学位論文要旨



No 217665
著者(漢字) 杉本,利和
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,トシカズ
標題(和) 麹菌の液体培養における複合酵素高生産技術の開発とその応用
標題(洋)
報告番号 217665
報告番号 乙17665
学位授与日 2012.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17665号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 准教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

麹菌の液体培養法は、酵素生産性が低いという理由から酒類の大規模製造に実用化されてこなかった。本論文は、麹菌の液体培養法における各種酵素の高生産を目的に、麹菌の液体培養の新しい方法論を提案し、それに基づいた培養技術を開発した内容についてまとめたものである。さらに、新規に開発した麹菌の液体培養物を麦焼酎製造やバイオエタノール製造といった産業分野に応用するための実現可能性の検証を行った。

第1章第1節では、「酵素生産に関する発現抑制を極力免れながら誘導をかけ続ける」という新規な液体培養の方法論を提案し、これを簡便に実現する方法として、難消化性デキストリンを培地炭素源として用いる培養方法を検討した。Aspergillus kawachii NBRC4308の回分培養をデキストリンと難消化性デキストリンを含む培地で行ったところ、66時間目のグルコアミラーゼ活性は140.2 mU/mlと368.4 mU/mlとなり、難消化性デキストリンを含む培地を用いることで大幅に向上できることを確認した。培地中のグルコース濃度の変化を経時的に追跡した結果、培養23時間目に各々5.14 mg/mlと1.25 mg/mlとなり、難消化性デキストリンを用いた培養は、簡便な回分培養でありながら、酵素生産に抑制的に働くグルコースの濃度を低く維持できることが示された。一方、デキストリン流加培養を行うことで、培地中のグルコース濃度は2.38 mg/mlと低く維持することができたが、グルコアミラーゼ活性値は280.4 mU/mlとなり、難消化性デキストリン回分培養よりも低い結果となった。酵素生産を誘導すると考えられる培養液中のマルトオリゴ糖の変化を確認したところ、デキストリン流加培養ではほとんど検出されず、一方の難消化性デキストリン回分培養では培養終了時まで著量検出された。このように、難消化性デキストリンを用いることで、酵素生産に抑制的なグルコースの濃度を低く抑えながら、誘導的に作用するマルトオリゴ糖濃度を高く維持し続けることができ、先に提案した新しい液体培養の方法論を簡便な回分培養で達成することができた。これにより、A. kawachiiの液体培養におけるグルコアミラーゼ生産性が顕著に向上することが確認された。さらに、第1章第2節では、難消化性デキストリンを用いる新規な液体培養の方法論が、代表的な麹菌であるAspergillus oryzaeの回分培養においても高い効果を示すことが認められ、デキストリンを用いる培養に比べて、α-アミラーゼ活性が3.6倍、α-グルコシダーゼ活性が2.7倍に向上することが分かった。グルコアミラーゼ活性に至っては、デキストリン回分培養の55倍に達した。さらに、難消化性デキストリン回分培養では麹菌体量が約3分の1にまで低下することが確認され、工業的な酵素生産における培養液レオロジーの改善に大きく貢献できると考えられた。このように難消化性デキストリンを用いる培養方法は、多くの麹菌の物質生産性を大きく向上させる可能性を秘めた実用的な液体培養法であることが示された。

第2章では、さらに実用的な段階に進めるべく、難消化性デキストリンで達成したのと同様の方法論を、大麦を培地に用いる液体培養において具現化するための培養方法を検討した。特に、麦焼酎製造をターゲットとしたグルコアミラーゼと耐酸性α-アミラーゼの同時高生産を目的に、培養技術の開発を試みた。カギとなる培地炭素源の酵素分解性とグルコース生成に着目した検討を行ったところ、大麦精白歩合と酵素分解により生成されるグルコース量に関係があることが分かった。すなわち、大麦精白歩合85%から未精白(玄麦)にかけて酵素分解を受け難くなり、グルコース生成量の減少が認められた。一方で、焼酎製造に一般的に用いられる形態である65%精白大麦はグルコース生成量が高かった。続いて、各種精白大麦を用いて白麹菌の液体培養を行い、精白歩合とグルコアミラーゼおよび耐酸性α-アミラーゼ活性の関係を調べたところ、グルコアミラーゼおよび耐酸性α-アミラーゼ共に、精白歩合75%くらいから酵素生産性の向上がみられ、未精白(玄麦)のとき最も高い活性を示すことが分かった。一方で、玄麦を粉砕してしまうと酵素活性の向上が認められなかった。また、玄麦を用いた培養においては、培地中のグルコース濃度が粉砕玄麦を用いる場合に比べて低く維持されることが確認された。さらに、リアルタイム定量PCRによる遺伝子発現解析により、酵素高生産は酵素遺伝子の転写レベルで誘導に起因することも示された。本方法が開発されたことにより、第1章において難消化性デキストリンを用いて初めて達成された新規な液体培養の方法論が、焼酎原料である大麦を用いても同様に具現化できることが示された。これまで麹菌の液体培養においてグルコアミラーゼと耐酸性α-アミラーゼの同時高生産に成功した報告事例は無く、液体麹を用いる酒類製造の道が大きく開けた。

第3章では、玄麦を用いる麹菌の液体培養法を発酵産業分野に実用化することを目的に、培養法のブラッシュアップを行うとともに、工業化の実現可能性検証を行った。まず第1節では、酒税法ならびに培養時間の制約を考慮しながら、麦焼酎製造に必須なデンプン分解酵素と植物繊維素分解酵素が同時高生産できる液体培養法の開発を試み、従来の固体麹と代替できる液体麹を製造可能か検討した。培地への玄麦使用量と各種酵素活性の関係を調べた結果、玄麦使用量を2.0% (w/v)から1.7% (w/v)に減らした場合に、グルコアミラーゼ、耐酸性α-アミラーゼ、セルラーゼ、キシラナーゼが同時に高生産されることが分かった。2.0% (w/v)、1.7% (w/v)および1.4% (w/v)玄麦培地を用いて作製した液体麹を用いて、300 mlスケールの焼酎モロミ発酵試験を実施した結果、1.7% (w/v)玄麦培地による液体麹を用いた場合にアルコール収得量、モロミ粘度ともに良好であった。引き続き4000 mlスケールにて焼酎仕込み試験を行い、固体麹で作製した麦焼酎との比較を行った結果、両者の焼酎モロミはほぼ同様の発酵経過を示し、麦焼酎の酒質も遜色無いことが分かった。以上の結果より、酒税法を考慮した原料にて42時間培養した液体麹を用いて、固体麹と同等の麦焼酎製造が可能であることが示された。続いて第2節では、A. kawachiiが生産するグルコアミラーゼと耐酸性α-アミラーゼのもつ生デンプン分解能を最大限に活用すべく、キャッサバの無蒸煮同時糖化エタノール発酵へ応用することを試みた。まず、A. kawachii FS005株を用い、玄麦と小麦フスマを併用する改変Czapek-Dox培地にて、各種酵素生産性を確認したところ、グルコアミラーゼと耐酸性α-アミラーゼ、酸性カルボキシペプチダーゼ、酸性プロテアーゼ、セルラーゼ、キシラナーゼが同時に高生産されることを確認した。続いて、この液体培養物を用いてキャッサバの無蒸煮糖化が可能かどうかをラボスケール試験により評価した。A. kawachii FS005液体培養物を用いたキャッサバの無蒸煮糖化におけるグルコース生成速度は、STARGENTM 001を用いた場合と同等であり、遊離アミノ酸の生成速度は、STARGENTM 001に比べて2倍高かった。次に、モロミ165 mlのフラスコスケールにて、キャッサバの無蒸煮同時糖化エタノール発酵の試験を行った結果、A. kawachii FS005液体培養物を用いた発酵終了モロミの発酵歩合は92.3%と良好であった。最後に、工業化の実現可能性を検討するために、パイロットプラントスケールでの実証試験を行った。A. kawachii FS005液体培養物106 Lおよびキャッサバ粉332 kgを含むモロミ1612 Lにおいて、10.3% (v/v)のエタノールを収得し、発酵歩合は92.7%と非常に良好な結果を得た。これまでに糸状菌培養物を複合酵素剤とするキャッサバの無蒸煮糖化同時エタノール発酵に関してはラボスケールでの報告のみであったため、本法が工業化に向けた実現可能性が非常に高い製造法であることが示された。

本研究によって、これまで困難といわれていた麹菌の液体培養における各種酵素の同時高生産が、新規な液体培養の方法論に基づく培養技術により達成された。これは、培地炭素源として難消化性デキストリンや玄麦を用いるだけの簡便な回分培養法であり、非常に実用性の高い麹菌培養技術であると考えられる。今回開発した玄麦を用いる麹菌の新規な液体培養技術は、従来の麦焼酎製造だけでなく、バイオエタノール製造へも十分に応用可能な複合酵素生産技術であることが示された。麦焼酎製造に関しては2007年に実用化も完了し、現在も培養技術の高度化が進められている。バイオエタノール製造に関しては、中国や東南アジア地区で作付けの多い有望な発酵基質であるキャッサバを用いた無蒸煮同時糖化エタノール発酵に十分応用可能であることがパイロットプラントスケールで実証された。

本研究を通して、麹菌の液体培養物である「液体麹」が固体培養物である「固体麹」に酵素生産性という観点ではかなり近づいたと考えている。今後は、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボローム等のオミクス技術を駆使し、今回開発された液体麹培養法と伝統的な固体麹培養法を比較解析し、いまだ謎の多い固体培養特異的な遺伝子発現の特徴を明らかにするとともに、液体麹ならびに固体麹の高品質化を目指した技術開発をさらに進めていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

麹菌の液体培養法は、酵素生産性が低いという理由から酒類の大規模製造に実用化されてこなかった。本論文は、麹菌の液体培養法における各種酵素の高生産を目的に、麹菌の液体培養の新しい方法論を提案し、それに基づいた培養技術を開発した内容についてまとめたものである。さらに、新規に開発した麹菌の液体培養物(液体麹)を麦焼酎製造やバイオエタノール製造などの産業分野への応用を検討し、その結果を報告している。

第1章では、「酵素生産に関する発現抑制を極力免れながら誘導をかけ続ける」という液体培養の新しい方法論を簡便に実現するために、難消化性デキストリンを炭素源として用いる培養方法を検討している。デキストリンまたは難消化性デキストリンを含む培地で白麹菌Aspergillus kawachiiの回分培養を行ったところ、66時間目のグルコアミラーゼ活性は140.2 mU/mlと368.4 mU/mlとなり、難消化性デキストリンを含む培地を用いることで大幅に向上することを確認した。培地中のグルコース濃度を経時的に調査した結果、培養23時間目に各々5.14 mg/mlと1.25 mg/mlとなり、難消化性デキストリンを用いるとグルコース濃度が低く維持されることが示された。培地中のマルトオリゴ糖濃度を測定したところ、難消化性デキストリンを用いる培養では培養終了時まで7糖以上の長鎖マルトオリゴ糖が著量検出されることが分かった。このように、難消化性デキストリンを用いることで、酵素生産に抑制的なグルコースの濃度を低く抑えながら、誘導的に作用するマルトオリゴ糖濃度を高く維持し続けることができ、先に提案した新しい液体培養の方法論を達成できることを確認できた。

第2章では、さらに実用的な培養技術に発展させるべく、大麦を用いる液体培養において前述の方法論を具現化するための技術開発を行っている。大麦の酵素分解性とグルコース生成に着目した検討を行った結果、大麦精白歩合85%から未精白にかけて酵素分解を受け難くなり、グルコース生成量が減少することを見出した。続いて、各種精白大麦を用いて白麹菌A. kawachiiの液体培養を行い、精白歩合とグルコアミラーゼおよび耐酸性α-アミラーゼ活性の関係を調べたところ、精白歩合75%くらいから酵素生産性の向上がみられ、未精白大麦(玄麦)のとき最も高い活性を示すことが分かった。さらに、遺伝子発現解析により、酵素遺伝子の転写誘導により酵素高生産されることが示唆された。これまで白麹菌A. kawachiiの液体培養においてグルコアミラーゼと耐酸性α-アミラーゼの同時高生産に成功した例は無く、本法が完成したことにより、液体麹を用いる酒類製造の道が大きく開かれた。

第3章では、玄麦を用いる液体麹法の発酵産業への応用を試みている。

まず第1節では、麦焼酎製造に必須なデンプン分解酵素と植物繊維素分解酵素が同時高生産できる液体培養法の開発を試みた。培地への玄麦使用量と各種酵素活性の関係を調べた結果、玄麦使用量を2.0% (w/v)から1.7% (w/v)に減らした場合に、グルコアミラーゼ、耐酸性α-アミラーゼ、セルラーゼ、キシラナーゼが同時に高生産されることが分かった。これらの液体麹を用いて、300 mlスケールの焼酎モロミ発酵試験を行った結果、1.7% (w/v)玄麦培地による液体麹を用いた場合にアルコール収得量、モロミ粘度ともに良好となった。また、4000 mlスケールにて焼酎仕込み試験を行い、液体麹を用いて固体麹と同等品質の麦焼酎が製造可能なことを確認できた。

続いて第2節では、液体麹を用いてキャッサバの無蒸煮同時糖化エタノール発酵を試みた。まず、液体麹によりキャッサバの無蒸煮糖化が可能かどうかをラボスケール試験により評価したところ、高いグルコース生成と遊離アミノ酸生成が確認された。次に、フラスコスケールにて、無蒸煮同時糖化エタノール発酵の試験を行った結果、液体麹を用いた場合の発酵歩合は92.3%と良好であった。最後に、工業化の実現可能性を検討するために、モロミ総量1612 Lのパイロットプラントスケール試験を行ったところ、10.3% (v/v)のエタノールを収得し、発酵歩合92.7%と非常に良好な結果を得た。よって、本法が実現可能性の高いバイオエタノール製造技術であることを示すことができた。

本研究の成果は、新規な液体培養の方法論に基づく培養技術により、麹菌の液体培養における複合的な酵素の同時高生産を達成し、麦焼酎製造やバイオエタノール製造へ応用可能な生産技術を完成したものであり、学術上・応用上に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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