学位論文要旨



No 217662
著者(漢字) 番匠,克二
著者(英字)
著者(カナ) バンショウ,カツジ
標題(和) 日光国立公園戦場ヶ原湿原における保全意識と保全対策の変遷
標題(洋)
報告番号 217662
報告番号 乙17662
学位授与日 2012.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17662号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,繁
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 准教授 小野,良平
 東京大学 准教授 古井戸,宏道
 東京大学 教授 斎藤,馨
内容要旨 要旨を表示する

各地の国立公園の現場では,指定された自然の風景地を保護するための施策が展開されている。本研究は,各国立公園の重要な構成要素である自然資源の保全管理施策の重要性に着目し,他の地域と比べて古くからさまざまな課題が顕在化し,それに対する対策がとられてきた日光国立公園の戦場ヶ原湿原を対象として,その保全意識と保全対策の変遷を明らかにしようとしたものであり,以下の5章により構成している。

第1章では,本研究の背景,目的及び方法について記述した。

戦場ヶ原は,その景観や湿原生態系に高い価値が認められ,日光国立公園の特別保護地区として指定され,保全されている地域である。戦場ヶ原は,首都圏から近く古くから道(現在の国道120号線)が湿原の中を通り,利便性が高い場所であったこともあり,さまざまな保全上の問題が発生してきている。そのため,戦場ヶ原では,わが国の湿原の中でも早い時期から有識者によって湿原保全の必要性が指摘され,さらに,シカによる植生被害も比較的早い1990年代から発生し,これらに対する対策がとられてきた。本研究は,先駆的に湿原保全対策が行われ,さらに現在全国的に問題となっているシカによる植生被害対策が活発に行われている戦場ヶ原での保全管理の背景や実態を明らかにすることが,実際に各地で行われている自然資源の保全対策を適切に進めるための知見を提供するという観点から大きな意味があると考えたことから,日光国立公園戦場ヶ原湿原の保全意識と保全対策の変遷について明らかにすることを目的とした。具体的には,(1)保全意識の発現とその変化を示すことにより保全意識の変遷を明らかにすること,(2)実施されたさまざまな保全対策やその考え方の変遷を明らかにすること,(3)保全対策の中で現在最も重要なシカ対策の変遷を明らかにすること,の3点である。研究の方法は,各種文献,環境省・栃木県の行政文書や報告書などの資料分析を中心に,補完的に実際の対策についての現地調査を実施して行った。

第2章では,戦場ヶ原湿原における明治期から昭和期までの保全意識の変遷を明らかにした。その際,すべての関係者の保全意識が一致しているわけではないことから,専門家及び国立公園行政の意識と,地方行政や他分野の行政機関及び一般利用者の意識に分けてそれぞれの保全意識を捉え,それらの関係についても考察を行った。

戦場ヶ原は明治期において先駆的な植物学者によりその重要性が認められ,大正期には自然破壊が指摘されるとともに自然保護論が述べられるようになっていた。つまり,一般的にはまだ戦場ヶ原の認知度は低かったものの,専門家においては既に大正時代の早い時期から保全意識が生じていた。その意識がその後昭和期に入って国立公園行政へと引き継がれ,昭和のはじめの国際観光推進の考え方や,戦後すぐの戦後復興と観光開発の影響を大きく受けながらも,保全意識を継続的に保持しながら国立公園の各種の計画が策定され,1957(昭和32)年の特別保護地区の指定につながったといえる。しかし,この頃までは計画として指定しただけに留まっており,消極的な保全意識といってもよいものであった。地方行政や他分野行政においては,交通機関の発達や国立公園候補地としての請願により大正時代の頃から戦場ヶ原湿原の風景が認知されたが,国際観光推進の考え方から冷涼で開放的な風景をもつ整備適地としての捉え方が強く,大規模な開発が計画された。カラマツ植林のための排水路作設,農地の開拓,側溝の整備などが実施され,湿原についての保全意識は1965(昭和40)年頃まではみられない。さらに,戦後の利用者の急増期に保全意識のない一般利用者により湿原の荒廃が進むこととなった。こうした湿原の荒廃を背景に,1965(昭和40)年頃からは,乾燥化というキーワードが使用され,保全のための調査や対策を実施するという積極的な保全意識が国立公園行政において顕在化し,それが地方行政や事業者など国立公園行政以外の者にも波及して保全意識が広がっていくこととなったと考えられることがわかった。

第3章では,第2章で明らかにした積極的な保全意識の顕在化を背景として1970年代から実施された戦場ヶ原湿原における保全対策を整理し,時代区分を行って変遷を追った。また,それらの対策のもととなった文書を分析することで保全対策の背景にあったであろう湿原に対する認識や対策をとるにあたっての考え方の変化について明らかにした。時代区分については,保全対策を整理したところ概ね10年毎に特徴がまとめられると考えられたため,1970年代から2000年代までの4期とした。

1970年代(対策着手期)には,1960年代終わりに始まった調査研究に対応して対策を実施したものの道路側溝の埋め戻しなど限定的なものにとどまった。その後,1980年代(総合対策準備期)にはさまざまな調査が実施され,保全管理の方針が作成されるなど対策のための基盤が整えられた。それを受けて1990年代(総合対策期)には,土砂流入防止のための河川改修,植生復元,排水溝対策などのさまざまな対策が多くのセクターにより実行された。そして,2000年代(シカ対策期)には,シカの増加による湿原植生への大きな影響が最大の問題となり,広さ900haにもなるシカ侵入防止柵が整備されるなど対策が進められた一方で,その他の課題に対しては1990年代のような対応はとれずに対策が十分とはいえない状況も見られることが明らかとなった。また,対策にあたっての湿原の現状認識について,1970年代の湿原全体が人為の影響により乾燥化しているという認識から,1980年代以降の局所的には人為の影響があるものの全体としては健全に保全されているという認識に大きく移り変わってきていることがわかった。さらに,湿原保全のための基本方針をまとめた文書においては,人為により復元するとしていた対策の基本方針が近年では影響要因を排除することにより自然回復に委ねるとされるなど考え方が変わってきていることが示された。

第4章では,戦場ヶ原湿原において近年最も重要な保全対策であるシカ対策について,実施された対策や調査を整理し,変遷を明らかにした。さらに,シカ対策の考え方の変化により実施された柵内へのシカの侵入を防止するために最も重要なシカ侵入防止柵の開放部対策について,具体的な対策と対策の効果を行政機関が対策に合わせて実施した調査のデータを用いて検証した。そして,開放部対策を含めた追加的なシカ対策の効果について,各種主体が実施した調査のデータを用いて明らかにした。

シカ侵入防止柵設置後1~2年間は一定の植生の回復傾向が確認されたが,追加的なシカ対策が実施されなかったことから2004~2005年頃には植生の回復がほとんど見られなくなっていた。これはシカの排除を目的として柵を設置したにも関わらず柵内に多くのシカが生息する状況にあったため,初期の回復を超える効果が見られない状況となったからではないかと考えられる。そうした状況を受けて,柵設置の効果を見るために湿原の回復状況を調査していれば良いという考え方から,対策を拡充しなければならないという考え方に大きく変化したことがわかった。そして,2005年度に柵内へのシカの侵入を減少させるための追加的なシカ対策が実施されはじめ,2006年度からはさまざまな対策が本格的に実施されるとともに,調査についても対策をとるための根拠として必要となるシカの動きや密度に関する調査が主として行われるようになった。こうした中で,シカ柵内への侵入防止対策として最も重要と考えられた開放部における侵入防止対策が実施された。実施された3種類の対策(河川開放部への侵入防止ネット設置,道路開放部へのグレーチングの設置,道路開放部への超音波装置の設置)の実施過程を整理し,自動撮影装置による侵入状況の確認の結果から対策の効果を検証したところ,対策後のシカの侵入が少なくなったことが確認され,いずれの対策も効果があったことが示された。また,開放部対策をはじめとするシカ対策が実施された結果,2008年度の生息数は2006年度の1/5~1/7程度の頭数となり,植生も急速に回復しつつあると考えられ,2005年度に対策についての考え方を大きく変えたことがこうした効果につながったことがわかった。

第5章では,本研究の結論をまとめるとともに,今後の課題として,国立公園における自然資源の保全管理を適切に進めていくためにも,こうした個別の地域の自然資源を対象として保全意識や保全対策を研究した事例が増えていくことが望ましいことを挙げた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、国立公園における自然資源の保全管理施策の重要性に着目し、古くからさまざまな保全上の問題が顕在化し、それに対する保全対策が早い時期からとられてきた日光国立公園の戦場ヶ原湿原を対象として、その保全意識と保全対策の変遷を明らかにしようとしたものである。

第1章では、本研究の背景、目的及び方法をまとめている。大きくは戦場ヶ原湿原での保全管理の背景や実態を明らかにすること、具体的には、(1)保全意識の発現とその変化を示すことにより保全意識の変遷を明らかにすること、(2)実施されたさまざまな保全対策やその考え方の変遷を明らかにすること、(3)保全対策の中で現在最も重要なシカ対策の変遷を明らかにすること、を本研究の目的としている。これは、各地で行われている自然資源の保全対策を適切に進めるための知見を提供する観点からも重要な課題であるといえる。

第2章では、戦場ヶ原湿原における明治期から昭和期までの保全意識の変遷を明らかにしている。明治期に植物学者によりその重要性が認められ、大正期には自然保護論が述べられるようになっていたこと、その意識が昭和期に入って国立公園行政へと引き継がれ、戦後復興と観光開発の影響を受けながらも1957(昭和32)年に特別保護地区の指定がなされたが、これは計画として指定しただけに留まった消極的な保全意識であったといえることを指摘している。そして、1965(昭和40)年頃からは、保全のための調査や対策を実施するという積極的な保全意識が国立公園行政において顕在化し、それが国立公園行政以外の者にも波及して保全意識が広がっていったと考察している。本章では、専門家の指摘から保全意識が生まれ、その保全意識が積極的なものとなって地方行政等に波及し、幅広い保全対策の実施につながるプロセスを明らかにしており、評価できる。

第3章では、1970年代から実施された保全対策を整理し、時代区分を行って変遷を追っている。わかりやすく着手しやすい対策が行われた1970年代を対策着手期、さまざまな調査が行われた1980年代を総合対策準備期、多くのセクターによりさまざまな対策が実施された1990年代を総合対策期、シカ対策を重点的に実施した2000年代をシカ対策期と整理し、総合対策期におこなわれたさまざまな対策がシカ対策期では不十分になったことを明らかにしている。また、湿原の現状認識が1980年頃に変化していること、人為により復元するとしていた対策の基本方針が近年では自然回復に委ねるとされるなど考え方が変わってきていることを明らかにしている。本章で行われている自然資源保全の行政施策のさまざまな考え方や内容とその変遷の分析は類例がなく評価できる。

第4章では、近年の最重要保全対策であるシカ対策について、実施された対策や調査を整理し、2001年度のシカ侵入防止柵の設置以降、湿原の回復状況を調査しているだけだったものが、2005年度からは追加的なシカ対策やそのための調査が実施され、対策を拡充する方向へ大きく考え方が変化したことを明らかにしている。また、こうした考え方の変化により実現した対策について、最も重要な開放部における3種類の対策と開放部対策を含めた追加的な対策による効果を各種主体が実施した調査のデータを用いて整理し、2005年度に対策についての考え方を大きく変えたことが効果につながったことを明らかにしたうえで、対策と調査とを連携させ、工夫を重ねて対策を充実させていくことが重要であることを考察している。本章の知見は、現在全国のシカ対策のみならず保全施策全体を適切に進めていくために必要な視点を提供している。

第5章では、結果をまとめるとともに、戦場ヶ原湿原の保全対策の事例をもとに戦場ヶ原湿原の今後の保全管理や他の自然資源の保全管理にあたって重要な観点について考察している。

以上、本研究は、戦場ヶ原湿原における保全意識と保全対策について明らかにするとともに、国立公園をはじめとする貴重な自然を有する地域における自然資源の保全管理施策に参考となる知見が取りまとめられたものである。本研究で得られた成果は、戦場ヶ原湿原の保全管理のための重要な知見となるだけでなく、各地の自然資源の保全管理に対して重要な知見を与えるものと考えられ、学術上の価値があるのみならず、政策上の貢献も期待できるものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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