学位論文要旨



No 217635
著者(漢字) 佐野,晋一
著者(英字)
著者(カナ) サノ,シンイチ
標題(和) 太平洋域における後期ジュラ紀~前期白亜紀の厚歯二枚貝相 : その古生物地理学上・進化史上の意義
標題(洋) Late Jurassic-Early Cretaceous rudist bivalves in the Pacific : their palaeobiogeographical and evolutionary implications
報告番号 217635
報告番号 乙17635
学位授与日 2012.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17635号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,一佳
 東京大学 教授 茅根,創
 東京大学 教授 加瀬,友喜
 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 准教授 佐々木,猛智
内容要旨 要旨を表示する

厚歯二枚貝は,後期ジュラ紀~白亜紀末にかけて,テチス地域を中心に栄えた,ヒップリテス目に属する二枚貝の1グループである.厚歯二枚貝は礁牲環境に生息し,後期白亜紀には炭酸塩岩プラットフォームの主要な構成要素となったことでも知られ,熱帯―亜熱帯海洋環境の存在を指示する化石として認識されてきた.また,大西洋の開裂に伴って,後期白亜紀にはテチス地域内に地中海区とカリブ海区という生物地理区が成立したが,厚歯二枚貝は生物地理区の良い指標とされ,炭酸塩岩プラットフォーム生物相の古生物地理の変遷を考える上でも重要である.太平洋は当時最大の大洋であり,厚歯二枚貝の豊富な化石記録の存在が期待される.しかしながら,太平洋域における厚歯二枚貝の存在は古くから知られるものの,不十分な同定に基づいた散点的な記録があるのみで,また同定の見直しが必要とされ,その詳細な古生物地理区の検討はほとんど行われていなかった.

本論文では,北西・中央・北東太平洋域の後期ジュラ紀~前期白亜紀の厚歯二枚貝について,最新の厚歯二枚貝の分類体系に基づき,従来報告された種の分類の見直しと新発見標本の同定を行った.厚歯二枚貝は,北西太平洋域では日本のみから知られ,少なくとも7科10種:レクイエニア科マセロニア亜科の未定種, エピディセラス科Epidiceras speciosum およびE. guirandi, ラディオリテス科Eoradiolites aff. gilgitensis, カプリナ科カプリナ亜科Pachytraga? の新種, カプリナ科カプリヌオイデア亜科の新属新種, "ディセラス科"の"Valletia" auris form, モノプレウラ科の未定種, ポリコニテス科Praecaprotina yaegashii および "Caprina" uwajimensisが産することが明らかとなった.このうち,厚歯二枚貝古生物地理の変遷を議論する上で重要と考えられる,新種2種 (Pachytraga? の新種, カプリヌオイデア亜科の新属新種),太平洋域初報告となる3種(Ep. speciosum, Ep. guirandi, Eo. aff. gilgitensis)については生物学的記載を行った.

中央太平洋域での厚歯二枚貝の記録は,海山頂の浅海性石灰岩からドレッジや深海掘削により得られたものと,フィリピンのセブ島に分布する火山砕屑物シークエンス中の石灰岩のものがあり,両者をあわせて,少なくとも4科9種:レクイエニア科Requienia cf. migliorinii およびKugleria sp.,カプリナ科カプリナ亜科Caprina mulleri, カプリナ科カプリヌオイデア亜科Huetamia sp.および Conchemipora skeltoni, "Coalcomanid indet. 1",モノプレウラ科 Debrunia cf. mutabilis, ポリコニテス科の新属新種およびPraecaprotina kashimaeの厚歯二枚貝が産出する.このうち,セブ島産のポリコニテス科新属新種については生物学的記載を行った.また,北東太平洋域の厚歯二枚貝の化石記録は北アメリカ大陸西部のカリフォルニア州北部やオレゴン州のもので,少なくとも科帰属不明のLithocalamus colonicusとカプリナ科カプリヌオイデア亜科Immanitas anahuacensisが産する.このうち,メキシコ中央部以外の地域からは初報告となる,カリフォルニア産I. anahuacensisの生物学的記載を行った.この結果,太平洋域には,後期ジュラ紀~前期白亜紀に生息したほとんどの科が存在することが明らかとなった.

太平洋域の厚歯二枚貝の化石記録に関して,これらの厚歯二枚貝と同属あるいは同亜科の前期白亜紀における層序学的・地理学的分布を整理し,その古生物地理学上および進化史上の意義について考察した.太平洋域の厚歯二枚貝古生物地理の変遷は次のようにまとめられる.厚歯二枚貝は,Oxfordian中頃のヨーロッパ西部における出現後まもなく,Kimmeridgian―Tithonian前期~Berriasianには北西太平洋域にまで分布を広げていた. Valanginian~Hauterivianの化石記録は知られていないが,Barremianには汎世界的な分布を示す.Aptian前期には地中海区とカリブ海区が成立したが, Aptianの北西―中央太平洋域には地中海区要素,南西アジア域との共通要素,カリブ海区要素,太平洋独自要素が存在する.特に,西南日本におけるカプリナ科カプリヌオイデア亜科厚歯二枚貝の存在は,従来認識されていなかったこの時期にも,同亜科が主たる分布域のカリブ海区から太平洋をわたって分布を広げていたことを示唆する.Albianには,北西太平洋域には厚歯二枚貝の化石記録がなくなるが,中央太平洋域においては,同地域のAptianの厚歯二枚貝に類似した太平洋独自要素が存在する.また,C. mulleriは同時期のイベリア地域から報告されたC. choffatiに酷似するが,同属はAptian後期~Albian中期の化石記録が世界中のどこからも知られておらず,太平洋域を「避難所」とし,Albian後期に中央太平洋域から地中海区に分布を広げたものと考えられる.一方,北東太平洋域からのAlbian後期のImmanitasの産出はカリブ海区との共通性を示唆する.

太平洋において,Albianに,厚歯二枚貝をはじめとするテチス系生物群が段階的に絶滅したバイオイベントが生じている.このイベントは,地中海区やカリブ海区には認められない太平洋区独自のものである.古海洋モデリングにより,白亜紀中頃の,大気中の二酸化炭素濃度の上昇や赤道大西洋ゲートウェイの開裂によって,太平洋において,"冷たい"水塊の形成や,海洋循環や熱輸送の変化が生じることが示唆されており,これがテチス系生物群の消滅に影響を与えた可能性がある.

厚歯二枚貝の「太平洋をこえた分布拡大」が,白亜紀末だけでなく,前期白亜紀後半にも成立していたことが明らかとなったが,地中海区のイクチオサルコリテス科の,カリブ海区のカプリナ科カプリヌオイデア亜科からの起源や,地中海区から北西太平洋域に分布するHoriopleura? juxiおよび"Caprina" uwajimensisと,カリブ海区のTepeyaciaという近縁種の隔離分布といった,厚歯二枚貝進化史上の謎を解決する糸口となる.太平洋を経由しての地中海区とカリブ海区の連絡は,厚歯二枚貝の化石記録がないCenomanianからSantonianに消滅したと考えられ,さらに CampanianからMaastrichtianに再成立する.

前期白亜紀の厚歯二枚貝の進化史において,Aptian初頭に生息した属の75%がAptian前期末までに絶滅したとされる,「Aptian中頃の危機(mid-Aptian crisis)」が注目される.マセロニア亜科やカプリナ科などは「Aptian中頃の危機」で著しい影響を受け,地中海区やカリブ海区にはAptian後期の化石記録が知られないが, Albianに再び産出するようになる.今回, これらの系統のAptian後期,あるいはAptian―Albianの化石記録が太平洋域に存在することが初めて明らかとなった.このことは「Aptian中頃の危機」の時期に,太平洋域の海洋環境条件が他地域とは異なっており,他地域では絶滅した系統の避難所の役割を果たしていたことを示す.また,カリブ海区においては,厚歯二枚貝のAptian後期の産出記録が従来知られていない.カリブ海区のAlbianを代表するカプリヌオイデア亜科やポリコニテス科などと同様の特徴を持つAptian-Albianの厚歯二枚貝が太平洋域に知られており,カリブ海区のAlbianの厚歯二枚貝相の起源が太平洋域に存在する可能性を示唆する.さらに,Aptian-Albianの太平洋域には,後期白亜紀に繁栄したヒップリテス科やプラギオプチクス科の祖先形と考えられるポリコニテス科の属が含まれている点でも注目される.

太平洋域のAptian―Albianの厚歯二枚貝相は,「Aptian中頃の危機」を乗り切った系統と太平洋独自要素によって特徴づけられる独自の生物地理区「太平洋区」を構成しており,太平洋域は当時の生物多様性の中心地の一つとして位置づけられる.さらに,太平洋区の厚歯二枚貝は,地中海区やカリブ海区への再進出によって,白亜紀中頃の厚歯二枚貝の進化史に重要な役割を果たしたものと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

厚歯二枚貝は、後期ジュラ紀~白亜紀末にかけて栄えた、異歯亜綱馬歯貝目を構成する二枚貝である。白亜紀には世界的規模での古生物地理区の分化や、環境変動に起因する生物相の大規模な入れ替わりが生じており、白亜紀の熱帯域を代表する化石である厚歯二枚貝は古生物地理区の認定や環境変動の評価などの重要な研究対象とされてきた。しかし、太平洋は当時最大の海洋であったにもかかわらず、厚歯二枚貝の産出が散発的で、保存状態も悪く、かつ時代論や古地理が明確でないとされ、太平洋域の化石記録は世界的にほとんど無視される状況にあった。

論文提出者は、自ら採集した化石および国内外研究機関収蔵化石の分類学的研究に基づき、後期ジュラ紀から前期白亜紀末におよぶ、太平洋域の多様な厚歯二枚貝相の実体を解明した。さらに、同時代の他地域の化石記録との比較から、1)太平洋熱帯域の生物群地理区がダイナミックな変遷をたどったこと、2)「Aptian中頃の危機」において太平洋域の厚歯二枚貝が世界的な「避難所」として、当時の「多様性の中心地」となる独自の生物地理区「太平洋区」を構成したこと、3)その後、太平洋区からの再移入によって他地域での厚歯二枚貝相の再編が生じたことなど、厚歯二枚貝古生物地理学上・進化史上の新しい見解を導き出すことに成功した。

本論文は、4章からなる。第1章のイントロダクションでは、厚歯二枚貝の研究史、殻体の形態学的特徴、および上科・科レベルの最新の分類体系と分類学的評徴がまとめられている。第2章は、太平洋域の厚歯二枚貝相に関する総括であり、太平洋各海域における研究史と産出化石の最新の分類学的位置が述べられている。分類の見直しの結果、後期ジュラ紀~白亜紀最初期、前期白亜紀のBarremian、Aptian、Albianに、当時地球上に存在したほとんどの科に相当する、少なくとも7科21種におよぶ多様な厚歯二枚貝相が太平洋域に存在したことが明らかとなった。

第3章では、新属新種2種および既存属の1新種、太平洋域で初報告となる4種が生物学的に記載されている。特に,太平洋を越えての分布拡大が成立した証拠となる、カリブ海区要素の厚歯二枚貝の産出、またAptianとAlbianに太平洋区特有の分類群と考えられる2新属の存在を明らかにした。

最後の第4章では、太平洋域の厚歯二枚貝の古生物地理学上および進化史上の意義が述べられている。論文提出者は、太平洋域の厚歯二枚貝の化石記録を地中海区やカリブ海区のものと比較することにより、太平洋域の熱帯生物群地理区が、1)後期ジュラ紀に北西太平洋域にまで進出し、 Barremianまで世界的にほぼ一様に分布した、2)Aptian前期に、当時分化し始めた地中海区とカリブ海区の両要素が北西太平洋域に到達した、3)Aptian後期~Albianに、他地域で絶滅したグループの生き残りと、太平洋独自要素で特徴づけられる生物地理区「太平洋区」が成立した、4)後期白亜紀前半には「太平洋区」が消滅した(化石記録が欠如する)、というダイナミックな変遷をたどったことを明らかにした。さらに,従来、太平洋は底生生物の分散を妨げるバリアーとされてきたが、前期白亜紀後半に太平洋を越えた分布拡大が成立しており、太平洋をはさんだ近縁種の隔離分布を説明できること、太平洋区という「避難所」からの再移入によって、Albianに、カリブ海区独特の厚歯二枚貝相の再編が生じたことなどを示した。

本論文は、層序や時代論のきちんとした評価、厚歯二枚貝の分類学的研究の最新の知見を反映させた上で、太平洋域の厚歯二枚貝相を世界基準で初めて明らかにしたものである。この基盤の上に立ち、世界的規模での熱帯生物群の古生物地理の変遷、さらには、白亜紀中頃における 「避難所」や「多様性の中心地」の存在といった、太平洋の厚歯二枚貝相が厚歯二枚貝進化史に果たした役割について、きわめて独創性の高い結論を得ている。これらは、今後、白亜紀の地球環境変遷の研究において検証、あるいは束縛条件として利用されるとともに、さらには、他の時代の地球環境変遷史と生物進化の関連性を検討する際にも貢献するものと考えられる。

なお、本論文のうち、生物学的記載の一部はP. W. Skelton、渡来めぐみ、伊庭靖弘、近藤康生、佐藤裕一郎、J. Aguilar-Perez、棚部一成との共同研究であるが、論文提出者が主体となって標本観察および考察を行い、筆頭著者としてまとめたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

これらの点を鑑み、審査委員全員は本論文が地球惑星科学、とくに地球生命圏科学の新しい発展に寄与したと評価し、本論文を博士(理学)の学位を受けるに値すると判断した。

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