖上昇に対する抑制作用を指標として、後者を絶食下における血糖低下作用を指標として評価し、いずれにおいても、CS-917は2.5~40 mg/kgの範囲で用量依存的な改善作用を発揮した。また、GKラットにCS-917を1日2回、10 mg/kgの用量で3週間の反復投与を行うと、CS-917は持続的な血糖低下作用を示した。以上の結果から、CS-917は非肥満インスリン分泌不全型糖尿病であるGKラットにおいて、持続的な抗糖尿病作用を発揮する事が明らかとなった。

次に、CS-917のGKラットにおける血糖低下作用について、その詳細な機序解析を行った。血糖値は、一般に糖産生と呼ばれる組織から血中への糖の流入と、血中から組織への糖の流出の2つのバランスによって成り立っているが、CS-917が血中への糖の流入と組織への糖の流出のいずれに影響を与えて血糖低下作用を発揮しているかを検討した。GKラットのCS-917投与による血糖低下作用発揮時に、[3H]ラベルされたグルコースを静脈投与し、その血中[3H]-グルコースの比活性を追跡した。組織から血中へ流入するグルコースは全て非ラベル体であることから、血中への糖の流入により、血中[3H]-グルコースの比活性は減衰するが、血中への糖の流入が抑制された場合には、この比活性の減衰は遅延する。CS-917投与群では血糖低下時に[3H]-グルコース比活性の減衰が対照群に比し遅延した。比活性の減衰と血糖値の推移を放射化学的な手法を用いて解析し、CS-917投与による血糖低下作用発揮時の糖の流入速度、及び、流出速度を算出した。その結果、GKラットにおけるCS-917による血糖低下作用発揮時には、組織から血中への糖の流入が抑制されていることが示された。一方、血中から組織への糖流出には影響を与えなかった。以上より、GKラットにおけるCS-917による血糖低下作用は、組織から血中への糖の流入抑制による事が示された。

組織から血中への糖の流入は、ピルビン酸や乳酸などの非糖質からグルコースを合成する糖新生と、摂食時に肝臓や骨格筋に蓄えられたグリコーゲン分解の2つからなりたっている。そこで、CS-917がこれらのいずれに作用する事で、血中への糖流入の抑制作用を発揮しているかを検討した。糖新生は[14C]-重曹(NaHCO3)静脈注射法により定量した。静脈注射された重曹中の[14C]は、糖新生経路のピルビン酸がオキサロ酢酸に変換される段階で組み込まれ、最終的にグルコース分子に取り込まれることから、血中の[14C]-グルコース生成量は糖新生量を反映すると考えられる。GKラットにおいて、CS-917投与による血糖低下作用発揮時に、[14C]-重曹を静脈注射後の血中の[14C]-グルコース生成量は、対照群に比し減少した。このことから、GKラットにおいてCS-917による血糖低下作用発揮時に糖新生が抑制されることが示された。一方、グリコーゲン分解への作用は、CS-917投与前と投与後の肝グリコーゲン含量を比較する事により評価した。CS-917投与により対照群に比し、肝グリコーゲン含量は減少した。これにより、GKラットにおいてCS-917による血糖低下作用発揮時に肝グリコーゲン分解が促進する事が示された。以上の結果から、GKラットにおけるCS-917による血糖低下時の糖流入抑制は、糖新生の抑制によるものであり、非肥満インスリン分泌不全型糖尿病であるGKラットにおいて、糖新生抑制がその血糖調節に重要な役割を果たす事が、直接的に示された。一方で、CS-917による血糖低下作用発揮時に、グリコーゲン分解は抑制されるどころか、むしろ代償的に促進している事が示唆された。

また、CS-917の血糖低下作用発揮時にどの臓器で糖新生抑制が起こっているのかを明らかにする為、生体内で糖新生を担う主要な臓器である肝臓、腎臓及び消化管における糖、及び、糖新生の基質の一つである乳酸の出入バランスを評価した。対照群のラットの各臓器の血液流入口に相当する血管内、及び、流出口に相当する血管内の血糖値、及び、乳酸値を比較すると、肝臓においてのみ入口(門脈)→出口(肝静脈)の血糖値の上昇(糖新生の増加を意味する)及び乳酸値の低下(糖新生基質の取り込みを意味する)が認められた。GKラットにCS-917を投与すると、この血糖値の上昇と乳酸値の低下は対照群に比べて抑制された。このとき、肝臓中ではFBPaseの基質であるフルクトース-1,6-ビスリン酸の増加と生成物であるフルクトース-6-リン酸の減少を認めた。一方で、腎臓や消化管においては、対照群において入口→出口の血糖値上昇・乳酸値低下は認めなかった。以上の結果から、GKラットにおける糖新生臓器として、肝臓が主要な役割を担っており、腎臓及び消化管の寄与は小さい事が示された。また、CS-917はGKラットにおいて、肝臓におけるFBPase阻害に基づく糖新生抑制を主作用として、血糖低下作用を発揮する事を示した。

最後に、CS-917投与時に見られたグリコーゲン分解の促進という現象に着目し、これを抑制する事により、さらに強力なCS-917の血糖低下作用が得られる可能性について検討した。GKラットに、CS-917と共に、グリコーゲン分解を抑制するホスホリラーゼ阻害剤・CP-91149を併用投与すると、CS-917による肝グリコーゲン分解が抑制され、より強力な血糖低下作用が発揮される事を示した。このことは、インスリン分泌不全型糖尿病モデルであるGKラットにおいて、糖新生とグリコーゲン分解を同時に抑制する事により強力な血糖低下作用が得られることを示す。

以上より、非肥満インスリン分泌不全型糖尿病モデルであるGKラットにおいて、CS-917は肝FBPase阻害に基づく糖新生抑制により、空腹時血糖低下作用、食後高血糖抑制作用を併せ持つ抗糖尿病作用を発揮する事が示された。今回GKラットにおいて得られた結果と、従来明らかになっていたCS-917が肥満インスリン抵抗性型糖尿病であるZucker糖尿病肥満ラットや欧米人において抗糖尿病作用を発揮するという事実から、CS-917は肥満インスリン抵抗性型の糖尿病患者のみならず、非肥満インスリン分泌不全型も含む広範な糖尿病において、血糖調節の有効な手段となる可能性を強く示唆する。

審査要旨 要旨を表示する

糖尿病は高血糖を主徴とする疾患であるが,その病態と疾患の分子メカニズムは多様である.このことが糖尿病の化学療法を難しくする要因となっている.現在,糖尿病の化学療法では,作用機序の異なる複数の化合物のうち,何と何を組み合わせて用いることが血糖調節のために有効なのかについて,患者ごとに試行錯誤を繰り返さざるを得ないのが実情である.吉田氏は,糖尿病に対する新しい血糖調節技術の実現を目指して,生体が非糖質から糖を合成する糖新生と呼ばれる代謝経路に注目している.その理由は,ほとんどの糖尿病患者において糖新生の亢進が明らかになっているので,糖新生を抑制する化合物が多様な糖尿病に対して一般性の高い化学療法を実現できるのではとの期待に基づいている.本研究において吉田氏は,糖新生の律速酵素であるフルクトース1,6-ビスフォスファターゼ(FBPase)の活性を阻害する化合物(CS-917)を用いて検討を行い,非肥満者や日本人を含むアジア人に多いインスリン分泌不全型の糖尿病に対して,糖新生経路を抑制することが血糖調節のために有効であることを明らかにしている.

本論文は8章で構成されている.第1章では,糖尿病に対する既存の化学療法の問題点やCS-917に関する先行研究等の研究背景,およびインスリン分泌不全型糖尿病のモデル動物として用いたGoto-Kakizakiラット(GKラット)の有用性等について説明し,本研究の目的を明確にしている.

第2章では,本研究に用いた実験材料および実験方法についてまとめている.

第3章では,CS-917がGKラットで血糖降下作用を示すのか否かについて検討し,糖尿病の二つの診断基準である絶食時高血糖と食後高血糖のいずれに対しても,CS-917が当該実験動物において血糖降下を誘起することを明らかにしている.糖新生経路を標的とする化合物がインスリン分泌不全型の糖尿病に対して血糖降下作用を発揮することを示したのは本研究が初めてである.

第4章と第5章では,放射化学的な手法に基づいて,第3章で明らかにしたCS-917の血糖降下作用に関するメカニズム解析を行っている.特に第4章では,[3H]-グルコースをトレーサーとして用いて,生体組織から血中への糖の流入と血中から生体組織への糖の流出をモニタリングする実験系を構築し,CS-917の血糖降下作用が生体組織から血中への糖の流入抑制に基づくことを明らかにした.第5章では,[14C]-炭酸水素ナトリウムをトレーサーとして用いて,第4章で明らかにしたCS-917による生体組織から血中への糖の流入抑制作用が糖新生の抑制に基づくことを証明した.複雑な血糖調節システムを内在する生体,特にインスリン分泌不全型糖尿病のモデル動物において,当該化合物による血糖降下メカニズムを明らかにしたことは非常に意義深い.

第5章ではさらに,CS-917により糖新生経路が抑制されると代償的にグリコーゲン分解経路が促進され,結果としてCS-917の血糖降下作用が減弱することを示すと共に,糖新生とグリコーゲン分解を同時に抑制することにより強力な血糖降下作用を発揮することを明らかにしている.この成果は,糖新生経路の抑制に基づく血糖調節を実現するためには,グリコーゲン分解経路を同時に抑制することが有効であることを示しており,糖新生抑制化合物を糖尿病の治療に用いる際に重要な指針を与えると評価できる.

第6章では,CS-917の血糖降下作用が発揮された臓器を特定するために,各臓器の入口と出口に相当する血管の血液グルコース濃度や糖新生基質の乳酸の濃度,および臓器内の糖新生代謝物濃度を測定している.この検討により,CS-917が肝臓において糖新生経路を抑制し,最終的に血糖降下を誘起することを明らかにしている.糖新生経路の抑制に基づく血糖降下の責任臓器を明らかにした点は高く評価できる.

第7章では,各章の一連の結果について総括するとともに,本研究で明らかとなった点と今後の課題を整理している.

第8章では,本論文の結論として,全体のまとめを述べている.

以上のように,吉田氏は,糖新生経路を抑制する化合物が,非肥満者や日本人を含むアジア人に多いインスリン分泌不全型の糖尿病の血糖調節に有効であることを示すと共に,当該化合物の生体での作用機序を明らかにした.本研究における吉田氏の研究成果は,肥満者や欧米人に多いインスリン作用不全型の糖尿病に対する糖新生抑制化合物の先行研究の成果と合わせて考えると、多様な病態を示す糖尿病に対して一般性の高い新しい血糖調節技術に繋がるものとして高く評価できる.

したがって,本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する.

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