学位論文要旨



No 217661
著者(漢字) 稲垣,武之
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,タケユキ
標題(和) 原子力発電プラント重要機器・構造物の体系的かつ効率的な経年劣化管理に関する研究
標題(洋)
報告番号 217661
報告番号 乙17661
学位授与日 2012.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17661号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 笠原,直人
 東京大学 准教授 出町,和之
 東京大学 教授 吉村,忍
内容要旨 要旨を表示する

原子力発電プラントは、ウラン等の原子燃料の核分裂によるエネルギーを取り出し、電気を作り出す施設である。このため、核分裂を安全なレベルに制御するとともに放射性物質のプラント外部への放出を防止し、プラントの安全を確保することが、プラントを所有・運転する発電事業者(以下、事業者)にとって最優先の課題となっている。国際原子力機関(以下IAEA)のSafety Fundamentalsは、原子力エネルギーの利用における安全確保の基本目的は「放射線による有害な影響から人および環境を守る」ことであるとし、原子力施設において合理的に達成しうる最高レベルの安全が達成されるよう、対応措置を講じることを求めている。

また、原子力発電プラントは、複雑な関係を有する多数の機器・構造物で構成される巨大なシステムであり、事故が発生すると社会、環境に大きな影響を与えるだけでなく、計画外で停止(特に複数プラントが同時に停止)した場合に経済活動へ与える影響も大きい。この意味で日本学術会議が定義する「巨大複雑系社会経済システム」に該当する。こうしたシステムに起因するリスクに対応していくには、このようなシステムの性格を理解した上で、システム全体を俯瞰し、システムの価値とシステムに起因するリスクに関する種々のトレードオフを把握すること、そのために必要な力量を有する人材をプラントにおいて育成・確保すること、それらの人材が円滑に活動できる体制・組織と業務プロセスを確立することが重要であると考えられる。

プラントを構成する機器・構造物のほぼ全ては、一旦供用を開始すると運転による負荷や設置環境による劣化が避けられない。こうした劣化を放置すると経年的に進行し、あるレベルに達すると機器の機能を阻害する可能性もある。このため、重要な機器・構造物の劣化を管理し、それらの機能が阻害される前に適切な対応措置を講じる経年劣化管理が、プラントの安全性、信頼性を維持する上で不可欠なものとなっている。原子力の場合、一部の機器・構造物が放射線環境に晒されているため、一般産業よりも経年劣化メカニズムが複雑で、保全活動も難しい。このため、事業者は巨大複雑系社会経済システムである原子力発電プラントの特質を十分に理解した上で、経年劣化管理活動を体系的かつ効率的に展開し、プラントが運転年数によらず、社会・環境がもとめる最高水準の安全性と信頼性を維持に努める必要があると考えられる。

IAEAは1990年代初頭から本問題に着目しており、2008年に「原子力発電所の経年劣化管理に関する安全指針」を発行している。同指針は、原子力発電プラント機器・構造物の経年劣化管理に関し、メンバ国の良好事例に基づく重要な推奨事項を提供している。経年劣化管理はプラントを所有する国々にとって共通の課題であり、多くの国が上記IAEA安全指針等の推奨事項を踏まえ、管理活動を展開している。日本においても、通常の保全活動に加えて、運転開始後30年を迎えるプラントについて高経年化技術評価が実施され、評価結果に基づく追加保全策が策定・履行されている。さらに、経年劣化を考慮し通常保全を最適化する取り組みも開始されている。しかしながら、体系的かつ効率的な経年劣化管理という観点で見ると、事業者の活動には体制面や関連情報の収集・管理、運転や水化学面の対応等において依然改善の余地があると考えられる。

以上のような状況を踏まえ、本研究は、国内の経年劣化管理活動と関連国際標準の推奨事項や海外の事例との比較をもとに、国際標準の推奨事項を国内の状況を考慮して具体化するとともに、筆者の経験や独自の考え方に基づく改善を加え、海外の事例よりも一歩進んだ管理のあるべき姿を提示することを目的としている。

本研究論文は、第1章の序論、第9章の結論を含む9章で構成されており、原子力発電プラントを構成する重要な機器・構造物の経年劣化管理活動について、(1)国際標準の推奨事項や海外プラントの事例と国内の活動との比較調査、(2)経年劣化管理のグランドデザイン(将来あるべき姿)の作成、(3)グランドデザインの主要構成要素(研究課題)に対するソリューション(あるべき姿の仮説)の提示、(4)提示した仮説の検証というステップに沿って議論・検討した結果をまとめたものである。

第2章では、原子力発電プラントの機器・構造物の経年劣化管理に関し、国内の取り組みの現状、関連国際標準の推奨事項、海外の取り組み状況を調査、比較した。さらに、その結果を踏まえて、体系的かつ効率的な経年劣化管理のグランドデザインを作成し、それを実現させるために本研究で検討すべき課題を整理した。

第3章では、経年劣化管理を行う上で重要な前提条件である、管理体制整備、スタッフの教育・訓練、情報の収集・管理、関連プログラムの整備について議論、検討し、管理体制についてソリューションを提示した。

第4章では、運転フェーズの経年劣化管理プロセスについて検討した。具体的には、管理対象範囲の特定、対象機器・構造物の具体的な選定・優先順位付け方法、経年劣化管理ロセスフロー、経年劣化管理プログラムが有するべき特性(Attributes)等について議論、検討し、それぞれについてソリューションを提示した。

第5章では、原子力発電プラントの高経年化に伴って事業者が自主的に実施すべき経年劣化管理総合検証の目的、対象とすべき機器・構造物と経年劣化事象の組み合わせの選定及び評価方法を議論、検討し、対象とすべき機器・構造物と経年劣化事象の組み合わせの絞り込み・評価フローについてソリューションを提示した。

第6章では、経年劣化管理プログラム及びプラント寿命管理プログラムを支援する情報・知識ベースが果たすべき役割と持つべき機能、蓄積すべき具体的な情報や知識、情報・知識ベースの構造やそのアウトプットである経年劣化管理シートの内容について議論、検討し、ソリューションを提示した。

第7章では、沸騰水型プラントにおける重要機器の代表として原子炉圧力容器およびケーブルを選定し、第4章や第5章で論じてきた、機器の理解、想定経年劣化事象の有意性検討、有意な経年劣化事象に対する個別プログラムの「経年劣化管理のAttributes」を用いた有効性評価、経年劣化管理プロセスフローの作成、高経年化運転に向けた総合検証内容の検討を模擬的に実施した。

第8章では、プラントライフサイクルに亘る経年劣化管理プロセスというコンセプトを議論、検討し、プロセスフローを作成した。また、サイクルの各ステップにおいて留意すべき重要事項の抽出、整理を試みた。

第3章から第8章において議論、検討し提示したソリューションの中でも、特に以下については筆者独自の考え方を主体としたものを提示できたと考えられる。

対象機器・構造物の選定及び優先順位付けフロー

経年劣化管理プロセスフロー

想定経年劣化事象の有意性検討フロー

経年劣化管理プログラムが有するべき特性(Attributes)

経年劣化管理活動を支援する情報・知識ベース(教育訓練プログラムを含む)

これらのソリューションについては、国際標準の関連推奨事項や海外の同様の取り組みとの比較を行い、体系的かつ効率的な経年劣化管理への寄与度や実プラントへの適用性を主眼に評価を実施した。その結果、いずれも国際標準の関連推奨事項の内容をさらに改善したもので、妥当であるとの結論に至った。また、第8章までの議論、検討により、今回提示したソリューションを実プラントに適用していけば、第2章で提示した体系的かつ効率的な経年劣化管理のグランドデザインが実現可能であることを確認することができた。このことから、本研究の目的は達成されたものと考えられる。

以上の検討結果を踏まえ、改めて体系的かつ効率的な経年劣化管理のあり方を描いてみる。理想的な管理を達成するには、トップマネージメントの強力なサポートのもと、十分な教育を受けた専門のエンジニアリング組織が中心となり、プラントの関連する全て部門が密接に協力しあうことがまず第一歩となると考えられる。経年劣化管理活動はプラントの設計段階からすでに始まっており、設計、製造、建設、試運転の段階で十分な情報を蓄積し、実際の管理プログラムは運転のできるだけ初期の段階で実施し始めることが望ましい。プラントは多数の機器・構造物で構成されていることから、管理の対象とする機器・構造物の範囲の特定、個別プログラムの優先順位付けが重要となると考えられる(図-1参照)。さらに、実施体制の確立や情報の収集・管理、プログラムを継続的に改善する品質保証体系がプログラムの遂行に不可欠であると考えられる。

また、経年劣化を体系的かつ効率的に管理するには、経年劣化事象を十分に理解することが基本となるが、この際、経年劣化メカニズム(物理的、化学的ないしは生物的な経年的変化プロセス)とその結果として実際に顕在化する経年劣化効果とを明確に区分けして検討・評価を実施し、機器・構造物に現れる劣化の兆候を早期に確実にとらえることが重要であると考えられる。さらに経年劣化管理プログラムの有効性を定期的に評価し、改善していく必要があると考えられる(図―2参照)。

このように、当初想定した運転期間中から体系的かつ効率的な経年劣化管理を開始し、高経年運転フェーズにつなげていくことが、プラントの安全、安定運転を維持していく上で非常に重要である。ただし、高経年運転フェーズでは、運転開始当時想定していない劣化事象が有意となる可能性が高くなってくることから、同フェーズに入る前に現状の経年劣化管理活動の有効性を総合的に検証し、高度化する必要があると考えられる。

プラントライフサイクルの最終段階である廃炉のフェーズに入ったプラントは、経年劣化に関する情報、知識の宝庫である。これらの情報・知識を新規プラントに効率的に活用するため、事業者として重要なポイントを整理し、テスト・情報収集プログラムを構築、実施する必要があると考えられる。

原子力発電プラントの経年劣化管理はプラントライフサイクル全般に及び、非常に長期間の活動となる。本研究の議論している個々の活動も長期間にわたるものである。この間にはスタッフも代替わりし、重要な知識や情報の散逸の可能性が高くなる。このため、情報・知識ベースのサポートが不可欠であると考えられる。

今後、本研究で検討、提示したグランドデザインやソリューションをできる限り実プラントに適用していくことが重要と考えられる。適用後は以下のようなパラメータの監視や評価を実施することで、本研究で提示した内容の妥当性が確認できるものと考えられる。

プラントの安全性や信頼性に重要な機器・構造物における、経年劣化による故障、損傷の発生率の監視(機器・構造物の点検手入れ前データの改善やMPFFを含む劣化に起因する設備不適合の発生率低減等)

設備不適合に起因する予期せぬプラント過渡事象発生率の低下、プラントパフォーマンスの監視(設備稼働率の向上、設備不適合に起因する計画外停止率の低下等)

経年劣化の評価に基づく保全プログラムや運転(含む水化学)プログラムの改善提案数と内容の評価(合理化提案も含む)

経年劣化管理活動に関する国内外の類似プラントとのベンチマーキングや相互ピアレビュー、第3者機関によるピアレビュー等

なお、本研究は主に物理的経年劣化の観点に着目したが、今後は、供用開始直後に発生する初期故障や運転中に発生するランダム故障や強制劣化も考慮した保全の高度化、さらには、福島第一原子力発電所の事故を教訓とした深層防護に基づく非物理的経年化管理等の研究にも努めていきたい。

図-1 経年劣化管理の観点からみたプラント機器・構造物の分類

図-2 経年劣化管理プロセスフロー

審査要旨 要旨を表示する

原子力発電プラントは一基あたり数万の機器・構造物から構成される巨大システムであり、放射線環境下に置かれることから、一般産業の機器・構造物よりも経年劣化メカニズムが複雑であり、保全活動にも制約がある。本研究は、原子力発電プラント機器の経年劣化管理活動と関連する国際基準・ガイド、他国のプラクティスの比較・検討を実施し、体系的かつ効率的な経年劣化管理プログラムの構築・実践・評価・改善のあり方を検討しその検証を行うことを目的としている。

本論文は、原子力発電プラントを構成する重要な機器・構造物の経年劣化管理活動について、(1)国際標準の推奨事項や海外プラントの事例と国内の活動との比較調査、(2)経年劣化管理のグランドデザイン(将来あるべき姿)の作成、(3)グランドデザインの主要構成要素(研究課題)に対するソリューション(あるべき姿の仮説)の提示、(4)提示した仮説の検証というステップに沿って議論・検討した結果をまとめたものであり、全9章で構成されている。第1章は、序論であり、研究が対象とする経年劣化事象を定義するとともに、非物理的経年化と福島第一原子力発電所事故との関連を考察している。

第2章では、原子力発電プラントの機器・構造物の経年劣化管理に関し、国内の取り組みの現状、関連国際標準の推奨事項、海外の取り組み状況を調査、比較している。さらにその結果を踏まえ、体系的かつ効率的な経年劣化管理のグランドデザインを作成することに成功しており、さらにそれを実現させるために本研究で検討すべき課題を整理している。

第3章では、経年劣化管理を行う上で重要な前提条件である、管理体制整備、スタッフの教育・訓練、情報の収集・管理、関連プログラムの整備について議論、検討し、管理体制についてのあり方を提示している。第4章では、運転フェーズの経年劣化管理プロセスについて検討している。具体的には、管理対象範囲の特定、対象機器・構造物の具体的な選定・優先順位付け方法、経年劣化管理ロセスフロー、経年劣化管理プログラムが有するべき特性(Attributes)等について議論、検討し、それぞれについてオリジナリティのあるソリューションを提示することに成功している。

第5章では、原子力発電プラントの高経年化に伴って事業者が自主的に実施すべき経年劣化管理総合検証の目的、対象とすべき機器・構造物と経年劣化事象の組み合わせの選定及び評価方法を議論して、対象とすべき機器・構造物と経年劣化事象の組み合わせの絞り込み・評価フローについてその枠組みとあるべき姿を明示している。第6章では、経年劣化管理プログラム及びプラント寿命管理プログラムを支援する情報・知識ベースが果たすべき役割と持つべき機能、蓄積すべき具体的な情報や知識、情報・知識ベースの構造やそのアウトプットである経年劣化管理シートの内容について議論、検討し、国際標準の関連推奨事項や海外の同様の取り組みとの比較を通じて、その設計の方針を提示することに成功している。

第7章では、沸騰水型軽水炉プラントにおける重要機器の代表として原子炉圧力容器およびケーブルを代表的な例として選定し、第4章や第5章で議論された、機器の理解、想定経年劣化事象の有意性検討、有意な経年劣化事象に対する個別プログラムの「経年劣化管理のAttributes」を用いた有効性評価、経年劣化管理プロセスフローの作成、高経年化運転に向けた総合検証内容の検討を模擬的に実施している。

第8章では、プラントライフサイクルに亘る経年劣化管理プロセスというコンセプトを議論、検討し、プロセスフローを作成した。また、サイクルの各ステップにおいて留意すべき重要事項の抽出、整理を試みた。第9章は結論であり、特に対象機器・構造物の選定及び優先順位付けフロー、経年劣化管理プロセスフロー、想定経年劣化事象の有意性検討フロー、3)経年劣化管理プログラムが有するべき特性(Attributes)、経年劣化管理活動を支援する情報・知識ベース(教育訓練プログラムを含む)の観点から、体系的かつ効率的な経年劣化管理への寄与度や実プラントへの適用性に優れ、いずれも国際標準の関連推奨事項をさらに改善しうる内容であると結論づけている。

以上を要するに、本論文は原子力工学、特に原子力発電プラントのシステム安全に係る学術に寄与するところが少なくない。

よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として工学と認められる。

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